何の捻りもなく、シンプルに、この一年を振り返ってみようと思います。記憶力がないのでスケジュールアプリを見返したりしつつ。
【一月】
私の趣味は麻雀でして。とんでもなく暇でやることがなかった時期に某麻雀アプリを突然インストールしたことがきっかけであり、全ての始まり。役も何もわからないまま何となく手を出したはいいものの、割とすぐに離れる。残当。その後数ヶ月ほどしてからまた始めてみる。にじさんじ麻雀杯をお正月頃に見ていた影響で以前よりも何となく打ち方とか役とかがわかるようになっていて、そこからは気が向いた時にちょこちょこと打つようになりました。
そんな完全エンジョイ勢オンライン麻雀打ちだった私が本格的に麻雀にのめり込むようになったのは、去年の四月。当時勤めて十四年半経過していた職場でのストレスが爆発し、どうしようもなくなってメンタルクリニックを受診した結果、中程度のうつ病と診断をされ、出来れば今すぐ療養に入った方がいいとのことで、思いがけず結果的に三ヶ月ほどの療養期間を頂くことに。せっかく時間があるんだし何かに打ち込みたいな、と考えた結果、その矛先が何故か麻雀に向かいまして。目標をひとまず雀豪への昇段と定め(当時の段位はまだ雀士2〜3辺り)、ひたすらオンライン麻雀を打ち続ける日々。
そしてある日、趣味程度に麻雀を嗜んでいるネットの友人から、Mリーグを一緒に観戦しないか? とのお誘いを受けました。それまでは私、リアルの麻雀は全く見たことがなかったんですね。正確には、ほんの少しだけ放送対局を覗いたこととか、動画サイトに上がっている切り抜きを見たりだとかはあったのですが、正直、ネット麻雀しかやっていない身の上で観戦するには敷居が高すぎたと言いますか。実況・解説の方がいらっしゃった所で、状況が全くもってわからない、みたいな。そんなだったので、友人からのその誘いも最初はあまり乗り気ではなかったのですが、一緒に観てみれば一人で観た時よりも楽しめるかも? との思いでそのMリーグとやらを観戦してみたんですね。そうしたらね、ドハマりしちゃったんですね。しかも推しプロ雀士まで生えてきてしまったんですね。私はあの時誘ってくれた友人に感謝しかないのですが、その友人はというと、私のあまりのドハマりっぷりに「自分が沼落ちさせてしまった······」というよくわからない罪悪感が未だにあるらしく、複雑な感情を抱いているらしいです。
前置きが長くなりすぎましたね? ええ、なんとここまで書いてきたこと全てまだ前置き段階なんですね? こんなに長く書くつもりなかったのに······本当にシンプルにサラッと書いて終わらせるつもりだったのに······。早口オタク怖いですね。
はい、それでは本題。一月を振り返りまして。なんと、推しプロ雀士さんがゲストでいらっしゃるコラボイベントに参加をしてきました。何のコラボかというと、マインドスポーツコラボ。麻雀の他に将棋や囲碁、チェスなどもマインドスポーツに分類されるそうです。要するに、卓上での勝負・対局をするこれらの競技をマインドスポーツというそうなんですね。各ジャンルから何名か講師役としてプロの方をお招きし、本当に基礎の基礎から各競技の遊び方、ルールなどを教えて頂けるという素晴らしいイベントでして。そちらのイベント、私が在住している地方都市の方で行われたのですが、麻雀の講師役に私の推し・瀬戸熊直樹プロがおられまして。瀬戸熊プロから直々に手積み麻雀のやり方を懇切丁寧に一からご教授頂きまして······本当に······恐悦至極の限りでして······。
何を隠そう私、これが初めてのリアル麻雀だったのです。たった一度しかない初めてのリアル麻雀。嗜んでいらっしゃる方は友人同士でやり始めたとか、もしかしたら会社の付き合いで、とかいう方もいらっしゃるのかもしれません。それを私は、推しのプロから直接、直々に、ご指導賜ることが出来まして。これはもう、考えうる限り最高の“初めて”でしょう、と。
