「やったー!完成!」
カナデがリビングに置かれたこたつの前で手をパチパチ叩いている。
「冬は一緒にこたつに入ろうね」というカナデの言葉を思い出し、ネットでこたつセットを注文していた。ようやく訪れた休日に合わせて到着した品物を、こうして二人で組み立てた。
「これが私からのクリスマスプレゼントってことで」
思ったよりいい値段がして、少しだけ尻込みした。
「あはは、めっちゃ和風のプレゼントだね! ありがとう」
二人で使える生活の品なら高いということもないだろう。カナデは座ってこたつに脚を突っ込んだ。
「私、夢だったんだよねー、こたつに入るの。なんか家族感がマシマシになると思わない?」
確かにこたつを囲んでテレビを見るのは、古き良き日本の姿って感じはする。
「カナデの家には、こたつはなかったんだ?」
私も腰を下ろしてこたつに脚を入れる。中の温度はまだぬるかった。
「なかったよー。この部屋と同じフローリング? で、床暖房がついてて」
「あー、わかるわかる。ウチもそんな感じだった」
こたつの王道といえば畳の部屋だ。
「だからこたつのこの感じ、体験したことなかったから憧れてたんだよねー」
でもそれなら、こたつのある風景にはまだ足りないものがある。
「じゃあ、あれ、買いに行こうか」
夕飯は念願のロールキャベツにした。カナデがコンソメで味付けをして、しっかり煮込んで作った。忙しい日々にゆったりした時間が流れる。
食後、こたつの上に買ってきたみかんを置いて、二人で脚を入れた。
「ナオさっすがー! これだよコレ! こたつにみかん!」
カナデは興奮しながら、みかんにスマホのカメラを向けている。
「やっぱりあったかいな」
私はみかんを剥きながら言った。さっきまで冷たかった脚がぽかぽかしてくる。
「ウチの家族って会話が少なかったんだよね」
カナデがとつとつと語り始めた。
「私とお母さんはよくしゃべってたけど、お兄ちゃんとかお父さんとかは全然話す時間がなくて」
カナデの家庭の話は今まで聞いた事がなかった。
「お父さんはホント忙しくて、一緒にごはん食べることも少なくて、気が付いたらお父さん帰って来なくなってた」
「え?」
「ああ、ウチの両親、その頃、私が中二ぐらいの時かな、離婚してるの」
私は相槌もうまく打てなかった。もっと早く言ってほしかったとは言えない。
「別に暴力とかはなかったよ、だから男の人が怖いとかそういうのは全然なくて」
珍しいことではないし、自分と重ねても特別不幸というわけじゃない。でもそこにある複雑な感情を推し量るのは簡単じゃない。
「いきなりごめんね。なんかさ、ナオと暮らしてて、こういうのんびり話す時間があると、あの時もっと話せてたらなぁとか考えちゃうんだ」
家族で話す時間。それを今の生活で感じてくれているのは嬉しい。
「年末は…、お母さんのところに行かないの?」
そんな話もしていなかった。実家があるなら帰省するのが当たり前だ。
「でも、そうしたらナオが」
カナデが私の顔をまっすぐに見て、寂しそうな顔をする。
「ナオがひとりになっちゃうじゃん」
なんだそんなこと、
「今までも一人暮らしだったんだから、別に大丈夫…」
「じゃあ一緒に行こう? 私の実家、ナオも一緒に行こうよ。私のルームメイト、お母さんに紹介したいし」
急な展開に驚いていた。そんな風に言われたら、断る理由がないじゃないか。
とりとめのない話をとりとめもなく話すのは、ある種の才能だと思う。行きつけのカフェで仕事をしていると近くの席にいつもいつもいる3人組の女性たち。毎日来ていて話が尽きないのかと思う。
家事が一息つくのか、お昼ごろから集まって、カフェのランチを食べたらおしゃべりスタート。日の暮れかかる4時過ぎまでは話している。
長時間このカフェに居座って仕事をしている私がとやかく言える筋合いはないのだが、お店はよく何も言わないなと思ってしまう。
このカフェはBGMが流れておらず、自分のイヤホンで好きな音楽が聴けるところが気に入っていた。耳を塞ぐから彼女たちの声もあまり気にならない。
ある日、たまたま通された席がそのグループの隣だった。彼女たちはすでにおしゃべりを始めていて、私は彼女たちに背を向ける形で座っていた。
「もう信じられない〜と思って、急いで旦那に連絡したの。そしたら仕事だからとか会議だからとかはぐらかしてたんだけど、最終的には『行きました、ごめんなさい』って言ったからね」
1人の女性が言い終わったところでどっと笑いが起きる。どうやら話のオチのタイミングだったようだ。フリを聞けなかったのが悔やまれる…じゃない、仕事をしないと。イヤホンを取り付けようとしたところで会話が耳に入る。
「や〜旦那さんもかわいそう」
「いまどきマッチ箱ってねえ、珍しいんじゃない? 私がその店行きたいくらいよ」
「スナックよね、キャバクラとかじゃなくて。あー面白かった〜」
マッチ箱? 旦那さんのスーツかなんかに入ってたのか? すぐ後ろにいるとやはり会話が気になってしまう。
「えーじゃあ、これ読もうかな。ワンドリのみなさんこんにちは」
「こんにちは!」
え? え? なんだ? 何が始まった? いま挨拶したのか? 後ろを向いて確認したい。
「もうすぐ年末ですが、みなさんは大掃除、どうしてますか? 私はなかなか時間が取れなくて、ついつい後回しになってしまいます。気づいた時には年を越していて、まあいっかって思ってしまうことも…」
なんだ、明らかに文章を読んでいる。さすがに何をしているのか確認しないと仕事が手につかない。
私はトイレに行くフリをして席を立ち、チラッと隣のテーブルを見た。すると1人がスマホの画面を見ながらしゃべっている。他の2人はそれに相槌を打っていた。
これはあれか? なんらかの配信でもしているのか?
