『君と』
「……なにしてんの」
「コンクリートの上で寝てる」
幼馴染の母親から息子がいないと言われて探してみれば、彼は廃墟の中で寝ていた。
「そうじゃなくてさ。何のために?」
「現実逃避」
現実逃避……学校のことだろうか? 成績はそこまで悪く無かったような……
「春休みの課題が終わってない。というかシャーペンすら一回も握ってない。あと大好きだった少女漫画が終わった。スO6で連敗し、スマOラで惨敗。泣きそう。死にたい。死なせてくれ」
「めんどくさいなこの変人」
パーカーの上についている帽子と手で顔を隠し、力無くコンクリートを敷き布団にして横たわる幼馴染の清廉煌驥。
前から知っていたが彼はたまによくわからない行動をする。今日が良い例だ。
「まだ帰らないの?」
「……もう少し」
「何時まで?」
「17時30分くらいまで」
「そっか」
その返答を聞き、私も試しに横たわってみる。コンクリートはひんやりとしていて、まだ冬が抜けきらない春の風が私の体温を奪っていく。
「何してるんだ、小夜?」
「わからない。でも、こうしたくなった」
そのまま少し、会話もなく二人で寝るのだった。
現在進行形で書いた本人である私がしている、楽しい現実逃避のお話。まあ、私は一人だけどね。さあっむい。
『空に向かって』
雨が嫌いだ。いつも私が暗い気分の時に降るから。
魔法があるこの世界にとって最も大切と言って良い「魔法士試験」に魔法の適性が無いと落ちた時も、天気は雨だった。一人でいる事が辛く、親も親戚も兄弟もいない自分は孤独なんだなと実感してしまった。現代に魔法が開発されたことを何度呪ったことか。
でも、そんな雨でも悪いことばかりでは無い。
雨が降る時はいつも私が暗い気分な時。だがそんな時に私の隣にはいつも彼がいてくれて、私は孤独で無いことを理解させてくれた。
後ろから感じ慣れた魔力の持ち主が近づいてくる。いつも私と話してくれる、心優しい彼の魔力だ。
また慰めに来てくれたのだろう。自意識過剰ではないと思いたいが、彼は優しいから——
「よっす小夜。散歩に出たら偶然お前がいるなんてラッキーだな俺は。うんうん。その服も髪も普段とまた違って可愛いな」
右手を軽く上げながら平然とそんな事を言う彼は清廉煌驥。幼馴染であり、本来私では話すことすら許されないであろう「最聖魔法師資格(さいせいまほうししかく)」の持ち主。魔法による犯罪に立ち向かう警察の上位に最年少で所属しているのが彼だ。
散歩というのも本当かわからない。彼ほどの立場になれば仕事は山積みだろうしあり得るかも。
「うん、ありがと。そう言ってくれて嬉しいよ。あと私の言葉に被せるのはやめて」
「何も話してなかっただろお前。しかも軽く流されるようになってきたし……真顔で何考えてんの?」
「今晩のメニューと楽しい溺死の仕方」
「何考えてんの?!」
あまり街中で声を荒げないで欲しい。迷惑になってしまう。
「今晩のメニューを考えちゃ駄目なほど私は人権が無いの?」
「そっちじゃねぇよ馬鹿。後者だ後者」
「そうだよね……馬鹿でごめん。知識も技術もないから試験に落ちるんだしね……最後のしねって死ねって意味かな……」
「しねはただの文末の言葉だからそんな意味無いしまずお前が言った事だし知識も技術もないって言われたら昔からやってる魔法に関する勝負で全敗している俺はなんなの?」
全敗、と言っても実際に魔法を使ったことは無い。私は魔法が使えないと知っているから気を遣ってくれているのだろう。知識勝負でも彼は私に花を持たせる為に手加減しているんだと思う。本人は全力だと言っているけど。
「まあまあ。試験はあまり気にするなよ。小夜ならいつか絶対に受かるから。……あ、そうだ。今昼だろ? 飯食ってないなら行かね? 朝飯抜いたから俺腹減ってさ〜」
彼は軽い調子で私のことをそう励ましてくれる。受かるから、というのがお世辞だとしても彼が言ってくれるのならそれだけで嬉しい。
だから雨は嫌いで好き。暗い気分の時に降るけどそんな時は絶対に彼が隣に来てくれるから。
「ささ、行こうぜ。どうせ飯食ってないんだろ?」
私の手をとり彼は歩き出す。だが私の足は動かなかった。
「あの、煌驥……」
「ん? どした? あ、行きたい店とか考えておいてくれよ? 俺決めてないから——」
