「柴田さん、きっと明日も雨ですよ」
俺の下についた、部下の水無月が空を見上げて言う。
今ようやく晴れ間が見えたところなのに。俺は内心気落ちしながら
「ほんとかー、お前の予報、当たるからなあ」
と頭を掻いた。まいったな。
水無月は薄く微笑んで、
「空気に雨の匂いが混じるんですよ、ほんの少し。
でも、明日の土曜日、降るとそんなにまずいんですか」
と訊いた。
「明日、保育園の運動会なんだよ。楽しみにしてるからさー」
水無月は書類を仕分けていた手を止めた。
まじまじと俺を見る。
「なんだ?」
「……柴田さん、お子さんいるの?ご結婚なさってるんですか」
「あ、ああ。言わなかったっけ? 俺、バツイチ。シングルファーザーなんだよ」
けっこ、社内じゃ有名な話だぞと自分で言ってみる。
「全然知りませんでした。ーー私、てっきり」
「てっきり、なんだよ」
「……なんでもないです。じゃあ、お子さんのために明日晴れた方がいいですね」
「そりゃあ、出来るなら」
「じゃあ私、これから有給取ります。ちょっと遠出するんで、多分明日は晴れになりますよ」
俺は呆気に取られた。
「ちょっと待て、お前何言ってんだ」
「言ったでしょう、私アメフラシの子孫なんですって。雨の匂いがしないところまで離れないと、天気崩れちゃうから」
そういや確かにそんなことを言った。結構前に。言ったけれどもーー
まさかの有給? アメフラシの子孫、て。
サボるにしてもひどい口実じゃないか?
結局、水無月はその日午後から休みをほんとに取って退勤した。
次の日、空は持ち直し保育園の運動会はなんとか外で開催できた。子どもは大喜び。
「水無月さ、土曜日ほんとに遠出したの?どこまで行ってたんだよ」
週明け水無月にそう尋ねると、あ、北海道まで出掛けてましたと答えた。白い恋人を課に配りながら。さらっと。
「北海道オ? 嘘だろう」
「ほんとですよ。代わりに、友達の晴れ女をこっちに数人呼びましたから。ちゃんと晴れたでしょ?良かったですね」
……この子の話はどこまでがほんとなんだか分からん。
困惑した顔があからさまだったのか、水無月は面白がるように目を細めて言った。
「お子さんの運動会じゃなく、柴田さんが女の人とデートとかだったら、お家から出る気もなくなるくらいの土砂降りにしてやってましたけどねー。まあ、お子さんと楽しんだのなら良かったです」
少し焼けましたね柴田さん、と笑う。
ーーーええええ? それってどう言う意味??
#きっと明日も
「通り雨2」
夜。私の部屋から見えるのは、月ばかり。
しじまの中、私は便箋に筆を走らせる。
元気ですか 風邪など引いていませんか
ひと目あなたに会いたいです
どうか許してくださいとは書かない。許してもらえるはずがないから。
返事をくださいとも書かない。そもそも、この手紙が読まれるとは限らない。いつものように、あてどころ不明で戻ってくることだろう。
それでも私は、ここで手紙をしたためるしかできない。
読まれることのない手紙を、書く。
私の罪は、家族の人生をも狂わせた。
彼を刺したのも、こんな月だけが浮かぶ夜のこと。
息子の同級生に言い寄られ、付き合うようになり、密会はホテルで重ねた。不義の恋に私は溺れ、息子の同級生は初めての女の体に溺れた。
愛欲だけの関係だった。わかっていたのに、別れを切り出され目の前が真っ暗になった。
付き纏い、LINEを立て続けに送りつけて、鬱陶しがられた。挙げ句、いい加減警察呼ぶぞおばさんと罵られ、私は逆上した。
部活帰りの彼を、駅で待ち構えて包丁で刺したーー
息子はどうしているだろう。収監されている部屋で、私は毎日我が子を想う。
母親が殺人者になったあの子のこの先の人生を思う。刺した相手の顔は、もう思い出せないというのに。
私はただペンを動かす。その音だけが部屋にひっそりと立ち上る。
息を詰めてひと文字ずつ便箋を埋めてゆく。
#静寂に包まれた部屋
デートの時、別れ際に手話で「楽しかった、ありがとう、またね」と言う君。
駅のホームで、君を電車に乗せて見送る僕に、何度もその手話をするから、僕が初めに憶えたのは、その手話だった。
「素敵なお話ね、パパ」
「だろう?」