「さあ長いこと話してきました『ワンドリンクで3時間』も、まもなくお別れのお時間です〜。生配信してましたけど、アーカイブも残しておきますのでね、途中から聞いたっていう人もさかのぼって聴いていただけたらと思います」
あ、明らかに配信って言った。しかもワンドリンクで3時間とか、最悪の客じゃないか。これは店員さんに言って迷惑行為を伝えなければ。
「あの、すみません、隣のお客さんなんですけど…」
私は手近にいた店員さんに声をかけた。
「あ、はい、ワンドリさんですね、もう少しで配信終わると思いますので」
「はい?」
この店員さん知ってるのか?
「あ、ワンドリのファンの方…じゃない…んですか。あ、すみません」
私と店員さんが噛み合わないやり取りをしていると、ワンドリのみなさんが締めに入る。
「この番組は、スマートFMをキーステーションに、横浜港南区にある喫茶ネクストポートさんからお送りしました」
ここだけ聴いていたら本物のラジオ番組のようだ。
「えっともしかして、許可取ってやってるんですか?」
私は店員さんへの質問を変えた。
「ええ、許可もなにも当店は『音声配信推奨店』ですので、注文さえしていただければ、配信は大歓迎です」
「でもさっき、ワンドリンクで3時間って…」
ここで3人組の声が大きくなる。
「では、本日のお会計を発表します!」
1人が宣言すると、残りの2人が口ドラムロールをし始めた。
「ダラララララララ……ダン!」
「7,480円!」
「おー、結構行ったね〜」
「まあいつも通りって感じかな。でもミッキ新作頼んでたじゃん」
「あ、そうそう、豆乳スペシャルね。美味しかった、オススメですー」
このやり取りに耳を奪われていたら、店員さんが丁寧に教えてくれた。
「ワンドリのみなさんは、いつも新作を飲んで放送で感想を言ってくださるんです。それがお店の宣伝にもなるんです」
そんな商売が始まっていたとは。
「もしかしてBGMがないのも?」
「あ、はい。余計な音源が入り込まないように、当店ではBGMを流しておりません」
そこまで徹底しているのか。
「この番組の制作費はあなたからのおひねりが頼りです!」
「そうです、引き続きこのおしゃべりを聴きたいって人は、ぜひ、あなたにできる範囲で応援の投げ銭をお願いします」
「お便りの採用チャンスも上がるかも?」
この人たちもちゃっかりしている。とりとめのない話がとりとめもなく続けられるだけで、ビジネスが生まれているのか。
「ありがとうございました〜」
どうやら放送が終わったらしい。すると周りの席のあちらこちらから3人に目がけて人が集まってきて、瞬く間にサインを求める列ができた。
「ワンドリのみなさんは本当に売り上げに貢献してくれているんです」
店員さんはそう言って笑った。
普段から全然モテないのに、時期が来ると猛アタックしてくるヤツがいる。でも俺はそいつに屈するのが嫌で、防壁を作って入り込む隙を与えなかった。
乾燥した季節、気温の低い時期、ヤツは常に俺のそばにいて、隙あらば俺の体を奪おうとする。仲間を連れて来たり、勝手に居座ったりすることで距離を縮めようという作戦だ。
あの日はとても疲れていた。年末の忙しさに忘年会のスケジュールも加わり、帰りが深夜になる日が続いた。そして夜、深酒してそのまま寝入ってしまったんだ。
警戒を解いてしまったと気づいた時にはすでに遅く、ヤツが俺に侵入してきたのがわかった。俺に抵抗する力は残っていなかった。
翌朝、目が覚めるとすでに頭が痛く、咳と鼻水の症状があった。体もだるい。測ってみると発熱もあった。俺は自室に監禁された。
それから二日間、ベッドを出ることも許されず、ヤツに全身を蝕まれた。身悶えする苦しみと忘れがたい悪夢にうなされ続けた。
そして三日目の朝、ヤツは昨日まで体中を弄っていたことを忘れたかのように、不意に俺に興味をなくし、俺の元から去っていった。
決してヤツを追ったわけじゃない。早く外の空気を吸いたかっただけだ。動けるようになった体で部屋のドアを開けると、一陣の風が吹き抜けていった。
「なんなわけ? ただの白いノートやし」
ミスズはサチが取り出した『雪待ちダイアリー』を手に取り、不思議そうに眺めている。
