人間以外の生き物の感情がわからない。そんなの当たり前だって言われるかもしれないけど、僕の先輩たちはみんなわかるって言う。
水族館で働きはじめて三ヶ月。僕はリクガメの飼育を担当している。名前は「くーちゃん」だ。
「ちゃんと愛情を注いでいれば、みんな反応してくれるよ」
毎日、愛を注いでいるのに、くーちゃんからはなんの反応も見られない。僕の愛が足りないのか、あるいは先輩たちより想像力が足りないのか。くーちゃんの感情は読めないままだった。
「まだ動物たちの感情が読めないんだよね。人間と違って、難しいよ」
彼女といるときに、そんなふうに話した。すると彼女は
「あんた、人の感情はわかると思ってんの?」
「え?」
それからも、僕はくーちゃんのお世話を続けた。最近は僕が来ると首を出してくれるようになった。それでも何を考えているかはわからない。
そんな変化が嬉しくて、それも彼女に報告した。
「人間みたいに言葉がない分、細かい動きとか、体の変化で読み取るしかないんだよね。それが難しくて、でもそれがやりがい?になってるのかな」
「・・・」
ほどなくして彼女は僕の元から去っていった。結局、人の感情もわからなかったみたいだ。
今日も僕はくーちゃんのお世話をする。ケージの中をキレイに掃除したあと、くーちゃんの顔を見ると、くーちゃんはゆっくりと目を閉じて、またゆっくりと目を開けて僕を見た。
12/10「仲間」の続編として
「ちょっと先輩、ちゃんと説明してくださいよ。なんであの女性客に執着するんですか?」
後ろで束ねた長髪をなびかせながら前を走る先輩に必死で追いすがりながら問いただす。
「達彦くん、いま説明してる時間はない。そもそも君が一緒に来るってきかないからお店を閉めるのに時間がかかったんだよ」
この人はホントに、あー言えばこーゆーを地でいく人だ。頭の回転が早くてどんどん先にいく。いつも余裕があるように振る舞っていながら、組でのノルマも軽々こなしている。こっちも必死で走ってるのに先輩の背中はどんどん遠くなっていく。・・・物理的に。
「てかなんで先輩、電動キックボード乗ってるんですか!?」
自力で走っている僕は坂道で大きく離された。
「この乗り物は現代において最もスマートで坂の多いこの街に適した移動手段だ。レンタルなら費用も抑えられて好きな時に使える・・・」
「だからそういうこと聞いてるんじゃなくて〜!」
◆◆◆
両手に提げたエコバッグを左手に持ち替え、鍵を開けて部屋に入った。すぐに鍵をかけるとどっしり重いエコバッグをテーブルの上に置く。元は部屋の片隅に置いていた神雅嶺輝羅丸こうがみねきらまる様の主祭壇は、元々テレビが置かれていた部屋の中央に移され、キラ様の推し活グッズも部屋中にびっしりと飾られていた。今日買ってきた分も早く飾りつけなければ。
「ぉぃ響!ぃつまでこんな狭ぃところに・・・」
あ、いけない。キラ様を出してあげなきゃ。私は肩から提げたポーチに入れたアクスタケースを取り出した。中にはキラ様の御神体アクリルスタンド、というより御神体に顕現したキラ様が入っている。ケース越しに見るとキラ様が「早く出せ」と中で暴れているのが見える。尊い。
ケースのジッパーを開けると、ものすごい勢いで小さなキラ様が飛び出してきた。
「まったく、なんでこんなに狭いところに閉じ込められなきゃいけないんだ。それもこれも、お前がこんな小さなアクリルスタンドで私を呼んだからだ」
「だって、アクスタって手に入りやすいし、肌身離さず持ち歩くには一番便利だし、それに写真とか撮るのにも最適で、SNSでもみんなそうやって共有してるし・・・」
「口答えをするな。まあ、お前の信仰心のおかげで、こうして私が顕現できたんだがな」
