秋のホーム
風が少し冷たくなった朝、遥は駅のホームに立っていた。コートの襟を立てながら、彼女は遠くの山々が色づき始めているのに気づいた。赤、黄、橙——まるで誰かが絵筆で塗ったような鮮やかさだった。
「今年も、秋が来たんだね」
隣に立つ空のスペースに、遥はそう呟いた。そこにはもう誰もいない。去年の秋、彼と最後にここで別れた。彼は転勤で遠くの街へ行き、そしてそのまま、戻ってこなかった。
彼がいなくなってから、季節は何度も巡った。春には桜が咲き、夏には蝉が鳴いた。でも、秋だけは、彼の記憶が濃く残っていた。紅葉を見に行った山道、焼き芋を分け合った公園、そしてこの駅のホーム。
電車が滑り込んできて、遥は一歩踏み出した。車窓から見える景色は、どこか懐かしく、そして少しだけ新しかった。彼がいない秋は寂しい。でも、秋が来るたびに、彼との思い出が色づいていく。
それは、悲しみではなく、優しさだった。
お題♯秋の訪れ
雨とコーヒーと北の道
夜明け前の東京駅。人影はまばらで、空気はまだ眠っているようだった。
佐伯遥は、重たいキャリーケースを引きずりながら、静かにホームへと向かった。
彼女の旅は、今日で三日目。目的地は決まっていない。ただ、何かを探している。何かを置いてきた気がして、それを取り戻すために、彼女は旅を続けていた。
最初の夜は仙台。次は盛岡。そして今日は青森へ向かう。
「どうして北へ?」と駅員に聞かれたとき、遥は笑って答えた。
「風がそっちに吹いてる気がして。」
青森の駅に着いた頃には、空は灰色に染まり、冷たい雨が降っていた。
傘を持たずに歩き出した遥は、濡れることを気にしなかった。むしろ、雨に打たれることで、心の中の何かが洗い流されるような気がした。
小さな喫茶店に入ると、店主の老婦人が声をかけてきた。
「旅の途中かい?」
遥はうなずいた。
「何を探してるの?」
「わかりません。ただ、止まれないんです。」
老婦人は微笑みながら、温かいコーヒーを差し出した。
「探してるものは、きっと旅の終わりじゃなくて、旅の途中にあるのよ。」
その言葉が、遥の胸に静かに染み込んだ。
翌朝、遥はさらに北へ向かった。
目的地はない。けれど、歩みは止まらない。
誰かに会うかもしれない。何かを思い出すかもしれない。
それでも、旅は続く。
そして、遥は知っていた。
この旅が終わるとき、彼女はきっと、少しだけ強くなっているだろう。
お題♯旅は続く
モノクロの街
朝、目覚めると世界が色を失っていた。
窓の外に広がる街は、灰色と黒の濃淡だけで構成されていた。赤いはずのポストも、緑のはずの木々も、すべてがモノクロ。まるで古い映画の中に迷い込んだようだった。
「夢…じゃないのか?」
そう呟きながら、尚人はゆっくりと服を着替え、外に出た。人々は普段通りに歩いている。誰も色の消失に驚いていない。まるで最初からそうだったかのように。
尚人は、色彩を扱う仕事をしていた。広告会社でデザインを担当していた彼にとって、色は言葉以上の表現手段だった。だからこそ、この世界の変化は、彼の中にぽっかりと穴を開けた。
「色がないと、伝えられないものがあるんだ」
彼はそう信じていた。
だが、モノクロの世界で過ごすうちに、尚人は少しずつ気づき始める。影の濃さ、光の角度、質感の違い。色がなくても、そこには確かに“表情”があった。
ある日、彼は公園で一人の少女に出会う。彼女はスケッチブックに鉛筆で絵を描いていた。モノクロの世界を、モノクロの線で。
「色がなくても、綺麗だよね」
少女はそう言って微笑んだ。
その笑顔は、尚人にとって初めて“色”を感じさせるものだった。赤でも青でもない、けれど確かに温かい色。
