「前に、キャンドルなんとかってアーティスト、いたな」
アロマキャンドルに火を灯しながら、俺は言った。
クリスマスイブ。上京して初めて二人きり、なぎさと過ごす聖夜。互いにバイト入れず、きょうだい水入らずでパーティしようという話になった。
「そうだね」
なぎさの返事はどこか上の空だ。
「どうした?」
「んーー、なんか思い出して。あの地震の夜。アロマキャンドル貸してくれたなあ、って。西門さん」
「あいつのこと、口にするなよ」
自分でもはっきりと口調が固くなるのがわかる。名前を聞くだけで忌々しい。
元隣人。なぎさのストーカー。うちに盗聴器まで仕掛けて姉の動向を探ってた変態。
あいつの元から逃げるように引っ越して、はやひと月。平穏な暮らしがようやく訪れている。
「本当に西門さんだったのかなあ?盗聴器、疑って怖くて逃げるみたいに越したけど。なんかなー」
姉は伏目がちに続ける。
「後悔するなよ、姉貴の安全のためだ」
「心配性だなあマサムネは。大丈夫だよ、あたしは」
鷹揚に笑うけど、全然信用できない。
あいつはやばい、激ヤバな印象しかない。
特に姉に対する執着が。俺と同等の熱量を感じてしまうのだ。
だから遠ざかった。あいつに気づかれないうちに。
なぎさは柔らかい光を揺らすキャンドルの炎を見つめながら言った。
「さいもんじゅんは、今どうしてるかなー」
ーー?!
「なぎさ、今なんて?」
「ん。何が」
「いや、名前。あいつのーー西門の下の名前。呼んだろう」
「だから、西門淳さん。なにどうしたの、マサムネ。急に顔、真っ赤だよ、怖いよ」
なぎさに言われるまでもない。俺は笑い出したい欲求を堪えるので精一杯だった。
なぎさに、停電の時、キャンドルを貸してくれた、あいつの名前は、じゅんーーキャンドル、淳。
ぶは!たまらず俺は吹き出してしまう。そうかあいつ、淳って言うのか、なるほどね!
「マサムネ?」
肩をくつくつ揺らして笑う俺のことを、怪訝そうに見やり、なぎさは眉を曇らせた。いやごめん、何でもない。ツボっただけ。いやなんか、冗談みたいな名前だなと思って。と言い訳を口に仕掛けた時、
ピンポーン!
ドアチャイムが高らかに鳴った。そして、
「ごめんください〜!遠山さん、Uberイー⚫︎です、こんばんはー」
インターフォンから、あいつのどこか間延びした声がした。
げっ。何でここが?!
#キャンドル
「柔らかな光8」
「たくさんの思い出が詰まってるはずだったのにねぇ」
「そうだね、学園ドラマみたいには上手くいかないね」
15年ぶりに小学校に集まり、卒業記念で埋めたタイルカプセルを掘り出してみたら、保存状態が悪く中身が土や雨水のせいでぐちょぐちょになっていた。紙物を多く入れたはずなのに、ほとんど読めない。
集まったクラスメイトの落胆した顔と、さもありなんという諦め顔を見渡しつつ、俺は汗の浮いた額を拭った。技能主事さんからスコップを借りて掘り起こす作業は、結構重労働だった。男子5人がかりで校庭の隅を掘削した。
「まぁしようがないよなー。プロの手を借りて真空パックとかにした訳じゃないし」
「こうやって、みんな集まるきっかけになったんだからいいべー」
汚れた手を払い、スコップ返したら飲みにいくかと言ってみると、いーなそれ!と場が沸いた。
「匠くん、そういうとこ昔から変わらないね」
手を洗おうと水道に行きかけた時に、声をかけられる。振り向くと、きれいな子が笑っていた。
「ポジティブシンキングなとこ。いつもクラスの真ん中で笑ってたね」
誰だろう。どうしても思い出せない。俺は頭を捻りつつ、「そうだっけ?」と適当に合わせた。
「憧れてたなー私。自分はいつも悲観的でぐじぐじ悩む方だったから、特に」
「買いかぶりじゃないか。俺、いつも先生に叱られてたよ。野々宮あー、うるさいぞって」
「先生の真似?似てるー」
くすくす笑う。……誰だろう。こんなきれいな子、いたか?いや、女子は成人すると化粧してホント昔と別人みたいになるからーー失礼な意味じゃなく、褒め言葉として。うん。
俺は思い切って言ってみた。
「君もどう? これから飲みに行くんだけど、良ければ」
「ホント?行きたい、うわー嬉しい」
ストレートなOKが来て、テンションが上がる。俺は店の名前を告げて、先に行っててよ。俺、手洗いしてスコップ返却とか、職員室に挨拶とかしたら行くからと告げると、わかったと頷いた。
「じゃあね、また」
片手を上げて校門の方へ行く。俺はそれを見届けて、何だかいい雰囲気じゃないかと鼻歌を歌いながら借りたスコップを水で流した。
そこへ、悪友がやってきて「おい、匠。お前さっきなに独り言話してたんだよ、ちょっと気味悪かった」と声を顰める。
独り言?
