与太ガラス

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4/19/2025, 1:55:03 AM

 集合ポストから郵便物を取り出して、エレベーターのボタンを押した。このところ出勤が多くて夜が遅い日が続いたけれど、明日は在宅ワークができるからちょっと気持ちが軽い。エレベーターが来ると同時にスマホにメッセージアプリから通知が届いた。

「行くよ、仕事帰りに寄るつもり」

 電車の中でわたしが送った「明日ジム行く?」に対してのナオからの返事だ。エレベーターに乗りながら、わたしはスタンプを連打した。

「やったー!」「ご一緒します!」「楽しみですねぇ」

 いつも通りの楽しげなスタンプを押しながら、ナオに会って何を話せばいいんだろうと少し沈んでいる自分がいた。ナオの引っ越し先が決まれば、一緒に筋トレできる時間ももうそんなに長くないかもしれない。だったら尚更こんなモヤモヤした気持ちでいるのはもったいないのに……。

 部屋に戻ると手に持った郵便物を玄関のトレイに投げ込む。靴を脱いで数歩進んだところで後ろからドサドサッという音がした。振り返ると、トレイが許容量を超えたのか郵便物を吐き出して床に落としていた。

 あちゃー。

 よく考えたら郵便受けに入っていたものをこのトレイに移し替える作業しかしていなかった。これだったら郵便受けの中にあるのと変わらないじゃん、と昨日までの自分にツッコミを入れる。いや、ついさっきまでの自分に……。一体いつから開封しないで溜めているんだろう。

 もちろんそんな性格はいまに始まったことじゃない。部屋の中を見回すと、わたしの部屋は女子っぽいパステルトーンの家具で揃えてはいるものの、脱いだままの部屋着や乱雑に投げ出された雑誌が床に飛び散っている。とてもきれいな部屋とは言えない。ナオの部屋を地味な部屋と表現した自分が恥ずかしくなった。とてもよく整理された素敵な部屋だった。

 明日在宅なんだから、部屋の掃除は明日すればいい。今日はこの郵便物だけ、ほら、さすがに玄関がぐちゃぐちゃしてるのは気持ち悪いからさ、いまやろうよ、うん。

 よくわからない勧誘のチラシや企業のDMをピックアップして捨てる方に置く。こういう郵便物は変に派手だから重要書類じゃないのはすぐわかる。それから宛先にわたしの名前がなければ基本的に捨てていい。公共料金は自動引き落としにしてるから心配はないとして……。

 わたしは一枚の封筒を手に取り、差出人の名前を見た。

「ウッソ、マジ?」

◆◆◆

「なんか、久しぶりだね、隣で筋トレするの」

「うん、だって、私の部屋に来てから、会うのも初めてだし」

「そっか」

 トレッドミルに乗りながらするナオとの会話は、少しぎこちなかった。話したいことはあるけど今じゃないような、機会をうかがっているような、そんな感じがした。

「このあと食事行く?」

 珍しくナオが誘ってくれた。

「うん、もちろん!」

 そう言って笑っているうちに、マシンの速度が上がっていって、しゃべっていられなくなった。



 トレーニングの後は洋食のお店に入った。二人とも一応マジメに筋トレをしているので、タンパク質中心のメニューを頼む。料理が来るまでの間に少し沈黙の時間が流れた。

「この前、ウチに来てもらったときにさ」

 静寂を裂いてナオが切り出した。

「部屋が地味だなーって言ってくれたじゃん」

 え、やだ、ナオ気にしてたんだ。それで気まずい感じだったんだ。

「あ、ごめん、そんなつもりじゃ」

 わたしが謝ろうとするとナオは驚いたように遮った。

「あ、そうじゃなくて。その、同世代でそういう、部屋のこととかファッションとか相談できる人がいなくてさ。カナデ、デザイナーだし、コーディネートとか色のセンスとか得意かなって思ってて」

「うん」

 ナオの部屋のことひどく言ったのに、ナオはわたしのこと褒めてくれてる。なんか申し訳ないな。

「あのさ、今度引っ越すとき、一緒に家具を選ぶのとか手伝ってくれないかなって思ってて」

「え〜、いいの? うん、絶対行く。一緒に選びたい。わー嬉しい!」

 ナオ、わたしのセンスを買ってくれてたんだ。地味な部屋って言ったのを後悔してたから余計に安心した。ナオもホッとした表情をしている。ずっとこれが言いたくてぎこちなかったのか。