雪待ちダイアリー。雪が降る季節を待つ人たちのための日記帳、というコンセプトで発売された真っ新なノート。本紙には白色度が高く雪原を思わせる真っ白な紙を使用している。
「雪を待つ間の想いをひたすら綴るノートなの。いま色んな人がSNSに上げてて、バズり始めてるんだわけ」
ただの白いノートだが、このコンセプトが知られるようになると徐々に販売数は伸びていった。
冬の寒さが増してきても、降り出さない雪を待つ心情に、会うことのできない人への想いを忍ばせて書くのが「切ない」「深い」と多くのリプライを集めるようになった。
冬の初めが最も売れ行きが上がるシーズンではあるが、雪解けの時期から書き始めても、去ってゆく恋人への想いに重ねる人もいた。
「でもここ沖縄やさー。待ってても雪降らんし」
「そう、そこがいいんやさ。見ててよ」
サチは細長い紙の箱と青いインク瓶を持ってきた。そして箱を開けると、中から鮮やかな模様のあるガラスのペンを取り出した。
「でーじキレイ。なにそれ? ガラスペン?」
「琉球ガラスの職人さんが作ったガラスペンさ。いまから雪ぞめ式をやるわけ」
真っ白な紙に初めてインクを入れることを雪ぞめ式と称する流れもこの商品から始まった。「#雪ぞめ式」で検索するといまでは10万件以上がヒットする。一般的にはボールペンで書く日記だが、映えを意識するユーザーは万年筆やガラスペンにこだわって、最初に雪を染める色にも頭を巡らすようになった。
「これはなに色?」
「琉碧(りゅうせい)。沖縄の海の色」
そしてサチは、ガラスペンにインクをつけ、雪を染めた。決して来ることのない憧れの人を想う詩とともに。
雪待ちダイアリーと琉球ガラスペン。この組み合わせで投稿された画像は、一気に世界を駆け巡った。
イルミネーションを見ると、冬が来たんだなって感じる。街を飾る寒色系の光を見てもそう思うし、家々で楽しんでいる温かい灯りを見てもそう思った。クリスマスに沸く世の中を割とサバサバしながら眺めていた私は、ここの電気代は気にしないんだなとか、冬は電力需給率が低いから何も言われないんだなとか感じてしまう。
もしかしたらそんな感情は、やり込み癖のある自分へのブレーキだったのかもしれないと、パン屋さんのバイトになって思った。
「ヤマノさんが戻ってきてくれて助かったわ。でも病み上がりだからあんまり無理はしないでね」
インフルから戻ってきた私に、店長は優しい言葉をくれた。ですが店長、私をクリスマス飾りの担当に再任命したってことは、そういうことですよね。
商店街のパン屋さん「ブーランジェリー・ジュワユーズ」の簡素なイルミネーションは、私が休んでいる間に飾り付けが終わっていた。その時点ではいつも店長から振られる面倒な仕事を回避できてラッキーぐらいに思っていた。「バイト募集」の貼り紙以来、いつの間にか筆耕係にされていたこともあり、雑用の指令には敏感になっている。
ただ、店のイルミネーションを一目見ただけで、これじゃない感に気づいてしまった。ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ絶句しただけなのに、店長は私のその仕草を見逃してはくれなかった。
「さすがヤマノさん、わかってしまったみたいね」
クリスマスの飾り付けなんて、イルミネーションなんて自ら買って出るような人生じゃないと思ってた。でも自分がいる店が、ダサい外観をしているのがこんなに嫌なものだとは思っていなかった。私と店長はすぐに緊急ミニ会議を開き、問題点を洗い出した。
その矢先の「あんまり無理しないでね」だからあまり説得力はない。
いざやり直すとイルミネーションの奥深さがわかってくる。ライトの配色から付ける角度、ツリーならどれくらい幅を空ければいいか、調整しては離れて確認を繰り返す。やばい、楽しくなってきた。
脚立を使って店内の装飾もやり直すと、冬なのにひと汗かいてしまった。出来上がりを見ると妙な達成感がある。
「やっぱりヤマノさんに任せて正解だったわ。来年もよろしくね」
「あ、はい」
あれ? いつの間に来年もいることになってる。ま、いっか。