【巡り逢い】
僕は不気味な子供だと思われていたらしい。最低限しか泣かず、子供らしくはしゃぐこともあまりなくて、大人の話にじっと聞き耳を立てて、癇癪もほぼ起こさず、異様に聞き分けが良いのだから、周りが何かおかしいと感じたのも仕方がないだろう。
村の同年代の子供とは馴染むことができないまま僕は10歳になった。そしてたまたま村に立ち寄った薬師に声を掛けられた。
「君、もしここに居づらいなら、私の弟子になるかい?」
僕はその言葉に頷いた。両親もあっさりと僕を手放した。大きくもない田舎の農家だ、四男の僕には継げるものもなくて、どうせいつかは村を出なきゃいけなかったんだ。
この巡り逢いが僕の人生を大きく変えた。
まさか師匠がただの薬師じゃなくて『戦う薬師』だとは思っていなかった。
僕は回復薬の作り方よりも毒薬の調合を重点的に仕込まれた。弓矢の扱いを習い、投擲用のダガーを渡され、それに毒を塗り魔獣と戦った。
同時に魔法の使い方も習った。元々、師匠が僕に声を掛けたのは僕の魔力が多かったかららしい。僕は魔法士としてもそこそこ優秀だと言われている。
僕がかなりの大怪我をしても師匠が治してくれる。師匠の回復薬は効果がめちゃくちゃだった。僕が左腕を魔獣に喰い千切られた時も綺麗に治してしまった。それはありがたいことだったけど、治ればまた戦わなきゃならない。
ある日師匠が「そろそろ良いかな」と呟いた。そして、僕を連れて国境を越えた。小さな国をひとつ横断して更に隣の国へ。
その国の王都に着いてすぐ、師匠と僕は沢山の騎士に取り囲まれた。騎士の間からなんだか偉そうな人が出てきて、師匠を「賢者殿」と呼んだ。
「勝手に留守にされては困ります。あなたが不在のまま何年経ったと思っているんですか!」
「だって、宰相が言ったんでしょう。『隠居したいなら後継者を連れてこい』って」
「……そりゃあ、言いましたけど……」
え。この偉そうな人、この国の宰相なの。
わけがわからないまま僕は城に連れていかれた。師匠はこの国で賢者と呼ばれていた。王族の体調管理にも関わっていて、子爵の地位を持っていた。僕は師匠と養子縁組されていて、つまり、子爵の息子になっていた。
僕は師匠と一緒にお屋敷に住むことになった。魔獣とは戦わなくなったけど、貴族としての礼儀作法を叩き込まれている。
「早く成人してくれよ。私はさっさと隠居したいんだ」
師匠が微笑んで無茶なことを言う。
「成人したばかりのひよっこに『賢者』が務まるわけないでしょう!」
「君ならやれるよ」
「無理です!」
今、宰相閣下と僕、それに魔法士団と騎士団の団長たちは、どうにかして師匠をこの国に留まらせようと知恵を絞っている。
また長いです。1,400字ほどです。
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【どこへ行こう】
パン屋の息子が急に魔法の力に目覚めて火事から友人を助けた……それがすべての始まりだった。両親の店を継ぐ気でいた僕は、拉致されるように町から連れ出され、魔法学校に放り込まれた。ついでにいつの間にか貴族の養子にされていた。今の僕は伯爵家の子息らしい。
魔法学校の生徒は貴族ばかりで、平民はほんの少ししかいなかった。でも、伯爵の養子である僕は彼らからも遠巻きにされて、仲の良い友達なんてできなかった。僕の魔力が飛び抜けて多く、魔法士として優秀だったから尚更だ。
養父に無理を言って、長期休暇に一度生家のパン屋を訪ねた。両親も町の人たちも変わってしまった。僕を貴族として扱い、恐縮しながらぺこぺこと頭を下げた。ショックだった。泣きそうになりながら学校の寮に逃げ帰った。
学校を卒業すると、僕には宮廷魔法士の地位が与えられた。国内に二人しかいない要職だ。本当に僕でいいのだろうか。
王都を守るための結界を維持し、騎士団や他の魔法士たちの手に負えない事態になれば魔獣討伐の現場にも出る。城の片隅に部屋が用意されてそこで暮らした。