「私が引っ越す話したとき、カナデちょっと元気なかったから、心配だったんだよね」

 ああ、そこも気づかれてたか。子どもみたいな反応をしちゃったなとは思っていた。さすがに恥ずかしい。でも、そう思っちゃったものはしょうがない。だから、私の結論を、今度はわたしが伝える番だ。

「そのー、引越しのことでさ。わたしからも相談があるんだけど……」

「え、相談?」

 ランニングマシンに乗っていたときのように心臓が早くなる。わたしはバッグの中から封筒を取り出した。それは賃貸の管理会社から届いた封筒だった。

「実は、わたしもアパートの更新もうすぐだったんだ。郵便物放置したままで気づいてなかった」

 ナオはきょとんとした顔をしている。

「だからさ、一緒にルームシェアしてみない?」

 わたしたちの新しい季節はここから始まった

4/17/2025, 10:11:29 AM

 歩くのが早いとよく言われる。自分では急いでいるつもりはないのだが、いつものペースで歩くと早いと言われるのだ。しかし一人で歩く分には関係ない。どれだけ早く歩いたところで、誰かに非難される謂れはないのだから。

 今日も一人で近所の路地を歩いていた。歩道は狭いというほどではないが、横に二人歩くとすれ違いはできないぐらい。車道側はガードレールで塞がれている。

 ふと気づくと前を歩いていた親子連れが目の前に迫っていた。母親と小学生ぐらいの子ども、そして母親は赤ちゃんを乗せているであろうベビーカーを押していた。

「お母さん、今日の晩ごはんなぁに?」

「んー? なんだろうねー。じゃあクイズにしよっか」

 聞くともなく親子の会話が聞こえてきた。ゆったりと流れる親子の時間を微笑ましく思う。わたしは急いでいるわけではないので歩みを緩めた。

「えー? じゃあねー、カレー?」

 男の子は不意に立ち止まって母親の方を見上げて言った。わたしも気配を消して立ち止まる。急いでいないのだから、向こうに気づかれて変に道を譲ってもらうことはない。

「ブー、ほら、ちゃんと今日買ったものを見て」

 母親は子どもにベビーカーに引っ掛けたエコバッグの中身を確認させている。急いでいないわたしはその様子を眺めながらゆっくりと歩く。慣れていないから歩幅が安定せず、たまにつんのめったりもつれたりする。

 親子のいる道の先を見ると、ガードレールに塞がれた一本道はざっと100メートルほどは続いている。

 わたしはふぅーと息を吐きながら、天を仰いだ。

 目線の先に明るいオレンジ色の花びらが舞っているのが見えた。家屋の白壁に沿って緑のつるが伸びていて、その端々に賑やかな花が咲いている。ノウゼンカズラだ。

 いつも通っている道のいつも見ている景色の中に、気づいていない花があった。わたしはその発見にただ驚いていた。

「あ、肉じゃがだ!」

「ふふふ、正解!」

 遠くから声がして我に返った。目を向けると親子の姿はずいぶん小さくなっていた。そのとき初めて、わたしは自分が立ち止まっていることに気づいた。

 わたしはもう一度ノウゼンカズラを見上げてから、ゆっくりと歩き出した。

 それにしてもあの子は、どうして肉じゃがを当てられたのだろう。

4/14/2025, 9:56:46 AM

 紙にすれば、たったひとひらの紙片に過ぎないのだろう。しかしある電子掲示板に書き込まれた、誰かからのそのメッセージは、わたしを前に進ませるには十分だった。

【登校初日、わたしもすごく緊張しました。でも同じキャンパスにキョロ太郎さんがいると思うと心強いです!(もしかしたらもうすれ違ってるかも?)どこかでお会いできるのを楽しみにしてます!】

