与太ガラス

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 集合ポストから郵便物を取り出して、エレベーターのボタンを押した。このところ出勤が多くて夜が遅い日が続いたけれど、明日は在宅ワークができるからちょっと気持ちが軽い。エレベーターが来ると同時にスマホにメッセージアプリから通知が届いた。

「行くよ、仕事帰りに寄るつもり」

 電車の中でわたしが送った「明日ジム行く?」に対してのナオからの返事だ。エレベーターに乗りながら、わたしはスタンプを連打した。

「やったー!」「ご一緒します!」「楽しみですねぇ」

 いつも通りの楽しげなスタンプを押しながら、ナオに会って何を話せばいいんだろうと少し沈んでいる自分がいた。ナオの引っ越し先が決まれば、一緒に筋トレできる時間ももうそんなに長くないかもしれない。だったら尚更こんなモヤモヤした気持ちでいるのはもったいないのに……。

 部屋に戻ると手に持った郵便物を玄関のトレイに投げ込む。靴を脱いで数歩進んだところで後ろからドサドサッという音がした。振り返ると、トレイが許容量を超えたのか郵便物を吐き出して床に落としていた。

 あちゃー。

 よく考えたら郵便受けに入っていたものをこのトレイに移し替える作業しかしていなかった。これだったら郵便受けの中にあるのと変わらないじゃん、と昨日までの自分にツッコミを入れる。いや、ついさっきまでの自分に……。一体いつから開封しないで溜めているんだろう。

 もちろんそんな性格はいまに始まったことじゃない。部屋の中を見回すと、わたしの部屋は女子っぽいパステルトーンの家具で揃えてはいるものの、脱いだままの部屋着や乱雑に投げ出された雑誌が床に飛び散っている。とてもきれいな部屋とは言えない。ナオの部屋を地味な部屋と表現した自分が恥ずかしくなった。とてもよく整理された素敵な部屋だった。

 明日在宅なんだから、部屋の掃除は明日すればいい。今日はこの郵便物だけ、ほら、さすがに玄関がぐちゃぐちゃしてるのは気持ち悪いからさ、いまやろうよ、うん。

 よくわからない勧誘のチラシや企業のDMをピックアップして捨てる方に置く。こういう郵便物は変に派手だから重要書類じゃないのはすぐわかる。それから宛先にわたしの名前がなければ基本的に捨てていい。公共料金は自動引き落としにしてるから心配はないとして……。

 わたしは一枚の封筒を手に取り、差出人の名前を見た。

「ウッソ、マジ?」

◆◆◆

「なんか、久しぶりだね、隣で筋トレするの」

「うん、だって、私の部屋に来てから、会うのも初めてだし」

「そっか」

 トレッドミルに乗りながらするナオとの会話は、少しぎこちなかった。話したいことはあるけど今じゃないような、機会をうかがっているような、そんな感じがした。

「このあと食事行く?」

 珍しくナオが誘ってくれた。

「うん、もちろん!」

 そう言って笑っているうちに、マシンの速度が上がっていって、しゃべっていられなくなった。



 トレーニングの後は洋食のお店に入った。二人とも一応マジメに筋トレをしているので、タンパク質中心のメニューを頼む。料理が来るまでの間に少し沈黙の時間が流れた。

「この前、ウチに来てもらったときにさ」

 静寂を裂いてナオが切り出した。

「部屋が地味だなーって言ってくれたじゃん」

 え、やだ、ナオ気にしてたんだ。それで気まずい感じだったんだ。

「あ、ごめん、そんなつもりじゃ」

 わたしが謝ろうとするとナオは驚いたように遮った。

「あ、そうじゃなくて。その、同世代でそういう、部屋のこととかファッションとか相談できる人がいなくてさ。カナデ、デザイナーだし、コーディネートとか色のセンスとか得意かなって思ってて」

「うん」

 ナオの部屋のことひどく言ったのに、ナオはわたしのこと褒めてくれてる。なんか申し訳ないな。

「あのさ、今度引っ越すとき、一緒に家具を選ぶのとか手伝ってくれないかなって思ってて」

「え〜、いいの? うん、絶対行く。一緒に選びたい。わー嬉しい!」

 ナオ、わたしのセンスを買ってくれてたんだ。地味な部屋って言ったのを後悔してたから余計に安心した。ナオもホッとした表情をしている。ずっとこれが言いたくてぎこちなかったのか。

「私が引っ越す話したとき、カナデちょっと元気なかったから、心配だったんだよね」

 ああ、そこも気づかれてたか。子どもみたいな反応をしちゃったなとは思っていた。さすがに恥ずかしい。でも、そう思っちゃったものはしょうがない。だから、私の結論を、今度はわたしが伝える番だ。

「そのー、引越しのことでさ。わたしからも相談があるんだけど……」

「え、相談?」

 ランニングマシンに乗っていたときのように心臓が早くなる。わたしはバッグの中から封筒を取り出した。それは賃貸の管理会社から届いた封筒だった。

「実は、わたしもアパートの更新もうすぐだったんだ。郵便物放置したままで気づいてなかった」

 ナオはきょとんとした顔をしている。

「だからさ、一緒にルームシェアしてみない?」

 わたしたちの新しい季節はここから始まった

4/19/2025, 1:55:03 AM