秋風で秋の風邪をひいた、ドラゴンのおはなし。
最近最近の都内某所、某不思議な稲荷神社で、
キングサイズの毛布と布団の下に潜り込んで、
隠れたつもりのドラゴンが、ぎゃお、ぎゃお!
自分に近づく全部のものに、ガチの目をして威嚇して、尻尾も丸め込んでおりました。
というのもこのドラゴン、
秋風による秋風邪で、食欲不振と胃の不調と、
それから薬膳の消化不良を起こしまして。
「なんでも良いから早く治してほしい」と、漢方医の稲荷狐に頼んだところ、
ここから先のハナシが面倒なのなんのと。
漢方医のお父さん狐が提案して
ドラゴンの部下が結果的に薬茶を買いに行って
茶っ葉屋のお母さん狐が丁寧に薬茶を煎じて
保温ポットに入れたお茶を子狐が届けて
本来ならば1日3回に分けて飲ませるべきそれを、コンコン子狐、ぜーんぶ一気にドラゴンの口に、
ざぶん!流し込んだのです。
血行促進に胃もたれ改善、食欲増進と整腸作用、
ドラゴンの秋風邪の症状に全部対応できるお茶を
人間は「センブリ茶」と言います。
そうです。あの、罰ゲームの常連です。
別の世界から来たドラゴンは、センブリの苦さを知りませんし、センブリ茶の飲み方も分かりません。
ただ秋風の入らぬポカポカの部屋に、フカフカモフモフのシーツと毛布を引いてもらって、
そこで大人しく、穏やかに待っておったところ、
子狐が尻尾振って、水筒をさげて来たのです。
『おくすり!おくすり!』
きゅぽん!
お医者さんごっこのつもりなのでしょう、
子狐は子供用の白衣を引きずって、おもちゃの聴診器を首にかけて、
それから、800mLサイズの保温ポットを開け、
『おくすり、どうぞ、どうぞ!』
おとなしく従うドラゴンの喉に、コンコン子狐、
丁寧に煮出されて
正しく薬効成分の抽出された
苦味の極地とも言うべき
「良薬口に苦し」のセンブリ茶の
3回分を、一気に、ざぶん!流し込んで、
ドラゴンが吐き出さないように強制的に、ドラゴンの口を狐の秘術で数秒閉めさせたのです。
ぐぐ!!ぐぐぐ!!ぐっぐ!!
ずっと穏やかでおとなしくて、優しかったドラゴンは、センブリ茶の3回分を入れられてビックリ!
だって、ドラゴンは人間より感覚が優れているので、人間以上に苦さを感じておるのです。
まさかの薬茶でSAN値チェックです。かわいそうに、見事にファンブルをブチ抜いたのです。
体全体で苦さに抵抗して、抵抗しきれなくて、
薬茶を飲み込むまで解除されない秘術のせいで、アルティメット劇物を吐き出すこともできません。
ぎゃお!!ぎゃお!!ぎゃおおう!!
秋風邪ひいてることも忘れて、秋風入らぬポカポカの部屋の片隅で、ぼふん!
ドラゴンは毛布と布団の下に籠城して、
小ちゃく、なるべく小ちゃく、尻尾も丸めて、
そして目つきが完全に変わってしまいました。
ドチャクソに苦かったのです。
毒を飲まされたと思ったのです。
だって、この世の全部の「苦い」の平均値を100倍したような液体を大量に流し込まれたのです。
ドラゴンはこれ以上、自分の体に毒が入りこまないように、もう完全にパニックの状態で、
近づくすべてに、ぎゃお!ぎゃお!!
ガチの目で、牙を見せて、威嚇しました。
あんまりパニックになってしまったので、威嚇しても近づいてくるものがあれば、
猫パンチならぬドラゴンパンチの仕草でもって、更に威嚇の姿勢を見せるドラゴンです。
タシタシ!ぎゃおぎゃお!!
ドラゴンにしてみれば、必死なのです。
1時間ほど経過して様子を見に来たお父さん狐とドラゴンの部下の人間はびっくりです。
「部長、えっ、ぶちょう?」
ぎゃお!!ぎゃおおぅ!!
「いったい、何があったんです??」
ぎゃおぎゃお!!ぎゃおう!!
