『あの日の温もり』
母が亡くなった。他人を庇い通り魔に腹部を刺されたらしい。運悪くナイフが腹部大動脈に当たり、搬送された病院で息を引き取った。
私は突然の事で頭が追いつかず、泣くことすらも出来なかった。でも葬式で父が泣いているのを見て、そして棺桶に入っている母を見て、私は母が死んだんだという事実に気がついてしまった。
今は葬式が終わり、自宅に戻った私はずっと掛け布団に包まって自室で泣いていた。
母は優しい人で、いつかこんな事になるのではと危惧していた。
そして私は、助けた人を庇っていなかったら今でも母は生きていたのだろうか、という屑のようなことを考えてしまう。
こんな私を見たら母は怒るだろう。「助けれたからいいよ!」と笑顔で言いそうな人だから。その人を庇っていなかったら後悔するような人だから。
「お母さん……」
頭ではわかっていても心までついてくるとは限らない。だから私は今泣いているのだから。
その時、コンコンと部屋の扉がノックされた。私が小さい声で了承の言葉を呟くと、彼は扉を開けて入ってくる。
「小夜」
私の名前が呼ばれる。その声はとても穏やかで、温かくて、優しい。
清廉煌驥。彼は私の幼馴染であり、母の葬式にも顔を出していた。
「小夜、大丈夫?」
「……大丈夫な訳ないじゃん」
「そうだよね。ごめん」
違う。そんな事を言いたいんじゃない。こんなの八つ当たりだ。
彼が布団から出ていた私の手を握る。温かい感触が冷えていた私の手に伝わる。
「ごめんね。これくらいしか出来なくて」
何も言えない。否、言いたいのに口が開けない。優しい彼と屑な自分を比べてしまい、泣きたくなる。
そして、彼もいつか母みたいにいなくなるんだと思うとまた胸が痛くなる。
「あまり自分を責めないで。大丈夫、僕はずっと隣に居るから」
「ッ!」
彼の言葉が私の耳に届いた瞬間、私は布団を飛び出して彼に抱きつく。
そんな私を拒まず、抱きしめ返して頭を撫でてくる彼の温かさに、私はまた涙を零した。思い出してくる、あの日の温もりと同じ温かさ。
「なんで……私の考えてる事わかるの……?」
「幼馴染だから、かな。あと、ずっと隣で見てきたから」
あはは、と彼は冗談っぽく笑う。私も知っている。こういう風に誤魔化していても彼は本気で思っていると。
「……もう少しだけ、こうしてて良い……?」
「勿論。僕で良ければ」
「煌驥じゃなきゃやだ」
その後、数十分ほど泣き続けた私はお礼として彼の頬へキスをするのだった。
『記録』
「こんにちは」
「……ああ、こんにちは」
一見すると何の変哲もない挨拶。彼女の口から出された言葉はそれ以上でもそれ以下でもない。
けれど、名前も知らない初対面の彼女の周りに展開されている『能力』は、普通の人生を生きてきたはずの僕には異常すぎた。
金髪のツインテール。女子の平均的な身長にあまり凹凸の無い体。そしてなんといっても彼女の無表情さは俺とは全く違う何かなのだと思わせる。
俺の瞳が捉えているのは空中に映し出されている透明な長方形の何か。テレビのようなそれはある人の人生の記録を見せている。
「それは……俺の、人生か?」
「肯定します。これは貴方の、清廉煌驥の人生の記録です」
この女は無から何も表情を変えず答える。人間……かはわからないが表情筋が動かな過ぎて怖い。
「これは貴方が幼稚園の時。これは小学校。これは小学三年生の頃に幼馴染の春夏冬小夜さんと動物園に行って迷子になり泣きじゃくって家族や小夜さん、挙げ句の果てにはスタッフの人にまで迷惑を——」
「あー! あー! やめろ! やめてくれ! 黒歴史なんだ! 未だに覚えているから本当にやめてくれ!」
「? 仰っていることがわかりません。私はこれが貴方の記憶であると証明しようと思っただけですが」
「紛らわしいわ!」
これ絶対悪意ある——無いわ。あの顔は無いわ。悪意どころか感情すらもなさそうだもん。
「はぁ……で? 俺はなんでここに居るんだ? まだ、死にはしないはずだぞ?」
「答えます。現実の貴方は末期がんによりもう動けず、今病床にいます。ですが、貴方は死にたくない。いえ、死ねない。そうでしょう?」
薄々気づいていたが、こいつは俺の全てを知っているのだろう。昔の事を知っていたのもそうだし、何より空中に出ている何かがそれを物語っている。
「春夏冬小夜さん。貴方の幼馴染にして数年前に居なくなった女性。そして、貴方の生涯で最大の心残り」
「……ああ、そうだ」
間違いない。小夜は寿命が僅かな俺の唯一後悔している点だ。
探しに行こうと思った。いや、実際に行った。でも途中で倒れてしまったんだ。その後に発覚したのががんだった。それも末期。
「それがどうしたんだ。もう俺には何も出来ない」
「否定します。まだ可能性はあります」
