幸せとは何だろう。
それはきっと一人一人違う形をしていて、一言で「幸せ」を説明出来るような言葉なんてないと思うのだが。
金が「幸せ」の人も居れば、愛が「幸せ」の人も居て、生が「幸せ」の人も居れば、死が「幸せ」の人も居るはずだ。
なのでこれはあくまでも、重ねて書くがあくまでも、私個人の所見となってしまうのだが。
人波に上手く乗れることが「幸せ」だと私は思っている。それは言い換えれば、大多数派の無個性とも称されてしまうものかもしれないが、その波に上手く乗れない人間は一人孤独に海の波間に沈んでいくしかない。
昔の私は「個性」が欲しかった。他人とは違う何かを欲していた。好む音楽、好む服装、好む趣味、意図的ではなかったが私は大多数からは逸脱していた。それはきっと今でもそうで、流行りものには飛びつかないし流行を追うことなく自分の好きなものだけを愛で続けているが。
果たしてこれが私が望んだ「幸せ」だったのだろうか? 一般人、大多数の人間が持つ感性を、私はいつ、何処で捨ててきてしまったのだろうか。
そう考えることが度々ある。「幸せ」とは、本当に難しいものだ。
※1/1に書いた、自殺志願者の二人の男の話の続き。まだこれはBLではないと言い張りますが、ふんわりと香る程度でも苦手な方はご注意ください。
「あ〜〜〜〜〜もう! 疲れたーー!!」
「あはぁ〜、そうですねぇ〜」
「誰のせいだと思ってんだ!!」
「え〜〜? 誰のせいですかぁ〜?」
「お前だよ! お、ま、え!!」
「あははぁ〜〜〜」
「“あははぁ〜〜〜”じゃねぇんだよ、この酔っ払いが!!」
······あの後。
初日の出を見ながら二人で缶ビールを開け乾杯し、お互い一本ずつ飲み干したわけなのだが······今思いっきり俺の体に体重を掛けながら下山中のこいつ──雲河昇(うんがのぼる)は、ビックリするほど酒に弱かった。缶ビール一本飲み終えただけでご覧の有様だ。こんなに弱くてよくもまぁ死ぬ前用にと二本も用意出来たものだ。どの面下げて、案件である。一本飲んだらそのままその場で寝転んでスヤスヤし、目的を果たせずに終わるこいつの姿があまりにも鮮明に想像出来すぎる。······いや、そのままあそこで寝て凍死、説も無くは無いのかもしれないが。
「おら、全部降りたぞ!! 次どっちだ!?」
「え〜? 次〜??」
「お前の! 家!! どっちに歩けば着く!?」
「あ〜〜〜家、家ねぇ〜······多分あっち〜〜」
「あっち!? どっち!? せめて指させ!!」
「あはぁ〜〜〜あっち〜〜〜〜」
「だあーーーーーーもう!!! 道案内も出来ねぇのかお前は!!!」
成人男性一人分という大層重い荷物を引きずりながら、とりあえず雲河の見ている視線の方向へと進むことにする。どうやら正解を引き当てたらしく、「そ〜〜〜〜〜、そのままあっち〜〜〜〜〜」と、肩にのしかかる雲河は機嫌良さそうにニコニコしている。この野郎、後で覚えてろよ······と腸を煮えくりかえしながら、雲河曰く“あっち”へと歩を進めていく。
『あんたの名前、教えてよ』
······今になって思えば、どうしてあの時あんなことを口走ってしまったのか、自分でもよくわからない。ただ一つ、言えることは──。
『······雲河、昇』
うんがのぼる。運が上る。皮肉みたいな名前ですよね。
自虐的な言葉と共にそううっすら笑む雲河に、俺は。
『何で? いい名前じゃん。それに俺だって似たようなもんだ』
そう言い切り、これまで一ミリたりとも好きだなんて思えなかった自分の名を告げた。
『俺はね、久遠輝(くおんひかる)っつーの。こんな、芸能人かよ? みたいなキラキラした名前、俺には不釣り合い甚だしいっつうか?』
首を竦めて呆れたようにそう吐き捨て雲河を見遣れば、今まで覇気のない死んだ魚のような有り様だった奴の瞳は、変わらず俺らを照らし続けていた初日の出と同じぐらい、キラキラ、ピカピカと、輝きに溢れていて。
『〜っお、俺も! ······その名前、いいと思う。最初に見た時の君の印象にピッタリで······すごく、いいと思う······!』
······そんなふうに、半ば前のめりになりながらそう力説され。
正直、嫌じゃなかった自分が居た。今まであんなに嫌いだったのに。俺が「いい名前」だと認めたこいつに「いい名前」と言われたことが、素直に嬉しくて。出会い方、初コンタクトからこの状況に至るまで全てが奇妙で、奇抜で、奇縁で、それはつまり「運命」みたいな何かなのではないかと。ガラにもなく、そう思ってしまったんだ。
自殺志願者同士で傷の舐め合い。そんな色気もクソもロマンスもねえ運命だけど、それはそれで面白くていいんじゃねーの?