正直、このイベントに参加しなかったらリアル麻雀を打つ機会を永遠になくしかねないと思っておりまして、参加した理由はその要因が二番目に大きかったです。やはり麻雀プロの方は雀荘でファンの方達とリアル麻雀をするイベントが多いわけなので、リアル麻雀に一歩足を踏み出すきっかけがどうしても欲しかったのです。え? 参加を決意した一番大きな要因ですか? そこに推しが居るからです。遥か昔にバンドの追っかけをしていた女なので行ける範囲なら何処までも推しを追いかける習性があるんですね。こわいですね。
【二月】
ここからはサクサクいきたいところ······! 初っ端から初見バイバイ全開で読みに来て下さった方々をふるいにかけるのやめようぜ? 一体何人の方が二月まで辿り着けたというのか。
二月はですね、まず幼稚園の頃からの付き合いの幼馴染的な地元の友人と初めてご飯に行きました。去年うつ病で療養していたと書きましたが、その勤め先のスーパーにその子は昔からよく買い物に来ては挨拶してくれてまして、地元の友人が少ない陰キャの私なのに学生時代からいつも優しくしてくれていたとんでもなくいい子でですね。でも中学卒業以降の進路は別々で、成人式の時にも特に話し込んだりしなかったので、ずーーーーーっと個人的な連絡先をお互い知らなかったんですね。で、今更すぎますが一月頃に漸くLINEで繋がることが出来まして、そこから自然な流れでご飯へ。パスタがめっちゃ美味しいオシャなお店でした。お互い離れてる間にあった出来事だとか、近況だとか、たくさんお話し出来ていい気分転換になりました。
あとは私、滅多に映画館に映画を観に行くということをしない人間なのですが、珍しく映画を観に行きました。しかも一人で。何を観に行ったかって? ゴールデンカムイです。友人にゴリゴリ布教され続け、まだアマプラのパーティー機能が生きていた頃に一緒にアニメをイッキ見し、見事にハマりました。SNSに流れてきた実写映画の画像も役者の皆さん本当にクオリティーが高くてビックリしまして、これは是非見に行きたい······! とその当時から考えていたので、きちんと有言実行出来てよかったです。ちなみに私は鶴見中尉と二階堂くんが好きです。ところで、玉木宏が鶴見中尉の役をやるような年代になっていたことに驚きを隠せないし未だに信じられないのは私だけでしょうか?
【三月】
ええ······まだ三月なの······書くの疲れてきちゃったよ······。
はい、この頃仕事のストレスが二度目のピークに達しておりました。毎月メンタルクリニックへの通院は続けてましたし、毎日服用する薬とは別に仕事中の不安を和らげるような頓服薬も処方して頂きそれを服用しつつ誤魔化し誤魔化し短時間勤務を続けておりましたが、二月の終わり頃に「流石にそろそろ限界すぎてぶっ壊れる」と自覚し、とにかくストレス源から今すぐ離れないと死ぬ!! という思いに駆られ、マネージャー(女性)・課長(男性)の上司二名に囲まれて大の大人がマジ泣きしながら今月度で退職させて頂きたいですと直談判。次の仕事は見つかってるのか、週に二回とかでもいいからまだ頑張れないか、等、私に声を掛けて下さる上司はどちらも私の親世代ぐらいで、傍から見たら家族会議で両親に何か諭されてる子供みたいな有り様だったんだろうなと思うと滑稽です。もうとにかく心を鬼にして「もう無理です」と訴え続け、三月二十日の月度末(少し特殊な月度制の会社だった)での退職が決定。最後の出勤日はもうね、あれでした。気分は勇退セレモニーでした。なんせ何だかんだと15年半居座り続けた職場及び売り場でしたのでね。誇張なく、辞めてから肩の荷が降りたような感覚を味わいましたし、息苦しさ、生き苦しさも大分緩和されたので、辞める決意をしてよかったと、何の後悔もなく自分の選択の正しさを褒めてあげられます。
今、もしもこの頃の私のような状態になっている方がいらっしゃったら、お伝えしたいです。耐え忍んで耐え忍んで耐え忍んで、それでどうにかなることも勿論あります。逆に、どれだけ耐え忍べどもどうにもならないことも勿論あるのです。あなたが我慢をしなければならない理由なんてないです。自分の体と心、両方ともの健康が第一です。いのちだいじに、じぶんだいじに。
【四月】