「……そんなものはない」
「否定します。あります」
「無いんだよ!」
思わず声を荒げてしまった俺を見ても彼女は顔色ひとつ変えず告げる。
「ごめん。聞かせてくれ」
「問題ありません。そして承知しました。今から貴方を過去へ飛ばします。あとは貴方がなんとかするだけで全て丸く収まります。ちなみにがんはなんとかなりません」
過去に飛ばせるならそれもなんとかなりそうだと思ったが、多分何かしらの制約があるんだろう。
「それはありがたいんだけどさ。一つだけ聞かせてくれ」
「承知しました。どうぞ」
「なんで俺にそんな事までしてくれるんだ? 俺は特別誰かに優しかったりしないし、救世主とかでもない。特別な人間でも無い。なのに、どうして——」
「それは……答えかねます」
彼女は先程まで無表情から変わらなかった顔を気まづそうにして、俺から視線を逸らす。
「今から10秒後、貴方を過去へ飛ばします。頑張ってください」
「いきなりすぎるだろ! ちょっと待て!」
彼女の頭上に現れた数字は刻一刻と減っていく。あれがタイマーなのだろう。
「えーと、えーと。あっちに行ったら何をすれば良いんだ? あ、小夜を探すのか。あとは、あとは何かあるのか——」
「清廉煌驥さん。少しだけ答えます」
「え?」
焦っている耳に届いた、小さい呟き。何故届いたかわからないほどの声のはずなのに、初対面なはずの彼女の声は完璧に聞き取れた。
残り三秒——
「貴方を助けたかった理由は私のエゴです。見つけてほしかった。貴方に。清廉煌驥さんに見つけてほしかった」
「……え?」
残り二秒——
そして彼女は優しく笑う。その笑顔は幼少期に見た誰かに似ていて、凄く輝いている。
あの頃と同じように。
「私の名前は春夏冬小夜。貴方なら聞き覚えがあるかもですね、こうくん?」
「は?」
残り一秒——
「行ってらっしゃい。私をここではない、素敵な場所に連れて行ってあげて欲しいな」
ここで生まれた記録は、途切れる。
『さぁ冒険だ』
「あっははは! ほらほら、次はどうする?」
迫り来る目の前のヤツから出される五本の触手。一本は一閃、二本目は剣で勢いを殺し回し蹴り、三本目と重ねて突き刺し消す。死角からの四本目と五本目は来た目の前の触手に左手を付け、それを軸にハンドスプリングをして一本を回避しながら斬り、もう一本を空中で体を捻り全体重を乗せての一撃で乗り切る。……はずだった。
「うぐっ!」
「その程度で僕に勝とうだなんて、甘いよねぇ」
斬ったはずの触手が想定外の速さで復活し、私の腹と右足を貫く。
「あ゛がっ! ゴホッ……」
「終わりだね。やっぱり人間は弱いなぁ! 本当に、汚らわしくて鈍臭くて。でも強くてとても面白い! けれど——」
そこで少し言葉を止め、薄気味悪い笑みを浮かべる。
「僕には勝てない。上位種族である魔王《ぼく》にはね」
今、私を見下ろしている魔王はそう言って高らかに笑う。
こいつを殺す為に私達四人はは立ち上がったはずだった。でも……もう誰も力がない。
「一人は即死。一人は塵すらも残らず消え、もう一人は手足が捻じ曲がりもうすぐ死ぬ。そして君も詰み」
……その通りだ。何も言い返せない。足をやられ、腹部の大量出血も合わさり立てもしない。人間である私には超速再生も、反撃の手立ても無い。
「なんて、思ってるんでしょ?」
「は?」
私は右手に持つ剣で己の心臓を刺す。全身が沸騰するような感覚と溢れ出てくる力、そして脳が支配されるほどの高揚感を覚える。
「誰が人間だなんて言った? 誰が反撃の手立てが無いなんて言った?」
どちらにせよ私は死ぬ。なら、三人の分まで私は抗ってみせようじゃないか。
「その状態……いつ死ぬかわからないんだね? ……クク、あっははははは! 最高だよ君! 醜く生にしがみついててね?」
私は目の前の屑にとびっきりの笑みをぶつけてやる。
「さぁ、冒険だ」
『君と見た虹』
国力が世界最大と言われている国、アースドアレス。そんな国と戦争をしているのが私達が守ろうとしている国、ユメミヨスガ。
敵も味方も、大体の人間がアースドアレスの圧勝で幕が閉じると予想していた。あの日を境に復讐に燃え、訓練を続けてきた私以外は。
師匠をあいつに殺された時に私は誓った。必ず復讐してやると。味方がどれだけいなくなろうと、例え私以外の全員が諦めようと、私だけは必ず食らいつくと決めた。
でもその誓いも、もう要らない。
この戦争は実質二人の人間によって均衡が保たれていた。そのどちらかが崩れれば自然と形勢は傾く。
あまり言いたくは無いがその一人は私。そしてもう一人はアースドアレスの第一王女、カナ・レストアート。
「あ……っはは」
そのカナは今私の隣で腹部から血を流して笑っている。無論、この剣を刺したのは私だ。