「私です部長、ツバメです、部長」
ぐおおう!!ぐぎゃおおう!!ぎゃおぎゃお!!
「部長……??」
秋風入らぬポカポカ部屋で、秋風邪ひいたドラゴンとドラゴンの部下は、
ドラゴン側が正気を取り戻すまでずっとずっと、
互いにはてなマークを出したり威嚇したり、
ずっとずっと、忙しくしておったとさ。
お大事に、お大事に。
水晶片の割りベッコウ飴、宝石の琥珀糖、
少し塩味も欲しいので、塩バター味のさつまいもチップスを1袋、2袋。
おやおや、カロリーオーバーの予感です……
と、いうハナシは置いといて、今回のおはなしのはじまり、はじまり。
最近最近のおはなしです。
都内某所、某不思議な私立図書館の館長は、
ただただ自分の好きなことだけを為して、他のことはだいたい半分いや過半数、他人まかせ。
「おや。茶菓子が足りませんね」
その日も館長、館長室で茶を淹れて、お菓子を食べて、またお茶を飲んで菓子を食べて、
気がついたらお気に入りの琥珀糖が残り1個。
「ツバメ!ツバメ。丁度良いところに来ました。
おまえ、ちょっと茶菓子を買ってきなさい」
「何故私があなたのパシりを?」
たまたま館長室の近くに来ておった、「ツバメ」と呼ばれた別組織の局員さんは、
ため息吐いて、館長の方を見て、再度、ため息。
良くない予感がするのでした。
とてもとても、良くない予感がしたのでした。
「これがリストです。1時間で戻りなさい」
「だから、どこに、世界線管理局の私が、全世界図書館のあなたのパシりをする理由があるんです。
あなたのワガママは、あなた自身の組織の部下に、指示を出せば良いでしょう」
「この図書館を、特に図書館の地下1階を、
お前たち管理局に無償で解放しているのは私です」
「そこは感謝しています」
「お前達は私の厚意と温情に報いるべきです」
「はぁ」
「ついでにセンブリ茶も買ってきなさい」
「私にも仕事があるので失礼s」
「なりません。買ってきなさい。さもなければお前の魂をゆっくり取り出してペロペロします」
「……ヘンタイ」
「ド変態です!訂正なさい」
あーあー、あーあー。嫌な奴に捕まった。
ツバメは館長からメモを受け取って、またため息。
買い物メモを確認してみると、
稲荷神社近くの茶葉屋の茶っ葉に
その近所の和菓子屋の琥珀糖、割りベッコウ飴、それから他のお店のさつまいもチップスを2袋、
それと、
魔女の喫茶店からドラゴンチョコ——ホットミルクを入れるとお風呂に入っているように見えるドラゴンのチョコを3箱と1袋。
「温泉ドラゴンチョコ???」
「例の魔女が、先週から販売しているそうです」
「はぁ」
「味が3種類あります。イチゴチョコに普通のチョコ、みかんチョコ。1箱ずつ買ってきなさい」
「は……」
こういうときに、何か悪い予感を事前に察知して、そこから脱出できるような魔法菓子、無いかな。
ツバメは面倒な顔をして、館長室から出ていって、
そして、腕時計を確認しました。
1時間で買い物リストの品物を全部、買って戻らなければならないそうです。
ツバメのスマホに届いた「魔女の喫茶店」からのメッセージによれば、
まさしくその「買い物リスト」の中身を全部、
事前に、占いに基づいて、揃えているとのこと。
「ありがたい」
ツバメはまっすぐ、魔女の喫茶店に向かいました。
魔女の喫茶店の店主は、実はツバメと同じ職場に勤めている異部署の同僚なのでした。
「彼女に頼めば予感キャンディーだの、予感クッキーだの、そういうの売ってくれないだろうか」
多分あります。
「一袋くらい貰っていくか……」
多分高額です。
さて。
「アンゴラさん!世話になります、ツバメです」
魔女の喫茶店に到着したツバメです。
心地良いオルゴールの響く中、店主に顔を出して、
そして、店主が丁寧に詰めてくれた、
