【 No.11 何でもないフリ 】
プール終わりの教室。
チャイムがなるほんの数分前。
みんなが席に着いて、授業の用意を始める。
開け放った窓から入ってくる爽やかな風にのって、みんなに染み付いた塩素の香りが、ほんのりと鼻を掠めた。
暑苦しい更衣室でかいた汗が、少しずつ引いていく。
ふと隣を見ると、君は下敷きをパタパタと揺らして、風を作っていた。
「あっつぅ"ー、」
大袈裟にそう言うと、まるで溶けたアイスみたいに、机にだらんと顔をくっつけた。
「机ひんやりして気持ちいいよー」
ふにゃっと緩んだ顔でそう僕に声をかける。
言われた通りくっついてみると、確かに気持ちよかった。
机に顔をくっつけながら、僕たちは顔を見合って笑う。
「授業やだねえ」
「そうだね 」
先生が教室に入ってくると同時に鳴ったチャイムと、号令の声。みんな疲れ果てているため、だらりと立ち上がって挨拶をする。
着席して先生が黒板の方を向いた時、少し強めの風が吹いた。後ろの掲示物が音を立てて揺れ、教科書やノートのページがめくれていく。
反射的に窓の方を向くと、彼女は長い髪をなびかせて、きゅっと目を瞑っていた。
差し込んだ光に照らされて、彼女の大きな瞳と長い睫毛が耀り、ぷるんとした唇の艶がよくみえた。
つい、見惚れてしまう。
「どうかしたの?」
「いや、なんでも」
キョトンとして此方を見つめる彼女の顔が見られなくなって、すぐに顔を逸らした。
頬が熱い。こんな顔、君には見せられない。
早く何でもさらけ出して、君に全部見て欲しい。
勇気が出なくて、なかなか言い出せないけど。
僕はいつまで「何でもないフリ」を続ければいいんだろう。
【⠀No.10 別れ際に 】
真夜中、熱の篭った真っ暗な室内に響くのは、肌と肌が
ぶつかる音と男女の甘い声、吐息だけ。
ふかふかしていて豪華なベッドの上で、男も女も満足するまで欲を吐き出す。
少し裕福な家庭で育った私は、タワーマンションの最上階に住んでいる。
お嬢様のような立ち振る舞いを何年も教わってきたから、家を出た今でも癖が抜けない。
そのせいなのか、私に好意を寄せてくれる男性は殆ど
いなかった。全員、カネ目当てだった。
だから私は出会いを求めて、裏垢を作り、男と会った。
彼は私にとって、少しだけ特別な存在になりつつある。
でも所詮はカラダの関係。
「ねえ、私たちって、何?」
「ただの発散相手」
「……そう、だよね」
当たり前のことなのに、そう言われると胸の奥が痛む。
この感情はなんなのだろう。
そんなことを考えながら、私が次会える日を聞こうとした時だった。
「俺、彼女できたからさ。もう会うのやめよ」
彼に触れようと伸ばした手は届かず、空気を掴んだ。
慣れた動きで風呂場に向かう彼の背中を、私はただ
見つめることしか出来ない。
扉が閉まってすぐに聞こえてくる聞きなれたシャワーの音が、今日はなぜだか体中に響いた。
5分も経たず上がってきた彼は、濡れた髪を気にせず身支度を始めると、玄関に私の部屋の合鍵を置いた。
「コレ、返すわ」
声が出なかった。
「あと、せめてものお礼。今までありがと」
私の方に何かを投げる彼。
それを私がしっかり受けとったことを確認すると、彼は今まで私に見せたことの無い幸せそうな顔で、スマホの待ち受け画面を眺めた。
「じゃ」
そんな短く素っ気ない言葉を残して、彼は部屋を去った。
さっき掴んだものをベッドに並べると出てきたのは、
1枚の硬貨と私が好きだと言ったキャラのキーホルダー
だった。
「ばか、なんで覚えてるのよ、」
何処から湧いてきたのか分からない涙が、シーツの上に
一粒落ちた。
彼が別れ際に私にくれたもの。
それは、彼と私の思い出の象徴と、
儚く苦い初恋だった。
【 No.9 踊るように 】
甘い香りが鼻を掠める。
匂いを辿ってみると、清々しい青色の空を背景に、オレンジ色の可愛らしい花が咲いていた。
