燈火

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7/24/2023, 7:02:56 AM


【花咲いて】


私を情報通だと言うけど、それはあなたを知りたいから。
いろんな人と関わって、たくさんの噂に耳を澄ませる。
そうして集めた中に、あなたの想い人の話があった。
私とは似ても似つかない、もの静かできれいな人。

真実を確かめるまでもなく、あなたに打ち明けられた。
喉の奥からせり上がる嫉妬が声に出そうで、口をつぐむ。
その一線を越えなければ、私は友人でいられる。
悪魔が嘲笑うように、失恋の瞬間は目の前で訪れた。

放課後、廊下で話していたらあなたの言葉が止まる。
窓の外を見て固まっているから、私も目を向けた。
校門付近で輝く笑顔を浮かべ、噂の想い人が駆けていく。
他校の生徒と手を繋いで歩く背中をあなたは見ていた。

近すぎたのかもしれない。何を伝えても届かなくて。
冗談だと決めつけて、ありがとなって笑うのが憎い。
誰が同情とか励ましでこんなこと、言うと思うの。
大暴れするこの鼓動を聞かせてあげたい。

小さな芽生えを自覚したときに摘んでおくべきだった。
ふいにあなたに手折られて、花瓶の用意なんてない。
それでも尊く思ってしまう。馬鹿みたいでしょう。
逆さに吊るせば、少しだけ長く色を残してくれる。

自覚していた以上に、あなたへの想いは根強かった。
手折られてもなお、茎は生きていて伸びようとしている。
暇そうに揺れる手を見つめ、頭の中では妄想ばかり。
まさか、今まで通りに話せることで胸が痛むとは。

第三者から伝わる言葉は、本人のより力を持つらしい。
お節介な友人が私を哀れんで、想いを届けてしまった。
「気づかなくて」と謝らないで。もう傷つけないで。
あなたが軽く握るだけで粉々に砕け散るのだから。

7/23/2023, 2:36:32 AM


【もしもタイムマシンがあったなら】


ようやく期末テストが終わり、明日から夏休み。
家に帰るなりゲーム機を手に取った僕に雷が落ちた。
「まず部屋を片づける! プリントも出しなさいよ」
母さんに背後で怒鳴られ、驚きで肩が跳ね上がった。

しぶしぶ部屋に戻れば、机にプリントの山ができていた。
グッズや服も出しっぱなしで、至る所に散乱している。
ゲーム機もスマホも没収されては、暇になって仕方ない。
ため息を吐いて、周囲を見回した。

どうしてこうなった。数時間後、僕は途方に暮れていた。
片づけていたはずなのに、気づけば余計散らかっている。
空間を作ろうと引っ張り出した物を呆然と見つめた。
子供の頃の玩具の山に、見覚えのないカレンダーがある。

手に取って見れば、変な日めくりカレンダーだった。
なぜか右下に横長のディスプレイがついている。
電池が切れているらしい。時計用の単三電池を入れた。
西暦と曜日が表示され、それらは不思議なことに正しい。

「あー、寝て起きたら片づけも宿題も終わってないかな」
カレンダーを夏休みの最終日までめくりながら呟いた。
「……あるわけないか」途中でカレンダーを置く。
今日中に片づけることは諦めて、その日は終わりにした。

翌日。目を覚ますと、あのカレンダーを持っていた。
床に置いたはずなのに。僕って寝相が悪いのだろうか。
眠気を堪えて降りてきた僕を見て、母さんが息を呑んだ。
「え、なに?」僕をきつく抱きしめて嗚咽を漏らす。

奥でつけっぱなしのテレビでは、ニュースが流れていた。
『…………七月二十日に十七歳の高校生が行方不明になって一ヶ月が経ちますが、捜索は難航しています。両親の話では自室から忽然と姿を消したとのことで…………』

7/21/2023, 9:19:58 PM


【今一番欲しいもの】


顔を合わせるたび、君は労いと心配の言葉をくれる。
また痩せたか、顔色が悪いぞって呆れ顔。
働きすぎじゃないかと君は言うけど、私は大丈夫。
自分のためだから苦しくないし、限界はわかっている。

多少の無理をしてでも仕事に精を出す目的は明白だ。
それは、お金。私を裏切らず、いくらあっても困らない。
宝くじで一獲千金とか、不労所得に憧れはある。
でも、時間がお金になる達成感を得られるのは仕事だけ。

私の返す言葉にいつも不満げだが、言わせてほしい。
学生の頃は、君のほうがよほど不健康な生活をしていた。
連日のように徹夜していたのは、どこの誰だったか。
睡眠時間を削っていないだけ褒められるべきだと思う。

