いつの頃からか、漫画やドラマなどのエンタメは享受するものから参加するものに変わっていた。連続モノは視聴者が次の展開を予想するのが当たり前になって、動画投稿サイトにも「考察動画」がたくさんアップされ、それによって人気になる連中も現れた。街中にもインターネット上にも考察が溢れ、世はまさに考察ブームを通り越して、大考察時代となった。
「どうも好きになれないな。作品は常に作者のものだし、伏線とか展開とかって作者だけが決められるものでしょう? それに横から勝手な解釈を加えるだけで金を儲ける人たち、私は認めたくないです」
週刊漫画誌でようやく連載を持ち始めた私は、漫画家同士の食事会でこんな胸の内を吐露した。
「そうかい? 俺なんかネットの意見をずいぶん重宝してるよ」
ベテランの神里先生が言った。私は少し意外だった。先生は異能バトル物を得意として、いくつものアニメ化作品を世に出している。
「ネットの中に参考になる考察なんてあるんですか?」
「僕は絶対に考察通りの展開なんかやらないですよ。ネットの連中が喜ぶのとか腹立つんで……」
私が神里先生に聞くと、隣にいた滝麻呂くんが口を挟んできた。滝麻呂くんは若手の有力株でエキセントリックな発想とキレのあるギャグで人気を獲得している。
「俺はさ、もう自分のアイデアなんか出し尽くしてるわけ。だから、あちこちに適当な描き込みをして、泳がせるんだよ。伏線だと思わせるわけ。全然意味のない金魚とか風船とかをコマの端っこに描いとくの」
神里先生の答えは正直すぎた。こんなこと読者が聞いたらボロボロに炎上するだろう。
「エサを撒いておくんですね」
私が引いている間に滝麻呂くんが乗っかった。
「そうそう、そしたらネット民は勝手に考察してくれるわけ。色々出た中から一番面白いのを釣り上げるのよ」
「新展開の一本釣りだ」
変な例えするなよ。面白いじゃないか。
「それで生まれたのが金剛魚雷とかバルーンクラッシャーとかなんだよ」
「えー! ボムの助ボム太郎の必殺技じゃないですか! いま子どもたちみんな真似してますよ!」
超人気キャラの設定がネット考察由来だったなんて……。ちょっと悔しいけどオフレコの話を聞けて嬉しい自分がいる。
「でもネットの考察なんて山ほどあるのに探すだけでも時間かかるんじゃないですか」
私は純粋な疑問を口にした。
「いまどき自分で探さなくたって、AIにまとめさせれば一瞬だよ」
「僕も考察と誹謗中傷はAIにまとめさせてます」
二人ともさらっとAIを活用している。っていうか滝麻呂くん、
「誹謗中傷まで……? なんでそんなことするの?」
「全部プリントアウトして庭で燃やすんです。紙が燃える炎のゆらめきと、立ち昇る煙を眺めていると魂が浄化されて、自分がからっぽになったその瞬間に最高のアイデアが生まれるんです」
滝麻呂くんは虚空を見上げてうっとりするような顔をしている。
「うはは、滝麻呂くんやっぱりヤベーヤツだな! キャラ立ちすぎだよ! そのキャラもらっちゃおうかな!」
神里先生は無邪気に笑いながらスケッチブックを取り出し、滝麻呂くんの表情を描き始めた。
自分たちの戦い方で自分の漫画道を突き進むライバル達を私はどうしても嫌いになれなかった
白い霧のかかった泉のほとりで、ティトはひとり森の声を聞いていた。朝から森の中を飛び回っていたが、休憩するにはこの泉が一番だ。ティトは小さな熊革のカバンから干し肉を取り出し、じっくりと時間をかけて頬張った。そして泉の水を手で掬い、静かに喉を潤した。オークの木々がささやかな風の訪れを知らせた。ティトはついでに腰に提げた水筒も泉の水で満たして立ち上がった。
午後はどこへいこうか。
ピィーーーー……ィィィッィッィッ!