「なに言ってんだよ、ちゃんといたろー?可愛い子がそばに」
やっかみかと笑うと、そいつの顔が曇る。
「お前大丈夫か?……水道周りにはお前しかいなかったよ。なあ?」
周囲の奴らに同意を促すと、ああ、匠だけだった。変だと思ってたと口々に言う。
俺は訳がわからない。だっていたろ?俺、会話したもん、これぐらいの髪の長さのこういう感じの子と、懸命に身振り手振りで説明する。
「もしかして、匠の言う子って。……この子?」
クラスメイトだったカナが、携帯の画面を見せてくる?そこにはバストショットの、さっきのきれいな子が映し出されていた。
「そうそう、この子だよ。俺に話しかけてきたから、飲み会の場所教えたんだ。来るって言ってたよ」
俺が答えると、カナは何とも複雑な顔をした。泣き出しそうな、嬉しいような。
?
「梓だよ。覚えてない?あたしらアズ、アズって呼んでた。ちょっとこれよりふっくらしてて、大人しくて、あんま目立たない子だったけど、優しくていい子だった。永森梓」
俺は名前を聞いてもすぐピンと来なかった。カナは言いづらそうに視線を逸らした。
「アズね、去年病気で亡くなったんだ。元々体弱くて、学校も休みがちだった子だけど。タイムカプセル、今日ここでみんなで開けるの楽しみにしてた。匠、知らないでしょ。アズ、あんたのことずっと好きだったんだよ。小学校の頃、アンタのことばかり見てたって言ってた。会うの、楽しみにしてたよ」
でも、とカナが唇を噛む。
俺はにわかに信じられなかった。ようやく、朧げに小学校時代の面影が脳裏に蘇る気がした。
匠くん、と俺を呼ぶ声は、子供の頃の彼女のものか、それともついさっき言葉を交わした時のものかーー
カナは優しい声で言った。
「来たんだね、アズ。今日、ここに。クラス会に。15年ぶりにどうしても匠に会いたかったんだろうね」
男冥利に尽きるじゃない。それを聞いていた悪友が、俺、今日奢るわー匠としんみり言った。
俺は水道にスコップを立てかけて、彼女が消えた校門を見やる。姿はそこにはないと分かっていても。
匠くん、そういうとこ昔から変わらないね。憧れてたなー。
彼女の声は、もう曖昧だ。優しい風が頬を撫でる。
会いに来てくれたのか? 俺に。
時間とか、色んなものを超えてーーここまで。
もしそうなら、ありがとう。
噛み締めるみたいに俺は思う。
タイムカプセルの中身は紐解けなかったけど、大事な言葉と想いはしっかり受け取れたよ。
アズ。梓さん。
もう少し君と話したかったな。それだけが心残り。
俺は水道の蛇口をキュッと閉め、スコップを持ち上げてさぁ行くかと昔の級友たちに笑いかけた。
#たくさんの思い出
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「冬が来るねえ」
息が白くなり始めた朝。電車を待つ駅のホームで彼女は言った。
「そうだね、僕、寒いの苦手だなー」
僕が、冬の朝のベッドのぬくぬくとした誘惑を思い出しながら言うと、
「私もだよ、……でもね…寒いとね、くっつけるよね。歩いてる時もこんなふうにさ」
ずぼ、いきなり背後から制服のブレザーのポケット、両方に手を突っ込んでくる。
「わ、びっくりしたあー、何々?急に」
「あははー、びっくり? こんなふうに彼氏のポケットで手をあっためてもらうの、夢だったんだ。お付き合いしたら」
照れくさそうに笑う。
うーん、可愛いなあ。でれっと鼻の下が伸びる自覚はある。
「一つのマフラーで、ぐるぐる首を巻こうか。二人分」
「ホットのレモネード、ストローで一緒に飲むとか」
「んもー、それじゃあただのいちゃいちゃリストみたいじゃないのよー」
あはは。うふふ。僕たちは胸をときめかせて、冬の訪れを待ち焦がれた。
……でも。その季節がくる前に、僕らは別れた。些細なことがきっかけで、喧嘩になって。そんな人だとは思わなかった、それはこっちのセリフだよ、と、口論がエスカレートして、あっけなく。
別に彼女に未練はないよ。でも、
冬の季節に隣に誰もいないのは、さびしいものだね。ポケットに手を突っ込む彼女の小さい手を、手袋をはめる時、ふと思い出したりするんだ。
秋の終わりに。
#冬になったら
星を見ると悲しくなる。
例えそれが満天の星空であっても。
子供の頃からそうだった。星が美しいほど、怖いと言って泣くような子だったとママが言っていた。
「それは、天の川の水量が多ければ多いほど、俺たちは川の向こう岸とこっち側の岸とで、離れ離れになっちまうんだからな」
高校の入学式で、いきなり私の目の前に現れた天野星彦は、初対面の私にオマエは織姫の生まれ変わりだと言った。そして自分は牽牛の生まれ変わりだと。
何この人!?頭、どーかしてるんじゃない?
