突然の豪雨に見舞われた真昼の駅前は人々の動きが忙しなくて目まぐるしい。俯き早歩きをする人、慌てたように駅へ駆け込んでいく人、傘を買うつもりなのか近くのコンビニへ走っていく人。喧騒は雨音に掻き消され、コンクリートを弾くピチ、ピチャ、という音がやけに耳についた。
屋根のある所へ移動しようかと辺りを見回した時、その人物が目に留まった。ストンと伸びた黒く長い髪。紺色のセーラー服に身を包んだ彼女は大粒の雨に打たれたのだろう、全身をじっとりと重く濡らし、駅の横に隣接している簡易的な駐輪場の屋根の下からぼんやりと虚空を見つめていた。
──うつくしい、と思った。しかしその反面、自分の内から溢れた感想が何故それだったのかと不思議な気分にもなった。
別に、彼女が美しくないわけではない。むしろ、少し遠目から見ているだけでも十分顔立ちが整っていることがわかる。だがそれならば、「綺麗」だとか「美人」だとか、そのような感想を先に抱くほうが自然な気がした。他人への第一印象が「美しい」であったことなど、今までの人生で一度もなかった。
それでもやはり、彼女はうつくしいのだ。雰囲気が、佇まいが、雨降らす空を見上げるその瞳が。どうしようもなく、うつくしくて。
一秒たりとも彼女から目を離したくなくて、雨水を全身に浴びながら呆けたように彼女を見つめていた。僅かでも目を逸らしたならばそのまま彼女は消えてしまうのではないかと。人々が織り成す喧騒のように、雨に掻き消されてしまうのではないかと。そんな不安が身を蝕むのだ。あまりにも、儚くて。
彼女はそのまま暫く天を見つめ······ゆっくりと、頭をうつむかせた。そうして傘などないまま、降りしきる雨の世界へ足を踏み出し。頼りない足取りで、己の進む方へと真っ直ぐに歩いていった。
「······」
額に頬に張り付く髪が煩わしいながらも、その背が見えなくなるまで目で追った。服も鞄もびしょ濡れだが、やはりどうしても動くことが出来なかった。
──はたして彼女の目には、この空がどう見えていたのか。
──世界に降り注ぐ数多の雫に、何を思っていたのか。
疑問は浮かべど、その答えは彼女以外知りえない。彼女の内に秘められるべきものなのだろう。
美しい彼女。
鬱くしい彼女。
顔も名前も知らない一人の人間の心を夢中にさせた彼女が、どうかこの先もうつくしく在りますように。
君専用の酸素になって
君だけのための存在になりたい
僕が居なくちゃ生きていけない
そんな君を僕だけのものにする
最初は、とっても豪華で大きな船だった。小さな自分の体には勿体ないぐらい、無限にも思えるキャパシティを持っていた。船体にもオールにも船首にも内装にも、何処を見てもキラキラと輝く煌びやかな宝石がふんだんに嵌め込まれていて、見渡す限り眩しく光り輝くその船に乗って、同じように眩くチカチカとした光に溢れた煌々と照らされる大空を、何の迷いも何の不安もなく、幼い自分は自由自在に舵を取り、無邪気に笑いながらその航海を心底楽しんでいた。いつまでもずっと、永遠に、その日々が続いていくのだと信じて疑っていなかった。
幼い自分は、幼いが故に未だ知らなかったのだ。航海には嵐という恐怖が潜んでいることを。痛いほど強く体に打ちつける雨粒、全てを壊さんとするかのように理不尽に襲いかかってくる暴風。それまで穏やかだった空が突然顔色を変え、怒りの感情を表すかのような稲妻を空中に走らせ轟音を轟かせる。そんな日々が幾度となく、数え切れないほど発生し、そしてその度に、あんなにも豪華だった船は宝石が剥がれ落ち、船体は傷を負い、徐々に徐々に磨り減るかの如く、その巨体と煌めきは小さく萎んでいった。
大きくなったこの体には小さく感じられるボロボロの船。嘗てはたくさんの夢と希望に満ち溢れていたはずのそれは、今ではもう過去の面影など微塵もなく、航海を進めれば進めるほどに比例して、傷付き涙に濡れ痛みを味わうことで、光は明度を失っていき、宝石の輝きはとうに色褪せた。
──後悔ばかりの航海だった、と。
あの日の幼き自分へ告げることが出来たなら、こんな夢も希望もない未来に舵を取ることなどなかったのだろうか。
そんな後悔がまた一つ生まれ。それでもこの航海はもはや自動操縦で続いていく。この船が崩壊し、機能を停止させ、朽ち果てるまで。
桜が咲いたこの季節に
私の恋は散りました
春の陽射しが穏やかに降り注ぐ、日曜日の午後を少し回った時間。
着慣れない真っ黒なスーツを身に纏い、多少の着心地の悪さを感じながらも、空に向かって上へ上へと迷いなく立ち昇っていく煙を、ただただ無感情に見上げていた。
人は海に還るんだっけ? 空に還るんだっけ? それとも土に還るんだっけ? 神様のお膝元に還るんだっけ?
君はどうなのか、どうするつもりなのか、聞くのを忘れてしまった。何処に行きたいのか、何となくの希望だけでも聞いておけばよかった。そんな小さな後悔がこぽり、こぽり、と微かな音を立てながら腹の底から沸いてきたけれど、見て見ぬ振りをした。
今まさに、何処かへと還ろうとしている君。何処かもわからないそこへと還るために、肉体という重い荷物の尽くをこの場所へ置いていく、その途中の君へ。
これはただの俺の予想だけれど。君の選択なんてもう、俺には知る術もないけれど。
全てのしがらみから解放され、荷物も全部置き去りにし、身軽になった君は······きっと。
「空を、選ぶんだろうなぁ」
突然の突風に拐われた俺の声は、君の残り香と共に空へと舞い上がり、消えた。
◇◇◇
こいついっつも暗い話ばっか書いてんな(デフォ)