「月に『誓う』のはやめてくれ、ってセリフは、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』で登場してたな。『月は形を変える気まぐれ者だから』って」
で、「月ではなく、あなた自身に誓って」、って続くんだったっけ?某所在住物書きは昔々の記憶を頼りながら、ネット検索の結果をなぞった。
昔々の大学での講義内容である。教授の語り方が特徴的であったため、妙に覚えていた。
「逆にスピリチュアル方面では、『新月に願い事をすれば叶う』なんてのもあるのか」
形を変える不誠実の気まぐれか、願い事を叶えてくれる新月か。タロットでは確か不安定や暗中模索、一筋の光等々。天体ひとつにしても解釈は多種多様なのだと再認識した物書きは、ポテチをかじり、ぽつり。
「お題がエモ過ぎてゼロエモで対抗したくなる定期」
――――――
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。某稲荷神社敷地内の一軒家で、女性ひとりと子狐1匹が、ひとつのお布団を共有しておりました。
「うぅ……あたまいたい……」
女性は過去作・前回投稿分の経緯で、ちょっとお酒を飲み過ぎまして、しかも終電も過ぎており、
ゆえに、店主の実家たる稲荷神社に、一時保護されておったのでした。
「ここ、どこ?先輩?付烏月さん?宇曽野主任?」
くぅくぅ、くぁーくぁー。ここココンコンコン。
お腹に圧迫感を感じるあたりから、子狐の声が聞こえます。お布団の上で、狐団子しておるのです。
きょろきょろ、チラチラ。
寝てた女性、お酒飲んでからの記憶が曖昧です。自分がどこに居るのか分かりません。
「お得意様のお連れ様」
ふすまを開ける音と一緒に、穏やかで澄んだ店主の女声が、静かに部屋に響きました。
「おかげん、いかがですか。二日酔いに利くあさげがご用意できましたので、お持ちしました」
声の方を見ると、金色の毛並みの美しい狐が、お行儀よく背筋を伸ばして、こちらを見ています。
「稲荷神社に伝わる酔い覚ましの薬茶を、先にお飲みください。楽になりますよ」
狐が喋ってる。
寝ぼけ眼の女性、ごしごし目をこすって、何度もまばたきして、再度声のした方を見ました。
「いかがなさいました、お連れ様?」
やっぱり狐です。狐が喋っています。
おかしいな、おかしいな。何故でしょう。
――「……っていうことが、あったんだけど」
時間が経過しまして、お昼です。
無事出勤できた女性、あんまりパーフェクトに「狐につままれたような顔」をしておったので、同僚の付烏月が心配になって、昼休憩に事情聴取。
「最終的に、よくよく見てみたら、狐じゃなくて店主さんだったの。ホントにワケわかんない」
『信じてもらえないとは思うけど』と前置いて、朝の一件を情報共有。
勿論付烏月、狐が言葉を話すなんて、信じられません。寝ぼけてたんだろうと結論付けました。
「ねぇ、付烏月さん。お願い」
「なぁに後輩ちゃん」
「私をつねって」
「はい、……はい?」
「つねって、付烏月さん。お願い」
「ナンデ?」
「私まだ寝ぼけてるかもしれない」
「どゆこと?」
「お客様入り口に子狐が立ってるように見える。例のお店の看板子狐が、バチクソ可愛くマンチカン立ちみたいな格好で、お弁当箱持って立ってる」
「狐がマンチカン……?」
付烏月に、願いを。
