スマホ画面の上を、大小の名も知らないキャラクターたちが流れていく。画面に浮かぶキャラクターは、かつ消え、かつ結びて、久しく留まればゲームが続くためしなし。このアプリを開いて何十分経っただろう。きっともう一時間は過ぎている。缶ビールとさきイカだけで夕食を済ませ、これからシャワーを浴びて寝ようという段になって始めたから、その時点ですでに23:00を回っていた。
やめどきを見失ったまま、私はヨギボーのまがい物にうつ伏せで体を埋めた。時計を見るのが怖くて、もといアプリの画面を閉じるのすら億劫で、スマホの時計を確認できない。
毎日がこれの繰り返しだ。
「キリがないから、これで最後にしなさい」
幼い頃に聞いた母親の言葉が頭をよぎる。
物分かりの良くない子どもだった。いや、子どもというものは生来、物分かりが悪い性質なのかもしれない。幼い私はなにかで遊び始めると時間を忘れて夢中になった。公園では滑り台やブランコの虜になり、トランプでは神経衰弱に熱中した。テレビゲームが出てきてからは、学校が終わるとリビングのテレビにかじり付くようになって両親を困らせた。
その度に母さんは「帰る時間だから」「ご飯の時間だから」「お風呂の時間だから」「もう寝る時間だから」と理由をつけて「これで最後にしなさい」と言ったのだ。
母親の偉大さを今になって思う。もはや寝る時間すら自分で決められない生き方になってしまった。明日の仕事を思って憂鬱になる。結局のところ私は、明日になるのが怖くてこのアプリをやめられないのかもしれない。
「最近、眠るのが怖いのよ。明日また、ちゃんと起きられるかと思うと不安なの」
体を壊して入院生活が長くなった頃、母さんはよくそんなことを言っていた。私はそのとき、なんて励ましてやれただろう。きっと「そんなことないよ」とか「大丈夫だよ」とか、意味のない言葉しか出てこなかったんだと思う。母さんがいなくなってしまうことを、いちばん怖れていたのは私なんだから。
「もう面会時間も終わりますので」
あの日、看護師さんの声を振り切って、母さんは私の手をずっと握り続けた。
「お願いします。もう少しだけ。これが最後だから」
「なんの冗談だよ」
退院を翌日に控えた夜。母さんは縁起でもないことを言った。
「母さん、ほら、もう時間だから」
自分の言葉に自分で驚いた。私が母さんに対してこのセリフを口にするなんて思ってもみなかったからだ。
「最後にしよう、ね」
母は何度も頷いて、ようやく握った手を離した。そのとき離した私の手は、しばらく痕が残るくらい強く握られていた。
「ほら、それで最後にしなさい。もう起きる時間だから」
不意に母親の声が聞こえて、自分が目を瞑っていることに気づいた。目を開けるとカーテンの端から日の光が差していた。手に持ったままのスマホ画面はブラックアウトしている。時計を見ると5:55の表示。
「はあ、またやっちゃった」
どうやらヨギボーまがいに体を預けたまま、寝落ちしてしまったようだ。私は顔をヨギボーまがいにぐっと押し付けてから、両腕に力を入れて起き上がった。ヨギボーまがいにはシミが滲んでいた。
慌ててバスルームに向かいながら思った。
私がスマホアプリをやめられないのは、母さんの声が聞きたいからなのかもしれないと。
6/27/2025, 2:14:02 AM