与太ガラス

Open App

 部屋に入ると、どっと疲れが押し寄せてきた。このままリビングのソファにダイブしたい気分だ。上司へのイライラをクッションにぶつけたい。

 バッグとコートを脱ぎ捨てていざダイブ…と思ったら先客がいた。カナデがソファに突っ伏してクッションに顔を埋めている。私は2、3歩つんのめってぐっと堪えた。

「ただいま」

 新しいプロジェクトを任されてから、ずっと帰りが遅いもんな。慣れない立ち位置でカナデも疲れてるんだろう。

「おかえり。ごはん作って〜」

 カナデが突っ伏したまま言う。いきなりそれかよ。でも今日はさすがにつらい。

「ごめん、今日は冷凍食品にするね」

 冷凍のハンバーグがあったはずだ。時間も遅いしそれで。

「え〜、ナオのごはん食べたい〜!」

 クッションを抱いたままソファの上で体をくねらせて言う。“ナオのごはん”というフレーズに一瞬揺れたが、それでも今日は疲労が勝ってしまった。

「疲れてるのはカナデだけじゃないんだよ。今日は料理しない」

 まずい、強い言い方になってしまった。でもごまかす元気もない。カナデは驚いたようにこちらを見た。その顔に私の方が驚いた。目のまわりが赤い。

「じゃあいい! 今日は食べない!」

 明らかに泣き腫らした跡があるのに動揺したけど、ダメだ、今日は優しくなれない。

「そう、勝手にしな」

 そう言い捨てて私はキッチンに向かった。カナデはソファでふてくされている。

 冷凍庫を開けて冷凍ハンバーグを手に取る。付け合わせは軽く茹でるだけ…。冷蔵庫をのぞくと、昨日なかった食材が入っていた。カナデ、買い物してきた…?


 ハンバーグを茹でている間もカナデは横になったままだ。そのまま寝るつもりか? 明日もあるのに。

 もう一度冷蔵庫を開けてみる。そういえば今朝カナデは早く帰れるかもと言っていた。仕事が一段落着きそうだって。だとすれば時間がかかる料理を仕込んでも不思議はない、か。

「カナデ、ごはんできたよ」

「いい、いらない」

「さっきはごめん」

「…いいよ。悪いの私だし」

「何かあったの?」

「…なんでもない」

「そうやって、なんでもないフリしないで」

 なんでもないフリはできてないか。

「明日も忙しいんでしょ。お腹空いてたら頭も回らないよ」

 それだけ言い残して私は食卓に向かった。

「いただきます」

 私はひとり黙々とハンバーグを食べた。

 少ししたら、カナデが食卓に現れた。座って、黙って食べ始める。しばらく、ナイフとフォークの音だけが部屋の中に響いた。こんなに静かな食卓は、ルームシェアをし出してから初めてかもしれない。

 気づけばカナデはハンバーグを完食していた。そしてゆっくり話しはじめた。

「今日ね、プロジェクトの全体のデザインが仕上がる日でさ」

 私は「うん」と相槌を打つ。

「私がリーダーで、全体のコンセプトを決めて、みんなに動いてもらって、毎日毎日作業して、今日やっと完成して」

 カナデの声が震え出した。

「それで、今日お客さんに納品して、それで一段落できて帰ってきたんだけど」

 声が詰まる。

「さっき、電話で、ボツになったって…。みんなでやってきたことが、ダメになっちゃって…。私、悔しくて」

 カナデの目から涙が溢れてくる。それを見て私も胸が苦しくなった。

「その失敗を誰かが責めた?」

「え?」

 カナデのキャリアは一人でやる仕事が多かった。リーダーを任されるのはたぶん初めて。その責任を感じるのはわかる。でも

「カナデのがんばりはみんなが見てるよ。ここにいる私だけじゃない。チームのみんながね」

 ひとりじゃない。ひとりで抱え込まなくていい。

「だから、また作ればいいじゃん。しんどいのも、みんなでやれば楽しいよ」

 表情が少しだけ晴れた気がする。

「うん、ありがとう。がんばる」

「あと、カナデが材料買ってきたロールキャベツも、休みの日にふたりで作ろっか」

 カナデが驚いた顔をする。

「えー、なんでわかったの? そー早く帰れたからロールキャベツ作ろうと思ってたの〜! そしたら電話かかってきてもう最悪だった〜」

 いつものカナデが戻ってきて、私も笑顔を取り戻した。

12/12/2024, 1:41:05 AM