「まさしく今日、例の不思議な私立図書館の館長が欲しがるだろうお菓子とお茶のセット」を、
受け取って、代金を渡しました。
「本当に助かりました」
ツバメは深々とお辞儀して、礼を言いました。
「また何かあったら」
また何かあったら、よろしくお願いします。
そう続けようとした、そのときでした。
コーヒーが大好きなツバメの目の前に
ドリップコーヒーの飲み比べパックの、
10種類10袋ずつ、合計100袋セットの箱が、
特価4割引きで、置かれておったのです。
「10種類、飲み比べパック……??」
ツバメの心が揺れ動きます。
飲み比べ100袋セットの価格は4000円です。
ぶっちゃけ、買えるだけの給料は貰っています。
でも今買っていったら良くない予感がするのです。
「……」
飲み比べセットの10種類を、じっくり、熱心に、なぞるように舐めるように確認します。
「あんごらさん……?」
「予感」がお題のおはなしでした。その後ツバメがどうなったかは、気にしない、気にしない。
長い長い間残暑を引きずった東京も、とうとう最低気温が10℃以下にせまる頃となりました。
最近最近の都内某所、某アパートにひとりで住む、雪国出身の藤森も、
ちょっと早めに、掛け布団等々の点検をして、テーブルタイプのコタツを設置しました。
ちゃんとクリーニングが為された布団はフカフカ。
最高級のさわり心地です。
「よし。これで良い」
ところで今回のお題は「friends」でして。
「こんばんはおじゃましますキツネいちばんのり」
「ダメだやい!おれだ!おれがいちばんのり!」
「おじゃまします、こんばんは……」
「もう、アンタたち!もちょっと行儀よくなさい」
藤森がコタツを出した途端、
藤森のアパートの近所にある、不思議な稲荷神社から、神社の一軒家に住まう稲荷子狐が訪問。
子狐のfriends、お友達と一緒に、
藤森のアパートのセキュリティーも、藤森の部屋のロックもお構い無しに、
とててトテテかしゃかしゃかしゃ、もふん!
コタツに突撃、さっそく秘密基地ごっこです。
というのも藤森は知らなかったのですが、
藤森が去年購入したそのコタツ、稲荷子狐のfriendsのひとり、子猫又の親が開いている雑貨屋さんから買ったものだったのです!
おかげで去年の11月、コタツを購入して設置して、すぐ、子狐と子狸と子猫又と、それから子カマイタチとに、占領されたのでした。
どうやら今年も友達引き連れて、モフモフ人外ズのフレンズが、コタツに集ったようです。
「こんばんは、その後、コタツの調子はいかが」
しっかりものの子猫又、どうやらアフターサービスのおはなしを、藤森に持ってきた様子。
「ああ、どうも、ご丁寧に」
子猫が言葉を話すのも、その子猫の尻尾が2本なのも、もはや藤森、気にしません。
このおはなしは、そういうモンです。
そういうのが出てくるし、そういうのが話します。
「やーい!やーい!おまえのととさん、イタチ!」
「あのな、追いかけっこしたいなら素直にな?」
「おまえのかかさんも、イタチ!」
「ホントのこと、そのまま言われてもな???」
かしゃかしゃかしゃ、かしゃかしゃかしゃ!
子狐は兄貴分の子カマイタチにちょっかい出して、コタツに入ったり、フローリングに出ていったり。
どうやら爪が、また伸びたようです。
カシャカシャ鳴っています。
藤森、子狐の爪を、整える必要がありそうです。
あるいは子狐のお母さんが、明日にでも子狐をサロンに連れてゆくことでしょう。
「あの、お茶と、茶菓子、どうぞ」
「どうも……」
真面目でおとなしい和菓子屋の子狸は、仕事のハナシを始める体勢の子猫又と藤森に、
お茶を出して、茶菓子を出して。
その茶菓子は、子狸が修行で作ったものでした。
「おら、追いついてみろ」
「やーやー!やーやー!まてぇ!」
キャッキャ、キャッキャ!