付烏月が店のお客様入り口を見ると、あどけない顔した人間の子供が、ちりめんの小さな風呂敷に四角い何かを包んで大事そうに抱え持ち、
「こんにちは!」
元気いっぱい、挨拶しました。
「おとくいさんの、おつれさん!おべんとー忘れてった!お持ちしました!」
「まだ狐に見える?」
付烏月は子供の言うところの「お得意さんのお連れさん」、つまり自分の同僚に言いました。
「必要なら、お願いどおり、つねるけど」
言われた方は静かに、首を動かしました。
「月」の字がつく登場人物に、願いを託すおはなしでした。物語の中の「狐」がただの寝ぼけの産物だったのか、本当に狐に化かされたのかは、
多分、あんまり気にしちゃいけないのでした。
おしまい、おしまい。
「どこだっけな、今回のお題のネタとして書くつもりは無ぇけど、ずーっと水以外の別の雨が降り続いてる天体があるらしいぜ」
『ずっと雨が降り続いてる星』って検索したら、「天王星ではダイヤモンドの雨が降っています」とか出てきたわ。すげーよな。 某所在住物書きは窓の外の晴天をチラリ、数秒見てすぐスマホに目を戻した。
先々月の「ところにより雨」、去年11月の「柔らかい雨」、それから9月の「通り雨」。
このアプリにおいて「雨」は遭遇率が比較的高く、ゆえに物書きはネタの枯渇を少し気にしている。
去年6月の「梅雨」は茶葉の品種「あさ『つゆ』」にかけた。「通り雨」はそれそのものではなく、雨で濡れた後のドライヤー云々をネタにした。
では、今回の「降り止まない雨」は?
「去年は職場で大量に降りかかってくるストレスを『降り止まない雨』ってことにしたな……」
――――――
最近最近の都内某所、某稲荷神社近くの茶葉屋にある完全個室なお得意様専用飲食スペース、夜。
べろんべろんに酔っ払った後輩の話を、先輩が彼女のツマミの世話をしながら聞いており、
先輩側の親友は己の愛する妻と娘宛てに美味のデリバリーを注文。後輩側の同僚は後輩が追加注文した小鉢を狐型の配膳ロボットから受け取っている。
先輩は名を藤森、同僚は付烏月、ツウキといった。
「あのね、しぇんぱい」
後輩はテーブルにほぼほぼ突っ伏しかけていた。
「あたし、せんぱい去年いったこと、覚えぇるぅ」
酒で火照った体温が心地良いのであろう、後輩の膝の上では看板子狐が、狐団子でリラックス。
時折くしゃみなどしているのは、後輩の呼気に含まれるアルコールのせいだろう。
「『止まない雨はある』」
キリッ。突如シラフに、戻ったような気のせいなような、しかし相変わらずの後輩は、
3杯目のラムネ割りを飲もうとして、付烏月にこっそり水入りのコップを掴まされた――気付かない。
「『仕事の向き不向き。人付き合いの得意不得意。時代。運。他人の悪意。……どこでも雨は降る――降って体温と体力を削ってくる』」
あぁ、はい。そうだな。藤森は本日この話を聞くのが2回目。要するに後輩は藤森を祝いたいのだ。
9年ほどの長期間に渡って続いた藤森と元恋人との恋愛トラブルが、ようやく完全に解決したから。
後輩の提案により、元恋人の呪縛から自由になれた藤森と、その友人達とでお疲れ様パーティーを開くことになったのだが、その結果がこれなのだ。
「せんぱいの雨は、やっと、止んだんだよ。せんぱいの長い長い雨は、やっと、にゃんにゃんだよ」
詳細は前回、前々回投稿分付近参照だが、ぶっちゃけスワイプが非常に面倒である。
細かいことは、気にしてはいけない。