「だれ?」
大きな鳥の鳴き声が鳴り止まないうちにティトは反応して走り出した。勢いに乗ると両足を踏み込んで跳躍し、木の枝を掴んだ。すると足を振り子のように振り上げて手を離し、飛び上がって次の木へと飛び移った。そうしてティトは糸を引いて飛んでいく一筋の矢のように、グルートの森を切り裂いて移動した。
あの鳥の声は森への侵入者を知らせる合図だ。他のエルフたちも気づいているだろう。大人たちが見つける前に探し出さなくちゃ。ティトはそう考えていた。子どもは侵入者から身を隠さなければならない。幼い頃からそう教えられてきたが、いま彼の好奇心は森の禁止事項を破るべきものと認識した。ティトは誰よりも早く外から来た何者かをこの目で見たかった。
その男はおよそ人が切り拓いたとは思いがたいか細くて心許ない獣道に慎重に足を踏み入れながら、頭は期待と不安に支配されていた。さっきから長く甲高い鳥の鳴き声が聞こえている。もしかしたら男の存在を森に知らせているのかもしれない。なんらかの森の禁忌に触れた罪人のような気分だ。と男は思った。しかしその重苦しい心持ちは、自分が進んでいる道が正しいことを証明しているような気がした。
この獣道のどこかにも、侵入者を待ち構える罠が張られているのではないか、半ば冗談ながらそんなことを思った。次の一歩を踏み出した瞬間、ザクッという音とともに靴の裏に何かを踏んだ感触があった。
__もしかして、罠踏んじゃった?
男は身を屈めて慎重に靴を地面から退けた。そこにはどんぐりの砕けた跡があるだけだった。
「ふぅぅ。ただのどんぐりか。驚かすなよ」
男はそう言うと、少し慎重になり過ぎていたと反省した。こんなことでは森の神秘は……
「もしかして人間?」
起き上がると同時に声がして、目の前に鋭い鼻先があった。
「うわぁあああ!」
情けない悲鳴をあげて男は飛びすさり、その拍子に足を捻ってしまった。
「ぎゃぁああ!」
「お兄さん、本当に人間?」
ティトは男が挫いた左足の靴を脱がせ、ツール草の葉を数枚重ねてぐるぐる巻きにし、その上から泉の水を垂らした。応急手当てとしては十分だが、一人で歩くことはできないだろう。
「僕はティト。お兄さんは?」
「ペイグって言うんだ。ありがとうティト、助かったよ」
左足を投げ出して座り込むペイグを見下ろしながら、ティトは落胆の表情を隠さなかった。のっぺりした顔にツバの広い帽子を被り、糸を織り合わせたエルフと似たような服を着ている。見た目はエルフとほとんど変わらないと思った。
「この森になにをしに来たの? 僕の他に誰かと会った?」
ティトは他のエルフに見つからないうちにできるだけ質問をしておきたかった。大人に見つかったら引き離されてしまうかもしれない。そのときに言い訳ができるような情報がほしい。
「この森では君が初めてだよ。そうだ、行きたいところがあるんだ、早く行かないと」
ペイグは立ち上がって歩き出そうとする。
「だめ、その足じゃ歩けない」
「大丈夫、歩けるさ、あ痛、あたたたた」
男は左足から崩れ落ちて尻餅をついてしまった。
「ほら。僕のせいだし、手を貸すよ」
ティトは男に肩を貸して森の奥に向かうことにした。泉に足を入れればすぐに治るはずだ。ペイグの体重がティトの背に乗ると、思っていたより重たかった。
「その箱はなに?」
ペイグは肩から吊るした紐に大きな木箱を提げていた。ティトはその箱に興味を持った。
「ああこれは、絵を描く道具さ。僕は絵描きをしていてね。実はこの森にも絵を描くために来たんだ」
「こんな森の中に、わざわざ?」
グルートの森に人が侵入することは稀だった。来るのも大半が迷い込んだ人間で、大人たちが見つけると気付かれないように誘導して森の外に追い出すのだ。だからこの森のことを外に暮らす者たちのほとんどは知らないのだと長老たちは言っていた。
「この森のことはどこで知ったの? 誰から聞いたの?」
素性の知れない人間がこの森のことを知っていた。その人間と肩を触れ合わせている危険性よりも先に、ティトはなぜを知りたくなった。そこにはこの怪我をしたひ弱な男になど、どうやったって自分が負けることはないという自負もあった。