「私さっきからお手洗いに行きたくて……」
「ごめんなさい。行ってらっしゃいませ」
さっきから、と嘘をついて私は近くにあるトイレへ向かう。温かい彼のせいで熱くなった顔を冷ますために。
雨は大嫌いだ。降ってほしくない。……でも大好きな彼が隣に来てくれるのなら——
「たまになら、降っても良いよ」
空に向かってそう呟く。直後に自分の発言が傲慢であることに気づいて恥ずかしくなった私は、やっぱり馬鹿なのだろう。
※※
小夜がお手洗いに行った後、俺、清廉煌驥はある人と話していた。
「どうしたんすか先輩。小夜とのデートを邪魔しないでもらいたいんですけど」
「いや、ただ聞きたかっただけさ。すぐに退散するからあまり気にするなよ」
俺が働いている所の先輩。こんな感じでもめちゃくちゃ強い。被告人の言い分は偶然らしい。絶対に嘘だ。
「あの子が例の幼馴染かい? 魔法士を目指している割には魔力が異様に少ないようだが」
「でも知識と技術はあります。魔力だって小夜ならいつか爆増しますよ」
「へえ……僕にはそうは見えないけどね。死ぬまで頑張っても無理そうだ」
「あいつとの知識勝負で全力でやっても俺が勝てたことは今までありません。多分警察の誰も小夜には勝てないと思いますよ」
その俺の言葉に先輩の口角が上がる。興味が出てきたと言った感じだろう。面倒な……
「君がそう言うなんて……彼女は本当に凄いらしいね。まあ、その才能が開花する「いつか」は来るかわからないけど」
「来ます。近い未来に必ず。だってあいつは——俺を超える魔法師になる人ですから」
次の瞬間、先輩が大声で笑う。周りの迷惑になるからやめてほしい。見られるのは近くにいる俺もなんだから。……なんかさっき聞いたなこんな言葉。
「彼女への愛の大きさは伝わった。武運を祈るよ」
「小夜に手出したら殺しますからね」
「しないわ。タイプでも無いしな」
じゃ、と言って先輩はどこかへ歩いて行った。あの人傘無しだったからびっしゃびしゃじゃん。草。
「あ、そう言えば小夜は雨嫌いだったっけ」
なんか小夜の記念日とかに丁度降るんだよな〜。晴れろって願うのも面倒だし……だからってあいつの悲しそうな顔は見たく無いし……
「小夜の為だ。晴らすか」
俺は腕を上に突き出し手のひらの前で魔力を貯める。魔力探知があまり上手く無い『今の』彼女なら俺だって気づかんだろ。
俺が放った槍を形作った魔力は雲に突き刺さり霧散する。雲は晴れて水色の空が顔を覗かせた。
「これでいっか。先輩には後でお礼言わせよ」
バレたら小夜に怒られるけどなんとかなるだろ。知らんけど。うん、気づかれない気づかれない。
数十秒後、俺の待ち人がパタパタと走って近づいてきた。そんな姿もとても可愛らしい。
「お待たせ煌驥」
「大丈夫だ。早く飯に行こうぜ」
今度こそ二人並んで歩き出す。まだ告白をする気はない。きっと小夜は俺と対等以上になるまで告白を了承しないだろうから。
風船を貰って笑っている子供を見て、隣で小夜が「可愛い」と小さく笑う。
「今はこれでも良いか」
隣にいる大好きな彼女に聞こえないように空へ向かってそう呟く。
「店決まった?」
「さっき決まった昆虫食のお店が——」
「俺が虫嫌いだってお前知ってるよね?! お前は鬼なのか?!」
そう、今はこれでも良いんだ。小夜は俺より凄いんだから。
ちなみに魔力を放ったのは俺だとバレてめちゃくちゃ説教された。でも理由を話した後に照れながらお礼を言ってくれたから反省はしてない。
『終わり、また初まる』
ある廃墟の中、俺はある女性を守る為にここに来ていた。
その女性の名は春夏冬小夜。俺の主人であり命の恩人。だからこそ俺はここに居る。
目の前の男は俺の主人を連れさり、身代金を要求しようとしているらしい。なのですぐに片付けようと思ったのだが——
「あれ、こうさん?」
「……ん?」
どうやら先客が居たようだ。それも二人。片方は髪を金色に染めてオールバックにした筋骨隆々の男。もう片方は夜を溶かしたかのような黒髪ロングの細めな女だった。
その二人は俺のターゲットを瀕死にまで追い詰めている。あの状態なら処置次第でまだ助かりそうだが生憎俺は助ける気は無い。
「久しぶりっすね、こうさん」
「あ?」
気安く話しかけてくる金髪の男へ視線を向けると、過去の記憶が蘇ってきた。
「ああ、千尋《ちひろ》か」