「しぇんぱいの、削れたたいおんとたいりょく、もどってくると、いいね」
よかったにぇ。
後輩はにっこり笑い、コップの中身を飲み干した。
「藤森、後輩ちゃんの言ってる『降り止まない雨はある』って、なに?何のハナシ?」
「宇曽野の受け売りだ。去年ウチの新人が上司のいびりで離職することになって、たしかその時」
「どういう状況?」
「黙秘」
「覚えてるよせんぱい。『止まない雨はある』」
べろんべろんに酔っ払った後輩の「止まない雨」エピソードは、堂々3巡目に突入。
「せんぱいの雨は、やっと止んだんだよ。もう、元恋人を怖がらなくていいんだよ」
よかったね。よかったにぇ。
べろんべろんは再度笑って、膝の上の子狐を撫でくりまわし、でろんでろん、ぐでんぐでん。
「でもね、せんぱいの指輪は、指輪なんだよ……」
テーブルに突っ伏す彼女の最後の言葉は、完全に意味と意図が行方不明であった。
「なんだ。私の指輪って」
「知らなぁい」
藤森の後輩が幸福にぐーぐー寝落ちてしまったので、その日のパーティーはこれでおしまい。
終電もとうに過ぎた時間帯のため、寝落ちた後輩は、店の店主の好意と厚意により、稲荷神社の宿泊スペースで一時保護することに。
「雨ねぇ」
後輩に付き添い、大きなため息をひとつ吐く藤森。
降り止まない雨やら止む雨やらは置いといて、
この後輩が豪雨ほど浴びた酒が抜けるのはいつになるだろうと、二日酔いに利く薬を探しにドラッグストアへ向かうのだった。
「去年は『不安だった私へ。何事も問題ありません。万事良い方向へ進み終わりました』だった」
昨日の俺へ。明日へ後回しにせず、お題配信直後から書き始めなさい。一旦寝ても起きても全然ネタが浮かびません。某所在住物書きはため息を吐き、一向に進まぬ、今回の投稿分の文章を眺めた。
「『不安だったけどハッピーエンドで終わったよ!』なんてお約束、多分遭遇したことねぇけどな」
ガチでそろそろ、お題無視の投稿かお題パスでお休みあたり、考えたほうが良いかな。
ガリガリ。物書きは今日も頭をかき、天井を見る。
――――――
ウチの職場に、私の先輩の元恋人さんが来た。
「附子山、さん……?」
「はいはい!俺、附子山だよ〜!」
来た理由が酷い恋愛沙汰だし、その酷い恋愛沙汰に対する同僚さんのイタズラが規格外。
同僚さんは名前を付烏月、ツウキっていうけど、この付烏月さんが先輩の友人さん。
先輩は元々、附子山って珍しい名字で、執着強火な元恋人から離れるために、「藤森」に改姓した。
藤森先輩の元恋人さん、加元は、
自分のところから勝手に消えた「附子山」を追って私達の職場に就職してきて、
とうとう、「附子山を名乗る従業員」の勤務先をつきとめて、今日、満を持して突撃してきたのだ。
付烏月さんは「旧姓附子山」を自称した。
執着強火の加元さんが名前に食いついて、ウチの支店に突撃してくることを見越して。
結果付烏月さんの目論見通り、加元が釣れた。
「違う、附子山さんじゃない!誰?!」
「違うって言われても、俺附子山だよ、加元さん」
「なんで僕の名前、」
「ぜーんぶ知ってるよ。加元さんが恋人厳選厨で理想押し付け厨なことも、恋人のアレやコレをディスって鍵無し裏垢で投稿しまくってたことも」
わぁ。なんですか。どなたですか。 何も知らない新卒ちゃんは、ポカン顔で加元を見つめてる。