遂に無職へ。単発バイトを三回ほどしつつ、ひたすら職探しの日々。
【五月】
五月末までの単発派遣として働くことに。データ入力系のお仕事でした。元々淡々と黙々コツコツ出来る作業のようなことは好きだし得意な方で、このお仕事はめちゃくちゃ性に合ってました。同期として他にも数人同じ仕事をしていて、上司の方含めて皆さんとても良い方達でしたし、一番年齢が近い方が私と同じく喫煙者で初日のお昼に向こうから話し掛けてくださって、お昼の時間は一緒に煙草を吸いご飯を食べ少し談笑する、という毎日のルーティンが出来まして、コミュ障の私からしたら本当に本当に有り難い存在でした。五月末までという期限がなければずっとあそこで働いていたかった、という同期含めた共通認識。結局私はどこまでもコミュ障なので誰とも連絡先の交換はしませんでしたし、あの仕事が終わったあとの同期の皆さんのその後はわかりませんが、いい職場と巡り会えていればいいなぁと思います。
【六月】
ひたすら職探し。面接までいって落とされること数多。これが就活生の気持ちか······となりながらどんどん心が折れていく。お金もないので心の余裕もどんどんなくなる。しんどい一ヶ月でした。
【七月】
遂に長期派遣のお仕事が決まる。今の派遣先ですね。面接の時に派遣会社の担当のお兄さんが一緒についてきてくれたんですけど、面接前に物凄く入念に面接の打ち合わせをして下さって目から鱗でした。言うべきことと言わない方がいいこと、ここはこっちの言い方に変えましょうかー、などなど。めっちゃ助かりました、マジで。お兄さん曰く、タイピングテストの私の成績がめっちゃよかったとのことで、とにかくそこを軸にしてアピールしていきますので! というその言葉通り、私のタイピング速度について面接で凄い勢いで猛アピールしてくださってました。そのせいなのか何なのか、初出勤時には「めっちゃタイピング速くてコミュ強の派遣さんが来る」という噂が既に蔓延していて、どうしてこうなった??? といういたたまれない気持ちになりました。
【八月】
コロナ禍以降、ライブハウスに足を運ぶという行為がとんでもなく億劫になってしまっていた私が、なんとコロナ禍になってから初めてライブハウスに行ってきました。元々はV系の追っかけをしていた身ですが、この時のお目当ては東方サークルの石鹸屋。ワンマンで地元に来てくれるということで、以前から一度でいいから生で浴びたい!! とずっと思っていたこともあり、バンギャとしてのノリ方しかわかんないけど大丈夫か? まぁ空いてたら逆最前とかで大人しく見ていよう······と考えながらチケットを購入し行って参りました。結論、めっちゃ楽しかったです。途中からテンション上がりまくってジャンプしたり折り畳みしたり拳振り上げたり、めっちゃふっつーーーーーに楽しんできてしまいました。大人しくとは何だったのか。
石鹸屋も好きですがゼッケン屋もめちゃんこ好きなので、秀三おじちゃんはどうかチビにも見やすい箱でゼッケン屋ワンマン回ってきて下さいお願いします。
【九月】
特に特筆すべきこと、なし。仕事してMリーグを観る日々。
【十月】
仕事してM。
【十一月】
仕事してM。
······の間に、久しぶりにヒトカラに行ってきました。私、自分で自分のストレス発散方法がイマイチわからなくてですね。麻雀が趣味だと書きましたが、麻雀って毒にも薬にもなるといいますか、自分でネット麻雀やるにしろMを観るにしろ、自分や推しが負けたらメンタルぐしゃぐしゃのボコボコになるんですね? あれ、逆にストレスかかってない? って気が付きまして。それでも推しの対局は観るんですけど、麻雀だけじゃストレス発散には程遠いと自覚をしたので、長らくご無沙汰だったヒトカラに白羽の矢が立ったわけです。いやぁ、楽しかったですね! だんだん喉が開いてきてから全力で歌う「神様は死んだ、って」が最高に気持ちいい。一人だからって何も気にせず大声出して高音チャレンジして音外しても歌い続けて、いや、ほんと楽しかったです。また来年もちょこちょこ行きたいですね。
【十二月】
遂にやってきたーーーーラスト十二月!