たまに実家に顔を出せば、母が孫の顔を見たいと騒ぐ。
どうぞ兄さんに期待してください、と雑にあしらった。
私の初恋は気づかれることなく枯れてしまったのだから。
結婚願望まで二十代に捨ててきて、もう残っていない。

幼なじみで歳の近い君は、本当の弟のように甘えてくる。
学生時代は、勉強を教えてと私の部屋に押しかけてきた。
そして今は、既婚者のくせに私の家に泊まらせてと言う。
質素倹約は賛成だけど、なぜ奥さんも認めているの。

明日になれば、君は奥さんへの土産を持って帰るだろう。
わざわざ旅行や出張ついでに来なくてもいいのに。
すっかり頼れる大人になった君は、まだ危機感が薄い。
私が相手でも安心しないで。無防備な姿を見せないで。

お金を稼ぐために働き、それを生きがいにしている。
何度でも自分に言い聞かせないと忘れてしまいそう。
恋とか愛とか、そんなものを求めても意味がない。
だって、君のはもう売り切れなんでしょ。

7/21/2023, 7:04:54 AM


【私の名前】


病院で目覚めた彼女は、僕を見てわずかに目を見開いた。
倒れたとの連絡で駆けつければ、お久しぶりですと笑う。
そんなはずないだろう。同じ家で生活しているのに。
まるで彼女だけ出会った頃に戻ったみたいだ。

医者の話では、ここ数年の記憶が抜け落ちているらしい。
今日は何日かと聞けば、四年前の日にちを答える。
それなのに、去年の出来事を口にする。
どの程度覚えているのか、明確に知ることはできない。

ただ、僕との日々のほとんどを忘れていることは確か。
僕を名字で呼び、敬語で話し、困ったように笑う。
慣れない人が近くにいると心が休まらないかもしれない。
寂しくなるけど、僕は病室へ行く回数を減らした。

医者は、普段のように接してあげてくださいと言う。
記憶からは消えてしまっても、心は覚えていると。
でも、僕と今の彼女とでは互いの考える関係性が違う。
知り合ったばかりの僕が親しくしたら、彼女は混乱する。

彼女のそばにいたいけど、不安の原因にはなりたくない。
僕は事実を隠して、出会いからやり直すことにした。
思い出せないのなら、僕があの頃に戻ればいい。
もう一度選んでもらえるように、僕が頑張ればいい。

お義父さんとお義母さんは、僕のことも心配してくれる。
娘は私たちに任せてもいいんですよ、と言っていた。
余計なお世話だと切り捨てるのは、あまりに冷たいか。
簡単に離れられるなら結婚なんてしない。

義両親と親密な僕を、彼女は不思議そうに見ていた。
お義父さんと相談して、署名した離婚届を彼女に預ける。
「僕の存在が嫌になったら、名前を書いて渡してほしい」
破棄されることを願って手渡す、僕の手は震えていた。

7/20/2023, 7:56:52 AM


【視線の先には】


近所にショッピングモールがあってよかった。
食料品に日用雑貨、服や装飾品をまとめて買える。
飲食店でご飯を食べられるし、喫茶店で休憩もできる。
退屈しないので、彼とのお出かけではよく訪れている。

今日も、ピアスを見たいと言う彼と雑貨屋に入った。
服を見る女性のように、彼もこだわってじっくり選ぶ。
その間、私はそばを離れて気ままに店内を見て回る。
強い興味はないけれど、初めて見るものには心が踊る。

この雑貨屋は二週間ほど前に訪れたばかり。
それでも、新商品がいくつも出ているから楽しめる。
特に目を引くのは、黒猫のマグカップ。
持ち手が尻尾になっているデザインが可愛らしい。

「おまたせ」釘づけになっていると優しく肩を叩かれた。
「何見てたの?」彼が手元を覗き込んで視線を辿る。
「んー、いろいろかな」言いながら手を引いて店を出た。
危なかった。これ以上見ていたら買いたくなる。

今日の私の目的は小説を買うこと。
前に買った一冊を読み終えたので、次の本を選びに来た。
彼は飲み物を買ってくる、と離れていったので今は一人。
目移りして時間がかかるから、ちょうど良いのかも。

会計を済ませて本屋を出ると、彼が戻ってきていた。
「あれ、飲み物は?」彼はリュックの外側に入れるはず。
「飲みたいのがなくてさ」そのくせ中身は膨らんでいる。
増えた荷物の謎は、帰宅後に明らかになった。

「欲しいかなって」それは耳の垂れた犬のマグカップ。
笑ってしまった。思い返せば黒猫の横にいた気がする。
「間違えた?」と不安そう。確かに違うものだけど。
「ううん、ありがとう」彼の買った、これがいい。

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