「冬が来るねえ」
息が白くなり始めた朝。電車を待つ駅のホームで彼女は言った。
「そうだね、僕、寒いの苦手だなー」
僕が、冬の朝のベッドのぬくぬくとした誘惑を思い出しながら言うと、
「私もだよ、……でもね…寒いとね、くっつけるよね。歩いてる時もこんなふうにさ」
ずぼ、いきなり背後から制服のブレザーのポケット、両方に手を突っ込んでくる。
「わ、びっくりしたあー、何々?急に」
「あははー、びっくり? こんなふうに彼氏のポケットで手をあっためてもらうの、夢だったんだ。お付き合いしたら」
照れくさそうに笑う。
うーん、可愛いなあ。でれっと鼻の下が伸びる自覚はある。
「一つのマフラーで、ぐるぐる首を巻こうか。二人分」
「ホットのレモネード、ストローで一緒に飲むとか」
「んもー、それじゃあただのいちゃいちゃリストみたいじゃないのよー」
あはは。うふふ。僕たちは胸をときめかせて、冬の訪れを待ち焦がれた。
……でも。その季節がくる前に、僕らは別れた。些細なことがきっかけで、喧嘩になって。そんな人だとは思わなかった、それはこっちのセリフだよ、と、口論がエスカレートして、あっけなく。
別に彼女に未練はないよ。でも、
冬の季節に隣に誰もいないのは、さびしいものだね。ポケットに手を突っ込む彼女の小さい手を、手袋をはめる時、ふと思い出したりするんだ。
秋の終わりに。
#冬になったら
星を見ると悲しくなる。
例えそれが満天の星空であっても。
子供の頃からそうだった。星が美しいほど、怖いと言って泣くような子だったとママが言っていた。
「それは、天の川の水量が多ければ多いほど、俺たちは川の向こう岸とこっち側の岸とで、離れ離れになっちまうんだからな」
高校の入学式で、いきなり私の目の前に現れた天野星彦は、初対面の私にオマエは織姫の生まれ変わりだと言った。そして自分は牽牛の生まれ変わりだと。
何この人!?頭、どーかしてるんじゃない?
その日から校内を追いかけ回された私は、困り切って爆発した。
「もーいい加減にして! あなたが私を追いかけまわすから、友達もできないのよ? 新入生の中で悪目立ちして、みんな笑ってる。恥ずかしい」
「いいじゃん、別に。俺が追いかけるぐらいで引くようなやつなら初めから友達になんかなんなくても。それに、笑いたいやつには笑わせとけよ」
「う……。だ、大体私、星とか嫌いだから。きれいな星空とか怖がって泣くような子供だったんだから」
「ーーああ、そうか。それは」
天野星彦はハッとした顔になり、冒頭の話をしたのだ。
そして、
「やっぱりオマエは織姫だよ。七夕が近くと、そわそわするだろう?訳もなく泣きたくなったり、切なくなったりしないか、昔から」
どき。
え、それは、ーーうん……確かに。
微かに私が頷くと、天野は「俺もそうだよ。ずっとそうだった」と言った。
真顔で、いつになく真剣目をして。
真正面から私を見つめる。
「会いたかったよ、織姫。いや、織田姫子。俺は、オマエに会うために生まれ変わってきたんだ。もう、離れ離れは嫌だ。我慢がならない。俺と一緒にいてくれ」
何の衒いもなく、彼は愛の言葉を口にした。
#はなればなれ
「また会いましょう2」
「ふわぁあ」
隣のデスクで殿山くんが欠伸をした。
うーんとひと伸びして、顔を擦り、いかんいかんという具合にまたパソコンに向かう。
昼下がり。
ランチの後のこの時間帯って、眠くなるのよねえ。今日、小春日和だしねえ。
と思っていたら、
「なんです?」
と、殿山くんが私の視線に気づいた。
「ん、何でもないよ」
「でも俺のこと見て笑ってたでしょ」
追及された。あら……見てたのね。
「んー、何だかね、欠伸して伸びる殿山くん、うちの猫に似てるなあって思って」
「ねこ」
目を見開いて殿山くんが言った。
「うん、子猫。最近うちで飼い始めて。可愛いの。毛並みも色素薄い茶色で、地色は白っぽくて。八重歯があるとこも殿山くんっぽいなあって」
「……こねこ」
ストンと声のトーンを落として呟く。しまった、流石に気分悪くしたかしら。
調子に乗って喋りすぎた。私は反省して「ごめん」と彼に手を合わせた。その弾みにスーツの胸に挿していたペンを床に落としてしまう。
「あ、」
慌てて屈んで拾おうとした。同じタイミングで殿山くんもデスクの下を覗き込んだ。
あ、ーー
頭と頭がぶつかりそう。ーーううん、顔が、くっつきそうなくらい近づいた。
うわ、ドアップ。い、息かかる……。っていうか、殿山くん、まつ毛長!少女漫画の王子様みたい。大きな目。
思わずフリーズする。と、殿山くんがゆっくり私のペンを拾い上げた。身を起こす。
「あ、ありがとう」
お礼を言って手を差し出した私を殿山くんはじっと見つめた。
そして、目を細めて声を絞り、
「佐久さん、あんまし男のこと子猫みたいだとか、可愛いとか言って笑わない方がいいですよ。油断して、急に引っかかれても知りませんよ」
と言った。
え?