はい、仕事してM。代わり映えの無い日々よ。
趣味でTRPG(主にCoC)を仲間内でやっているのですが、人生で三番目に作り二十以上のシナリオを通過しリアルタイム八年共に駆け抜けてきた古株探索者が永遠の狂気・犯罪性精神異常を患いロストしたりしましたが、私的には納得のいく死に場所で、納得のいくRPをやり切れたのでむしろ心晴れやかな感じです。憧れのSAN値直葬食らって大興奮でしたし。周りの方が親の私よりずっと悲しんでくれてる、有り難いことです。
ははは、はははは。まさかこんなに長くなるなんて思いませんでしたね。一体どれほどの数の方がリタイアせずここまで辿り着けたのか。もしいらっしゃいましたら本当にお疲れ様でした。こんな面白みも何も無い一個人の振り返りにお付き合い下さいまして、誠に有難うございました。
※創作百合
「いっ······!」
がちり。というしっかりと明確な音を認識すると同時に、口内の一箇所を襲う燃やされているかのような激しい痛み。ああ、またやってしまった。そう理解するまでに要した時間はきっと一秒にも満ちていない。
「······ったぁあ······」
右手に持っていた箸を反射的に弁当箱の上に乗せ、今しがた大層な傷を負ってしまった右頬を両の掌で覆う。しかし勿論そんな行動には何の意味も無くて、ジンジンと尾を引く痛みの中に微かな鉄味を感じ取りながら、私は暴れ出したい衝動を必死に堪えながらただひたすら痛みが何処かへ去っていくのを待ち、耐え忍ぶ。
そんな私の挙動の一部始終を真正面という特等席で全て見ていた友人──美柑(みかん)は、心配をするどころか呆れたような眼差しで、まるでつまらない映画を鑑賞させられたとばかりの態度で机に片肘を置き、至極どうでもよさそうに口を開く。
「まぁたやってるよ。流石に見飽きたわ」
「〜っ、うるさいなぁ······!」
私だって好き好んでこんなことをしているわけじゃない。でも、自分の意思でどうこう出来るものでもなかった。
「な〜にが悪いんだろうねぇ? どうにかなんないの? その変な噛み癖」
「今回は、その······二日ぐらい前から左側に口内炎が出来ててぇ······だから右側で噛んで食べてたら······」
「いつも通り“がぶり”、ってわけねー。ていうか、その左側の口内炎の話、あたし聞いてないんですけど?」
「う······、だって······」
今まで必死に美柑から逸らしていた目を、ほんの少ぅし、そちらへ向ける。向かい合わせてくっつけている美柑の机の上。弁当箱の横に、まるで威圧感を放つかのごとく堂々と鎮座しているソレ。
「言ってくれればさぁ、ほら。あたしいつだって分けてあげるって言ってんじゃん」
私の顔を下から覗き込むようにして見上げてくる美柑の瞳は綺麗な三日月の形で笑んでいて、ドラマの悪役もビックリな悪人顔で弁当箱の横のソレを人差し指で艶めかしく一撫でする。あまりの悍ましさについ「ヒッ」と恐怖に引き攣った情けない声が飛び出た。
「やめてぇ······! それだけは、それだけはぁ······!!」
座っている椅子をガタガタと喧しく鳴らしながら背後へ後退し物理的に距離を取る私を胡乱げにジッと見つめ、次いでその視線を例のブツ──みかんへと移し暫し見つめた後······美柑は「ハァーー······」と深々と溜め息を吐いた。
「ったく······なぁんでそんなに毛嫌いするかなぁ? みかん」
美味しいのに、とみかんを見遣りながらどこか寂しげに零す彼女の様子を観察しながら、ジリジリと椅子ごと元の位置へと時間を掛けてゆっくり戻る。
そう、私は大のみかん嫌いだ。幼い頃、気付いた時にはもう既に手遅れなほどに苦手意識が染み付いてしまっていた。少し厚い皮を指で剥く感触とか、実にくっついている白い部分とか、口に入れた時に甘さよりも先に来る酸っぱさだとか······もうとにかく、何もかもが苦手でしょうがない。それに輪をかけて私のみかん嫌いに拍車をかけたのは、頻繁に作ってしまう口内炎の存在だった。「みかんは口内炎に効くからねぇ」なんて言いながら、同居していた祖母に半ば無理矢理馬鹿みたいな量を手ずから食べさせられたのだ。それが私にとって決定的なトラウマとなってしまったのは言うまでもない。