命令口調なのにお優しい。このギャップ萌えが正まさしくキラ様だ。
◆◆◆
あの生誕祭の日。私の前に現れたキラ様は、私がお供えしたマロンショートを平らげると、祭壇から私を見下ろした。
「お前が私を呼び出したのだな。褒めて遣わす。名を名乗れ」
ポカンとしつつも解釈一致すぎるC.V.キャラクターボイスとオレ様口調に魅了され、私はすぐに居住まいを正して名乗った。
「水沢響と申します」
「いいだろう。水沢響。今日からお前が私の世話係であり、ご主人様だ。・・・ん? ご、しゅ、じん、さま?」
なんだろう。混乱してるみたいだ。尊とうとかわいい。
「あ、えっと、輝羅丸様は作品の設定上執事になりますので、関係性で言うと、まあこの場合、私がご主人様、で、いいのかなー、あはは」
神雅嶺輝羅丸(こうがみねきらまる)は『イケメン執事が多すぎる』という作品のキャラクターなので、主人公いづみの執事という設定だ。私から見ると推しであり神なんだけど、物語の設定に縛られるならこの部屋の主人である私の執事ということになる。
「まあいい。引き続き私を崇めなさい」
それからキラ様はあらゆるグッズを買い漁らせた。グッズが多ければ多いほど顕現する時間が長くなると言って。私は推しとの暮らしが楽しすぎて、生活の中心がどんどんキラ様になっていった。気づいたらネットで10万円のプレミアアイテムをポチっていたし、限定グッズを買いに行くために会社を休むことも厭わなくなった。
「なんでキラ様は、私の元に顕現してくださったんですか? もっと立派な祭壇を作っているファンも山ほどいるんじゃないんですか?」
「ふん。推しだの神だの言ってても、結局は安物ばかり買っている者も多い。ファイルもケースも100均製、そんなもので祀られても居心地が悪いだけだ。お前は量は少なくても質を選んで買っていた。上質なものにこそ宿る価値はある」
そう言われると鼻が高い。私はキラ様に選ばれたんだ。心と心が通じた気がしてファン冥利に尽きる。にやにやが止まらない。私はキラ様にどんどんお金を注ぎ込んだ。
部屋に入ると、どっと疲れが押し寄せてきた。このままリビングのソファにダイブしたい気分だ。上司へのイライラをクッションにぶつけたい。
バッグとコートを脱ぎ捨てていざダイブ…と思ったら先客がいた。カナデがソファに突っ伏してクッションに顔を埋めている。私は2、3歩つんのめってぐっと堪えた。
「ただいま」
新しいプロジェクトを任されてから、ずっと帰りが遅いもんな。慣れない立ち位置でカナデも疲れてるんだろう。
「おかえり。ごはん作って〜」
カナデが突っ伏したまま言う。いきなりそれかよ。でも今日はさすがにつらい。
「ごめん、今日は冷凍食品にするね」
冷凍のハンバーグがあったはずだ。時間も遅いしそれで。
「え〜、ナオのごはん食べたい〜!」
クッションを抱いたままソファの上で体をくねらせて言う。“ナオのごはん”というフレーズに一瞬揺れたが、それでも今日は疲労が勝ってしまった。
「疲れてるのはカナデだけじゃないんだよ。今日は料理しない」
まずい、強い言い方になってしまった。でもごまかす元気もない。カナデは驚いたようにこちらを見た。その顔に私の方が驚いた。目のまわりが赤い。
「じゃあいい! 今日は食べない!」
明らかに泣き腫らした跡があるのに動揺したけど、ダメだ、今日は優しくなれない。
「そう、勝手にしな」
そう言い捨てて私はキッチンに向かった。カナデはソファでふてくされている。
冷凍庫を開けて冷凍ハンバーグを手に取る。付け合わせは軽く茹でるだけ…。冷蔵庫をのぞくと、昨日なかった食材が入っていた。カナデ、買い物してきた…?
