『ごめん!いま起きた!』
最悪。待ち合わせ時刻の5分後にメッセージが来た。もう着いてるんですけど。
『場所も時間もそっちが決めたんだよな』
駅構内のC&Cの対面、ベンチが3つ並んでるところに13時。サトシから指定されたのはこの場所だった。
『ごめんなさい』『もうしません』『死して詫びる』
謝罪スタンプ3連投されてもイライラが募るだけだ。今日オレ誕生日だぞ。
『あな許すまじ…!』
怒りを込めたスタンプで返す。
『恩に着ます』『神様かよ』『一生ついて行きます!』
ヨイショスタンプ3連投…あれ? 勘違いしてるぞ。
『違う!「許す・マジ」じゃなくて「許すまじ」な!』
『ダッシュで2時間で向かいます!』
いやもういいっつぅの。
『帰るからな』
『そう言わないで、カフェでも行っててよ。あとでおごるから!』
はぁ、めんどくさぁ。呆れてベンチにドサっと座る。刹那、背中にチクっとする感触があった。ん?
振り向いてベンチの背もたれを見ると、横木の間に紙が挟まっている。手に取ると二つ折りになっていて外側は黒一色だった。私は二つ折りの中を開いた。
【宝探しへの招待状】
見るからに怪しい文章だ。
【おめでとう!幸運なキミは宝探しへの招待状を手に入れた!暗号を解読して目的地をたどれば、素敵なお宝がキミを待っている!もしお暇だったらぜひ参加してみてくれ!所要時間は約2時間です。—玉栄商店街企画室】
一応ちゃんとした企画っぽいな。しかもご丁寧に所要時間まで書いてある。こんなのどこで配られてるんだ?
謎解き好きの性格がうずく。どうせ暇だし、やってみるか。念のためサトシにメッセージを送る。
『駅の外、出てるぞ』
最初の暗号が示す目的地は書店だった。なんの因果かサトシが指定した駅はオレとアイツの通っていた大学の最寄駅で、この書店は大学時代によく通った場所だ。
「あの、このイベントで来たんですけど」
レジで店員さんに話しかける。招待状を見せれば「お宝」を渡してくれるらしい。
「わ、あ、えっと、おめでとうございます。す、素敵なお宝を進呈いたします」
女性の店員さんはちょっと恥ずかしそうにそう言って、店の奥に入って行った。かわいい。最近入ったバイトの子かな。たしか店長はファンタジーに出てくる賢者みたいなおじいちゃんだったよな。
「お宝は、あの、こちらです」
受け取ったのは「ワンピース97巻?」
「あの、」
「ごめんなさい、わたしバイトなので詳しくはわからないんです、ごめんなさい」
そうだよなぁ。問い詰めても仕方ない。一緒に次の暗号も受け取った。これも真っ黒の二つ折りカードだった。
次の暗号が示す場所は、パン屋さんだった。ここは…大学時代のバイト先じゃんか。オレは恐るおそる店内に足を踏み入れた。
「あのー…」
ここで言葉が詰まった。見覚えのある…どころじゃない、かつてオレが想いを寄せていた元同僚がレジにいたのだ。
「え? タクミくん? やだ、ホントにき…、ホントに久しぶり、どうしたの?」
「いやあの、このイベントで」
オレは2枚の暗号カードを渡した。
「わー、すごいすごい、暗号解いたんだね。ここにいた時から謎解き好きって言ってたもんね」
「いや、こんなの誰でも解けるし」
なにオレ、中二みたいな受け応えしてない?
「はいこれ!素敵な宝物です!」
え、ちゃんとしたショートケーキ。イベントでこんなのもらえるの? ホントにお宝じゃん。
最後の暗号をもらって、店を出る。
「あ、タクミくん!」
扉が閉まる直前で呼び止められた。
「お誕生日おめでとう!」
覚えててくれたんだ。やばい嬉しい。
「あ、うん、ありがと」
オレ中二すぎるよ!
さて、最後の暗号ですが…。玉栄公園のど真ん中。タヌキとキツネが絡まり合う前衛的なモニュメントの裏側に、QRコードが貼ってあった。
仕方ない、やってやるか。
オレはそのQRコードをスマホで読み込んだ。すると画面はメッセージアプリのグループチャットに遷移した。
『Congratulations!』『誕生日おめでとう』『Happy Birthday!』『ケーキ』『クラッカー』『紙吹雪』
いきなりたくさんのスタンプが飛び出してきた。誕生日おめでとうってやっぱり…。
「サトシ! いるんだろ? 出てこいよ」
物陰からサトシがひょっこり顔を出す。すると後からエミリとユキエとダイゴがぞろぞろ出てきた。
「さすがタクミ、気づいてたか」
サトシがあちゃーという顔をする。
「でも楽しんでくれただろ?」
小癪だけど素直に言っておこう。
「ああ、楽しかったよ、ありがとう」
あー言いたくない、言いたくないけど、やっぱりこの仲間がオレのいちばんの宝物だー、…じゃないよ!