そう、私はみかんが嫌いだ。みかんのことが大嫌いだ。そのはず、だったのに。
「じっちゃんばっちゃんが農家やっててさぁ、この時期になると大量に送り付けてくんの」
いつのことだったか、今日みたいに昼休みに一緒にご飯を食べていた時。毎回デザートとしてみかんを必ず持参してきていた彼女に理由を聞けば、そんな答えが返ってきた。「好きだから全然いいんだけどね〜」と笑いながら、みかんの皮に親指を突き立て、濃いオレンジ色を丁寧に剥いていく細くて白い綺麗な指。手元に視線を落としていることで伏し目になったその瞼から伸びる、黒々とした長い睫毛。食べるのが余程楽しみなのであろう、ゆるやかに弧を描く口元はほんのりとリップで淡く色付いていて。本人曰く天然らしい、太陽の光を受けた少し明るい茶色の髪には、天使の輪が神々しく乗せられていた。
あの時、私は思ってしまった。考えてしまった。彼女に愛されるみかんが羨ましくて、憎らしくて。みかんなんかよりも彼女の方がずっとずっと美味しいに決まっている、なんて。
そんな、馬鹿げた、戯言を──。
「ほれ、あーん!」
「むゥ!?」
不意を突かれた唇はあっさりと開かれ、押し付けられた“何か”を何の抵抗もせず口内へと受け入れてしまう。鼻で感じる匂い、舌で確かめる感触、ゆっくりと慎重に歯を立て破いた薄皮。瞬間、中の果肉が“ぐちゅり”と果汁と共に飛び出る。ああ、酸っぱいよ。さっき噛んだところに染みて痛いよ、馬鹿。馬鹿、馬鹿、馬鹿。
「この美柑様のみかんが食えぬと申すかー! なんちゃって〜」
文句の一つ、いや二つでも三つでも言ってやりたいところだったけど、今はまだ口の中に憎きアイツが居らっしゃるので。食べ物を口に入れたまま喋るのはマナーとしてどうかと思うし? 仕方なく、本当に仕方なく、抗議をすることは我慢したけど。
「早く治せよ〜、口内炎」
ニッといたずらっ子みたいな表情で笑う美柑を見たら、例え口のなかに何も入っていなくても、きっと私はどんな言葉も紡げやしなかった。
ああ、もう、本当に。
憎いよ、みかん。
狡いよ、みかん。
冬休みというものを嬉しいと思ったことは一度もなかった。夏休みとは違いその期間は著しく短く、なのに宿題という要らないオマケは変わらずについてくる。それだけでも不公平だというのに、冬休みには夏休みほどの楽しみな行事がない。クリスマスはいいだろう、あれだけは確かに良いイベントだった。両親から、そして後に父が扮していたと発覚するサンタさんからプレゼントを貰えて、イブの夜には母が私と妹の好物を夜ご飯に作ってくれた。
しかしそれ以外はどうだ。自分の好きな歌手が出ない紅白歌合戦には何の意味もなく、私の子供時分にはまだ「ガキ使」のようなバラエティ番組を見ながら年を越す、といったことはなかった。そして0時少し前ぐらいになると、好きでも嫌いでもないカップの蕎麦を用意され形式的に食す。そうして年を越し就寝し、寝る前に会ったばかりだというのに目が覚め新年になったというだけのことで家族達への挨拶は「あけましておめでとう」。子供ながらに、この違和感だけはずっと拭えなかった記憶がある。
食わず嫌いかつ偏食気味だったため、おせち料理もお雑煮も好きではなかった。初詣は質素なもので、徒歩十分ほどの距離にある地元の小さな八幡神社へ家族揃ってお参りへ。もっと有名で、出店などが出ると聞く大きい神社への初詣に憧れていた時期もあったが、私は人混みが苦手なのでこれに関しては別に良かったのではないかと今なら納得出来る。父も人混みが嫌いな人間だ。かと言って、車で送迎だけして車内でただ待つことに対してもあまりよく思わない人だ。そういう色々な理由の元、我が家での初詣はあの形で落ち着いたのだろう。
元旦が過ぎ、二〜四日ほどの間の何処かで父方の祖父母の家に行くイベントがあった。我が家の父は婿養子として母方の実家で共に暮らしており、結婚を機に母方のものへと姓を変えている。母は一人っ子だが、父は五人兄弟の下から二番目だとか、それぐらいの序列であった。父方の実家の隣には一番上のお兄さん夫婦とその子供(私たち姉妹と一番年齢が近い男の子兄弟)が暮らしており、ハッキリ言ってもうあの家に父の居場所なんてものは無いに等しかった。
