「先生の背中に、星座があるわ」
彼女が僕の裸の背を指でなぞった。
「え、本当かい」
「うん、ここと、ここにホクロがあるから、繋げると……白鳥座に似てるね」
くすぐったい。思わず身をすくめて、
「詳しいんだね、天文、好きなの?」
と聞くと
「まさか……適当に言っただけ。先生、信じやすいのね」
彼女は笑った。
ちえ、と舌を鳴らす。彼女とは10も歳が離れているのに、一緒にいると僕の方が年下みたいだ。いつも。
ベッドにうつ伏せになって彼女は言う。微睡の中にいるみたいに、優しい声で。
「でも星が好きなのは本当。星座早見盤とか見るの、好きだった。昔から」
「じゃあ今度、天文台に行こうか、一緒に」
僕が言うと、
「本当? 嬉しい、先生と出かけられるの」
教師と教え子という僕らの関係では、外にデートにも出られない。こうして人目を忍んで僕のアパートで会うだけで精一杯。
彼女はむくりと上体を起こした。
「そうだな、君が成人したら、きっと」
僕がそう答えると、彼女はまたがくりとうなだれる。
「何年も先の話をしないで。ぬか喜びさせて、嫌いよ」
「そうかな。星座は昔の人が気の遠くなるほど長い年月をかけて、地表に届く星の光を繋いでできたものだ。僕も君とこの先何年も、何十年も、長いお付き合いをしたいっていう気持ちの裏返しなんだけどな」
「……」
彼女は押し黙った。そしておもむろに身を起こし、ベッドサイドのテーブルに転がっていたペンを取り上げた。
きゅっとキャップを開け、ペン先を僕の背中に走らせる。
「うわ?何をするんだ」
「うまいこと言って。ズルい、先生。大人の男ぶって何よ、やっぱり嫌いよ」
「こら、く、くすぐったい。止めろよ」
わちゃわちゃと揉み合い、僕たちはベッドの上抱き合って笑った。
「ーーあ」
洗面台の鏡で何気なく確認したとき、裸の背中に黒いペンで書かれていたのは、白鳥座の星の位置ではなく、
ダイスキ の文字だった。
#星座
「空が泣く3」
太りづらい体質のシュウが、頑張って頑張って食べて体重を増やしてでっぷり重くなったのとは対照的に、小さい頃からふっくらテプテプしていたレンがダイエットを強行。
努力が実り、スラリとスレンダーなスタイルに変貌した。
痩せたらすんごくきれいになる、そんな典型的な子だったんだ。レンは。
学校いちのモテ男だったシュウの周りからは、女の子が水が引いたようにいなくなり、代わってレンに男子が群がり始めた。
でもレンは、袖にするばかり。相手にしない。
なんで?もったいない、よりどりみどりなのに、と友達が口を揃えて言うものの、フン、と鼻を鳴らすだけ。
「あたしの見かけだけ見て、好きだなんだって騒いでる連中にキョーミない。どうせまた太ったら、目もくれなくなるんだよきっと」
昼休み。屋上でランチタイムに入っていたレンが口にすると、
「レンちゃんのそーゆーとこ、好きだっ」
物陰から急に現れたのはシュウ。ボイーンと豊満になったボディを持て余し気味にレンに近寄る。
「わ、びっくりしたあ」
「約束通り僕、太ったよ! 付き合ってよレンちゃん」
「シュウくんはいくらなんでも太りすぎだよー。身体に悪いから少し絞ったら?」
「他の子みたいに、痩せて元に戻って、元のルックスがいいとか、言わないんだね」
「まあ別に。中身はシュウくんだから同じでしょ。変わんないよ」
シュウはニコッと笑った。そして、
「……ねえレンちゃん、踊らない?」
と誘った。
「え。何急に、突然」
「ほら、放送で流れてくる曲。昔、小学校の時踊ったフォークダンスの曲だよ。男女で輪になって踊って、レンちゃんと手を繋いで踊れる、と思った矢先、曲が終わっちゃって、すんごくがっかりしたんだよー」
レンは呆れ顔をした。
「よく憶えてるね、そんな前のこと」
「そりゃあ、ね」
ふくよかな顎をたわんと揺らして、得意げにシュウはウインク。
「踊ろう、レンちゃん」
太っても痩せても、お互いスタンスが全然変わらない二人って、そういないと思わない?