「サトシ!お前このワンピース97巻、大学時代に借りパクしたやつだろ!」
「わーバレた! 大事な宝物だろ?」
「ふざけんな、いまさらいらねぇよ!」
部屋に帰ると、暖気が冷えた体を包んだ。同居人はすでに帰っているようだ。
「おかえり〜、もうすぐごはんできるよ」
カナデはキッチンでグツグツ煮込んでいた。ホワイトソースの香りだろうか。
「お、もしかしてシチュー?」
カナデの顔がぱぁっと明るくなる。
「そう!なんか急に寒くなったじゃん、だからあったかいもの食べたいなって思って」
「わかる、いきなりこの寒さはないよな」
コートを脱いで手洗いうがいをしたら、自分も食事の準備を手伝う。食卓にスプーンや小皿を用意していると、トロトロのシチューを盛り付けた皿を持ってカナデが現れた。
「じゃーん、あったかシチューの出来上がりでーす」
野菜の詰まったシチューからほわほわと湯気が立ちのぼっていた。ひと口食べるとソースの甘味が全身に伝わって体の芯まで温まるようだった。
「おいしい、なんか元気出てくるな」
食事を終えてゆっくりしていると、洗い物を終えたカナデが何かを持ってリビングにやってきた。
「仕上げはこれ!季節が急に変わったときは、ココロの芯からあったまらないとね!」
そう言って取り出したのは色のついた小さなグラスだった。中に白い液体…いや固体か? 真ん中で茶柱のようなものが立っている。
「え? ナオ、アロマキャンドル知らない?」
言われてはたと気がつく。なるほどアロマキャンドルか。自分では買った試しもない。カナデはどこから持ってきたのか、こちらも自分では買わないマッチ箱を取り出し、マッチを擦ってキャンドルに火をつけた。
次第に薄っすらと香りが漂ってくる。フルーツの香りだ。たぶんこれは
「りんご…?」
「へへ、そうそう、青リンゴみたいな香りでしょ、これカモミールの香りなんだ。落ち着く効果があるんだよ」
「カモミール…」
私はつぶやきながら、だんだんと眠くなっていくのを感じた。今日は寒かったのに、部屋に入ってからずっと暖かい。まぶたが重くなっていく。
ああ、そうか。
一人で暮らしているときには気づかなかったことだ。部屋に入った時の暖気も、誰かの作ったシチューの湯気も、アロマキャンドルの香りも。冬って寒い季節だけど、あたたかさを感じる季節なんだな。
私は心地良い香りの中でゆっくりと目をつぶった。
この思い出は赤のクレヨン。こっちの思い出は水色のクレヨン。子どもの頃からそうやってノートに思い出を書き分けていたら、だんだん、印象に残りそうな場面でこれは何色だなってわかるようになった。
友達といる時はオレンジ色、試験前は群青色、体育の時は黄緑色、歌っている時はピンク色。
美術の授業で色彩を勉強したら、どうやら楽しい時に暖色系に、悲しい時に寒色系に感じるみたいだ。
高校生になると、その感覚がどんどんエスカレートしていった。起きている間ずっと、感情が色になって見えるようになった。視界に色が付くわけじゃない。脳を色が覆うような感覚。たぶん共感覚みたいなことだ。別に不便なわけじゃないし、特殊能力を持った感じで嬉しかった。
でも初対面の人に出会った時は、変な先入観を持ってしまうこともある。ぱっと見で明るい感覚になれば、たぶん友達になるし、暗い色になれば、たぶん仲良くなれない。
上京して大学に入ってすぐ、サークルで出会った先輩は、ちょっと気味が悪かった。会った瞬間、視界でわかるほど目の前が真っ白になった。
この感情だけはわからない。これからどうなるのか、その人に何をされるのかわからない恐怖があった。東京にはまだ私の知らない感情があるのか…なんて詩的なことを思ったりもした。
私はちょっとその先輩を避けるように過ごしていたが、飲み会とかで話すことがあると何故か趣味が近くて、好きなバンドの話で盛り上がった。そんな時は頭にオレンジやピンクが薄く差した。
大学2年の年末、実家に帰省した。思い立って子どもの頃に書いていた思い出ノートを探した。それは子ども部屋の押入れの中にあった。
カラフルなたくさんの思い出の中に、私は白を探した。そしてある一文が目に留まった。
「きょうはちかちゃんと しょうらいのゆめ をはなした」
5歳ぐらいか?全部ひらがなの文章をゆっくりと読み進める。
「ちかちゃんは あいどる になるってゆった」
アイドルはやはりピンク色で書かれている。
「わたしは しょうらい をきたいってゆった」
ん? なんで書いてないんだ? 違う。よく見ると、そこに白い文字が書かれている。これだ。先輩の謎は私の将来の夢に関わっていたんだ。
じっくりと目を凝らす。心臓が高鳴る。脳は緊張の黄色で脈打っている。
「わたしは しょうらい ウエディングドレス をきたい…」
ウエディングドレスを着たい。子どもの夢としてはあってる。いわゆる「お嫁さんになりたい」という夢だ。つまり先輩は私の…運命の人?