「下の名前はやめてくださいって前から言ってるじゃないっすか」
こいつは千尋。殺人を主とした犯罪組織『ghost《ゴースト》』の幹部の一人。実力もかなり高い。
「こうさんもghostの依頼ですか? でも出来ればこいつは譲って欲しいかな〜と……あはは……」
「俺は依頼じゃない。というか俺はもう殺しはやめた。他の犯罪もだ。今はあるお方に仕えている」
「えっ、こうさんがですか?」
「あの頃の俺は終わった。今の俺は違う。初まったんだよ」
俺は踵を返す。ターゲットに恨みがある訳でも無いし、何より未遂だ。
「じゃあな。そっちの女は知らないがこれからも上手くやれよ」
俺は二人にそう言葉を投げかけ、主の元へ帰るのだった。
※※
こうさん——清廉煌驥さんがいなくなった後、隣にいる優璃《ゆり》が質問してきた。
「あの人は誰ですか?」
「……あの人は俺達が今いる組織の一員だったんだ。だが幹部でも下っ端でもない」
俺の言葉に優璃はコテンと首を傾げる。
「あの人は依頼を頼む時は幹部から下っ端とかじゃなくボス直々に出向いたらしい。そしてボスでさえ頭を下げてお願いをしたって話だ」
「強いの?」
隣から聞こえた言葉に俺は頷いて返す。そして前に足を進めようとした女を右手で制止する。
「あの人と殺り合おうとするな。幹部全員で行っても勝てない。この世界に化け物がいるって覚えてろ。そしてあの人が大切にしている物、人、その他全てに手を出そうとするな」
俺は依頼達成の為に歩き出す。そいつの近くに寄った時、俺は驚愕で目を見開いた。出血多量などで死なない程度に瀕死にしていたはずのターゲットは死んでいて、近くに髪が置かれている。こいつから吐かせようと思った様々な情報が記載されているようだ。
……全く。本当に恐ろしい。元々情報を持っていたのか? 他組織の重要機密情報を?
「……死にたくなければな」
『あの日の温もり』
母が亡くなった。他人を庇い通り魔に腹部を刺されたらしい。運悪くナイフが腹部大動脈に当たり、搬送された病院で息を引き取った。
私は突然の事で頭が追いつかず、泣くことすらも出来なかった。でも葬式で父が泣いているのを見て、そして棺桶に入っている母を見て、私は母が死んだんだという事実に気がついてしまった。
今は葬式が終わり、自宅に戻った私はずっと掛け布団に包まって自室で泣いていた。
母は優しい人で、いつかこんな事になるのではと危惧していた。
そして私は、助けた人を庇っていなかったら今でも母は生きていたのだろうか、という屑のようなことを考えてしまう。
こんな私を見たら母は怒るだろう。「助けれたからいいよ!」と笑顔で言いそうな人だから。その人を庇っていなかったら後悔するような人だから。
「お母さん……」
頭ではわかっていても心までついてくるとは限らない。だから私は今泣いているのだから。
その時、コンコンと部屋の扉がノックされた。私が小さい声で了承の言葉を呟くと、彼は扉を開けて入ってくる。
「小夜」
私の名前が呼ばれる。その声はとても穏やかで、温かくて、優しい。
清廉煌驥。彼は私の幼馴染であり、母の葬式にも顔を出していた。
「小夜、大丈夫?」
「……大丈夫な訳ないじゃん」
「そうだよね。ごめん」
違う。そんな事を言いたいんじゃない。こんなの八つ当たりだ。
彼が布団から出ていた私の手を握る。温かい感触が冷えていた私の手に伝わる。
「ごめんね。これくらいしか出来なくて」
何も言えない。否、言いたいのに口が開けない。優しい彼と屑な自分を比べてしまい、泣きたくなる。
そして、彼もいつか母みたいにいなくなるんだと思うとまた胸が痛くなる。
「あまり自分を責めないで。大丈夫、僕はずっと隣に居るから」
「ッ!」
彼の言葉が私の耳に届いた瞬間、私は布団を飛び出して彼に抱きつく。
そんな私を拒まず、抱きしめ返して頭を撫でてくる彼の温かさに、私はまた涙を零した。思い出してくる、あの日の温もりと同じ温かさ。
「なんで……私の考えてる事わかるの……?」
「幼馴染だから、かな。あと、ずっと隣で見てきたから」
あはは、と彼は冗談っぽく笑う。私も知っている。こういう風に誤魔化していても彼は本気で思っていると。
「……もう少しだけ、こうしてて良い……?」
「勿論。僕で良ければ」
「煌驥じゃなきゃやだ」