その日から、尚人はモノクロの世界を受け入れ始めた。色がなくても、伝えられるものがある。むしろ、色に頼らない分、心の奥に届く何かがある。
そしてある朝、尚人が目を覚ますと、世界は再び色を取り戻していた。
だが彼は、以前のように色に頼ることはなかった。モノクロの記憶が、彼の中に新しい“視点”を与えていた。
お題♯モノクロ
君がいた季節
東京の秋は、やけに静かだった。
駅前のカフェで、澪はコーヒーを冷ましながら、窓の外を眺めていた。歩道を行き交う人々の中に、彼の姿はない。もう、二度と現れることはないのだと、澪は知っていた。
「永遠に一緒にいよう」
そう言ったのは、春の終わりだった。桜が散り始める頃、陽翔は笑っていた。あの笑顔は、澪の記憶の中で、今も鮮やかに残っている。
けれど、永遠なんて、なかった。
陽翔は、突然いなくなった。事故だった。電話一本で、澪の世界は音を失った。
それからの毎日は、まるで色のないフィルムのようだった。笑うことも、泣くことも、うまくできなかった。時間だけが、無遠慮に過ぎていった。
今日、澪は陽翔が好きだったカフェに来た。彼がいつも頼んでいたキャラメルラテを注文し、窓際の席に座った。隣の席は空いている。そこに彼が座っていた記憶が、澪の胸を締めつける。
「永遠なんて、ないけれど」
澪は、そっとつぶやいた。
「それでも、あなたを忘れない」
外では、風が銀杏の葉を舞い上げていた。季節は巡る。人は変わる。記憶は薄れていく。
それでも、澪の中で陽翔は生きている。声も、仕草も、あの春の約束も。
永遠なんて、ない。
けれど、心に残るものは、確かにある。
それは、誰にも奪えない。
澪は、冷めたコーヒーを一口飲んだ。少しだけ、甘かった。
お題♯永遠なんて、ないけれど
涙の理由
第一章:泣かない世界
この世界では、誰も泣かない。
感情は整理され、悲しみは薬で抑えられ、涙は「非効率」として排除された。人々は笑顔を貼りつけ、感情を管理された日々を生きていた。
そんな世界で、少女・灯(あかり)は育った。彼女は一度も泣いたことがない。母が亡くなった日も、父が遠くへ去った日も、涙は一滴も流れなかった。
「泣くことは、弱さだ」と教えられてきたから。
でも、心の奥には、言葉にならない何かがずっと渦巻いていた。
---
第二章:涙を知る少年
ある日、灯は廃墟となった旧図書館で、一人の少年・澪(みお)と出会う。彼は、誰にも知られずにそこに住み、古い本を読み漁っていた。
「君、泣いたことある?」
灯の問いに、澪は静かに頷いた。
「泣くと、心が少し軽くなる。痛みが、外に出ていく感じがするんだ」
灯は驚いた。そんな感覚、知らなかった。
澪は、灯に一冊の本を手渡す。それは、かつて人々が涙を流していた時代の詩集だった。
「涙は、心の言葉だよ」
その言葉が、灯の胸に深く刺さった。
---
第三章:涙の理由
灯は、澪と過ごすうちに、少しずつ自分の感情に向き合うようになった。忘れていた記憶、押し込めていた痛み、言えなかった言葉——それらが、胸の奥で静かに揺れ始めた。
ある夜、澪が姿を消した。彼は、感情を持ちすぎた「異常者」として、感情管理局に連れて行かれたのだ。
灯は、彼が残した詩集を抱きしめながら、初めて声をあげて泣いた。
涙は止まらなかった。頬を伝い、胸を濡らし、世界が少しだけ色づいた。
その瞬間、灯は気づいた。
涙の理由は、忘れたくないものがあるから。
誰かを想う気持ちが、心に残るから。
そして、涙は——生きている証だから。
---
灯はその後、感情を取り戻すための活動を始めた。涙を流すことを、恥ではなく誇りに変えるために。
彼女の涙は、世界に小さな波紋を広げていった。
お題♯涙の理由