そういえば、もう秋だな。
窓からの隙間風が冷んやりしていて涼しい。
この季節になると毎年咲くあの花は、私と彼との思い出の
象徴だ。
「咲いてるね、金木犀。もう秋かあ〜。」
呑気に窓の外を眺めながら、彼は言う。
「そういえば、今年で5年目?」
確認するように指を折り曲げ数えていく彼。
何度か繰り返して確信をもてたのか、「早いねー」などと
嬉しそうに言う。
それを見て少し口角が上がるのを感じた。
いつまでも子供みたいに無邪気で、一途で、可愛らしい。
ふふっと空気が漏れたのを聞き取った彼は、此方をみて
不機嫌そうに頬を膨らませた。
「なんで笑ってんの!」
「いや、いつまでも変わんないなって思ってさ。」
何それ、なんて言いながらも嬉しそうにしている彼。
最近少し忙しくて構えてなかったから、今日くらい。
「ねえ、好きだよ。ずっと。」
少しだけ驚いたような素振りを見せたけど、照れたように笑って、私の肩を抱き寄せた。
金木犀の花が一輪、踊るように散った。
この先もずっと2人で、この景色を眺めながら、
こうして話せますように。
【⠀No.8 海へ 】
太陽の光で美しく輝いた海は、よく映える。
そこに君がいるから、もっともっと美しい写真が撮れる。
真夏の空の下、涼しげに真っ白なワンピースを揺らし、
長い真っ黒な髪をなびかせている君。
夏らしい麦わら帽子もよく似合っている。
君がいるところだけ切り取られたみたいに綺麗で、
辺りの空気が澄んでいるように感じた。
写真家である僕は撮影用のカメラを取り出す。
つくりものじゃなく自然体な君の時間を、このカメラで
切り取りたい。
白い足で海水を少し蹴る君。
潮の香りを嗅覚でいっぱいに感じると、飛び散った海水が
宙へ舞い、くしゃっと笑う君を視覚で捉えて、体中に響くような、美しい波の音を聴覚で楽しむ。
「ね、すごく綺麗だし、水気持ちいいよ。」
嬉しそうに近寄ってくる君。
今、嗅覚には君の香りが、視覚には近くで見る君の顔が、聴覚には君の透き通った声がプラスされたよ。
「海来て私は楽しいけど、ちゃんと楽しんでる?」
「うん。だって、君がいるから。」
そう言うと少しポッと赤くなる君。
えへへ、と照れ笑いをすると、彼女は海へ戻っていく。
その様子も一部始終、僕がこのカメラと脳に保管しておくから。やっぱり、海っていうのは素晴らしいものだ。
真夏の遊びといえば、やはり海。
僕自身アウトドアではいないので気は進まなかったが
君の美しい姿を見て、来てよかったと思えた。
ここを、毎年君が楽しんで、僕が写真家としての腕がどれだけ上がったのか確認するところにしよう。
また来年もきっと、海へ。
【⠀No.7 鳥のように 】
「会いたい」
私も同じ気持ちだった。
今は休日だから、学校は休みで、街は人で溢れている。
暑くて少し出歩くだけで吸われていく体力を温存しようと
ゆったりしていたら、もう外は真っ黒に染まっていた。
現在、午後八時。
明日は学校だけれど、まだ12時間ほどは会えない。
それは私たちにとってはあまりにも長くて。
「話してたらすぐだけど、俺はいつでもどこでも
近くにいたい。」
これも、同じ意見。
電話越しに流れる甘酸っぱい空気が更に心を締め付ける。
いつでも可愛く居られるように保湿で肌を綺麗にする。
貴方が好きだと言った香りのヘアオイルを使って髪に櫛を
通すと、思い出がフラッシュバックする。
ベッドに寝転んで胸に携帯を押し付け、感情のままに抱きしめて呟く。
「好き。」
彼は少し嬉しそうに声を弾ませて、「俺もだよ」と私に返事をする。
「鳥みたいに空を飛んで、君に会いに行けたら。」
嗚呼、私ってなんて幸せ者で、強欲なんだろう。
こんなにも恵まれていながら思ってしまう。
君が鳥のように空を飛んで、
私に会いにきてくれたらいいのにな。