その後、数十分ほど泣き続けた私はお礼として彼の頬へキスをするのだった。
『記録』
「こんにちは」
「……ああ、こんにちは」
一見すると何の変哲もない挨拶。彼女の口から出された言葉はそれ以上でもそれ以下でもない。
けれど、名前も知らない初対面の彼女の周りに展開されている『能力』は、普通の人生を生きてきたはずの僕には異常すぎた。
金髪のツインテール。女子の平均的な身長にあまり凹凸の無い体。そしてなんといっても彼女の無表情さは俺とは全く違う何かなのだと思わせる。
俺の瞳が捉えているのは空中に映し出されている透明な長方形の何か。テレビのようなそれはある人の人生の記録を見せている。
「それは……俺の、人生か?」
「肯定します。これは貴方の、清廉煌驥の人生の記録です」
この女は無から何も表情を変えず答える。人間……かはわからないが表情筋が動かな過ぎて怖い。
「これは貴方が幼稚園の時。これは小学校。これは小学三年生の頃に幼馴染の春夏冬小夜さんと動物園に行って迷子になり泣きじゃくって家族や小夜さん、挙げ句の果てにはスタッフの人にまで迷惑を——」
「あー! あー! やめろ! やめてくれ! 黒歴史なんだ! 未だに覚えているから本当にやめてくれ!」
「? 仰っていることがわかりません。私はこれが貴方の記憶であると証明しようと思っただけですが」
「紛らわしいわ!」
これ絶対悪意ある——無いわ。あの顔は無いわ。悪意どころか感情すらもなさそうだもん。
「はぁ……で? 俺はなんでここに居るんだ? まだ、死にはしないはずだぞ?」
「答えます。現実の貴方は末期がんによりもう動けず、今病床にいます。ですが、貴方は死にたくない。いえ、死ねない。そうでしょう?」
薄々気づいていたが、こいつは俺の全てを知っているのだろう。昔の事を知っていたのもそうだし、何より空中に出ている何かがそれを物語っている。
「春夏冬小夜さん。貴方の幼馴染にして数年前に居なくなった女性。そして、貴方の生涯で最大の心残り」
「……ああ、そうだ」
間違いない。小夜は寿命が僅かな俺の唯一後悔している点だ。
探しに行こうと思った。いや、実際に行った。でも途中で倒れてしまったんだ。その後に発覚したのががんだった。それも末期。
「それがどうしたんだ。もう俺には何も出来ない」
「否定します。まだ可能性はあります」
「……そんなものはない」
「否定します。あります」
「無いんだよ!」
思わず声を荒げてしまった俺を見ても彼女は顔色ひとつ変えず告げる。
「ごめん。聞かせてくれ」
「問題ありません。そして承知しました。今から貴方を過去へ飛ばします。あとは貴方がなんとかするだけで全て丸く収まります。ちなみにがんはなんとかなりません」
過去に飛ばせるならそれもなんとかなりそうだと思ったが、多分何かしらの制約があるんだろう。
「それはありがたいんだけどさ。一つだけ聞かせてくれ」
「承知しました。どうぞ」
「なんで俺にそんな事までしてくれるんだ? 俺は特別誰かに優しかったりしないし、救世主とかでもない。特別な人間でも無い。なのに、どうして——」
「それは……答えかねます」
彼女は先程まで無表情から変わらなかった顔を気まづそうにして、俺から視線を逸らす。
「今から10秒後、貴方を過去へ飛ばします。頑張ってください」
「いきなりすぎるだろ! ちょっと待て!」
彼女の頭上に現れた数字は刻一刻と減っていく。あれがタイマーなのだろう。
「えーと、えーと。あっちに行ったら何をすれば良いんだ? あ、小夜を探すのか。あとは、あとは何かあるのか——」
「清廉煌驥さん。少しだけ答えます」
「え?」
焦っている耳に届いた、小さい呟き。何故届いたかわからないほどの声のはずなのに、初対面なはずの彼女の声は完璧に聞き取れた。
残り三秒——
「貴方を助けたかった理由は私のエゴです。見つけてほしかった。貴方に。清廉煌驥さんに見つけてほしかった」
「……え?」
残り二秒——
そして彼女は優しく笑う。その笑顔は幼少期に見た誰かに似ていて、凄く輝いている。
あの頃と同じように。
「私の名前は春夏冬小夜。貴方なら聞き覚えがあるかもですね、こうくん?」
「は?」
残り一秒——
「行ってらっしゃい。私をここではない、素敵な場所に連れて行ってあげて欲しいな」
ここで生まれた記録は、途切れる。