その日から校内を追いかけ回された私は、困り切って爆発した。
「もーいい加減にして! あなたが私を追いかけまわすから、友達もできないのよ? 新入生の中で悪目立ちして、みんな笑ってる。恥ずかしい」
「いいじゃん、別に。俺が追いかけるぐらいで引くようなやつなら初めから友達になんかなんなくても。それに、笑いたいやつには笑わせとけよ」
「う……。だ、大体私、星とか嫌いだから。きれいな星空とか怖がって泣くような子供だったんだから」
「ーーああ、そうか。それは」
天野星彦はハッとした顔になり、冒頭の話をしたのだ。
そして、
「やっぱりオマエは織姫だよ。七夕が近くと、そわそわするだろう?訳もなく泣きたくなったり、切なくなったりしないか、昔から」
どき。
え、それは、ーーうん……確かに。
微かに私が頷くと、天野は「俺もそうだよ。ずっとそうだった」と言った。
真顔で、いつになく真剣目をして。
真正面から私を見つめる。
「会いたかったよ、織姫。いや、織田姫子。俺は、オマエに会うために生まれ変わってきたんだ。もう、離れ離れは嫌だ。我慢がならない。俺と一緒にいてくれ」
何の衒いもなく、彼は愛の言葉を口にした。
#はなればなれ
「また会いましょう2」
「ふわぁあ」
隣のデスクで殿山くんが欠伸をした。
うーんとひと伸びして、顔を擦り、いかんいかんという具合にまたパソコンに向かう。
昼下がり。
ランチの後のこの時間帯って、眠くなるのよねえ。今日、小春日和だしねえ。
と思っていたら、
「なんです?」
と、殿山くんが私の視線に気づいた。
「ん、何でもないよ」
「でも俺のこと見て笑ってたでしょ」
追及された。あら……見てたのね。
「んー、何だかね、欠伸して伸びる殿山くん、うちの猫に似てるなあって思って」
「ねこ」
目を見開いて殿山くんが言った。
「うん、子猫。最近うちで飼い始めて。可愛いの。毛並みも色素薄い茶色で、地色は白っぽくて。八重歯があるとこも殿山くんっぽいなあって」
「……こねこ」
ストンと声のトーンを落として呟く。しまった、流石に気分悪くしたかしら。
調子に乗って喋りすぎた。私は反省して「ごめん」と彼に手を合わせた。その弾みにスーツの胸に挿していたペンを床に落としてしまう。
「あ、」
慌てて屈んで拾おうとした。同じタイミングで殿山くんもデスクの下を覗き込んだ。
あ、ーー
頭と頭がぶつかりそう。ーーううん、顔が、くっつきそうなくらい近づいた。
うわ、ドアップ。い、息かかる……。っていうか、殿山くん、まつ毛長!少女漫画の王子様みたい。大きな目。
思わずフリーズする。と、殿山くんがゆっくり私のペンを拾い上げた。身を起こす。
「あ、ありがとう」
お礼を言って手を差し出した私を殿山くんはじっと見つめた。
そして、目を細めて声を絞り、
「佐久さん、あんまし男のこと子猫みたいだとか、可愛いとか言って笑わない方がいいですよ。油断して、急に引っかかれても知りませんよ」
と言った。
え?
私は咄嗟に反応できない。殿山くんは拾ったペンを手渡さずに指でくるりと弄び、おもむろに私の左の胸ポケットにスッとそれを挿した。
「〜〜〜え、?え?」
オタつく私を尻目に、殿山くんはそのまま何事もなかったかのようにパソコンに向き直る。
かち、かちと、マウスをいじる音だけが私たちの間を埋めていく。
私は彼の耳たぶが真っ赤に染まり、首まで赤くなっているのを間近で見た。
彼が挿したペンのポケットの辺りが熱を持ったみたいに熱くてどきどきした。
#子猫
「紅茶の香り4」