「時間から逃げられない、締め切りから逃げられない、相手の足が速いから逃げても逃げられない。
他は何だろうな。『逃れられない本能』?」
去年はたしか、「逃れられないノルマの点数」みたいなハナシを書いたわ。某所在住物書きはカップ麺をすすり、強炭酸水をキメて再度ズルリズルリ。
美味いものを食いたい願望から逃れられないのだ。
「寿命に関しては、医療が進歩し続けてるから、いつか逃げられるかもしれないんだっけ?」
『治らない臓器』の腎臓さえ、今研究や治験が進み続けてるワケだもんな。物書きは呟いた。
「食い過ぎからの体重増加の追いかけっこも、いつか、医学的に逃げ切れるように……」
つべこべ言わずに運動しよう。
――――――
もうすぐ5月も終わり。
ウチの職場は今日の夜、新規採用組が、1ヶ月間の参加不参加自由型の研修旅行から帰ってくる。
ゴールデンウィークの直前から移動して、研修地域のグルメやら観光やらを楽しみながら、新規組同士で交流を深めつつ行われる研修は、
「集団就職」、「金の卵」とかいう言葉が使われてた頃から、ずっと続いてる伝統らしい。
これだけ接待したんだからウチで働き続けろよと、職場から逃れられないように縛りつけてるワケだ。
……まぁ、それでも、ブラックに限りなく近いグレー企業なこの職場では、ソシャゲよろしく1年未満で消えてくひとがバチクソ多いけど。
ところで。
今年の1ヶ月研修旅行は、ウチの先輩の心をズッタズタにした元恋人さんが参加中。加元ってひとだ。
自分から先輩に最初に一目惚れしといて、いざ先輩が惚れ返すと、「実は優しかったとか解釈違い」等々、某呟きックスの鍵無し裏垢でディスり三昧。
そのディスりが9年前、先輩に全部バレた。
スゴいよね。散々自分から恋人をディスって恋人に縁切られて、別れられたのに、まだヨリを戻せると思って、恋人の職場に今年入ってきたんだよ。
自分の地雷を追い続けるとか、ワケ分かんない。
「執着が酷く強くて、気に入った人物を『所有』したがるところは、まぁ、一応気付いていた」
正午ちょい過ぎ。今日も今日とて昼休憩を使って、絶賛在宅勤務中の藤森先輩のアパートへ。
「元々、私の名字は『附子山』だったんだが、そのままでは、どれだけ逃げても名字でバレる、逃げられない。だから合法的な方法で、改姓改名したんだが」
カラリ、涼しい氷を響かせる冷茶を貰って、
『ところで今日、加元が研修から帰ってくるね』
って話題を出したら、先輩も、『そうだな』って。
「逃げられないと思って改姓改名したら、
それでも去年、私の職場が加元さんにバレて、
今年職場に入ってくるのを、付烏月さんが面白がって『じゃあ俺が旧姓附子山を名乗ってあげる』と。
そしたら就職してきた加元さんが、まんまと付烏月さんのイタズラに引っかかって、勝手に『附子山は自分を置いて結婚してしまったのだ』と」
まぁ、名字が変わっていれば、結婚を疑うよな。
先輩はそう付け足して、ため息ひとつ吐いて、
すごく申し訳無さそうに、私に笑った。
『お前にも随分、迷惑をかけているな』って。
「加元、旅行から帰ってきたらどうすると思う?」
「どうせ明日か月曜日にでも、『自称旧姓附子山』の付烏月さんが勤めている支店に突撃するさ」
「で、『自称旧姓附子山』の顔を見て、『藤森先輩』じゃないことに気付いてテンパる?」
「キレるかもしれない。あるいは、また自分で勝手に私のことを想像して、勝手に誤解するか」
「加元が来たら、動画撮ってあげる。その『自称旧姓附子山』さんと私、同じ支店だから」
「やめておけ。加元さんが傷つく」
「その加元に先輩、酷い目に遭わされたんじゃん」
「『怪物と戦う者は、その過程で自分も怪物とならぬよう注意せよ』。フリードリヒ・ニーチェ、『善悪の彼岸』だ。お前のそれは、動機と理由がどこにあろうと、相手の心を同様に壊す。お前まで怪物になるな」
「おひとよし」
そーいうとこやで、先輩。大きなため息をひとつ、大げさに吐くと、先輩は少し自嘲気味にニコリ。
「その『お人好し』が、加元さんにとっては、酷くアレルギーだったらしいな」
嗜好的アレルギーのことを、お前は何と言ったか。
「解釈違い」だったっけ?
先輩はそう言って、私から視線を外すと、
カラリ、カラリ。氷が響くデカンタを揺らして、空になった私の耐熱グラスに、黙って冷茶を注いだ。
そーいうとこだ。そーいうとこやで。
「やっぱ先輩おひとよし」
「お前もアレルギーか?あまり無理をするな」
「私は好き。残念でした」
5/24/2024, 3:54:29 AM