「本当にこっちで合ってんだろうな?」
「ん〜〜〜〜〜多分だいじょぶ〜〜〜〜」
「多分て······おい、雲河」
一度足を止め、未だに頭を左右にフラフラとさせ締まりのない顔で口元を緩めている雲河の両肩を掴み、真正面から射抜くように見つめる。
「俺はな、一刻も早くお前の家行って何か水分補給して泥のように眠りこけてぇんだわ。な? わかるだろ?」
「え、えっ、と······うん······」
「だったら」
俺の真剣な顔を見たことで若干でも酔いが冷めたのか、とろんとしていた雲河の瞳は元の形へとほんの少し形状を整え、さっきまでのふにゃふにゃ具合も何処へやら。酔っ払う前のおどおどとしたこいつ本来のものであろう振る舞いに近付き、必死に俺の放った言葉を追いその意味を理解しようと努めている様子。
そんな雲河に、俺はニッコリと一つ微笑んでみせて。
「道案内、しっかり頼むわ。昇」
あえて初めて下の名前を呼び捨てで呼んでやれば、その呼ばれ方に耐性がないのだろう。白を通り越して青みがかってすらいた肌、その全ての血が顔面に集合したみたいに、昇は耳や首までを真っ赤に染め、羞恥なのか感動なのか知らないが、その場でフルフルと小刻みに震えていた。
なぁんか、さっきまで見ていた初日の出みたいだ、なんて思ってしまったのは秘密にしておこうと心に誓った。
真面目に今年の抱負を書こうと思います。
仕事に遅刻をしない。
これ、今の派遣の職に就いてから割と真剣に悩んでいることなのですが、通勤中のバスや電車の中で、酷いと立ってる状態でも寝入ってしまうことが多々頻発してしまっておりまして、職場の方々にはご迷惑をお掛けしまくった上に、恐らく私への社会的信用はほぼ無いに等しいのだろうと思う場面も多々ございまして。
以前十五年勤めた食品レジでのシフトは、学生アルバイト時代を含めてほぼラストまでのシフトで生活をしておりました。大学を中退しパートになってからは勤務時間が増え、うつ病で療養に入る前は十四時頃〜二十三時頃のシフトで長い期間働いておりました。つまり、完全に昼夜逆転現象を起こしてしまっていたのですよね。朝方に寝始め、昼過ぎに起き、準備だけちゃちゃっと済ませて徒歩圏内の職場へ出勤する、という流れでした。
更に厄介なのが、いつ頃からかもう覚えてはおりませんが、不眠症のような症状にずっと悩まされていたことです。先程朝方に寝始めると書きましたが、寝始めるといっても「眠いから寝る」のではなく「寝ないといけないから寝る」といった感じで、夜に眠気が訪れない・寝ようとしても全然意識がなくならない、といった症状が、メンタルクリニックに通院し眠剤を頂くようになるまでずっと続いておりました。
そんな生活リズムぶっ壊れ人間がそうそう簡単に朝型人間になれるわけもなく。それでも、眠剤によって以前より格段に入眠しやすくなりましたし、目覚ましをかけていれば朝にだってちゃんと起きれるは起きれるのです。そうして準備をし、バス→電車と乗り継いで今の職場へ向かうわけなのですが······時々バスでも電車でも、やらかしてしまっていたという。
バスはまだマシなのです。何故なら降車駅が終点であるため、ガチ寝してしまっていても運転手さんに起こして頂けるので(大の大人がされるにはあんまりにあんまりな失態ではある)。問題は電車の方で、乗車して十分ちょいほどで降車駅に着くのですが、いちばん酷い時は終点までガチ寝してました。その時点で出勤時間とっくに過ぎてました。そこから逆行きのホームに向かい、結局30分以上の遅刻で出勤することになりました。
このような話をメンタルクリニックの主治医にしたところ、眠剤が効きすぎている可能性を指摘されまして。そこから何度も調整を繰り返し、仕事納めまでの数週間ほどは何とか遅刻せずに出勤出来ていたかと思います。