 ……ありがとう。

 わたしはその言葉を胸に、大学生活の第一歩を踏み出した。

4/12/2025, 11:58:46 PM

 西の空に夕陽が落ちていき、雲の縁を赤く染めていった。ここに座って何度となく見た風景だ。自分の家から見る景色を除けば、わたしの人生で一番多く見た風景に違いない。

 何度足を運んで来てみても、ここで繰り広げられるドラマにはひとつとして同じものはなかった。数多くの挫折や失敗を、ほんの一握りの歓喜を、一瞬の栄光を、静かな終わりを、このグラウンドは数え切れない感情をわたしに見せてくれた。

「まさかこのスタジアムの最後を見届けることになるとはね」

 マサさんが言った。何度も隣でゲームを観た仲間だが、年齢も連絡先も何をやっている人かも知らない。ここに来て、そこに居れば、一緒に見るだけだ。そんな関係で数十年も同じ景色を見ていた。

「お互い年を取ったね」

 わたしはポツリとつぶやいた。

「寂しくなるな。なにも取り壊すことはないのに」

 マサさんにとっても思い出が詰まった場所なのだ。

「いやぁ、この球場も年を取ったってことさ。座席の裏は錆びてるし、人工芝なんて剥げかけてる。あそこの電光掲示板だって、穴ぼこみたいに光らないところがいくつもある」

 どこを見たってボロボロだ。本当に長く使い過ぎた。わたしは無意識に自分の腰に手をやった。

「新しいスタジアム、なんかいろいろ言われてるよな。あっちができたら、行くのかい?」

「そりゃあもちろん。俺は体の動くうちは通わせてもらうよ」

 そこではきっと、また新しいドラマが見られる。新しいものが見られるうちはまだまだ若くいられる気がするから。


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このアプリで毎日投稿を続けて200作品を超えました。
私事ですが、ここを節目にこれからはゆったりしたペースで投稿していこうと思います。理由はお題がさすがに「エモ」に寄りすぎているから、です。あとは、どう考えても毎日2000文字の物語を書くためのアプリではないと気づいた、というのもあります。本当に悩みながら毎日書いていました。これまで♡をいただいたみなさま、ありがとうございました。

4/12/2025, 2:11:28 AM

 例えばトランプの神経衰弱で、最後までめくられなかった二枚のような。あるいはクロスワードパズルで最後まで埋められない二文字のような。最初からここにいるのに気づかれない。最後まで余ってしまった君と僕。

「今日も誰からも話しかけられなかったよ」

 ミチルは言った。

「わたしも。先生も一度もわたしを当てなかった」

 ヒカリが言った。

「変だよね。僕たちはこうしておしゃべりしてるのに」

 もうみんなが帰る時間は過ぎていた。

「そうだね。でもきっと、最初からそうだったんだよ」

 二人はまだ教室の中にいた。

「うん」

 ミチルはそう頷いてから、少し考えて言った。

「僕たちはここにいるべきなのかな」

「ふふ、変なことを言うのね」

「だって、この窓の外にも世界はあるよ」

 ミチルは窓から見える校庭を指差した。

「ミチル、世界はどこにでもあるのよ。それにわたしたちはどこにでもいることができる」

 ヒカリはミチルを諭すように言った。

「でも、どこにいたって誰からも気づかれないよ」

 ミチルは寂しそうに言った。

「バカね、わたしはいつでもミチルを感じてるよ」

「うん」

 そう答えたがミチルは上の空だった。

「あ、わたしそろそろ行かなきゃ」

 ヒカリが言った。

「あ、そっか。暗くなってきたもんね」

 ミチルは窓の外を見て、そんな当たり前のことを口にした。ミチルはこれから始まる時間がとても嫌だった。

「じゃあね」

「うん、バイバイ」

 ミチルはヒカリを見送った。

 だんだんと闇に包まれていく空と影が伸びていく教室の中で、ミチルは一人の時間をうずくまって過ごした。毎日押し寄せるこの時間が、ミチルには永遠のように思われた。

 ミチルはただ、誰にも気づかれない孤独と戦いながら、長い長い夜を過ごした。夜が深まるにつれて、だんだんと冷たくなるのを感じた。ミチルの孤独を紛らわすものは、ヒカリとの思い出だけだった。ヒカリとの輝く思い出を繰り返し再生しながら、ただひたすらに朝を待った。

 そうしてようやく朝になったとき、誰よりも早くヒカリは教室に現れる。ミチルはただ、その瞬間にだけ、ヒカリとの絆を感じるのだった。

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