支店長なんか、口を押さえて腹抱えて、肩がちょっと震えてる。吹き出すのも時間の問題だ。
私は、全部、「全部」知ってるから、
ひとまず、加元にバレないように新卒ちゃんを奥の別室に退避させて、静かに両肩に両手を置き、
「今日は早めに帰りな。多分これから、修羅場」
――『本当に、私の初恋のひとが、とんだ迷惑を』
加元が探してた「本物」の方の「旧姓附子山」さん、つまり私の先輩に電話して、状況を伝えると、
先輩はすごく申し訳無さそうに、私に謝ってきた。
『9年前、加元さんから離れたあの頃の私へ戻れるなら、こうならないよう全部清算して別れたのに』
ぎゃーぎゃー、ぴゃーぴゃー。 壁ひとつ隔てた先で、加元が怒鳴ったり、付烏月さんが煽ったり。
それは声を聞くかぎり、完全に修羅場だった。
偽物の自称旧姓附子山さんと加元が出会ったからこうなってしまったのか、
本物の旧姓附子山さんと加元が出会わなかったから、この程度の騒動で済んでるのか。
私には、分からなかった。
「しゃーないよ。相手と運が悪かったんだよ」
『しかしだな』
「そもそも、先輩は被害者の方でしょ?加元にあーだこーだポスられて、それで心が傷ついて」
『まぁ、それは、そうだが』
「で、去年『もう愛してない』って加元に伝えたのに、まだ加元がつきまとって来るから、先輩の友人の付烏月さんが面白がってこうなった」
『反論はしない』
「しゃーない。ハイ。りぴーとあふたーみぃ」
『いや、仕方無くは、うーん……』
「りぴーと、あふたー、みぃ。 しゃーない」
それでも申し訳無いと思うんなら、菓子折りのひとつでも後日、持ってくれば良いよ。
そう言って通話を終えて、いつの間にか静かになった壁の向こうに戻ると、加元は消えてて、
付烏月さんと支店長はすごく晴れやかな顔して、ハイタッチ、握手、爆笑。
「加元さん、今月いっぱいでウチ辞めるってさ」
付烏月さんがボイスレコーダー片手に、言った。
「い〜っぱい誤解して、い〜っぱい勘違いして、盛大に誤爆して自爆してったよん」
何がどうなって、そうなって、こうなったのか、新卒ちゃんと一緒に店の奥に引っ込んでた私には、最後までサッパリ分からないまま。
修羅場発生前のあの頃の私へ戻れるなら、隠しカメラか何かでも設置したい。
先輩と加元の因縁と、付烏月さんの「自称旧姓附子山」は、今日この日で、ようやく終了した。
「加元に何言ったの。付烏月さん」
「事実だけ、正直に、ぜーんぶ包み隠さず加元に伝えただけだよん。あと左手見せただけだよん」
「なんで薬指に指輪つけてるの」
「加元は俺と藤森の指輪だって勘違いしたよん」
「どゆこと……?」
「最終的に泣いて出てったよ。ヒヒヒ」
「時間から逃げられない、締め切りから逃げられない、相手の足が速いから逃げても逃げられない。
他は何だろうな。『逃れられない本能』?」
去年はたしか、「逃れられないノルマの点数」みたいなハナシを書いたわ。某所在住物書きはカップ麺をすすり、強炭酸水をキメて再度ズルリズルリ。
美味いものを食いたい願望から逃れられないのだ。
「寿命に関しては、医療が進歩し続けてるから、いつか逃げられるかもしれないんだっけ?」
『治らない臓器』の腎臓さえ、今研究や治験が進み続けてるワケだもんな。物書きは呟いた。
「食い過ぎからの体重増加の追いかけっこも、いつか、医学的に逃げ切れるように……」
つべこべ言わずに運動しよう。
――――――
もうすぐ5月も終わり。
