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『記録』

「こんにちは」

「……ああ、こんにちは」

 一見すると何の変哲もない挨拶。彼女の口から出された言葉はそれ以上でもそれ以下でもない。

 けれど、名前も知らない初対面の彼女の周りに展開されている『能力』は、普通の人生を生きてきたはずの僕には異常すぎた。

 金髪のツインテール。女子の平均的な身長にあまり凹凸の無い体。そしてなんといっても彼女の無表情さは俺とは全く違う何かなのだと思わせる。

 俺の瞳が捉えているのは空中に映し出されている透明な長方形の何か。テレビのようなそれはある人の人生の記録を見せている。

「それは……俺の、人生か?」

「肯定します。これは貴方の、清廉煌驥の人生の記録です」

 この女は無から何も表情を変えず答える。人間……かはわからないが表情筋が動かな過ぎて怖い。

「これは貴方が幼稚園の時。これは小学校。これは小学三年生の頃に幼馴染の春夏冬小夜さんと動物園に行って迷子になり泣きじゃくって家族や小夜さん、挙げ句の果てにはスタッフの人にまで迷惑を——」

「あー! あー! やめろ! やめてくれ! 黒歴史なんだ! 未だに覚えているから本当にやめてくれ!」

「? 仰っていることがわかりません。私はこれが貴方の記憶であると証明しようと思っただけですが」

「紛らわしいわ!」

 これ絶対悪意ある——無いわ。あの顔は無いわ。悪意どころか感情すらもなさそうだもん。

「はぁ……で? 俺はなんでここに居るんだ? まだ、死にはしないはずだぞ?」

「答えます。現実の貴方は末期がんによりもう動けず、今病床にいます。ですが、貴方は死にたくない。いえ、死ねない。そうでしょう?」

 薄々気づいていたが、こいつは俺の全てを知っているのだろう。昔の事を知っていたのもそうだし、何より空中に出ている何かがそれを物語っている。

「春夏冬小夜さん。貴方の幼馴染にして数年前に居なくなった女性。そして、貴方の生涯で最大の心残り」

「……ああ、そうだ」

 間違いない。小夜は寿命が僅かな俺の唯一後悔している点だ。

 探しに行こうと思った。いや、実際に行った。でも途中で倒れてしまったんだ。その後に発覚したのががんだった。それも末期。

「それがどうしたんだ。もう俺には何も出来ない」

「否定します。まだ可能性はあります」

「……そんなものはない」

「否定します。あります」

「無いんだよ!」

 思わず声を荒げてしまった俺を見ても彼女は顔色ひとつ変えず告げる。

「ごめん。聞かせてくれ」

「問題ありません。そして承知しました。今から貴方を過去へ飛ばします。あとは貴方がなんとかするだけで全て丸く収まります。ちなみにがんはなんとかなりません」

 過去に飛ばせるならそれもなんとかなりそうだと思ったが、多分何かしらの制約があるんだろう。

「それはありがたいんだけどさ。一つだけ聞かせてくれ」

「承知しました。どうぞ」

「なんで俺にそんな事までしてくれるんだ? 俺は特別誰かに優しかったりしないし、救世主とかでもない。特別な人間でも無い。なのに、どうして——」

「それは……答えかねます」

 彼女は先程まで無表情から変わらなかった顔を気まづそうにして、俺から視線を逸らす。

「今から10秒後、貴方を過去へ飛ばします。頑張ってください」

「いきなりすぎるだろ! ちょっと待て!」

 彼女の頭上に現れた数字は刻一刻と減っていく。あれがタイマーなのだろう。

「えーと、えーと。あっちに行ったら何をすれば良いんだ? あ、小夜を探すのか。あとは、あとは何かあるのか——」

「清廉煌驥さん。少しだけ答えます」

「え?」

 焦っている耳に届いた、小さい呟き。何故届いたかわからないほどの声のはずなのに、初対面なはずの彼女の声は完璧に聞き取れた。

 残り三秒——

「貴方を助けたかった理由は私のエゴです。見つけてほしかった。貴方に。清廉煌驥さんに見つけてほしかった」

「……え?」

 残り二秒——

 そして彼女は優しく笑う。その笑顔は幼少期に見た誰かに似ていて、凄く輝いている。

 あの頃と同じように。

「私の名前は春夏冬小夜。貴方なら聞き覚えがあるかもですね、こうくん?」

「は?」

 残り一秒——

「行ってらっしゃい。私をここではない、素敵な場所に連れて行ってあげて欲しいな」

 ここで生まれた記録は、途切れる。

2/26/2025, 4:43:04 PM