「パパがドヤ顔なの、珍しいね」
「ママが褒められるの、嬉しいんだよ」
特に娘にねと微笑む。
優しい、自慢のパパ。
「ーーねね、どうやってパパはママとお付き合いするようになったの? 耳が聞こえるパパと、聞こえないママと」
「ん。それはね、筆談」
「ひつだん?」
「パパとママは毎日すれ違う電車の中で出会ったんだ。お互い、名前も知らない頃からドアの窓越しに会うのを楽しみにしてた。ドキドキ、意識してた。
ひょんなことからパパはママが音のない世界で生きてることを知って、ーーどうしても好きで諦められなくて、ある日、いつもの停車する駅で、紙に書いてママに見せた」
ノート一面に、ペンででっかく「好きだ」って書いて、ビタっとママの方に見えるように窓に貼ってーー
娘は目を見開いた。
「素敵〜、ろまんちっくだね、パパ!」
手放しで褒める。周りの乗客にも見られたでしょ、恥ずかしくなかったのと尋ねる。
「あの時はとにかく必死でさ。そんなこと気にする余裕、なかったよ」
そう言って照れ臭そうに笑うパパ。今度、ママにも聞いてみよう。どんな風に好きになったの、どんな風にして付き合うことになったの、と。
きっと若い頃の素敵なパパに会えるはず。
#別れ際に
「声が聞こえる3」
ランチを終えて会社に戻ろうと店を出ると、雨が降っていた。
ついてない。会社まで急いでも10分はかかる。傘を用意すればよかった。いや、降るとわかっていたら、もう少し近くの店にすれば良かった。
雨の中に飛び出す踏ん切りがつかないでいると、背後から声を掛けられた。
「柴田さん、傘入りますか、良かったら」
同じ課に最近異動してきた水無月さんだった。
ぽん、と折りたたみじゃない、しっかりした造りの赤い傘を開いて俺を見る。
「あ、ーーああ、店に居たんだ。気づかなかったよ」
女性社員とつるんで来ているわけではなさそうだ。まぁ着任して日も浅い。
しかし、あまり接点のない女性と一つ傘の下に入るとなると、ためらいが先に立つ。
「奥の方にいましたので」
入りません?昼、終わっちゃいますよと目で促す。
「あー、じゃお言葉に甘えようかな」
俺は水無月さんの傘に入らせてもらった。店先でうだうだしてたら店に迷惑だ。俺は柄を彼女の手から受け取った。
「俺の方が大きいから、差しやすいし、歩きやすい」
「ありがとうございます」
すぐに止む通り雨ですけど。水無月さんは朗らかに言った。
「分かるんだ、へぇ」
「まぁ雨が降る、上がるのことなら、大概。じつは私、妖怪アメフラシの子孫なんです」
俺はまじまじと水無月さんを見つめ返した。
軽い感じでいるけど、目がまじだ。こういう冗談を言う子なんだ、意外だな。
「奇遇だね、俺、雪女の子孫」
「……へぇ、そうなんですか」
「うん」
「そういえば柴田さん、時々親父ギャグで場を凍らせてますもんね」
「え、そお? そうかな」
軽ーく傷ついたぞ、おじさん。
結構毒舌。顔に似合わず。俺は水無月さんに雨がかからないように、傘の角度を気遣いながら、会社への道を歩いた。
ーー、ひと雨来そうだったから、傘を持ってランチに出たんですよ。柴田さんの選ぶお店に…
相合い傘のチャンス、だからーー
「え、何か言った?いま」
雨音に紛れ、よく聞こえなかった。そう言うと、
「ううん、何も」
ふふふ。雨がざあっと強まった。
#通り雨
「いよいよあなたの時代が来たわね、待ちかねたわ」
「何か、肩身が狭いよ。すぐにクールな彼が控えてるからね」
「最近、四季がないって言われてるものね、夏か冬かだとか聞くと悲しくなっちゃう」
「僕は君の季節、好きだよ。雪が溶けて桜が咲いて、人々の顔がぽおっと明るくなるのがわかる。素敵だよ」
「あら、嬉しいわ。ありがとう。私もあなたの季節、好きよ。葉っぱが赤や黄色に色づいて、世界が万華鏡みたいになる。空気も美味しいし、空も綺麗だわ」
「……春ちゃん」
「秋くん。私たち、なんだか似たもの同士ね。夏と冬に挟まれて、どっちつかずで曖昧で」
「そうだね。ーーでもまぁ、それもいいかな」
「うん。私たちはこのままでいいのよね、きっと」
まだまだ残暑が厳しい中
ちょっと肩身が狭そうな秋と春
ひっそり労りあってるのかなー、なんて…
#秋🍂