ハンバーグを茹でている間もカナデは横になったままだ。そのまま寝るつもりか? 明日もあるのに。
もう一度冷蔵庫を開けてみる。そういえば今朝カナデは早く帰れるかもと言っていた。仕事が一段落着きそうだって。だとすれば時間がかかる料理を仕込んでも不思議はない、か。
「カナデ、ごはんできたよ」
「いい、いらない」
「さっきはごめん」
「…いいよ。悪いの私だし」
「何かあったの?」
「…なんでもない」
「そうやって、なんでもないフリしないで」
なんでもないフリはできてないか。
「明日も忙しいんでしょ。お腹空いてたら頭も回らないよ」
それだけ言い残して私は食卓に向かった。
「いただきます」
私はひとり黙々とハンバーグを食べた。
少ししたら、カナデが食卓に現れた。座って、黙って食べ始める。しばらく、ナイフとフォークの音だけが部屋の中に響いた。こんなに静かな食卓は、ルームシェアをし出してから初めてかもしれない。
気づけばカナデはハンバーグを完食していた。そしてゆっくり話しはじめた。
「今日ね、プロジェクトの全体のデザインが仕上がる日でさ」
私は「うん」と相槌を打つ。
「私がリーダーで、全体のコンセプトを決めて、みんなに動いてもらって、毎日毎日作業して、今日やっと完成して」
カナデの声が震え出した。
「それで、今日お客さんに納品して、それで一段落できて帰ってきたんだけど」
声が詰まる。
「さっき、電話で、ボツになったって…。みんなでやってきたことが、ダメになっちゃって…。私、悔しくて」
カナデの目から涙が溢れてくる。それを見て私も胸が苦しくなった。
「その失敗を誰かが責めた?」
「え?」
カナデのキャリアは一人でやる仕事が多かった。リーダーを任されるのはたぶん初めて。その責任を感じるのはわかる。でも
「カナデのがんばりはみんなが見てるよ。ここにいる私だけじゃない。チームのみんながね」
ひとりじゃない。ひとりで抱え込まなくていい。
「だから、また作ればいいじゃん。しんどいのも、みんなでやれば楽しいよ」
表情が少しだけ晴れた気がする。
「うん、ありがとう。がんばる」
「あと、カナデが材料買ってきたロールキャベツも、休みの日にふたりで作ろっか」
カナデが驚いた顔をする。
「えー、なんでわかったの? そー早く帰れたからロールキャベツ作ろうと思ってたの〜! そしたら電話かかってきてもう最悪だった〜」
いつものカナデが戻ってきて、私も笑顔を取り戻した。
12/8「部屋の片隅で」の続編として。
サイリウム、カラーテープ、アクスタケース、クリアホルダー収納ファイル、うちわ作成キット…雑多な商品がきっちりと区分けされて並べられている店内を見渡して、僕はため息を吐いた。
「先輩、なんでこんなお店始めたんですか?」
先輩は上の方の棚に商品を陳列しながら、振り返らずに答えた。
「達彦くんは、誰かを応援することに夢中になったことはないのかい?」
質問に質問で返すなよ。そういうことを聞きたいんじゃないんだけどな、と思いつつ答える。
「まあ、アイドルグループを好きだった時期はありますけど、ライブとか握手会とか行ってまで見たいってほどじゃなかったですね」
「私はね、そういう誰かを応援している人を応援したいんだよ。現代は人と人との繋がりが希薄だからね、手の届かないアイドルやアーティスト、あるいは二次元の対象に人生の救いを求めることは、至極自然な流れだと言えるわけで…」
先輩のオタクスイッチが入ってしまった。ああめんどくさい。
「だーかーら! 組のノルマもきついのに、なんでこんな暇な商売始めたのかって聞いてるんですよ。他の人たちはあちこち飛び回って獲物を探してますよ」
「達彦くん、このお店で組とか獲物とか物騒なこと言わないでくれるかな。お客様が聞かれたらあらぬ誤解を招くでしょう」
誤解も何も、僕らがそういう稼業なのは事実でしょうが。まあ、現代じゃ世間体が良くないのかもしれないけど。
「わかりましたよ、で、このーリストバンド? はどこに置けばいいんですか?」
僕の手にはさまざまな色のリストバンドが敷き詰められたダンボールが載せられていた。
ピロリロリロ〜…。
「いらっしゃいませー」
入店音に先輩が素早い反応をする。接客スキルばかり上げてきやがって。
「ほら、ボーッとしてないで仕事して。それはカラビナの仲間だから、三列目の奥のネットにかけて。ちゃんと色別に分けてね」
先輩がこっちを向いて小声で指示を出した。
「せんぱーい、陳列終わりましたー」
ちゃんと仕分けたら18色あったリストバンドの陳列をようやく終えて、レジの先輩に報告する。
ドサッ…!
レジにはさっき入ってきた女性客。2つの買い物カゴいっぱいにアッシュグレーの推し活グッズが積まれている。うっわ、一回であんなに買うの? 推し活すげー。
「いつもありがとうございます! こんなに推されて輝羅丸くんも幸せですね〜」
レジで話しかけられたお客さんは一瞬ビクっとしたように見えた。先輩、お客さんの推しまで覚えてるのか。でも完全に気味悪がられてるじゃん。見てらんないよ。
「あ、レジ袋いいです。自分でやります」
レジを通した商品を袋に詰めようとする先輩を制して、お客さんはエコバッグ…キャラクターがデカデカと描かれたエコバッグに自分で商品を詰め始めた。
「ありがとうございました〜。またのお越しをお待ちしてま〜す」
お客さんは顔を伏せたまま店を出て行った。
「せんぱーい! なーんすかあの接客! お客さんビビっちゃってましたよ」
お客さんがいなくなってすぐに先輩をいじりに行く。先輩はやたらと深刻な顔をしている。めっちゃへこんでるじゃんこの人。
「達彦くん、店番を頼む。私はあの人を追う」
「はあ? ちょっと早まらないで! それはさすがに逆恨みすぎるって!」
ちょっとこの人、マジでなにするつもり?
