花とコトリ

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11/19/2025, 6:11:45 PM

「吹き抜ける風」

風が、ただ通り過ぎていく。
私をどこへも連れて行かない。
何かを壊そうともしない。
ここにいることを、教えてくれる。

テーブルの紙が浮き、また落ちる。
ああ、世界は動いている。
特別なことじゃない。
日々の小さな動きだ。

愛犬のクロは縁側で寝ている。
長い黒い毛が、微かに揺れていた。
クロの夢の中にも、風は吹くだろう。
ピクッと動いた耳が、それを教える。

急ぐ必要は、どこにもない。
人生も、この風に似ている。
ただ、静かに通り過ぎるだけ。

その道の途中で、
誰かの温かい手に触れる。
クロの柔らかい毛に触れる。
それで十分だと思う。

風が連れてきた匂いは、夏の終わり。
そして、新しい始まりの予感がした。

11/18/2025, 3:35:40 PM

「記憶のランタン」

光にならないものがある。

たとえば、クロの重さだ。
わたしの膝で丸くなったクロの、
ずっしりと重い。生きている重さ。

それは光ではない。
音もない。色もない。

ただ熱だけだ。

クロの体温は消えた。
わたしは手のひらに記憶する。

その場所が痛む。ときどき、ちくりと。

それは小さなランタンの火。
闇を照らす光ではない。
火傷しそうな熱い熱。それだけを持つ。

真っ暗な部屋で抱きしめる。
そっと、その熱を。
誰にも見えない小さなランタン。

揺れるたびに聞こえる。
あの日のやさしい息づかい。

わたしたちは知っている。
その熱さえあれば、生きていける。

11/17/2025, 1:35:31 PM

「冬へ」(冬の散歩とクロ)

朝。空は、鉛色。

風が、乾いて冷たい。
こういう日は、部屋の光が白い。
光は、温かさと冷たさを分ける。

クロと散歩に出る。
アスファルトが凍てついている。
クロの息が、白い煙になる。
それが、冬の合図。

手袋の指先が痛い。
でも、クロは歩き続ける。
力強く、地面を蹴る。
私もその歩調に合わせる。

景色は、何もかも色を失っている。
ただ、輪郭だけが残る。
世界が、シンプルになっていく。

クロは、時々私を見る。
「大丈夫だよ」と、言っている気がする。
その黒い瞳に、私は救われる。

冬は、言葉が要らない季節だ。
ただ、隣にクロがいる。
それだけで、全てが足りている。

私はこの静かな時間を、
ポケットに入れて、家に帰る。

11/5/2025, 12:48:45 PM

「時を止めて」

クロとソファで毛布にくるまっている。
部屋は夕方のにおいがする。

特別なことは何も起こらない。
ただ、お互いの息の音が、静かに、そこにあるだけ。

クロの毛並みが、昔より少しごわごわしてきたのを知っている。
指先に、命の重みを感じる。

私たちは、この瞬間をいつか失うだろう。
どんなに願っても、時間は誰にも味方してくれないから。
クロの時間が、私の時間と違う速度で進んでいることも、わかっている。

だから、今、目をつぶる。

瞼の裏に、この温かさと、クロの軽い寝息を焼き付ける。
瓶詰めにできるなら、そうしたい。
光も風も届かない、どこか奥深い場所にしまっておきたい。

でも、できないから、代わりに深く吸い込む。
この一瞬の匂いが、私の全部だ。

そして、またすぐ、明日が来てしまう。

10/27/2025, 12:25:59 AM

「終わらない問い」

クロは
今日もそこで寝ている。

窓からの午後の光が
ゆっくりゆっくり
その黒い毛並みを
横切っていく。

世界は動いている。
時間は流れている。
でも、クロの呼吸だけは
ずっと
あのペースだ。

何を考えているんだろう。

人間は、いつも
どうしてあんなに
前のめりなんだろう。

何かを達成したくて。
誰かに認められたくて。
それとも、ただ
止まるのが
怖いだけなんだろうか。

昨日も、一昨日も、
答えのないことばかり
頭の中でぐるぐる回っている。

それが私の
「終わらない問い」だ。

だけどクロは
お腹がすいたら
「ごはん?」
と、ただ一言、問いかけるだけ。

その、ただひとつの問いのほうが
ずっと本質に近い気がする。

今日、生きる。
それだけ。

たぶん
それでよかったんだ、と
クロを見ていると思う。

いつか
その単純さに
辿り着けるだろうか。
今日もまた、問いながら。

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