ウチの職場は今日の夜、新規採用組が、1ヶ月間の参加不参加自由型の研修旅行から帰ってくる。
ゴールデンウィークの直前から移動して、研修地域のグルメやら観光やらを楽しみながら、新規組同士で交流を深めつつ行われる研修は、
「集団就職」、「金の卵」とかいう言葉が使われてた頃から、ずっと続いてる伝統らしい。
これだけ接待したんだからウチで働き続けろよと、職場から逃れられないように縛りつけてるワケだ。
……まぁ、それでも、ブラックに限りなく近いグレー企業なこの職場では、ソシャゲよろしく1年未満で消えてくひとがバチクソ多いけど。
ところで。
今年の1ヶ月研修旅行は、ウチの先輩の心をズッタズタにした元恋人さんが参加中。加元ってひとだ。
自分から先輩に最初に一目惚れしといて、いざ先輩が惚れ返すと、「実は優しかったとか解釈違い」等々、某呟きックスの鍵無し裏垢でディスり三昧。
そのディスりが9年前、先輩に全部バレた。
スゴいよね。散々自分から恋人をディスって恋人に縁切られて、別れられたのに、まだヨリを戻せると思って、恋人の職場に今年入ってきたんだよ。
自分の地雷を追い続けるとか、ワケ分かんない。
「執着が酷く強くて、気に入った人物を『所有』したがるところは、まぁ、一応気付いていた」
正午ちょい過ぎ。今日も今日とて昼休憩を使って、絶賛在宅勤務中の藤森先輩のアパートへ。
「元々、私の名字は『附子山』だったんだが、そのままでは、どれだけ逃げても名字でバレる、逃げられない。だから合法的な方法で、改姓改名したんだが」
カラリ、涼しい氷を響かせる冷茶を貰って、
『ところで今日、加元が研修から帰ってくるね』
って話題を出したら、先輩も、『そうだな』って。
「逃げられないと思って改姓改名したら、
それでも去年、私の職場が加元さんにバレて、
今年職場に入ってくるのを、付烏月さんが面白がって『じゃあ俺が旧姓附子山を名乗ってあげる』と。
そしたら就職してきた加元さんが、まんまと付烏月さんのイタズラに引っかかって、勝手に『附子山は自分を置いて結婚してしまったのだ』と」
まぁ、名字が変わっていれば、結婚を疑うよな。
先輩はそう付け足して、ため息ひとつ吐いて、
すごく申し訳無さそうに、私に笑った。
『お前にも随分、迷惑をかけているな』って。
「加元、旅行から帰ってきたらどうすると思う?」
「どうせ明日か月曜日にでも、『自称旧姓附子山』の付烏月さんが勤めている支店に突撃するさ」
「で、『自称旧姓附子山』の顔を見て、『藤森先輩』じゃないことに気付いてテンパる?」
「キレるかもしれない。あるいは、また自分で勝手に私のことを想像して、勝手に誤解するか」
「加元が来たら、動画撮ってあげる。その『自称旧姓附子山』さんと私、同じ支店だから」
「やめておけ。加元さんが傷つく」
「その加元に先輩、酷い目に遭わされたんじゃん」
「『怪物と戦う者は、その過程で自分も怪物とならぬよう注意せよ』。フリードリヒ・ニーチェ、『善悪の彼岸』だ。お前のそれは、動機と理由がどこにあろうと、相手の心を同様に壊す。お前まで怪物になるな」
「おひとよし」
そーいうとこやで、先輩。大きなため息をひとつ、大げさに吐くと、先輩は少し自嘲気味にニコリ。
「その『お人好し』が、加元さんにとっては、酷くアレルギーだったらしいな」
嗜好的アレルギーのことを、お前は何と言ったか。
「解釈違い」だったっけ?