「実はこの森で育ったっていうエルフに聞いたんだ」
__この森で育ったエルフ? この森から外に出たエルフがいる?
ティトの頭の中は、そのエルフのことでいっぱいになった。
ティトは毎日のように森の縁まで探検しに行った。グルートの森は北の端も南の端もあらゆる方位の境目を把握している。だからこそ、森の外に出るのがどれだけ勇気のいることなのか知っているのだ。森の終わりは明らかにそれとわかる。空気の層が目に見えて違うのだ。それは色という言葉では表現できない。濃度であり密度であり、森の中には明らかに外とは違う層があるのだ。ティトは毎日、この空気の壁の前で長老の言葉を思い出す。
「エルフはこの森に守られている。この身に宿る鋭敏な聴覚も嗅覚も、しなやかな身のこなしさえ、グルートの恩恵に預かっているのだ。ひとたび森の外に出たら、我々エルフの能力はすぐに衰える。神に賜ったこの永き生命さえもな」
ティトはペイグに肩を貸しながら、このどんくさい人間が住む外の世界について考えを巡らせた。
例えば朝、いつもの時間に目覚ましの鳴らないのを不審に思い、同居人を起こしに行くこと。それが大いなる愛でなくてなんだというのか。
「うるさいなぁ、今日休みなんだから寝かせてよー」
例えばバスの中で、同じ停留所で降りる素振りを見せている親子連れの子どもがブザーを押そうとしているところを黙って待っていること。それが大いなる愛でなくてなんだというのか。
彼らよりも前に座っている乗客が知らずにブザーを押してしまう。子どもは目に涙を浮かべはじめる。
例えば少年がサッカーの試合でペナルティキックを外してしまったとき、泣き崩れる少年に手を差し伸べて「また次、がんばろうね」と言って抱きしめること。それが大いなる愛でなくてなんだというのか。
「もういい、サッカーなんかやめる!」
例えば都会の真ん中で、大柄な男たちに絡まれている女性を見て「僕の連れに何してるんですか?」と言って女性の腕をつかんで走り去ること。それが大いなる愛でなくてなんだというのか。
「ちょっと、放して! 腕つかまないよ!」
しかしながら人類は、この大いなる愛を受け止める術を誰もが身につけているわけではない。大いなる愛は世界にあふれていて、わたしたちを……
「ちょっとアンタ! いつまでこんなくだらない文章をタラタラ書いてるの! 少しでもわたしに愛があるなら、いますぐ金になる仕事取ってきてちょうだい!」
大いなる愛を受け止めることがどれだけ容易かということを、人類が知るのはまだ先のことなのかもしれない。
夜が怖いのです。この物語の続きが、明日も生きているかと不安なのです。
星明かりの照らす文机で、こんな手紙を書いているのをあなたはどうかしているんじゃないかと思うでしょうね。でもどうか許してください。
この夜と仲良くなって、わたしが夜に沈んでしまったら、いまわたしの中に思い描いた言葉たちは、もろとも消えてなくなってしまうんじゃないかとわたしは心底怖れているんです。
眠るのが怖いのです。いまここにある表現を、ここにある一文を、明日もわたしが覚えていられるとお思いですか? すべてを吐き出して、すべてを書き綴らないうちに眠りにつくことなどできましょうか。
そうしているうちにも言葉はどんどん押し寄せてきて、この細く小さな筆先では留めきれないくらいに溢れてくるというのに。筆先からこぼれたインクは紙の上にいくつもの黒い星を作るから、わたしはそれを消したり、ときには書き加えたりしながら物語の体裁を繕わなければなりません。
起きているのが怖いのです。こうして眠れないうちに、生きているわたしの物語と、頭の中にいるわたしの物語が重なり合って、どちらを書き綴ればいいかわからなくなるのが怖いのです。
もしかしたらわたしは、昨日のわたしの出来事を書いているのかもしれませんし、明日わたしの身に起こることを書いているのかもしれません。眠れないわたしは、いつの夜のわたしを筆に濡らしているのか、あなたはご存知かしら?
夢を見るのが怖いのです。夢の中で物語が勝手に動き出して、頭の中を飛び跳ねて舞台の置物をぐちゃぐちゃに掻き回しでもしたら、目が覚めた時にわたしはどこから続きを書き始めればいいかわからなくなっているんじゃないかと不安なのです。
まるで月明かりに照らす影絵芝居のように、遠い異国の英雄譚と混ざり合って、空想上の怪物と戦うお話になっていたら、どんなにか気が楽でしょうね。そうしたらわたしは怪鳥の巣のゆりかごの中で柔らかい鉱物を枕に眠りにつくでしょう。そのときにこそ、本当の意味で愉快な夢を見られるのですから。
こんなことを書き連ねている暇があったら、早く物語の続きを書きなさいとあなたは笑うでしょうね。でも、そんなことがどうしてできましょうか。わたしが思い描いた物語は、この手紙の中にこそあるのですから。