秋風に煽られ木の葉が宙に舞う。
秋風を受けながら通い慣れた遊歩道を歩く。
足元はイチョウの葉が敷き詰められ、金色の絨毯のように輝いていた。通りすがりの多くの人の目を楽しませていた。
「お待たせ」
ベンチに腰掛け、読書に勤しむ彼に声を掛ける。彼は顔を上げ無言で本を閉じた。
そのまま立ち上がる。
慌てて後を追うと、彼の歩幅は緩やかで、私に歩調を合わせてくれているのが分かる。
そんな細やかな彼の気遣いが、擽ったい。
言葉にはしてくれないけれど、大事にされているのがよく分かる。
「………来たいって言ってた店はここだろう」
「え!?覚えていてくれたの?」
彼が足を止めたのはパンケーキが売りのカフェ。行列必至の有名店で、1時間待ちは当たり前の大人気店。
デート中に何気なく話した事を覚えていてくれたことに感激する。
「甘いもの嫌いじゃなかった?」
「嫌いだよ。だから付き添いだけな」
「……ありがとう」
「別に礼を言われる事じゃない」
素っ気ない返事。だけど、その不器用さが愛おしくて笑みがこぼれた。
#秋風
成人式を合わせての帰省だった。
大人の仲間入りをする事に浮足立っていた。
だから、私は知る由もなかった。
私の成人を待ちかねていた人物がいることに______
短く切り揃えられた艷やかな黒髪、切れ長の鳶色の瞳が真っ直ぐこちらを見ている。
トクンと胸が高鳴った。
初めて会うはずなのに、そう思えない。
私は、この人を知っている。
予感などではなく、確信があった。
彼はそっと囁いた。
「……おかえり。迎えに来た」
++++
今から十年前、私が七つのころ。
神隠しに遭ったのだと母から聞いた。
夏休みも終盤に差し掛かり、家族で夏祭りに出かけた。
様々な出店、灯籠の光、笑い声。
その途中、私は忽然と消えてしまった。
夏祭りの会場、近くの神社、友人宅。
何処を探しても、私はいなかった。
村人は恐れ慄いた。
神様に気に入られ、住処に攫われてしまったのだと____生存は絶望的だと誰もが諦めた。
ところが1ヶ月後。
何もなかったかのように、家に戻ってきた。
健康そのもの。
一点違うところがあるとしたら、胸元にある牡丹の形をした痣があること。神隠しに会う前にはなかったものだ。
それが何を意味するのか、誰も分からなかった。
+++
「迎えにって、何処に?」
「私の住処に……昔、約束しただろう。大人になったら嫁としてもらい受ける、と」
「_________!」
そんな約束知らない。
破棄だ。時効だ。
そう叫びたかったが、声が出ない。
体も動かず、逃げることもできない。
「神との約束は反故にはできん。
_____諦めよ」
#予感
幼い頃からずっと一緒に居た。
3人でいるのが当たり前で、これからもそれは変わらないと思ってた。
______その親友2人が、恋人同士になったらしい。風の噂でそれを知った。
隠し事をされるなんて初めてだった。
何でも話せる関係だと思っていたのは、私だけだった。
こぼれ落ちるため息は、誰の耳にも届かず風に溶けて消えていった。
それが、転機だったのだと思う。
父の転勤が決まり、引っ越すことになった。
慣れ親しんだ土地を離れるのは寂しいけれど、ほっとしている自分がいた。2人と顔を合わせずに済む。
それだけで、気持ちが軽くなった。
「……紗奈…引っ越すって本当?」
「うん。それがどうしかした?」
「何で、教えてくれなかったの」
「よく言うよ……小森と付き合い始めた事を隠してたくせに」
「っ……!それは……」
「遅くなったけど、2人ともおめでとう。お幸せに」
清々しいまでの作り笑顔を浮かべた。
小森と杏の引きつる表情がすべてを物語っていた。
________知っているよ。
小森と杏が互いに思い合ってたのを。
私は、最初から邪魔だったんだよね。
だから、消えるね。
背を向け歩き出す。
頬を伝う冷たいものに気付いても、何もなかったふりをした。
#friends
高校卒業とともに疎遠となって数年。
スマホから、聞き覚えがある旋律が流れてきた。
"AmazingGrace"
讃美歌の一つで、彼女が歌っていたのを眺めていた。
伸びやかで澄んだ歌声は、いまでも鮮明に思い出せる。
懐かしい思い出だ。