大学を出るまで、私と先輩が付き合うことはなかった。なぜって、先輩は一緒にライブに行った私の同期とくっついたからだ。
そして大学を出ると…
先輩は就職してウエディングプランナーになった。
「冬になったら忙しくなるよ」
クリスマス飾りを準備しながら店長がつぶやいた。大手チェーンはハロウィーンの翌日から店をクリスマス仕様に付け替えるが、うちのパン屋にそんな体力はない。
「やっぱりクリスマスは書き入れ時ですか?」
11月も20日になろうかというこの時期に「ブーランジュリー ジュワユーズ」ではバイトに手作りの飾りを作らせていた。
「もちろんそうなんだけどね。やっぱり労働力。どこの業界にも『103万の壁』は高くそびえているわけよ」
「いま話題の?」
私も学生バイトだから知らないわけじゃない。そこを超えたら税金で引かれるというなら、ギリギリで止めたいと思うのが人情だ。
「でも今年はヤマノさんのバイト募集のおかげでちょっとは楽できるかもだけど」
「それを言いますか…」
私は愛想笑いと苦笑いの間を意識して顔を作った。ハロウィーンの時に書いたバイト募集の貼り紙。そのおかげか新しいバイトが3人入った。
「でも、もともと企業は12月にバイトを入れられてなかったわけですよね? それだと103万の壁が緩和されたとしても、年末に人員を増やせないんじゃないですか?」
「いや、仕事は普段よりたくさんあるぐらいだから、人はいなきゃ回らない。だから短期の派遣を雇うしかなくて、その分経費は割高になるんだわさ」
語尾に変なキャラ入れてきた。店長、疲れてるな。
「日雇いで慣れてない人に働いてもらうより、年末こそ熟練のみんなと最高の接客をしたいじゃない?」
店長のドラマチックスイッチが入ってしまった。
「あ、わたしクリスマスは彼氏と過ごすので入れませーん」
「わ、私もそのあたりで実家に帰るので」
「えっと、年末はスノボで山に籠りまっす」
聞いていたバイト仲間が一斉に裏切りの声を上げた。店長はそちらを一瞥したあと、勢いよく私に向き直り、
「ヤマノさんは、クリスマス、入ってくれるよね?」
こんな空気じゃ断れない。あ、いや、もちろん入るつもりだったけど、圧が。
「予定ないんで、もちろん大丈夫です。あの、M-1の日を外してもらえたら」
今年のM-1グランプリは12月22日だ。
「大丈夫、その日はうちも半日で店閉めるから」
やっぱり店長はお笑い好きだった。
私たちはいつも離ればなれ。彼が外にいる時は、いつも私がお留守番。私の仕事はいつだって留守を守ること。
彼は朝から外に出て、帰りは遅くなることも多い。外で何をやってるのか知らないけど、いつも友人と連れ立って外に出ては、連れ立って帰ってくる。
私との触れ合いは、玄関での朝晩のキスだけ。
「これが僕の仕事だから」彼の言い分はそれだけ。
家に帰ってきても、私と一緒にはいてくれない。友人と一緒にダイニングに居座って、夜通し語らっていることもある。私はそれを遠くから見ているだけ。
いつも 離ればなれは寂しいけれど、私はあなたを裏切るつもりなんてなかったのよ。でも…
あなたがいない時、その人が突然現れた。私は抵抗することもできず、その人に唇を奪われた…。
それからその人はあなたのいない時にたびたび現れるようになった。私にキスをして、そのままリビングに居座るの。そしてまたキスをして去っていく。
なにより驚いたのは、あなたが帰ってきた時に、その人があなたの友人に紛れて一緒にリビングでくつろいでいたこと。なんて大胆な人って思った。でも私、気づけばその生活に刺激を覚えてしまっていた。
その人はあなたの目を盗んで私にキスをして出ていくこともあったわ。そのときあなたは先に外に出ていて、私には目もくれなかった。
不思議ね、私、自分がこんなに悪い人だなんて思ってなかった。でもいまは、この生活がずっと続けばいいって思ってる。少しでも長く触れ合っていたいから。離ればなれは嫌だから…。
「フミカ?部屋の鍵かけた?」
「いま閉めてる。なんか最近、うまく鍵かかんないんよね」
「それな、なんか時間かかるよな」
「なんか、離れたくないみたい、あたしたちみたいに」
「恥っず。おいくっつくのやめろよ」
少しでも長く触れ合っていたいから…。