自分で考えた対策としては、それまでは車内でイヤホン越しに音楽を聴いていたので、それを動画に変更してみることにしたのですが、音楽だけの時よりは効果がありましたが結局途中から猛烈な眠気が襲ってくる、といった感じでした。ソシャゲも同様でした。
なので、とにかくもっと早い時間に就寝出来るように帰宅後はパッパとやること・遊ぶことを済ませ、充分な睡眠時間を確保する生活に慣れていくことが今年の目標です。
一度失った信頼は取り戻せないと理解はしておりますが、これ以上職場の皆様にご迷惑をお掛けしないよう、仕事が始まったら誠心誠意日々を過ごしていきたいところです。
元旦の早朝。新しい一年が始まってまだ間もない、体の芯から冷えるような凍てつく空気の中、俺は所謂“自殺の名所”とやらに来ていた。ネットで色々調べた末、ここが見つかりにくく誰にも迷惑をかけず、且つ、確実性のある場所だろうと判断してのことだった。何を隠そう、俺は年末に命を絶つことに乗り遅れた自殺志願者だ。
もうずっと昔から、こんな人生には飽き飽きしていた。友人は数こそ少なかれど居るには居る。ゲームだとかネットサーフィンだとか、趣味と言えなくもない趣味も一応は、ある。だけどそれが何だって言うんだ。そんなもの、何の未練にもならない。俺を現世に留める楔になどなりえはしない。人間に揉まれて生きていくことに疲れた。日毎起こる凄惨な事件、政治家の汚職報道、芸能人のゴシップなどという悪意に塗れたものを摂取することに疲れた。将来のことを考え、この先に明るい未来など待っていないという現実に直面し続けることに疲れた。もう何もかもから解放されたかった。
もう終わらせよう。全てのしがらみから解き放たれよう。そう決意し、早朝とも言えない深夜の時間帯に車を走らせ、一歩一歩確実に、寒さと疲れでヒィヒィと白い息を吐きながら進み続け、漸く辿り着いたこの山頂。
「あーーーーーっ!!! クソッタレーーーーーッ!!!!」
腰辺りまでしか高さのない、人の命を守る気なんてなさそうな安全柵もどきに手を置き、ぐっと前のめりになりながら大声で叫んでやる。
登頂した俺の目に最初に飛び込んできたもの。それは、煌々と輝きながらゆっくりと上昇していく美しい初日の出だった。神々しいとすら思えてならないそれを見て、不覚にも感動してしまったなんて馬鹿みたいじゃないか。今更こんな感情なんて要らないだろう。だって俺は死にに来たんだぞ。
「バッッッッカやろーーーーーーー!!!!!!」
輝かしい光が歪んで見えなくなる。頬を伝う涙は、俺の心を一層惨め一色に染め上げた。何でかなぁ。どうしてこうも上手くいかないんだろう。
一人鼻を啜っていると、背後の茂みがガサガサと音を立てる。風によるものではない。何事かと後ろを振り向けば、俺と同じぐらいの年代に見える一人の男が、何処か恐縮そうな面持ちでそこに立っていた。手にはコンビニのビニール袋。それ以外の荷物は何一つ見当たらない、あまりにも身軽すぎる出で立ち。
事態を飲み込めず凝視するしかない俺へ向け、男は一言。
「えぇっと······俺、何かしちゃいました?」
まるで何処かの異世界転生主人公が言いそうな台詞を、こんな状況で、こんな場所で、実際に耳にすることになるとは思いもしていなかった。
「その······バカヤローーー! って、聞こえたので······」
俺が何かしちゃったのかな、と。
だんだん尻すぼみになっていく声量と、居たたまれなさそうに視線を右往左往させる男の様子を見ていたら、この状況のあまりの奇天烈さに思わず腹の底から笑いが込み上げてくる。
「クッ······ふふ、ハハッ!」
突然笑いだした俺を見て男はポカンとしていたが、その様もまた滑稽で尚更笑いが止まらない。
ひとしきり笑い終え······俺は目元に滲んだ涙を指で拭いながら、男に尋ねる。
「あんた、こんな時間にこんな場所で何してんの?」
「あ、その······えっと······」
「あ、もしかして? 自殺しに来た?」