ある日、僕の先輩の宮廷魔法士が怖いくらい真剣な顔をして僕の部屋にやってきた。そしていきなり物騒なことを聞いてきた。
「お前、人を殺したことはあるか」
「ありませんよ。なんですか、急に」
「戦争が始まる。宰相も他の大臣たちも止めたんだが、国王陛下は隣国の穀倉地帯を欲しがっている」
「それは……」
間違いなく、僕たちは戦力として前線に出される。嫌だ。僕は元々なりたくてこんな立場になったわけじゃない。
両親のパン屋に帰れなくなった時点で、僕にはこの国に対する思い入れも愛国心もなくなっていた。勝手に決められ、義務ばかり課せられ、誰も僕の意見なんて聞いてくれない。そんな状況で周りのために進んで何かをしてやろうなんて思えるものか。その上戦争だなんて、冗談じゃない。
先輩が言った。
「俺と逃げないか」
「そんなの……無理ですよ」
宮廷魔法士になった時に、国と契約を交わしている。この国のために力を使い、王には逆らわないという一方的で暴力的な契約だ。僕たちの体には契約紋が刻まれていて、許可なく王都を離れれば、首が絞まって息ができなくなるらしい。
「俺なら契約を解除できる」
「……本当に?」
「ああ。今まで隠していたけどな。どうする、俺と一緒に来るか?」
僕ははっきりと頷いた。
「行きます!」
僕の左の手の甲にあった契約紋を、先輩はあっさりと消してしまった。
城には防御の結界があるけれど、自分たちで張っている結界だ。抜け出すのに支障は何もなかった。警備の騎士の目を盗んで、それが無理なら魔法で眠らせて、僕たちは城から抜け出した。
王都から出るのは少し怖かった。契約が完全に切れていることを確認できた時には本当にホッとした。
先輩が朗らかに笑って僕に聞く。
「これからどこへ行こう。お前はどこか行きたい場所があるか?」
「ええっと……海を見てみたいです」
この国の南は海に面しているけれど、僕はまだ海を見たことがない。
「いいね。行こう」
「……行けますか?」
「行けるだろう。俺たちはもう自由だ。俺がお前を海まで案内してやるよ」
「でも。きっと、追手とか」
「俺たちは宮廷魔法士だったんだぞ? 個人としての戦力なら国内最大級だ。だから契約で縛られてたんだぜ」
追手くらい追い払ってやると先輩が笑う。
「もう安心していい。だから、お前も笑えよ」
僕は自分がもう何年もちゃんと笑っていなかったことに、やっと気付いた。
BLです。長いです。BLが苦手な方は回避してください。すみません。
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【ささやき】
「好きだよ、ルシアン」
そうささやき、僕に抱きついてきた男の名はシリルという。侯爵家のご令息であり、怪我なんてさせられない相手であり、突き飛ばすことを躊躇した。
「やめてください。僕は男です」
「わかってる。でも、私は三男だし、この国の法律は同性婚を禁じていない」
「……それは、そうですが」
シリルは令嬢たちが見惚れるような笑顔を僕に向け「私との縁談、考えてみてよ」と言ってから僕を解放した。
そして実際、僕の家にシリルの実家の侯爵家から婚約の打診があったのだ。
僕は子爵家の子息である。互いの地位や力関係を考えたら、断れない話だった。それでも、僕はすぐには頷けなかった。男同士なのが嫌だからじゃない。
僕も貴族だ。家のための政略結婚くらい覚悟している。しがない子爵家が侯爵家との繋がりを得られるのならすごいことだ。シリルの申し出を受け入れれば、僕は父の役に立てる。
問題は僕の血筋。僕は子爵の次男ということになっている。でも本当は父の血を引いていない。じゃあ誰が僕の父親かと言うと、この国の国王陛下である。
他国の姫を王妃として迎える直前、国王陛下を騙して媚薬を飲ませた侍女が僕の母親だったらしい。母は王が口にする物に異物を混ぜたという理由で投獄され、存在を消されたあと、懐妊がわかって。子供に罪はないからと、僕は秘密裏に養子に出された。
