燈火

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【私の名前】


病院で目覚めた彼女は、僕を見てわずかに目を見開いた。
倒れたとの連絡で駆けつければ、お久しぶりですと笑う。
そんなはずないだろう。同じ家で生活しているのに。
まるで彼女だけ出会った頃に戻ったみたいだ。

医者の話では、ここ数年の記憶が抜け落ちているらしい。
今日は何日かと聞けば、四年前の日にちを答える。
それなのに、去年の出来事を口にする。
どの程度覚えているのか、明確に知ることはできない。

ただ、僕との日々のほとんどを忘れていることは確か。
僕を名字で呼び、敬語で話し、困ったように笑う。
慣れない人が近くにいると心が休まらないかもしれない。
寂しくなるけど、僕は病室へ行く回数を減らした。

医者は、普段のように接してあげてくださいと言う。
記憶からは消えてしまっても、心は覚えていると。
でも、僕と今の彼女とでは互いの考える関係性が違う。
知り合ったばかりの僕が親しくしたら、彼女は混乱する。

彼女のそばにいたいけど、不安の原因にはなりたくない。
僕は事実を隠して、出会いからやり直すことにした。
思い出せないのなら、僕があの頃に戻ればいい。
もう一度選んでもらえるように、僕が頑張ればいい。

お義父さんとお義母さんは、僕のことも心配してくれる。
娘は私たちに任せてもいいんですよ、と言っていた。
余計なお世話だと切り捨てるのは、あまりに冷たいか。
簡単に離れられるなら結婚なんてしない。

義両親と親密な僕を、彼女は不思議そうに見ていた。
お義父さんと相談して、署名した離婚届を彼女に預ける。
「僕の存在が嫌になったら、名前を書いて渡してほしい」
破棄されることを願って手渡す、僕の手は震えていた。

7/21/2023, 7:04:54 AM