言い淀む男に向かって冗談交じりにそう問えば、男は一瞬押し黙り······コクリと一つ、首を縦に動かした。
「······アハッ。マジで?」
「······マジ、です」
「そっかぁーマジかぁー。実は俺もなんだよね」
「えっ!?」
驚いたように声を上げる男に向け苦笑し、俺はクルリと身を翻す。さっきよりも高度と明度を増した初日の出が、爛々と空に輝いている。
「そのはずだったんだけどさぁー。······これ見たら、やる気なくした」
「あ······初日の出······」
男はゆっくりと歩を進め、俺の真横に立つと、同じように初日の出に見入る。男の横顔は、俺の気持ちを代弁しているかのようだった。こんなにも美しいものがこの世界にはまだあるのか、と。
「どーする? やる? やめる? やるなら止めないし、俺はもう行くけど」
俺の問い掛けに、男は穏やかな顔で首を左右に振った。そしてその場にドカリと腰を下ろし、ビニール袋の中身を出していく。
「本当は、死ぬ前に飲もうと思ってたんですけど」
そこには、二つ並べられた缶ビール。その一本を手に取り、男は俺に向けてそれを差し出す。
「······乾杯、しませんか? その、よければ······ですけど······」
またもや自信なさげに声のボリュームを落としていく男の手から、奪うようにして缶ビールを手中に収める。
そうして俺もその場に座り込み、プルタブに手をかけて······その前に、と。
「あんた、家ここの近く?」
「え? あ、はい······一応、徒歩圏内ですけど······」
「オッケ。俺車で来ちゃったからさぁ、この後あんたん家お邪魔していい?」
「えっ!? べ、別に、構いませんけど······」
「あと」
俺は一つ息を吸い。冷たい空気が肺に満ちる感覚に“生”を実感して。
「あんたの名前、教えてよ」
······かくして、自殺志願者だった俺達は。初日の出の美しさと、奇妙な二人の出会いに「乾杯」と声を重ねるのだった。
※昔書いた創作百合の子達の話
「今年ももう終わりかぁ〜。早いねぇ〜」
暖房の効いたリビング。二人で使うには少しばかり大きめのソファ、その中央に二人で腰掛け、適当なテレビ番組の音声をBGMにそんな年の瀬らしい会話を振る。
「············今年もさっちゃん、殺してくれなかった······」
私の腰回りに両腕を回し半ば横たわるような姿勢になっている彼女──明楽(あきら)さんは、恨みがましそうに上目で此方を睨みつけてくるが、元々表情筋が柔軟な方ではない明楽さんがいくら睨みつけてきたところで迫力も威圧感もなく、むしろ美人が可愛らしく拗ねているようにしか映らない。あー、眼福眼福。
「だぁってぇ〜、私明楽さんにはまだまだ幸せになってほしいもーん。幸せメーターまだ全然溜まってないっしょ?」
そう言いながら彼女の額を人差し指でツン、と突っついてやれば、「あぅ」と幼女のような呻き声を上げた後、「だって······」と視線を床の方へと落とし、彼女は続ける。
「この時期はね、ダメなの。普段もいつだって死にたいけど、この時期······年末はね? 特にダメなの。ここをゴールにしたくてたまらなくなるの。また新しい一年がやってくることが嫌なの。また一からスタートを切り直さなきゃいけないのが······辛くて辛くて、どうしようもないの」
腰に回された両の腕が、縋るようにキュッと弱々しく力を強めた。朝方のニュースを思い出す。人身事故のため○○線のダイヤが乱れております──この時期、頻繁に聞く内容だ。彼らもまた、明楽さんと同じような心境だったのだろうか。新しいスタートを切りたくなくて、ここをゴールにしたくて、もう全てを終わりにしたくて。なりふり構わず、飛び込んだのだろうか。その先に幸せがあると信じて。
「そっかぁ〜······ね、明楽さん? 先に楽になっていった人達のこと、羨ましい?」
