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『手放す勇気』

「もう諦めたら?」

 冷たい少女の声が響く。手足を使い立とうとするが震えと力が入らないせいで動けない。

「今の君、凄く情けないよ? まるで生まれたての子鹿みたい。ほんっとうに醜くて無様だね」

 あっはは、と少女が嘲笑する。俺は反論するわけでもなく、ただ地面に突っ伏す。

 その姿を眺めていた目の前の化け物は少し顔に苛立ちを見せた。

 少女の名前はニルス、と言うらしい。この世界の人類を殲滅しかねないほどに勢力を拡大させている魔族の王であり最強の存在。

「怒らないし、何も言わない。でもその光を宿した目だけはずっとこっちを見てる。不愉快だね。もう死んだら?」

 眼前に少女と巨大な斧が迫る。今の一瞬で移動し、ニルスが魔族特有のチカラ、瘴気を用いて造ったのだろう。

 俺はそれを甘んじて受け入れるはずもなく、片手で斧の先端を掴み、力を入れて粉々に壊す。

「……へぇ。まだそんな力があったんだ。まあ変わらないと思うけどね」

「変わるさ」


 そう悠長に語っている敵の右手を切り落とし、首を狙ったもう一閃を放つが避けられ、距離を取られた。

「チッ……再生が遅い……」

 今まで出したことの無いほどの速度。膂力は最早人間と言うには相応しくないと自分でも気づく。それ程までに俺は変わっていた。と言うかそれくらい軽く変えてくれなきゃ困る。代償が代償だから。

 理由は簡単。それはこの剣にある。

「その剣……聖剣なんだ」

「今更気付いたのか? 魔王の癖に遅いんだな」

 煽りが少し効いたのか、ニルスは顔を顰める。先程の冷静な姿は見る影もなく、今は焦りと驚愕に支配されている情けない魔王にしか見えない。

「聖剣であるなら魔力を隠せるはずがない。だがその剣からは何も感じなかった。これはどう言うこと?」

「この剣、見たことあるだろ? お前とかなり深い関係なはずだぞ」

 ニルスは剣を凝視し、ハッと何かに気付いた後に怒気を孕んだ声で呟いた。

「……聖剣、新《あらた》」

「正解だ。まあそりゃあ覚えてるよな」

 聖剣、新。人類が未だ魔族の手で滅ぼされていない要因。世界に三本ある特殊であり、聖なる力を宿した剣。

 そして新はニルス《さいきょう》を討伐は出来ずとも封印にまで追い込んだ立役者。

 能力は命を犠牲にし強大な力を得る、聖なる天災《オーバーフロー》。先程の斧を受け止め、ニルスの手を斬った膂力と反応すらさせなかったスピードはこの能力によるものだ。

「なんでそれを最初から使わなかったの?」

「……妻がいるんだ」

 初めて出来た命を賭してでも守りたい人。彼女と一生を添い遂げ、共に眠ることが夢だった。

「こいつの能力は出来る限り使っちゃ駄目と言われていたんだ。まあ使うってわかってたんだろうけどさ」

 通常、ニルスに何の策も使わず勝つなんて出来ない。それでも能力を使わないでと言ったのは、ある懸念があったからだろう。

「俺の寿命は短い。だから俺も使いたくなかったが、もう良い」

「死を覚悟したんだ。妻を残して」

「何かを得るには何かを手放さなければならない。俺は勝利とあいつの今後の人生を得て、俺の人生を手放す」

 ニルスが笑った。心底楽しいという風に。

「良いね、その覚悟。その瞳。さっきは不愉快だなんて言ってごめん。君は素晴らしい人間みたい。あいつと同じ目だ。ムカつくけど輝いている目」

 ニルスの周りに十数本ほどの剣が造り出される。その全てにかなりの量の瘴気が使われている。

「その勇気がどこから出てくるのかわからないけど、敬意を表して本気で行ってあげる」

 ニルスが構える。俺も集中し、少女の一挙手一投足を見逃さないよう警戒する。

 正直に言えば、怖い。死後なんてわからないし、俺だってもっと生きていたい。それにあいつがどんな生活を送るのか心配でもある。だが——

「手放す勇気は、あいつを守ると誓った心にある」

 ごめん。家には帰れなさそうだ。離したくなかったけど、俺を忘れて幸せに生きてくれ。

 そう心中で言い、互いに地を蹴った。



 

5/16/2025, 1:09:04 PM