手のひらの贈り物
冬の午後の、頼りない光。
ソファに座っていると、クロが足元にやってきた。
そっと差し出した私の手のひらに、
クロは迷わず、その温かいあごを預ける。
ただそれだけのことが、
遠くの国の誰かからの手紙よりも、
ずっと昔に失くした宝物よりも、
今の私を静かに満たしてくれる。
手のひらに伝わる、ささやかな鼓動と体温。
世界はたぶん、こういう小さな贈り物で、
優しく包み込まれているのだろう。
「いい子だね」
呟いた声は、そのまま光の中に溶けていった。
心の片隅で
夕暮れ時。
部屋がオレンジ色に染まっていく。
心の片隅に、
小さく灯った光がある。
それは明日への、ささやかな期待のようなもの。
コーヒーを淹れると、
香ばしい香りがゆっくりと広がった。
「ねえ、クロ」
名前を呼ぶと、
クロがとことこ寄ってきて、しっぽを振る。
黒い背中に夕陽が溶けて、
まるで金色の魔法がかかっているみたいだ。
今日が終わる。
でも、それがなんだか嬉しい。
明日は今日よりもっと、
いい日になるような気がするから。
雪の静寂
世界から一切の音が消えた。
カーテンを開けると、そこには夜明け前の青い透明な時間が降り積もっている。
銀色の粒子をあふれさせたような、しんとした静寂だ。
私は湯気を立てるコーヒーを一口含み、その苦味で目を覚ます。
足元では、影のように黒いクロが、雪の気配を察して鼻先を震わせていた。
私たちはただ黙って、白く塗りつぶされた庭を眺める。
言葉にすれば壊れてしまいそうな、けれど新しく生まれ変わったような夜明け。
寄り添うクロのぬくもりと、コーヒーの熱。
このささやかな温度こそが、新しい今日を始めるための、私だけの合図だった。
君が見た夢。雪の静寂、白い記憶。
窓の外は、音もなく降り積もる雪。
世界が真っ白に塗りつぶされていく午後、僕は深い眠りに落ちた。
夢の中で、僕は古いテラスに座っていた。
足元には、いつの間にか白猫のユキが丸まっている。
雪の結晶が降りかかるたび、ユキの真っ白な毛並みと同化して、
どちらが雪で、どちらが体温なのか分からなくなる。
ユキはふいに顔を上げ、琥珀色の瞳で僕を見つめた。
冷たいはずの空気の中で、ユキが喉を鳴らす音だけが、
小さなストーブのように僕の胸を温めてくれる。
「もう、寒くないんだね」
目が覚めると、部屋は青白い雪明かりに包まれていた。
ユキの姿はどこにもないけれど、僕の膝の上には、
まだ消えない、陽だまりのような温もりが残っていた。
明日への光と、苦い静寂
誰もいない夜更け。
台所の電気だけが点いている。
マグカップに立ちのぼる湯気の螺旋を見つめる。
今日一日の疲れを、
この苦い一杯が静かに引き受けてくれる。
居間のソファーの足元の、
くしゃくしゃになった毛布の中で、
すっかり眠りこんだクロが丸くなっている。
台所の電気をそのままにして、
マグカップを手にクロの横に座る。
その呼吸は、あまりにも規則正しく、
あまりにも穏やかで、
世界のざわめきとは無関係なリズムを刻んでいる。
人生は、時々、理由もなく冷たい。
手のひらから零れ落ちる砂のように、
大切なものが遠ざかる。
そんなとき、私はクロの背中をそっと撫で、
冷めかけたコーヒーを一口飲む。
苦味の後に残る、舌の奥のかすかな甘さ。
クロの体温。
それらは、遠くにある「希望」なんかじゃなくて、
今、ここにある小さな光だ。
明日もまた、クロは目覚め、
私はコーヒーを淹れるだろう。
その繰り返しの中、光は自然と見つかる。