先輩はそう言って、私から視線を外すと、
カラリ、カラリ。氷が響くデカンタを揺らして、空になった私の耐熱グラスに、黙って冷茶を注いだ。
そーいうとこだ。そーいうとこやで。
「やっぱ先輩おひとよし」
「お前もアレルギーか?あまり無理をするな」
「私は好き。残念でした」
「また明日『会いましょう』、『今日も、』また明日『も、フェアが開催される』、また明日『頑張れば良いや』。別れネタと日常ネタと、他は?」
去年は「昨日へのさよなら、明日との出会い」だったから、「昨日を代償に今日をすっぽかして、明日まで時間をスキップ/また明日」みたいなハナシを投稿したっけ。某所在住物書きは過去作を辿り、首筋を掻いた。書きやすくはなった――比較的には。
「『夕焼け小焼けで』?『いいないいな』?」
ダメだ。加齢のせいで執筆の引き出しが固くなっちまってる。 物書きは書きやすい投稿ネタをネットに求め、「また明日」で検索を、
かける前に、昔々の番組のエンディングテーマを思い出し、しかし執筆に結びつかずため息を吐く。
「……お題受け取ってポンポン読みやすくて魅力的な小説すぐ書けるにんげんって、いいな」
執筆→投稿→また明日、→また明日。
――――――
都内某所に勤務する、雪国出身者の藤森。
結婚経験も無いのに「旧姓」持ちで、藤森を名乗り始めたのは9年前。その前は「附子山」といった。
詳しくは過去作5月16日投稿分参照であるが、
スワイプがバチクソ面倒なだけなので、割愛する。
以下は附子山/藤森が、初めて恋した筈の人と、
9年前、バッサリ縁切り離れる直前の話。
――「相変わらずスマホで田舎の写真とか見てる」
年号のまだ平成であった頃。都内某所の、ありふれた職場。ありふれた終業直後。
「ねぇ、あのレッドカーネリアンのミラーピアスは?いつになったら付けてくれるの?」
帰宅の準備をする、当時まだ旧姓であった頃の「附子山」。隣に寄り添い話しかけてくる者がある。
附子山がつい数ヶ月前まで、心を寄せ、恋をしていた筈のひと。名前を加元という。
元カレ・元カノの、かもと。登場人物のネーミングの安直さはご容赦願いたい。
「絶対似合うと思う。付けて、見せてよ」
附子山に、表の現実で甘い言葉をささやき、裏の某呟きックスアプリで、毒と愚痴をばら撒いた加元。
附子山の顔と第一印象に惚れたのは良いものの、
都会の活気より田舎の自然を愛する価値観と、優しく誠実な内面に、酷い解釈違いを起こした。
「ここが地雷」「これはあり得ない」「頭おかしい」と、陰でぽいぽい投稿しながら、それでも附子山と決して離れなかったのは、
ただ「顔の良い恋人」のアクセサリーを、己を美麗に飾るミラーピアスを手放したくなかったから。
ひょんなことから愚痴は発見され、加元に恋していた筈の附子山の心と魂は壊された。
附子山が姓を「藤森」に変えたのは、珍しい名字を捨て行方をくらまし、加元から逃げるためである。
「耳に穴を開けるのが怖いんだ。痛そうで」
どうせこの発言も、「あいつあの年でピアスも付けてない」だの、「耳に穴開けるの怖がってる。解釈違い」だのと裏アカウントでなじるのだろう。
附子山は予想し得る投稿に軽く短くため息を吐き、最大限の平坦な表情と声で、無知と平静を演じる。
「あなたが、私の贈ったカードミラーを使ってくれたら、私もピアスをつけるよ」
附子山は乾笑した。加元が附子山からの贈り物を、当日のうちに売っ払っていたことを、投稿により承知の上での交換条件であった。
「使ってるよ。すごく使いやすくて、役立ってる」
「そう。それは良かった。
……じゃ、また明日。加元さん」
「うん。また明日。附子山さん」
――その後数ヶ月もせぬうちに、附子山は離職して、加元との繋がりを「すべて」断ち、「藤森」として居住区も職場も変えた。
9年後の現在、どのような後輩を持ち、いかに不思議な子狐と交友を深めるに至ったかは、
過去投稿分で、推して知るところである。
なお肝心の加元はというと、
己の恋のアクセサリーたる附子山が勝手に居なくなったことが相当に癪だったらしく、
9年経過した今年の3月、自分で突き止めた藤森の職場に中途採用として就職、
したのはしたで、良かったものの、
附子山が改姓した本当の理由を知らず、「自分を置いて結婚したのだ」と完全に勘違いして、
勝手にひとり、絶望的にショボンしておったとさ。