『ゆずの香り』
2年前、私は少しの間親戚の家で過ごしていた。
そして、仕事へ行く途中にいつもゆずの香りがする女の子とすれ違っていた。
家がゆずの農家なのかな?
と思い、私は彼女の香りに癒され、毎日仕事場へと向かう。
私がその時住んでいた地域はド田舎で、周りはほとんど畑や田んぼが広がる。唯一ある幼稚園から中学校までは場所は少し離れているとはいえ、エレベーター式だ。
しかも、駅から絶妙に遠く、徒歩で行くと1時間は余裕で超え、地域の子供らは自転車や、自動車を使い駅へと行く。
そんな中、私はバスで駅まで向かっていた。
彼女とすれ違うのはバス停までの道のりだ。
いつも、その子の目は遠くを見つめていた。
どこにも焦点が合わず、目も1度もあったことがない。
ただ単にボーッとしているだけならいいのだが、何となく気にかかっていた。
親戚に聞くと、どうやらその子には弟がいたみたいだが、生まれつき体が弱く数年前に亡くなったらしい。
その子はその日からずっとあんな感じだそうだ。
私は彼女になにか出来ないか。
でも、突然何かしたら怪しまれるし、何より気を使われるのはきっと楽ではないだろう。
私は色々と考えたがただ、すれ違う度に会釈するだけにした。
最初の1、2週間は相手から認知されなかったが、1ヶ月辺りから目が合い、彼女も会釈するようになった。
何となく、心を開かれた気がして嬉しかった。
そんな何の変哲もない毎日が続き、彼女はある日を境に笑顔で挨拶してくれるようになった。
子供の笑顔は無邪気で癒され、私の心は温まった。
私はその後、再び転勤することになり、その地を離れることになった。
今日で最後だな。
と思った日は、たまたま彼女は通らなかった。
私は少し寂しい気持ちになり、その地を去った。
私はいつの間にかあの暖かいゆずの香りを求めるようになり、いつの間にかゆずを育てていた。
そして、徐々に肌寒くなり、雪が降り積もる少し前あたりの時期。
ゆずの木に実がなる度に、私は毎年思い出す。
ゆずの香りがする、彼女のことを。
「あの……すみません。」
ゆずの木に水をやっていた時、家の前から可愛らしい声が聞こえてきた。
「はーい。」
「──さん、ですか?」
「……?」
「えっと、その、私………。」
彼女は黙り込んでしまった。
声は震えていて、心做しか目に涙が溜まっていた。
でも、私は彼女の雰囲気、彼女からする香りを忘れるわけなかった。
「……中に入る?
私も、君とずっと話したかった。」
「………!!
はい!」
彼女はパッと花が咲くような笑顔になり、ほんのりと頬が赤く染った気がした。
そして、彼女は軽い足取りで私の家へと上がって行った。
私の家が彼女のゆずの香りで満たされるようになるのは本当に一瞬だった。
『大空』
覚えてるかな?
“あの日”も今日みたいな雲ひとつない青空が広がっていたことを。
ほんと、驚いたよ。
ただ、君に謝りたかっただけなのに。
なのに、神様はそれを許してくれなかったみたいだ。
僕が忘れていた記念日はとっくに過ぎ、
君の誕生日にはまだまだ早い。
僕の誕生日だって、この前終わったばかりだったのに。
高校2年生の春。
突然呼び出したくせに、あの人は全然来なくて私はイライラしていた。
3時間くらい待ち、流石に心配になった。
けれども、あの時は記念日を忘れられて少し拗ねていた。
それで彼の家まで行くのが何となく嫌になり、私はそのまま近くの本屋により帰った。
本屋に彼の好きな漫画の新刊が出ていて、今度あった時教えよう。なんて、呑気なことを考えた。
そして、家に着き、大量の着信履歴があった。
かけ直すと、彼の母親からだった。
“いきなりごめんね。
実は、あの子が、あの子が………っ”
その人の声は震えていて、嫌でもわかった。
彼になにか起きたことは。
“………っ、飲酒運転していた人に、跳ねられたの。“
私はドクンと心臓がなり、ダラダラと汗が出てきた。
彼の母親から告げられた病室へと駆け込んだ。
そこには、足に大きなギブス、頭に包帯を巻き、ピッピッという電子音に点滴、人工呼吸器、そしてその横には目を真っ赤に晴らした彼の母親。
じっと俯き、唇を噛み締めている父親。
看護師さんに訴えかけている彼の兄。
私はその場に倒れ、気を失った。
そして、次に目が覚めると彼と同じ病院だった。
私は無理やり落ち着かせ、彼の母親から彼の容態を聞いた。
今夜が山場でしょう。ですが、仮に、命を取りとめても植物人間になる可能性が高い。
と。
私は絶句した。
もう、彼の声が聞けないかもしれない。
もう、二度と彼の笑顔を見れなかもしれない。
私は冷たい彼の手を握り、必死に神に祈った。
けれども、現実はいつも残酷を突きつけてくる。
彼は3時間後、静かに息を引き取った。
今日は、そんな彼の命日だ。
本当に、今日はものすごく天気がいい。
桜も満開で、子鳥のさえずりが聞こえてくる。
そして、少しだけ気温が上がってき、私は汗を拭った。
もし、彼がまだ生きていたら、私の横をまだ歩いていてくれてたかな?
この綺麗な大空を、一緒に見れたのかな?