防音と防振のしっかり為された藤森のアパートで、
稲荷子狐とそのfriendsは、飛んだり跳ねたり、お仕事のハナシをしたり茶を淹れたり。
思う存分、やりたいことをやり尽くして、
「ばんごはん!ばんごはん!」
「晩ご飯!?」
まさかのお泊まり会まで、始めましたとさ。
「つくって」
「私が?」
「あ、タマネギとネギは抜いてちょうだい。
克服したから、食べられないこともないけど、あたし一応猫だから。あまり好かないの」
「はぁ……??」
「キツネわぎゅーのステーキがいい」
「あのな子狐……???」
最近最近の都内某所、某稲荷神社近く。
深夜の丑三つ時だけ開いているおでん屋台。
後輩もとい高葉井という女性が、己の推しカプの左右2人に連れられて、おでんを食っている。
酒もあるようだが飲んでいられない。
推しである。推しの左側が自分の右に座っている。
そして推しの右側が、更にその右に座っている。
高葉井はそれだけで、完全にフリーズして、
そして目の前の皿の餅巾着と大根しか食えない。
なんということだろう。
推しの突然のはからいにより、高葉井の心が緊張で、一瞬にして凍結してしまった。
ところで高葉井の推しは、高葉井が固まってしまっていることを気にしていない。
気にする余裕も無いのだろう。
清潔に整えられたスーツを着こなした男性は高葉井を誘っておきながら、酷く考え込んでいる。
少しだけ推しカプ左側の——彼の職場の某管理局で「ツバメ」と呼ばれている方の、
目がアルコールで、トロンとしてきた。
「すまんな。放っといてやってくれ」
推しカプ右側、「ルリビタキ」が高葉井に言った。
「局内、特に俺達法務部内で、
高葉井、お前の異動のハナシが終盤なんだ」
私の異動?ルー部長とツー様の部署で?
高葉井は聞き返すことも、頷くこともできない。
ただ目をパチパチである。
「『全部決まってから高葉井に話せ』と言ったのに、こいつときたら、『それでは不誠実だ』と」
今は、付き合うだけ付き合ってやってくれ。
ルリビタキはただ、そう続けた。
何がどうしてどうなって、どういう奇跡が発生して劇的おでん接待になったのか、高葉井は情報が不足しているのでサッパリ分からない。
推しカプの左はこれで酒が6杯目。
いつもはコーヒーばかりの推しが、何かに——おそらく高葉井の知り得ない「高葉井の進退ないし部署異動」が原因で、苦しんでいる。
ツバメが屋台の店主にコップを差し出した。
7杯目。 高葉井の心は、ただ苦しい。
「あの、ルリビタキ部長」
「なんだ」
「ツーさま、 ツバメさんは、なんでこんなに」
「黙秘」
「せめて、何が法務部で話されてるかだけでも」
「黙秘だ」
「ルー部長」
「時が来れば話す。それまでは言わん」
「ぶちょう」
なんでだろう。何なんだろう。
高葉井は隣で秘匿に苦しむ推しカプ左側に、何をすることもできない。
ただ彼が、おそらく高葉井に言いたいであろうことを言えず、でも誠実な彼の性質として言いたくて、
その狭間で酒を喉に流し込むことで自分をなだめている様子を、見守るしかできない。
「時が来れば、話す」
ルリビタキは再度、高葉井に言った。
ところで突然ながら
今回のお題は「君が紡ぐ歌」である。
「どうしたの、ツバメさん?」
ツバメの酒の7杯目が半分まで減った頃、
高葉井は推しカプ左側が、なにか小さく、音を発しているのを敏感に知覚した。
「うた?」
それはとても小さな、祈りのような、高葉井が知っているミュージック・ライブラリの中には確実に存在しない1曲のような、
しかし確実にツバメの苦しみを乗せて出した、美しくも痛ましい歌であった。
「きれい」
心ここに無い、誰に自分の歌を聞かれているとも既に気にしていないであろう推しの歌を、
高葉井は黙って受け入れた。
ああ、ああ。推しよ。推しカプの左側よ。
君が紡ぐ歌は、なんと苦しいのだろう……
「いかん、高葉井、今日はココまでだ!」
ツバメの「美しい歌声」を察知したルリビタキは、ガタン!慌てて店主に代金を支払った。
「ツバメに付き合って飲んでくれたこと、俺から礼を言う。それと、すまんな」
彼はツバメを米俵よろしく抱え上げて、
