アシロ

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 元旦の早朝。新しい一年が始まってまだ間もない、体の芯から冷えるような凍てつく空気の中、俺は所謂“自殺の名所”とやらに来ていた。ネットで色々調べた末、ここが見つかりにくく誰にも迷惑をかけず、且つ、確実性のある場所だろうと判断してのことだった。何を隠そう、俺は年末に命を絶つことに乗り遅れた自殺志願者だ。
 もうずっと昔から、こんな人生には飽き飽きしていた。友人は数こそ少なかれど居るには居る。ゲームだとかネットサーフィンだとか、趣味と言えなくもない趣味も一応は、ある。だけどそれが何だって言うんだ。そんなもの、何の未練にもならない。俺を現世に留める楔になどなりえはしない。人間に揉まれて生きていくことに疲れた。日毎起こる凄惨な事件、政治家の汚職報道、芸能人のゴシップなどという悪意に塗れたものを摂取することに疲れた。将来のことを考え、この先に明るい未来など待っていないという現実に直面し続けることに疲れた。もう何もかもから解放されたかった。
 もう終わらせよう。全てのしがらみから解き放たれよう。そう決意し、早朝とも言えない深夜の時間帯に車を走らせ、一歩一歩確実に、寒さと疲れでヒィヒィと白い息を吐きながら進み続け、漸く辿り着いたこの山頂。
「あーーーーーっ!!! クソッタレーーーーーッ!!!!」
 腰辺りまでしか高さのない、人の命を守る気なんてなさそうな安全柵もどきに手を置き、ぐっと前のめりになりながら大声で叫んでやる。
 登頂した俺の目に最初に飛び込んできたもの。それは、煌々と輝きながらゆっくりと上昇していく美しい初日の出だった。神々しいとすら思えてならないそれを見て、不覚にも感動してしまったなんて馬鹿みたいじゃないか。今更こんな感情なんて要らないだろう。だって俺は死にに来たんだぞ。
「バッッッッカやろーーーーーーー!!!!!!」
 輝かしい光が歪んで見えなくなる。頬を伝う涙は、俺の心を一層惨め一色に染め上げた。何でかなぁ。どうしてこうも上手くいかないんだろう。
 一人鼻を啜っていると、背後の茂みがガサガサと音を立てる。風によるものではない。何事かと後ろを振り向けば、俺と同じぐらいの年代に見える一人の男が、何処か恐縮そうな面持ちでそこに立っていた。手にはコンビニのビニール袋。それ以外の荷物は何一つ見当たらない、あまりにも身軽すぎる出で立ち。
 事態を飲み込めず凝視するしかない俺へ向け、男は一言。
「えぇっと······俺、何かしちゃいました?」
 まるで何処かの異世界転生主人公が言いそうな台詞を、こんな状況で、こんな場所で、実際に耳にすることになるとは思いもしていなかった。
「その······バカヤローーー! って、聞こえたので······」
 俺が何かしちゃったのかな、と。
 だんだん尻すぼみになっていく声量と、居たたまれなさそうに視線を右往左往させる男の様子を見ていたら、この状況のあまりの奇天烈さに思わず腹の底から笑いが込み上げてくる。
「クッ······ふふ、ハハッ!」
 突然笑いだした俺を見て男はポカンとしていたが、その様もまた滑稽で尚更笑いが止まらない。
 ひとしきり笑い終え······俺は目元に滲んだ涙を指で拭いながら、男に尋ねる。
「あんた、こんな時間にこんな場所で何してんの?」
「あ、その······えっと······」
「あ、もしかして? 自殺しに来た?」
 言い淀む男に向かって冗談交じりにそう問えば、男は一瞬押し黙り······コクリと一つ、首を縦に動かした。
「······アハッ。マジで?」
「······マジ、です」
「そっかぁーマジかぁー。実は俺もなんだよね」
「えっ!?」
 驚いたように声を上げる男に向け苦笑し、俺はクルリと身を翻す。さっきよりも高度と明度を増した初日の出が、爛々と空に輝いている。
「そのはずだったんだけどさぁー。······これ見たら、やる気なくした」
「あ······初日の出······」
 男はゆっくりと歩を進め、俺の真横に立つと、同じように初日の出に見入る。男の横顔は、俺の気持ちを代弁しているかのようだった。こんなにも美しいものがこの世界にはまだあるのか、と。
「どーする? やる? やめる? やるなら止めないし、俺はもう行くけど」
 俺の問い掛けに、男は穏やかな顔で首を左右に振った。そしてその場にドカリと腰を下ろし、ビニール袋の中身を出していく。
「本当は、死ぬ前に飲もうと思ってたんですけど」
 そこには、二つ並べられた缶ビール。その一本を手に取り、男は俺に向けてそれを差し出す。
「······乾杯、しませんか? その、よければ······ですけど······」
 またもや自信なさげに声のボリュームを落としていく男の手から、奪うようにして缶ビールを手中に収める。
 そうして俺もその場に座り込み、プルタブに手をかけて······その前に、と。
「あんた、家ここの近く?」
「え? あ、はい······一応、徒歩圏内ですけど······」
「オッケ。俺車で来ちゃったからさぁ、この後あんたん家お邪魔していい?」
「えっ!? べ、別に、構いませんけど······」
「あと」
 俺は一つ息を吸い。冷たい空気が肺に満ちる感覚に“生”を実感して。
「あんたの名前、教えてよ」
 ······かくして、自殺志願者だった俺達は。初日の出の美しさと、奇妙な二人の出会いに「乾杯」と声を重ねるのだった。

1/1/2025, 12:47:09 PM