長いです。1,400字くらいです。
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【星明かり】
セルマは『勇者一行の世話係』である。ろくに料理もできず、粗末な宿になんて泊まったことのない育ちの良い若者たちを、無事魔王城まで送り届けるのが仕事だ。
嫌なものだとセルマは思う。真っ直ぐな目をした少年少女を死地に導くのだから。自分もまだ若いことを棚に上げて、セルマはため息をつく。
セルマのもうひとつの大事な役目が勇者の護衛だ。いくら勇者が強くても、眠らないわけにはいかない。そして、世の中には魔王側に寝返った人間というものが存在する。町の中でも気を抜くことはできないのだ。
今夜は新月なのか、雲はないのに月が見えない。ただ星明かりだけが町を照らしている。
良い暗さだとセルマは思った。普通の人間なら思うように動けなくなるだろうが、セルマは違う。不穏な気配を感じて宿を出た。
セルマには闇魔法が使える。それはかなり珍しい能力で、相手を眠らせたり幻影を見せたりするだけでなく、暗闇で動くことができた。
宿が勇者の滞在先だと知りながら忍び込もうとしていた男を、眠らせ、捕らえた。男の身柄は勇者を支援するためについて来ている祖国の騎士たちに引き渡す。その後のことなんて考えたくもない。魔王軍の情報を聞き出すらしいけど、穏便な手段じゃないのは想像がつく。
セルマが夜中に不審者の相手をしていることを勇者たちは知らない。それどころか、人間の中に敵がいて、命を狙われているということを知らされていない。
知らせるべきだとセルマは思っている。身を守ることができないじゃないか。でも、祖国の偉い人たちは、勇者が魔物以外のものと戦うことを望んでいない。それはセルマの仕事だと言うのだ。
無茶を言わないで欲しい。朝になれば、セルマは無害なお人好しの仮面を着けて、勇者たちの世話をしなきゃならない。食事や休憩をさせて、宿の手配をしてやって、金勘定をする。
セルマは一晩くらい眠らなくても平気だけれど、あまり続くと流石に眠い。大体、昼間襲ってくる人間がいたらどうするのか。
食料や寝袋や予備の装備、そういったものが詰め込まれた鞄を背負うのもセルマの役目。魔法で空間拡張が施された鞄は大した重さも感じない。けど、これを失えば旅なんて続けられないので責任は重い。
朝食中に欠伸をしたセルマに、勇者が呆れたような目を向けてくる。セルマが熟睡できない理由を知らないから、単に自己管理ができていないと思われているのだ。
セルマは元々祖国で王族に仕える『影』になるはずだった。それを思えば『勇者一行の世話係』は、まだいくらかマシな仕事のような気もする。少なくとも、どこかの貴族の屋敷に忍び込むなんてことはしなくていい。世界を救う手伝いというのは『立派な』ことのような気がする。後ろ暗いばかりではないような。
祖国からついて来ている騎士の中に、王国暗部の幹部がいる。セルマの本当の上司に当たる男だ。『ついて来るならあんたも働けよ』と文句を言いたくなるけれど、祖国との連絡役である彼もそれなりに忙しいらしい。
この寝不足がどのくらい続くのか。
早く人間の町を出て野営がしたいとセルマは思った。人里離れた森の中なら、セルマの『仕事』は楽になる。襲ってくるのが魔物なら、勇者たちが倒してくれるから。
宿のベッドより野外の地面に転がって眠る方がマシだなんて。どうせまともな人生を送れるとは思っていなかったけど、困ったものだ。
朝食を終えて立ち上がって。セルマは何度目かの欠伸を噛み殺した。
4/20/2025, 10:04:20 PM