「こんちはー、マサムネくん」
「……ちわす、」
アパートの外階段で、遭遇する二人。隣同士の西門と遠山真宗。
気安く声をかけるのは西門の方。
「こっちでの暮らし、慣れた?大学で何かのサークルとか入ったの?」
「いや、バイト入れてるんで」
そっけない反応は、初対面の時から。クールな和男子の外見のマサムネに対して、ピアスやパーマかけたふんわりヘアーの西門は今風のおしゃれな風貌で、対照的。
「へー、偉いじゃん。でもさ、折角親元から離れたんだからさー、色々羽目外さないと。彼女とかも作んないとね」
「……興味ない、す」
「ふーん。あんまなぎさちゃんに心配かけちゃダメだよ。おねーちゃん君のこと友達できないみたいって気を揉んでたよ」
先を行っていたマサムネが振り向きもしないまま、背中で言った。
「…、こないだ、うちのWi-Fiのルーターの調子悪くて配線見たんすよ、俺。そしたらなんか変な機械みたいなの出てきて」
「へえ?」
「おかしいなと思って調べたらーー盗聴器でした」
そこで振り向く。西門と目が合う。
「盗聴器? ほんと?」
「俺、工学部なんで、そっち系強いんです。何でうちに盗聴器仕掛けられてるんだろうっていま、警察に相談してるとこです」
「……それ、なぎさちゃんは?」
「内緒です、まだ。変に怖がらせるとあれなんで。色々判明したらちゃんと言います」
「そうか、それがいいね。物騒だなぁ、俺もうちの中調べてみようかな」
「……」
「ところでさ、なぎさちゃん。他にも俺にこぼしてたんだよね。買ったはずの下着の数が合わないって。外に干してるわけじゃないのに、何でだろうって気味悪がってたよ。この辺に下着ドロいるとか、噂ない?って」
「……へえ」
「女の子の下着盗んで、はあはあしてる変態がいるのかもね。キショいなあ」
マサムネくん、おねーちゃんからその話聞いてない?と言う。
「いえ」
「そっかー。心配させたくないんだね、姉ごころだね。優しいなあ」
「……じゃあ俺、こっちの駅なんで」
「あ、俺向こうの地下鉄。じゃあ、またね。マサムネくん、また情報交換しようね!」
バイバイと手を振って笑顔を見せる西門。
黙って会釈をして急ぎ足で駅に向かうマサムネ。
別々の方角へ向かいながら、同じタイミングで二人は舌打ちした。
〜〜あんのやろう……!
#スリル
「柔らかな光6」
「飛べない豚はただの豚だ」
「……当たり前じゃん? 何でわざわざそんなこと言うの?」
あーヤダヤダ、ジブリ見ない世代来た!
名作よ? 宮崎駿作品の中でも秀逸だと思うんよねー。紅の豚。
森山周一郎、めっちゃ渋いしさー。ジーナも大人の魅力満載で、アドリア海行きてーってなるじゃん!見た直後、飛空艇で空飛びたくなるじゃん、すぐに。カッケーじゃん、純粋に。
「あのさぁ、なんかさっきからごちゃごちゃ蘊蓄垂れててうざいんだけどー。それでもあたし、思うんよ。飛べない翼で、毎日仕事に出掛けてクレーム受けて、愚痴を飲み込んで、くそって足掻いて頑張る君も、相当カッコいいよ? ねえ?」
……君ってすごいね。
たった一言で、僕をポルコ・ロッソにしちまうんだもの。
「誰それ? イタリア人?」
「だから見てよ! 紅の豚だってば!」
#飛べない翼
めちゃくちゃ好きです。「紅の豚」
「なあ、にいちゃん。薄野って読めるか? 読めたらきっと行ったことあるんだろうなア、ぬふふ」
居酒屋のカウンターで隣り合わせになった客に話を向けられる。
見ず知らずのおっさん。酔客には割と声をかけられる方だが……
やれやれ。
「それ、カンハラですよ」
俺は言ってやった。
「へ?」
「漢字読めるかハラスメント。やめた方がいいですよ、普段から普通にやってるなら」
それに、と付け加え。
「ススキノはまだ行ったことないです。札幌に行ったら、一度行きたいとは思ってますけどね」
オヤジさん、お勘定〜。と声をかけて席を立つ。
「毎度!」
「……ほー…」
気の抜けた声が背後でした。おっさんの当惑した声が。
「オヤジい、その、ハラスメントってのは何なんだい?」
#ススキ
脳裏に思い描いたことが、ひとつだけ現実化する力が、ある日身に付いた。
嘘みたいだが、ホントの話。
しかし、何が現実のものとなるかは、ランダムで自分では選べないというから難儀なんだな。
「ねえ、殿山くん、きょうお昼ごはん何にする?」
上司の佐久さんが隣のデスクから声をかけてくれる。
俺のあこがれの人……。今日も麗しい。
「そうですね。こないだできたカフェでも行きますか」
「混んでたらどうする?」
「んー。その時はキッチンカーでもいいですよね」
「それもいいね」
と、その時、佐久さんが椅子の背もたれに身体を預けるようにうーんと思い切り伸びをした。午前中、ずっとデスクでPCにかぶりつきだったから、肩がばきばきなのか、のけ反って首をひねっている。
う、わ……。でっかい……。
豊満なバストのラインが、くっきりと露わだ。のけ反ったせいで。
俺はよこしまな目で見てしまい、気取られないはしないかと焦る。
すると、いきなりむくりと佐久さんは立ち上がり、「殿山くん、悪いけど予定変更していい? 今日、無性に食べたくなった。奢るから」と財布を取り出し、ドアに向かっていく。
「あ、え? 佐久さん?」
留める声も届かず、佐久さんは部屋を出て行った。新しいカフェ、ゼッタイ佐久さんに似合いそうだったんだけどな……。どうしたんだろう急に。
そんな風に思いながら待っていると、しばらくして息せき切って佐久さんが戻ってきた。コンビニの袋を抱えながら。
「殿山くん、今日、これにしよう。肉まんあんまんカレーまん、いっぱい買ってきたから。好きなのどうぞ」
満面の笑顔で俺に差し出す。
「あ、ああ。どうも……」
俺は、おずおずと袋から肉まんを選び出す。ほかほか、ほんわか、やわらかい……。湯気が立っている。
ちぇ。今日の現実化は、これかあ。
俺は脳裏に煩悩を抱いたことを恥じながら、白い饅頭にはむっとかぶりつくのだった。
#脳裏
「紅茶の香り3」
姉のなぎさを女として好きだということを、意味がないことだとは思わない。
だってあいつが大統領に返り咲く国があるんだぜ。
何が現実になるかなんて、誰もわからないだろう?
核のボタンを誰かが気まぐれで押して、
地球上になぎさと二人きりになったりしたら、
なぎさは俺のことを弟ではなく異性として見ることになるかもしれない。
何だってありうる。
常識とか正義とかは、一晩でいっぺんにひっくり返りうる。そんな危うい世界に俺たちはいる。
なのに、それを口に出してなぎさに伝えられない俺は、
恋をするただの男なんだと思うんだよ、母さん。
#意味のないこと
「柔らかな光5」