数ある讃美歌の中で、特にこの曲を好んでいた。大事な思い出のあると聞いていたが、詳細は聞かなかった。悲しげな横顔を見て、踏み出す一歩がなかった。
思い出の曲を聴いて思う事は一つ。
________君に会いたい。
「その、久しぶり…元気だった?」
「うん。久しぶり。急に電話くれたから驚いちゃった」
消す事が出来なかった彼女の携帯番号。
かけてみれば、すんなり繋がった。
直後、聞こえてきた懐かしい声に、心臓が早鐘を打つ。
「ところで何かあったの?」
「いや、そうじゃなくて……讃美歌聞いたら、君のこと思い出して」
「………話したくなった?」
「というより、会いたくなった」
不意に訪れた沈黙。
流れる気まずい雰囲気に言ってはいけない事を言ってしまったと気付かされる。
学生時代とは違う。今の自分が、彼女の都合を考えず言っていい事ではなかった。
会えない現実に一抹の寂しさを感じたが、だが、その気持ちを言ってしまえば彼女を困らせてしまう。
「嬉しかったよ。会いたいって言ってくれて」
「え?迷惑じゃなかった?」
「……うん。だって………」
その後、彼女の言った事に胸がいっぱいになった。。一方通行だと思っていた想いが、実はちゃんと届いてた。
その事実に喜ばずにはいられなかった
#君が紡ぐ歌
「……こんなとこで寝ると風邪引くよ」
聞こえた声に慌てて顔を上げれば、逆光で顔は見えない。
けれど、この声は聞きたかった人のものだ。
「……高瀬、聞いてる?」
「あ、聞いてるよ。ごめん……少し寝ぼけてたみたい」
「気持ちよさそうに寝てたもんな」
「あはは……」
乾いた笑いを浮かべた。
ポケットで存在を主張する砂時計に触れ、過去に来た事を突きつけてくる。
祖母の形見の砂時計。それは一度だけ過去へと導いてくれるものだと___そう聞いていた。
形見分けで受け取ったものだが、部屋のインテリアとして飾っていたにすぎなかった。
けれど_______
あの日の早朝胸騒ぎがして目が覚めた。
直後に地震が起き部屋が激しく揺れる。
砂時計が棚から落ちていくのをただ見ていた。
そして、次に目が覚めた時、私は過去にいた。
目の前には、この世にいるはずのない人。
彼は、精神を病み自ら______
忘れていたい記憶が一気に押し寄せ思わず首を横に振った。
「何で泣いてるの?」
「………え?」
頬に彼の指が触れ、涙を拭った。
涙は、絶えず流れ続け次第に嗚咽に変わっていく。
彼が、亡くなったあの日から封じ込めた想い。
とめどなくあふれ出し、まるで洪水のように私の心を押し流していく。
「もしかして、俺は生きてない……?」
確信に満ちた口調で彼は呟いた。
否定も肯定も出来ず項垂れれば、頭上から溜息が落ちてくる。
彼はしゃがみ、私と視線を合わせた。
「そうなんだな?」
真摯な視線から逃れることができず頷いた。
彼女は十年後の未来から来たという。
過去に逆行したきっかけは信じ難いものだった。
地震が発生したというのであれば、本来の彼女は無事なのだろうか。
「……そうか。やはり俺は墓の下か」
事情をすべて聴き、口から出たのはそんな一言だった。
もたれ掛かる細い体を抱き寄せ、そっと髪を撫でる。
「この世界にずっといたい」
髪を撫でる手が止まった。
彼女の願いを叶える術はある。
けれど、その選択はしてはいけない。
「……高瀬、あるべき場所に帰るんだ」
「! どうして、そんな事言うの?」
「君には生きる義務がある。それに君に何かあったら悲しむ人がいる」
「嫌だよ!そうだとしても_________」
俺は無言で砂時計をひっくり返した。
彼女の姿が薄れ消えていく。
伸ばされた手を拒み、笑って見送った。
++
多くの犠牲者を出した震災から私は生き延びた。
瓦礫に埋もれ気絶していた私は助け出され、病院に搬送された。奇跡的にかすり傷で済み、病院で再会した両親とは互いの無事を喜びあった。
ただ、砂時計は壊れてしまった。
原型を保っておらず粉々になって。
過去への逆行は、私の運命を変えるものだったのだろう。
_____「生きろ」
最後に彼が言ったあの言葉。
たった一言の励ましが、命を繋いだ。
「ありがとう」
天を仰ぎ呟いた声は風に紛れ消えていった。
#砂時計の音