前を歩いているカップルが手を繋いでいる。昼間っから幸せそうに。まったく、こっちは営業がうまくいかなくてイライラしているっていうのに。腹が立つ。
「さむいね」
「うん、でも手ぇ繋いでるからあったかい」
くそ、バカップルが。こいつらが狭い歩道で横に並んでるから追い越すこともできない。
「ねえ、あっち、公園行こ」
女の方が指差した方向は私の行く道と同じだった。最悪だ、ずっとこいつらの後ろを歩かなきゃいけないのか。
「ねえ、スマホでメッセ打ちたいから手離していい?」
女が片手でスマホを見せて男に聞く。
「え、ダメ。繋いだまま打って」
「ちょなにそれー、イジワルしないでよー」
なんだこの会話。しんどすぎる。
「じゃあスマホこっちに見せて。オレが打つから」
「ちょゼッタイ変なこと書くじゃーん。しかもユナとあしの会話のぞくなし」
どういうイチャつき方なんだよこのカップル。そんでこいつ一人称「あし」かよ。
「はいじゃこれに返事打って。公園でたっくんと手ぇ繋いで…」
結局やんのかい。なんかちょっと面白くなってきたぞ。仕事サボってこいつらのことつけてみるか。
「ちょ全然違うから、変なこと書かないでって、うん、そうそう、それでオッケー」
カップルは公園に入った。少し距離を取って私も後に続く。二人はベンチに座った。しかし手は繋いだままだ。
私は声の届く位置にあるベンチに腰を下ろした。
「もっしーユナ? いま公園でぇ、そうそう、うん、はいじゃねー」
女は男に電話を掛けさせ、自分の耳に当てて通話していた。もう一人電話を掛けるようだ。まったく暇な生活をしてやがる。いったいどんな友達が来るのか。
二人は相変わらず手を繋いだままだ。しばらくすると、女の方が公園の奥に向かって手を振り始めた。いったいどんな友達が来るのかと見ていると、またも手を繋いだカップルがいるではないか。
トントン。
そのとき私は後ろから肩を叩かれた。振り返ると警察官の格好をした男が二人、私の目の前に立っていた。
「あ、おまわりさん、この人です。ずっと私たちをつけてきてました」
え? いやいやいや、あ、電話してたの、もしかして警察?
「はい、ちょっとお話伺いますねー」
「ま、待って! 最後にひとつだけ!」
警察の制止を振り解いて、なんとかカップルに声をかける。もう一組のカップルも合流している。
「なんで、その、君たちは、ずっと手を繋いでいるんだ! 不自由をしながら手を離さない理由はなんなんだ!」
「ああこれ? へへ〜これはね」
女が繋いだままの手を上げてこちらに見せつけてくる。
「手と手を合わせて あっためタマゴ。通称『ててたま』。ふたつの手であっため続けると、タマゴが割れて中からかわいいマスコットが出てくるんだよ」
恋人繋ぎしている手の間には黄色いタマゴ型のカプセルが握られていた。
そんな。今の若い連中はそんなリア充な遊びを…。くそ、結局暇なカップルじゃないか! 私が警察官に引きずられる中、女は私に手を振っていた。
SIDE B
「じゃ〜ん、今日はみんなでこれをやりま〜す」
二限が終わった昼休み。マキがスーパーで売っている食玩ような四角いパッケージの箱を2つ取り出した。俺とシュウジがキョトンとしている中、ユナはテンションが上がっているようだ。
「キャー、かわいい! どこで買ったのこれ! 超やりたい!」
「ちょっと説明してくれる?」
空気を壊さないように気をつけながら、箱を開け始めた二人に聞く。
「やっぱり男子は知らないかぁ。これは『ててたま』って言って。このタマゴのカプセルを両手で包んであっため続けると、鶏のタマゴが孵るみたいにタマゴが割れて、中からかわいいフィギュアが出てくるオモチャなの」
はあ。ギミックがある子どものオモチャだ。
「その子どものオモチャを大学生4人でやるっていうの?」
うわ、バカ、シュウジその言い方は。
「ひっどーい! 子どものオモチャってバカにして〜」
「あっいや、その」
「いまこれ、カップルの間で流行ってるんだよ。もともとひとりで両手を使ってあっためることを想定して作られてるんだけど、カップルが手を繋いでその間にこのタマゴを入れておいても孵るってわかったら、それが愛の証になるっていうことで一気に広まったの」
はあ。え、それをいまから?
