部屋の中を見回してみる。
入浴に行く前に居たはずの恋人の姿が消えていた。
窓が開けられカーテンが風で揺れる。
近付いてベランダを確認すれば捜し人の後ろ姿。哀愁を感じる後ろ姿に声をかけるべきか悩み立ち尽くす。
意を決してサンダルを履き隣に立った。
「もしかして、月を見てたの?」
「そう。中秋の名月だから見たくなってさ」
宵闇の中、輝く月を見上げる。
隣では彼が頬杖をつき煙草をふかしており、二人の間に流れる沈黙が心地よい。
まだどうかこのまま。
二人の時間が終わらないようにと月に願った。
その神様は生まれた時、一人でした。
際限のない暗闇だけが広がる世界。
その中で彼女はひとり存在していました。
ひとりでいる代わりに
世界を創れる能力に秀でていました。
まるで自らの寂しさを埋めるかのように
世界と秩序を創り上げ
自らの血肉と涙から8人の子どもたちを生み出しました。
平坦な道のりではありませんでしたが、
彼女と子どもたちは
箱庭のような世界を一つにまとめていきました______
****
「(……まるで与太話だ)」
青年は筆を走らせる手を止めた。
母と兄姉達の悲劇を隠蔽するために流布する作り話。
託された形見には母の苦悩が切々と記されており、
読み進めるごとに視界が涙で滲む。
母と兄姉達の確執は修復不可能なまでに拗れ、
更なる悲劇を呼び起こした。
「(この嘘が現実だったったら良かったのに)」
皮肉めいた自嘲が浮かぶ。
何もできなかった僕が願うなど烏滸がましい。
青年は文机に突っ伏し、
しばらくの間顔を上げることはなかった。
涙から生まれた命→(作中における)青年
前半部分は長編で実際に出てくる(事実に基づいた)おとぎ話の一部。
ひとり、ポツリと呟いた。
「仲間になってみたかった」
同じ方向を向き、目標を持ち前向きに進んでいく。
そんな後ろ姿は見ていて眩しすぎた。
あの日、最愛の人と離ればなれになって拠り所を失い
足場が崩れ奈落の底へ落下する。
そんな絶望をひしひしと感じていた。
呼吸さえままならない息苦しさに
ひとりもがき苦しんでいた。
またある時は策略に嵌められ、取り返しのつかない過ちを犯す前に止めてくれたのも彼らだった。
全てを受け止め手を差し伸べてくれた。
_____そんな彼らと、敵としてではなく仲間として出会いたかった。
別れの時間はまもなくやってくる。
ひっそりと忍び寄る後悔を飲み込んだ。
体を濡らしか細い声で鳴く小さな命
季節外れの大雨が降った日、君に出会った
キーボードを打つ手を邪魔するかのように
寝そべる姿は可愛い
可愛いのだが、邪魔はするのは意図的なのか
「プリュイ。邪魔しないで」
どかそうとすれば、腕に爪を立て抵抗する
チクチクする痛みに顔をしかめ、息を吐いた
あの大雨の日は兄の命日だった
気持ちが沈み止まぬ涙を拭っていた時に
耳に届いた小さな鳴き声
助けを求める小さな命を見て見ぬふりはできなかった
私を見つめる空色の瞳と見つめ合った
「あぁもぅ。分かったから」
降参しましたとばかりにノートパソコンを閉じた
喉を鳴らし擦り寄ってくるプリュイの姿が、
確信犯のように思えて苦笑い。
甘えん坊で寂しがりの白い猫は膝の上に陣取り
甲高い勝鬨をあげた
この想いはまだ秘密。
いつの日にか、あなたに伝える日まで。
熱気が漲る体育館、入り口からこっそり中を覗いた。
中では胴着に身を包んだ剣道部部員が稽古に励んでおり、
その熱心な姿に尊敬の念を感じる。
稽古を眺めながら、彼を見つけた。
隣のクラスの想い人。
垂に書かれた名前を確認し、一人頷く。
真摯に剣道に向き合う姿が好きで、こうして練習を見学
させてもらうたび更に惹かれる。
一種の憧憬は姿を変え恋慕になった。
私自身伝える勇気はなく、彼も気づいていない。
「また稽古見に来てたのか?」
「うん。稽古中の姿、格好良くて見とれちゃう」
「ふーん……他の奴にもそういう事言ってんの?」
「え?」
「いや、なんでもない」
今のは、聞き違いだろうか。
明らかに第三者を意識していた。
まるで嫉妬するかのように。
好意があると自惚れてもいいのだろうか。