此方を見上げ、一瞬きょとん、とした表情を顕にした明楽さんは、少し言葉を選ぶような素振りを見せながらたどたどしく答える。
「ん、と······。羨ましい······は、羨ましい······ん、だと、思う。だけど、さっちゃんも知ってるでしょ? 私には、あの人達みたいな勇気なんてないの。だから多分、これは羨ましいんじゃなくて、隣の芝生は青く見える······みたいな、多分そっちの気持ちに近いんじゃないのかなって。それに······」
「それに?」
「私には、“さっちゃん”っていう専属の殺人鬼さんが居るから。なかなか殺してくれないけど······でも、絶対に最高の最期をプレゼントしてくれるって、私、信じてるから」
「アッハハッ! 当ったり前じゃん! ぜ〜〜〜〜ったいに、幸せで幸せでこれ以上の幸せなんてない! って瞬間になったら、必ず殺してあげるから」
だから心配しないで、と続けるつもりだったのだが、テレビ画面に映し出されている時計へ何気無く視線を向け慌てる。時刻は「23:59」と表示されている。
「ちょ、ちょ、明楽さん! もう年越し! 年越す! 越しちゃうって!」
「え······?」
「え······? じゃないってばぁ! ほら、時報聞こ!」
私は急いでスマホの通話画面で117、と数字をダイヤルする。スピーカーモードにすると、部屋の中に「午後、二十三時、五十九分、三十秒を、お知らせ致します」という機械音声の後に「ポーン」と甲高い電子音が響き渡る。
何となく居住まいを正し、静かに時報を聞き続ける。チラリと横の明楽さんへ視線を遣る。年越しの瞬間を、一体彼女がどんな顔で受け入れるのか気になったから。
······明楽さんの瞳には、生気が宿っていなかった。心ここに在らず、といった様子で、出会ったあの頃みたいな、死に想いを寄せ焦がれる横顔は、まるで人形のようだった。
──四十秒をお知らせ致します。
──五十秒をお知らせ致します。
ピッ、ピッ、ピッ、と鳴る時報のカウントと、テレビの雑音だけが聞こえる部屋の中。私は明楽さんの体を強引に此方へと向かせる。
──午前、零時を、お知らせ致します。
目をまん丸くする彼女へと一気に顔を寄せ、ほんの少しだけ開かれた薄く形の良い唇に己の唇を重ねる。瞬間、「ポーン」と、零時を告げる時報が鳴らされた。
そっと唇を離し、明楽さんのおでこに自分のおでこをくっつける。
「今のはね、マラソンでいうところの給水所」
「······給、すい、じょ······?」
「だって今の瞬間さ、明楽さん」
──息、止まってたでしょ?
そう問えば、明楽さんは暫しの間固まり、その瞬間のことを思い返しているのだろう······うろうろと視線を彷徨わせた後。突如として林檎みたいにほっぺたを真っ赤に色付かせ、曇りけなくキラキラと輝く美しい瞳で、恍惚に満たされたかのような蕩けた声音でもって私に告げた。
「······っ、息······止まってたぁ······!」
「でしょ? 頑張ってる明楽さんへのご褒美だよ」
片手で彼女の肩を抱き寄せ、額にもう一つ、キスを落とす。
「今はまだ、こういう“殺し方”しか出来ないけど······いつかちゃんとその時が来たら、明楽さんのこと、私がこの手で救ってあげるから」
だから、今はこれで我慢してね。
そう伝えれば、明楽さんは首をブンブンと横に振り、未だに赤く染めた頬と、ほんの少し水分で潤んだ黒曜石のような瞳で、さも幸せそうに微笑んだ。
「来年もご褒美ちょうだいね? さっちゃん」
極上の笑顔と共に珍しく彼女の方から唇を重ねられ、私の息の根も止められた。
◇◇◇◇◇
昔pixivに上げた死で繋がる百合シリーズの二人に出演して頂きました。
もしもこの二人についてもっと知りたいよ、という稀有な方がいらっしゃいましたら→死が二人を繋ぐまで | https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14902463