ただただ、ドタバタ。
「え、え?どしたの部長、ルー部長?」
完全に素っ頓狂の高葉井である。
「こいつが上手く綺麗に歌えてるってことはだな」
思い出したように高葉井の分の飲食代も店主に渡して、ルリビタキが答えた。
「つまり、その、あのだな、
こいつの名誉のために、だいぶ隠すが、
要するにこいつが紡ぐ歌は『私は今急性アルコール中毒一歩手前です』のサインってことだ」
「きゅーせーあるちゅー???」
ああ、ああ。推しと。推しカプの左側よ。
高葉井はやはり、まだ目が素っ頓狂。
君が紡ぐ歌は、つまり苦しいということか。
高葉井はただ目を点にして、慌ただしく帰ってゆく推しカプの左右を見送るだけであった。
「どゆこと……??」
ツバメのシラフの歌唱力を高葉井が知ることは、当分、少なくとも10月いっぱい、無かった。
私、永遠の後輩こと高葉井は、
すごく幸運な縁があって、推しゲーの生誕地かつ聖地な私立図書館で仕事をしてる。
私立でもガッツリ経営が成り立ってるこの図書館は、なかなか広くて、ドチャクソ不思議で、噂によると開館から館長が一度も「変わってない」とか。
人の魂を食っているんだと言われてる。
多分、館長をモデルにしたキャラが、そういうキャラだから、だと思う。
実際ウチの館長は完全に不思議キャラというか、厨二キャラというか、自称ド変態というか。
あんまり、図書館に顔を出さない。
……館長なのに(でも出されても困るかもしんない)
で、今日もそんな都内の私立図書館に——私の推しゲーの聖地で生誕地の職場に、
堂々と推しグッズをバッグに付けて
筆記用具も推しグッズで揃えて
今年から推しに昇格したホト様師匠プロデュースのコスメでバッチリ整えて、
意気揚々と、通勤したワケだけど、
まさかの、前職から一緒に仕事してる先輩の、
瞳が完全に光と霧の狭間でギリギリ元気してるような虚ろ目で、確実に疲労してた。
私達界隈では、虚ろ目のことを「瞳から光が消える」とか、「瞳に霧がかかる」とか言うけど、
その日の先輩の目は、まさしく、
ギリギリ正気を保ってるような、ギリギリ眠気と元気の綱渡りをしてるような。
光と霧の狭間でうつらうつら、頑張って起きてた。
どうしたんだろ(虚ろ目先輩)
何があったんだろ(瞳に半分霧がかかった先輩)
「言葉を話す不思議ハムスターが部屋に来たと言っても、おまえ、信じないだろう」
ポリポリポリ、かりかりかり。
光と霧が半々の瞳で、先輩はナッツを口に放った。
「だから、気にしなくて良い。ただ私が昨晩、寝ていないだけ。それだけだ」
それだけだよ。
先輩は相変わらず、光と霧の狭間でカリポリ。
ナッツの固さで眠気を払ってた。
ハムスターって何の隠語だろう
と思ったけど
よくよく思い出してみるとウチの図書館が聖地になってる推しゲーに、そういえばマスコットキャラとして、言葉を話すハムスターがいた。
ほーん(なるほど聖地ジョーク)
「先輩も段々ゲームのこと覚えてきたんだね」
「なんだって?」
「ハムスター」
「はぁ。それが?」
「えっ違うの」
「なにが?」
「えっ」
「え?」
「さっきの聖地ジョークじゃないの?」
「整地、なんだって?」
「ええ??」
忘れろ。なんでもない。本当になんでもない。
先輩はそう言うと、大きなあくびを噛み殺して、
朝ごはんの代わりだっていうナッツを食べた。
「先輩不思議なハムスターってなに」
「信じないだろう。忘れろ」
「ねぇなに、ハムスターってなに」
「だから。忘れてくれ」
あーだこーだ、云々、
私と先輩で言ってる間に、朝礼の時間が来て、多古副館長が着席。今日も館長は不在。
「あらあら、アラアラちょっと、どうしたの藤森」
副館長もやっぱり先輩の虚ろ目が気になるらしい。
「すいません。不摂生です」
瞳が完全に虚ろと言うか、光と霧の狭間で揺れてるカンジの先輩は、副館長にただそれだけ、一言。
副館長もそこから先は詮索しない。
「あら珍しいわね」
とだけ返して、
そのまま朝礼に移行して、今日の仕事が始まった。
けっきょくその日先輩が、なんでナッツで眠気覚ましして、なんで瞳が虚ろだったのか、
最後まで、分からなかった。