でも。僕は国王陛下そっくりに育ってしまった。ゆるく波打つ金髪も、王族に多い鮮やかな緑の瞳も、少し垂れた目尻も、並べば言い訳できないくらい血縁者にしか見えない。だから変装用の魔導具を常に身につけて、茶髪に青い目という姿に偽装している。
誰かと深く関われば、僕の問題に巻き込んでしまう。僕は、恋人も婚約者も作る気がなかった。命じられればともかく、自分からは。そこに今回の縁談だ。
シリルは毎日のように僕を口説いてくる。学院では寮暮らしだから居場所なんてすぐにバレるし、クラスメイトだし、逃げ場がない。仲の良い同級生からは「諦めろ」と苦笑された。
熱心に口説かれて、結局、僕が折れた。婚約を受け入れて、学院を卒業したらすぐに式を挙げることになった。
僕と結婚したシリルは、父親である侯爵が持っていた爵位をひとつ継承して伯爵になった。おかけで僕は伯爵の伴侶である。
仲は良いと思う。
シリルが愛情表現を惜しまない人だから、友人からは「暑苦しい」とか「見ていて胸焼けがしそうだ」とか言われる。
結婚して二年が経とうかというある日。
僕は聞いてしまったのだ。伴侶であるシリルが僕の養父と二人きりで話しているのを。
「ルシアンが王子として担ぎ出されることはもうないでしょう」
「そうだな。同性の伴侶がいる男をわざわざ王族に戻そうとする者はいないはずだ」
「あの子の平穏のために、ありがとうございます。シリル様」
「気にしないでくれ、子爵。この婚姻は陛下のご意思でもある」
つまり。シリルと僕の結婚は。僕が王位の継承に首を突っ込むことがないように、僕の本当の父親が国王陛下だと気付く誰かがいても問題を起こせないように、男と結婚しているという事実を作るためのものだったのだ。
ショックじゃないと言えば嘘になる。だけど、僕が王子だと知られたら厄介なことになっていたのは確かだった。
「ルシアン? 何かあった?」
「あ……えっと」
心配そうな顔をしている伴侶に、僕は話を聞いてしまったと打ち明けた。
シリルが「ああ……」と呟いて、苦い顔をした。
「まさか、私が陛下に命じられて君を口説いたとは思っていないよね?」
「…………違うの?」
「違う」
シリルは僕をじっと見つめた。
「私の方から陛下に直訴したんだよ。君が欲しいって」
僕の立場はあくまでも子爵の子息で、国王陛下との関係は隠されていて。それなのに、そんな藪をつつくような真似をして……よく無事だったな、この人は。
「まさか、私の気持ちを疑ったりなんて、していないよね?」
耳元でそうささやかれて、抱き寄せる腕の力の強さに危機感を覚えた僕は、必死に伴侶を宥めたのだった。
長いです。1,400字くらいです。
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【星明かり】
セルマは『勇者一行の世話係』である。ろくに料理もできず、粗末な宿になんて泊まったことのない育ちの良い若者たちを、無事魔王城まで送り届けるのが仕事だ。
嫌なものだとセルマは思う。真っ直ぐな目をした少年少女を死地に導くのだから。自分もまだ若いことを棚に上げて、セルマはため息をつく。
セルマのもうひとつの大事な役目が勇者の護衛だ。いくら勇者が強くても、眠らないわけにはいかない。そして、世の中には魔王側に寝返った人間というものが存在する。町の中でも気を抜くことはできないのだ。
今夜は新月なのか、雲はないのに月が見えない。ただ星明かりだけが町を照らしている。
良い暗さだとセルマは思った。普通の人間なら思うように動けなくなるだろうが、セルマは違う。不穏な気配を感じて宿を出た。
セルマには闇魔法が使える。それはかなり珍しい能力で、相手を眠らせたり幻影を見せたりするだけでなく、暗闇で動くことができた。