娘の私から見ても父は相当な変わり者で、嫌な人間だとか性格が悪いだとかではないのだが、他人の感情の機微に疎い、情が薄い、他人の気持ちがわからない、まさに薄情と言えるような人間だった。だから父は、別に年始に里帰りをする必要性など正直全く感じていなかったのではないかと、今だから思う。それよりも、世間体を気にする母が率先して父の里帰りを決めている、といった感じだった。
父方の祖父も祖母も悪い人たちではなかったが、所詮私たちは外孫。私たちにしたって祖父母にどう接したらいいのかよくわからなかったし、祖父母は明らかに内孫である長男夫婦の子供である男兄弟──つまりは私たちの従兄弟達──を溺愛していた。そんな従兄弟達とは小学校を卒業する頃までは一緒に遊んだり話をしたりと交友を育んでいたが、年頃のせいか、その後は向こうから私たちのことを避け始め、以来ろくに会話もしなくなった。父方の祖父母が亡くなったのは私が二十代になりその半ばか後半辺りに差し掛かった頃だったと記憶しているが、祖父母の葬儀で同じ部屋に居ても、同じ場所で食事をしても、彼らとは一切言葉を交わすことはなかった。ある意味で父方の人間だなぁと感心せざるをえない。しかしながら私たち姉妹にも父の血は通っているわけなので、あまり他人のことを言える立場でもないかもしれない。まぁ要するに、このエピソードの終着点としては、年齢を重ねるたびに父方の実家へ顔を出すのが億劫になっていったという話だ。だからこれも、冬休みに魅力を感じなかった要因の一つとしての責務を立派に果たしている。
このように、幼少期の頃から冬休みというものに思い入れなどなく、また、大学に進学してからはアルバイト、そしてその後十五年もの付き合いとなるパート先が両方ともサービス業であったことが災いし、冬休みという概念はもうずっと長いこと私の中には存在していなかった。それは冬休みのみではなく、ゴールデンウィーク、夏の盆休み等、他の長期休暇に関しても言えることではあるのだが、今回そちらの話は一旦横に置いておくとして。
なんとそんな私に、今年はどうやら冬休みとやらがあるらしい。先にも触れた、十五年勤めた職場を春先に退職し、紆余曲折あったのち夏頃から派遣社員としてとあるお店のネット通販担当、その中でもデータ入力系の作業を主にこなす職に就くことが出来た。お店もネット通販も年末年始は営業をしておらず、営業をしていないということは必然的に仕事も無いということで、十日間の冬季休暇が果たして何年振りだろうか······突然降って湧いて落っこちてきたのである。
けれども、幼かった頃と違い、今の私はこの冬休みに嫌な印象は全く持っていない。それはあまりにも長い年月、冬休みというものと縁のない日々を過ごしてきたからなのか、はたまた年齢を重ねることで感性が変わった、または思い出が風化していきほとんど輪郭のみを残して中身が消えてしまったからなのか、理由には本当に何も見当がつかない状態ではあるのだが。
年齢を重ねると、昔出来なかったことが出来るようになる、食べられなかったものを食べることが出来るようになる、といった変化が度々起こるわけなのだが、今回のコレもそういう類いのものなのか。ここまでの人生、辛いことも苦しいこともたくさんあった。その中で自ら命を断ちたいと願ったことも一度や二度では済まないほど、あった。それなのに私は今に至るまで生き続けてしまって、それを悔いることも有るには有るのだが、しかしこうも思ったのだ。一日一日のたくさんの積み重ねでこの場所まで来て、高く積み上げられた「日々」のてっぺん。「今」という現在地。ここまで来れたからこそ、遙か下方に辛うじて瞳で捕えられるほど小さくなった「思い出」を、こうやってこの場所から見下ろしてやるのも悪くないんじゃないか、と。「大人になる」ということは、もしかしたらこういうことなのかもしれない。
とりあえず今は、久々に到来した「冬休み」を、大人げなく楽しみ尽くすこととしよう。