私は咄嗟に反応できない。殿山くんは拾ったペンを手渡さずに指でくるりと弄び、おもむろに私の左の胸ポケットにスッとそれを挿した。
「〜〜〜え、?え?」
オタつく私を尻目に、殿山くんはそのまま何事もなかったかのようにパソコンに向き直る。
かち、かちと、マウスをいじる音だけが私たちの間を埋めていく。
私は彼の耳たぶが真っ赤に染まり、首まで赤くなっているのを間近で見た。
彼が挿したペンのポケットの辺りが熱を持ったみたいに熱くてどきどきした。
#子猫
「紅茶の香り4」
秋深し隣は何をする人ぞ
「って、こんなのありかよ!」
数日泊まり込みのバイトを入れたあと、アパートに帰ったら隣の遠山兄弟が引っ越ししていた。
アパートの部屋がもぬけの殻。家具家財道具一式全て消えてがらんとしている。フローリングの床しか見えない。
俺は愕然とした。
そしてすぐに逃げた。と気づいた。あの、遠山弟のむかつく能面顔が思い浮かんだ。
あの変態ーー姉に、遠山なぎさに執着する近親相姦野郎の仕業だと俺は察した。あいつが、俺の不在を見越して、夜逃げ同然で部屋を引き払ったのだ。俺から自分の姉を引き離すためにーー計画的に。周到に。
案の定、なぎさにLINEしても既読にさえならない。通話も繋がらない。あいつの入れ知恵で、俺との関係を一気に断つつもりだ。
俺は沸々とした怒りが腹の底から湧き上がるのを感じた。
ーー確かに俺はなぎさに対してストーカーまがいの執着をもって、これまで犯罪スレスレの行為をしてきた。盗聴、待ち伏せ、付き纏い。でも、アイツのほうがもっとヤベェのが、今ので証明されただろう?
遠山真宗のなぎさに対する執着は異常だ。
どうしてアイツのヤバさに皆気づかないんだよ。鉄面皮で無表情装ってるけどアイツは姉への執着のせいでドロドロした怨念みたいなのが溢れ出てるじゃないか。
なぎさが危ない。遠山真宗の魔の手が、なぎさに迫っているのだーー
俺は決意する。なぎさを遠山真宗の手から救い出す。どっちが異常者で、どっちが姫を救うナイトか俺が証明してやる。
俺は拳を握りしめる。そして、外階段を降り空を見上げた。
抜けるような秋の高い空が見えた。
風を背に受け、俺はなぎさ通う大学へと一歩、歩き出す。
何日掛かっても、そこで張って、なぎさを見つけ出す覚悟だった。
#秋風
「柔らかな光7」
「また、一年後ここで会おうね」
そう織姫は言ったくせに、今年の七夕、彼女は訪れなかった。
嘘つき。雨でも天の川のほとりには来るって言ったのに。
彼女は来ない。もう僕の前には。
織姫の心はもう他の男のところへ行ってしまった。
僕は川に身を投げる。恋に溺れて、命のともしびを自分で断つ。
織姫への想いを断ち切れないままーー
「見つけた、アンタ。織姫の生まれ変わりだろ」
「え、な、何。あなた」
「俺は天野星彦。七夕伝説の牽牛の記憶をもつ男だ」
「……は?」
「ひと目見てわかった。ビビビってきたぞ。アンタ、名前は?」
「お、織田姫子……」
「ほうらな、やっぱりだ。織姫、会いたかったぜ」
前世の記憶を持つのは、どうも彦星の方ばかりのようで。
この2人の恋物語、これより開幕?
#また会いましょう