宿が勇者の滞在先だと知りながら忍び込もうとしていた男を、眠らせ、捕らえた。男の身柄は勇者を支援するためについて来ている祖国の騎士たちに引き渡す。その後のことなんて考えたくもない。魔王軍の情報を聞き出すらしいけど、穏便な手段じゃないのは想像がつく。
セルマが夜中に不審者の相手をしていることを勇者たちは知らない。それどころか、人間の中に敵がいて、命を狙われているということを知らされていない。
知らせるべきだとセルマは思っている。身を守ることができないじゃないか。でも、祖国の偉い人たちは、勇者が魔物以外のものと戦うことを望んでいない。それはセルマの仕事だと言うのだ。
無茶を言わないで欲しい。朝になれば、セルマは無害なお人好しの仮面を着けて、勇者たちの世話をしなきゃならない。食事や休憩をさせて、宿の手配をしてやって、金勘定をする。
セルマは一晩くらい眠らなくても平気だけれど、あまり続くと流石に眠い。大体、昼間襲ってくる人間がいたらどうするのか。
食料や寝袋や予備の装備、そういったものが詰め込まれた鞄を背負うのもセルマの役目。魔法で空間拡張が施された鞄は大した重さも感じない。けど、これを失えば旅なんて続けられないので責任は重い。
朝食中に欠伸をしたセルマに、勇者が呆れたような目を向けてくる。セルマが熟睡できない理由を知らないから、単に自己管理ができていないと思われているのだ。
セルマは元々祖国で王族に仕える『影』になるはずだった。それを思えば『勇者一行の世話係』は、まだいくらかマシな仕事のような気もする。少なくとも、どこかの貴族の屋敷に忍び込むなんてことはしなくていい。世界を救う手伝いというのは『立派な』ことのような気がする。後ろ暗いばかりではないような。
祖国からついて来ている騎士の中に、王国暗部の幹部がいる。セルマの本当の上司に当たる男だ。『ついて来るならあんたも働けよ』と文句を言いたくなるけれど、祖国との連絡役である彼もそれなりに忙しいらしい。
この寝不足がどのくらい続くのか。
早く人間の町を出て野営がしたいとセルマは思った。人里離れた森の中なら、セルマの『仕事』は楽になる。襲ってくるのが魔物なら、勇者たちが倒してくれるから。
宿のベッドより野外の地面に転がって眠る方がマシだなんて。どうせまともな人生を送れるとは思っていなかったけど、困ったものだ。
朝食を終えて立ち上がって。セルマは何度目かの欠伸を噛み殺した。
はっきりとは書いていませんがBLかなと
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【影絵】
伯爵家の使用人である私は、今日も主人であるご子息の後ろを歩く。
チラと後ろを振り向けば、寄り添う主人と私の影。実際には埋まることのない一歩の距離。堂々と歩む主人の斜め後ろに、その背を見ながら付き従う。
足元から伸びるのはまるで私の欲望をあらわす影絵。あなたの隣に立ちたい。あわよくば触れ合いたい。あなたの唯一に私がなれればいいのに。
使用人が主人に懸想しているなんて、知られたら間違いなく解雇されるだろう。だからこの想いは決して表に出せない。
雇い主の伯爵が何やら後ろ暗いことをしているのは知っていた。
伯爵は娘が生まれたあとに何年も経ってからやっと授かった長男を溺愛していた。息子には自分たちの汚い部分を見せなかった。だからその若君の側仕えである私も、直接悪行に関わることはなかった。
伯爵の娘が両親を摘発した。麻薬の取引に関わったという証拠を揃えて、騎士団の詰所に駆け込んだのだ。私も微力ながらそれを後押ししていた。
伯爵夫妻は捕らえられ、家は取り潰しになった。伯爵の娘には騎士の恋人がいて、彼女はその騎士の元に身を寄せた。
けれど、私の主人は……主人であった少年は、どこにも行き場がなくなってしまった。
平民になった伯爵令息は、じっと俯いて動けずにいた。私はその背中をさすって寄り添った。
「大丈夫。大丈夫です。これからも私がお守りしますから」
やっと隣に立てる。私はもう、この人の後ろ姿ばかりを見ていなくてもいいのだ。