特別なんだよ、僕らはやっぱり。
だから踊ろう。恋愛っていうダンスフロアで、手を繋いでさ。
シュウはレンに手を差し出す。恭しく。
レンはしょうがないなぁと笑顔になって、「一曲だけだよ?」とその手に手を重ねた。
#踊りませんか
「秋恋3」
「運命の人に巡り逢えたら、その瞬間にわかるのかなぁ」
結婚相談所で、そんな泣き言を漏らしたら、説教を食らった。
「何を寝ぼけたことを。そんなご都合主義、あるわけ無いじゃないですか。運命の人には会えません。地球上に一体どれだけ人間が暮らしてると思ってるんですか」
えらい剣幕。俺は思わず怯んだ。
担当の人は言った。
「出会った相手を運命の人にするのです。時間と手間をかけて、自分の無二の相手に育てていくのですよ。結婚ってそういうものです。出会って、結婚してからの方がずっと、ずーっと長いのですよ」
「はーー、はい…」
気を呑まれた。すっかり。ごもっとも。
はあ……。
「ところで、あなたは薬指に指輪をしてないけど、その、独身?」
「え、あーーこれは、はい」
担当の人は左手をとっさに右手で覆った。
「私は、一度結婚で失敗しておりまして…。すみません、縁起悪いですよね」
でも仕事はきっちりさせてもらいますのでご安心を!と拳を握る。
俺はへぇと、まじまじと担当の人を見た。
改めて見ると、これは……。
「何です?」
「いえ……。さっき言いましたよね、出会った人を運命の人にするのが結婚だ、って」
「い、言いましたけど……」
何か、と上目で俺を見る。その視線が、結構可愛らしいことに、気づいているのかいないのか。
俺は言った。
「それを実践してみたい。あなた、俺と結婚を前提にお付き合いしませんか。会った人を運命の人に育てるっていうあなたの御説を、リアルに体験してみよう、俺と」
「ーーは?」
俺たちの結婚ラプソディは、こんな風にして始まった。
#巡り会えたら
「嘘だろ……、ほんとかよ」
唖然として、彼は高層マンションがある方を見上げた。
「どうしたの?」
「いや、ーーいま、あのベランダに干してた布団が吹っ飛んだ」
空っ風に煽られて、と答える。
彼女は彼の視線を追った。
でも、そこには青空が広がるばかり。目に眩しい秋晴れ。
「何それ、冗談? 大真面目な顔して」
笑顔になってそう言うと、
「いや、まじだって。ほんとに今布団が飛んだの、ふわぁって」
身振り手振りを加えて、あっちでこうぶわって魔法の絨毯みたいに、と食ってかかる。
「はいはい、面白い面白い」
いなす彼女にムキになった。
「信じてないだろ、俺が嘘ついてると思ってる?」
「だって、どこにも布団なんかないじゃん」
「ううう」
「君がそんな冗談、真顔で言うタイプだとは知らなかっよ、ささ、行こ行こ」
「うー。ホントなのに〜」
彼は、話を信じてもらえない悔しさに地団駄を踏む。
二人はちょうど信号待ちに差し掛かった。
すると、「ああああっ」と彼が声を上げて前方を指差した。信号の向こう。植え込みの辺りを。
「うっわ、びっくりしたア、……今度は何?」
彼女が身をすくませる。
彼は目を見開き、指をブルブルと震わせて言った。
「いま、犬が犬が、歩いてて、棒に当たった!」
#奇跡をもう一度
たそがれどき、君は悲しげな顔になる。
「どうして?」
と訊くと、
「あたしは耳が聞こえないから、あなたの口の動きや表情を見て何が言いたいのかを知れる。でも、この時間帯になると、暗く翳って見えなくなる。それがなんだか切ないの」
ゆっくり、僕にわかるように大きく口を動かして伝える君。声にならない声で。
手話を覚えようと懸命に頑張っていた僕だけど、たそがれには勝てないのか。
悔しいなぁ。僕たちは太陽の光が失われると、気持ちのやりとり自体が危うい。
でもね、と僕は思いなおし、君の肩を抱きしめる。そっと。
そして、
「暗くなったら、こうやって話をしよう。こうすればからだを通じて僕の声が響くだろう?」
微かな震えが届くといい。君に。
すると君はいったん身を離して「何を言ってるか、わからないよ」と首をかしげた。
でもどこか、嬉しそうに目を細めて。
僕は言う。宵闇を背負いながら。
「わかるよ、何をどう言ってても、基本、僕が君に伝えたいことは一つだから」
もう一度君を抱き締めて、
好きだよ。
そう言うと、僕の背に腕をギュッと回して君は泣いた。声を殺して。
それ以来僕は、たそがれどきは、そんなに嫌いじゃない。
#たそがれ
「声が聞こえる4」