「つまり、いまから手を繋ぎ続けて、そのタマゴを孵すってこと?」
「そういうこと! 私はたっくんとペアで、ユナとシュウジくんでペアね!」
「これってどんぐらいで孵るの?」
「だいたい3時間ぐらいって書いてあるよ」
みんな今日、午後の講義ないのか。これは逃げられないな。
「どっちが早く孵せるか、競争だよ!」
というマキの号令のもと、手を繋ぎながら散歩をする耐久レースが始まった。ふたつの手がタマゴに触れている時間だけがセンサーらしい。そうと決まればシュウジには負けられない。
「さむいね」
もう12月。昼間でも外の空気は冷たかった。
「うん、でも手ぇ繋いでるからあったかい」
そんなにニコニコするなよ。普段はそれほど手を繋がないから、こっちはまあまあ恥ずかしいんだぞ。ちょっと手汗も気になるし。
「ねえ、あっち、公園行こ」
マキは左手で公園の方を指差した。角を曲がって公園の方に向かう。
「ねえ、スマホでメッセ打ちたいから手離していい?」
え? いいの? と言いそうになったところに、マキが左手でスマホを見せてきた。画面になにか打ち込んである。
『手離しちゃダメ。これ読んで↓↓』なんだよ、左手で打ててるじゃん。言われるままに続きの文章を読む。
「え、ダメ。繋いだまま打って」
「ちょなにそれー、イジワルしないでよー」
なんだこの会話。しんどすぎる。
「じゃあスマホこっちに見せて。オレが打つから」
いやマジでどういう会話? 次にマキが見せた画面で一瞬顔が固まった。
『後ろのおっさん。つけてきてる』
チラッと後ろを振り向くと、スーツ姿の男がすぐ後ろを歩いている。でもたまたま方向が同じって可能性も…。
「ちょゼッタイ変なこと書くじゃーん。しかもユナとあしの会話のぞくなし」
マキ演技上手いな。スマホはメモの画面が開かれている。なに? この画面で会話するってこと?
「はいじゃこれに返事打って。公園でたっくんと手ぇ繋いで…」
俺は単純に思ったことを打ち込んでみた。
『たまたま方向が一緒ってこともあるだろ?』
「ちょ全然違うから、変なこと書かないでって」
男はまだ後ろにいる。もうすぐ公園だ。
『じゃあ、公園までつけてきたら警察呼ぶよ。それまで刺激しないで』
「うん、そうそう、それでオッケー」
俺たちは手を繋いだまま公園に入った。さっきより距離はあるものの、スーツの男もついてきている。やっぱり挙動がおかしい。俺たちは手近のベンチに座った。
マキが見せてきた連絡先から、まずはユナに電話をかける。男は声が聞こえる距離にあるベンチに座った。これは黒だな。
「もっしーユナ? いま公園でぇ、そうそう、うん、はいじゃねー」
すぐ後に110番をコールする。マキは男に悟られないように上手く会話をしている。この子すごいな。
しばらく他愛のない会話をしていたが、繋いだ手に汗が滲むのがわかる。早く警察来てくれ。
すると公園の奥からユナとシュウジの姿が見えた。しっかり手を繋いでいる。マキが二人に向かって手を振る。男の方を見ると、やつも向こうを凝視している。あ、その後ろに。
二人の警察官が男に声をかけた。
「あ、おまわりさん、この人です。ずっと私たちをつけてきてました」
すかさずマキが言い放つ。
「はい、ちょっとお話伺いますねー」
そうしておっさんは警察に連行されて行った。マキが危ない目に遭わなかったことで、少し肩の荷が下りた。おっさん、大学生がこんな遊びしてるのは申し訳ないけど、さすがにキモすぎたよ、あんたの行動。
「キャッ」うわっ。
手の中でなにかが蠢うごめく感触がした。タマゴが孵ったのか。繋いでいた手を開くと、中からデフォルメされたかわいいライオンのフィギュアが出てきた。
「キャーかわいい! ライオンちゃんめっちゃいい!」
マキは手放しで喜んでいる。出てきてみればただのフィギュアだが、自分たちの手から生まれたようで妙な愛着を感じる。色々あったのに手を繋ぎ続けた甲斐があった。
「困難を乗り越えた二人の愛の結晶だね。大切にしようね」
困難を乗り越えて…。うん、それは嬉しいけど、このライオンを見るたびに、あのおっさんも思い出しちゃうんだよな。たぶん。