私は涙をこらえ、グッと拳を握った。
“僕も、本当はもっと君と居たかったよ。”
誰にも見えなくなった彼は涙を流し彼女に抱きついた。
彼女がそれに気づくことはない。
ただ、 静かに2人、雲ひとつない青空が広がる大空の下で立ち尽くしていた。
『ベルの音』
「今夜は冷えるね。」
なんの日でもない今日、シャンシャンと鳴り響く音と共にその人はやって来た。
僕は目を疑った。
真っ赤のお鼻のトナカイに、長い髭を生やした赤を基調としたモコモコの服を着たおじいさん。
そして、大きな大きなソリにその上に乗っている山積みの白い袋。
今は秋で季節外れだし、そもそも俺はもう20歳だ。
もう成人している。
だと言うのに、未だに子供じみた夢を見ている。
「まさか夢だと思っているのかい?
違うよ。君にプレゼントがあるんだよ。」
「俺が欲しいものなんて、金くらいしかねぇよ。」
「本当に?」
あぁ。
俺は頷いた。
だが、そのおじいさんは首をかしげ不思議そうな目をした。
「おかしいなぁ。
私は君に1番大事なもの、“1つ”配り忘れているんだよ。」
俺は耳を疑った。
俺は子供の頃、毎年ちゃんとプレゼントを貰っていた。
配り忘れているなんてそんなことあるのか?
そもそも、サンタっていう存在は………。
「ふふふ、そう恥ずかしがるな。成人したって心はまだまだ子供だ。
さぁおいで。」
俺はおじいさんに手を引かれるままにソリに乗った。
そして、おじいさんはハイヤ!と声を上げるとそのソリは動き、宙へと浮いた。
みるみるうちに自分の家が小さくなる。
どんどん街が小さく見える。
俺は少しテンションが上がった。
そして、おじいさんにヒョイと白い袋を渡された。
「タダで乗せるわけないじゃろう?
さぁ配るんだ。君へのプレゼントはその後だ。」
俺は「はぁ?」となったが、飛び降りる訳にも行かないのでおじいさんに従った。
俺たちは最後の1つを配り終えると、おじいさんはニコリと笑い、俺の頭に手を乗せた。
“大きくなったな”
そして、そのまま再びシャンシャンと鳴り響き、おじいさんは消えた。
おじいさんが消え、そこに残ったのはひとつの小さな箱だ。
俺はそれを開けた途端、涙がボロボロとこぼれてきた。
そこにあったのは、父親の唯一の形見であったボロボロになった腕時計だった。
俺の親は俺が中学に上がる時に離婚した。
俺は裁判の結果、に母親の元へ行くことになってしまったが、父親のことは大好きだった。母親よりも。
その時に貰った父親の腕時計。
母に取られ、そのまま帰ってこないと思っていたが、今目の前にある。
そして、俺は思い出した。
小6の時、最後に願ったプレゼント。
それは、父親の笑顔だった。
だが、父親は俺が中二の時に持病が悪化し、亡くなった。
俺は嗚咽を漏らしながら、一晩中泣いた。
“ありがとう。親父。
最高のプレゼントだ。”
『寂しさ』
「ただいま。」
そう言っても今は誰も出迎えてくれない。
“おかえり”と返事してくれない。
そんなことになったのは自業自得なのだが、あの人が戻ってきているのではないかとどこか期待してしまう。
僕はコンビニで買ってきた弁当を温め、割り箸を割り、テレビのスイッチを入れて1人静かに食べる。
もうずっと前に慣れたと思っていても、やはりどこか寂しい。
ずっと前までは自分の可愛い子供たちの笑い声や愛しい奥さんの笑顔もあり、この家には花が咲いていたのに。
今じゃ枯れているどころか存在さえしていない。
「続いて、次のニュースです。
〇〇県〇〇市 〇〇丁目に“異臭がする”と通報がいき、警察が調べたところ死体があり、その人には膨大な借金があり自殺の可能性が高いと調査し───」
あの幸せの時はこんなことにはならないと思っていた。
だから、もしかしたら、次は、僕の番かもしれない。
そうなっても、きっと誰も悲しんでくれないだろう。
ただただ迷惑がかかるだけだ。
あぁ、こんなことになるならば、僕は、僕は.........。
『冬は一緒に』
子鳥のさえずりが聞こえてこなくなってきた。
ふと当たりを見渡すといつの間にか綺麗に染っていた木々は葉を落とし、気温はグッと下がっていた。
白い息がかかり、霜がおり、地面が凍り、動物たちは冬眠し、農作物も収穫の秋を迎えたことになにか物寂しいものとなる。
辺りはとても静かになる。
うるさいほど泣き叫ぶセミもいなければ、夜の演奏会を主催するコオロギたちもいなくなる。
その時は鬱陶しいが、いざ静かになるとそれらがふと恋しくなる。
……いや、そうはならないか。
周りの人達は体を温めるため身体を震わせ、衣類を倍ぐらいに羽織、暖かいものを好むようになる。
そして、まだかまだかと春を待つ。
だが、冬の夜空は一段と美しい。
大気中に含む水蒸気が少なく、塵やほこりも夏と比べると少なく、空が澄んで見える。
そして、日本一の山も同じ原理で美しく見える。
その上、地上でもキラキラと星空に負けないくらい輝く光もある。
だが、それらの光はどこか儚く、暖かい。
そんな冬が好きだ。
冬は一緒に私たちと共に長い夜を明るく照らしている。
天然の星々と、人工の光で。
だが、私たちが立っているこの場所から真下の国々では、長い昼をギンギンと照らしている太陽がある。
その上、衣類も私たちとは真逆にできるだけ涼しく、通気性を求める服装になる。
同じ地球だと言うのにこれほどにも全く違う。
あぁ、世界はなんて、美しいのだ。
そして半年後には真下の人々も冬の美しさに感嘆し、私たちは夏の暑さに驚愕する。
たしかに、冬はどこかに存在し、共に、一緒に地球を回っている。