それは戦争の終結。私達の勝ちを意味する。
カナの白いドレスは雨と泥により元の姿は無い。勿論、彼女のドレスには赤い色もあった。
「……なんで笑っているの。貴女は負けたんだよ。この世界に魔法なんてものはない。じきに死ぬ」
「だから……笑っているんだよ……」
私の言葉を聞いても彼女は笑みを崩さない。これから死ぬというのはわかっているだろうに、それでも。
「虹が……綺麗だなぁ……って。最後に見れて……良かった。好きなんだよね……」
先程まで降っていた豪雨はもう見る影もない。雨の降った空には虹がかかっていた。
「私はね……君と、小夜と、もう会いたくなかったんだよ」
「ッ!」
彼女の言葉に胸がズキンと痛む。泣きそうになるのを堪えていると、カナはまた儚い言葉を紡ぐ。
「君と会うと……銃を持つ手が……震えるんだ。どんなに屈強な男にも、化け物にも……動じなかった私の手がね」
「ッ!」
彼女が言葉には私にも覚えがあった。だからこそ混乱する。私と同じな訳無いのに。
「……なんで」
「……あはは。それを……言わせるの? まあ最期だから……良いけどさ」
カナが口を開こうとした時、彼女と私に光が差す。カナはそれに嬉しそうにまた笑い、私にその言葉を言った。
「愛してるから……だよ。君をね。……あっちで待ってる、から……その時に返事を聞かせてくれると……嬉しいな」
「…………」
「ついでに……私の銃も……頼むよ……嫌じゃなかったら……使ってくれると嬉しい……な……」
カナの瞳から光が消える。だが瞳はまだ輝いていた。太陽が彼女を見ている事に何故か心底腹が立つ。
笑顔も無くなった彼女の視線の先には虹があった。
私はそっと手を握る。
「……私もだよ、カナ。すぐにそっちに行くから、その時に言うよ」
カナと普通に出会えていたら。
朝に挨拶を交わし笑いあったり、たまにデートをしたり、手を繋いだり、一緒に寝たり、結婚をする未来もあったのかな。
彼女の愛銃と私の剣を持ち、片手で隣で目を閉じている人の手を握る力を少し強める。
師匠の仇を討ったはずの心はこんなにも痛い。カナと初めて会った時の殺意も、怒りも今は無い。
何回も戦場で出会い、彼女の優しい所を知った。おしゃべりな所も、少しお茶目な所も、優しい所も、私を愛してくれていた事も、辛い過去も、知った。
師匠、ごめんなさい。仇は討ちました。討ったのに、涙が止まらないんです。こんなにも私は彼女に染まってしまった。
なら、今度はカナとの誓いを果たそう。こんな戦争を終わらせ、またここに来て、彼女が使っていたこの銃で会いに行く。想いを最期まで貫き通す。
「必ず返事をするよ。だからそれまで待ってて」
今度は私が笑顔を浮かべる。覚悟の証明として、捧げよう。
「また虹を見よう? こんな風に手を握ってさ、また笑顔を見せてよ。その為なら私、幾らでも頑張ってみせるから、ね?」
君《カナ》と見た虹はこんなにも綺麗で、痛い。
『ひそかな想い』
周りを見渡しても川などの水源は無く、荒れ果てた大地には緑は少しも見えない。あるのは銃弾とその痕、爆発物が使われた痕跡、最後に遺体と流れた血。
そんな中で私達はそれぞれの武器を抜き、戦場へ赴く。互いの尊厳と想いを賭けて。
敵は私達の国の数倍は力のある国、アースドアレス。それに対する私達が所属する国、ユメミヨスガは現在、アースドアレスと同等以上の戦争をしていた。
ユメミヨスガの上層部の見解ではすぐに負けるのではとまで言われていた戦況は熾烈を極めている。
ユメミヨスガがすぐに陥落しなかった理由。それは単純明快。一般兵士の数百、数千に匹敵するほどの実力を持つ人がいたから……らしい。
……あまり私の紹介を豪奢に飾りたくないのでこれ以上はしない。いや、したくない。
「うああああああああ!」
目の前から敵兵が走ってくる。私はそいつの振った剣をいなし、カウンターとして首に一閃を見舞う。
私は、戦争なんて早く終わらせたい。他の奴らと違う理由かもしれないが、それでもこの想いは消えない。
首を失った体は私へ倒れてくる。せめて優しく寝かせてあげようとその体を受け止めようし、手を広げ——
「ッ!」
瞬刻、私が右へ飛んだのと同時ほどで先程の敵兵の体を銃弾が貫く。
私は一回り体が小さく、敵兵に隠れて私の姿は隠れていたはず。
だが、その銃弾の軌跡は私ほどの身長である人間の急所を正確に捉えていた。
そんな事ができる、そして私の事をよく知っている人物は一人。
「君とは、こんな所で会いたくなかった」
彼女はそう言い、銃弾のリロードをする。その風格は他の兵とは一線を画していた。
「……私も」
私は戦争を早く終わらせたい。その理由は——
「貴女と私は、争わなければならない運命なのかな?」
この心に秘めているひそかな想いを、貴女に言いたいから。