すべて物語のつもりです

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7/2/2023, 2:53:27 AM

 窓越しに見えるのは、眠りについた静かな町だった。
 どうして、こんなところにいるんだろう。
 気を抜くとすぐに我に返ってしまいそうで、わたしは窓の外に見惚れることにした。
 夜だろうが昼だろうが、いつも光り続ける街から抜け出して、知らないこんなところまでやってきてしまった。
 信号が赤色を灯した。一本道に通る車はわたしが乗るこのタクシーだけで、外に人影は一つも見当たらない。
 運転手が缶コーヒーを一口飲んだ。彼とバックミラー越しに目が合う。けれど、お互い会釈も微笑みもせず、自然と目を逸らした。
 やがて信号が青に変われば、車体は進み出す。
 あの街から抜け出せばいいと思っていた。あの街から離れたら、なにかが変わると信じていた。
 それなのに。
 胸の中で虚無感が膨張していくことに、わたしはいつまで目を背けられるだろうか。

6/25/2023, 10:36:56 AM

 繊細な花の花弁を一枚ちぎって、乱暴なわたしになったつもりでいる。
 もう一枚、もう一枚と繰り返すうちに、花弁はすべて床にはらりと舞い落ちて、手に持つ花に見えないそれは丸裸になっていた。
 少し前のわたしには、こんなことできなかった。花の痛みを考えて、とかそこに至る前に、まず花弁をちぎる行為を思いついたことがなかった。
 ねえ、こんなに図太くなっちゃったんだよ。
 丸裸の花と今のわたしを、過去になったわたしに見せれば、彼女はきっと顔を歪めたい衝動を堪えた不器用な笑顔を見せるだろう。
 今のわたしはそんな笑顔もしなくなった。
 いつだって、わたしの笑顔は完璧だ。ネガティブな感情を堪えていることが一目で分かる笑顔なんて、もうわたしの顔に二度と浮かばない。
 そう。そんな風になった。
 これはわたしが図太くなったんだろうか。
 それすらも分からない。
 繊細とか繊細じゃないとか、敏感とか鈍感とか。もうなにも分からなくなった。
 力を込めて立ち上がる。それだけで息が上がる。
 ひとりでいる時は、ひとつため息を吐くことすら疲れるようになった。
 白のカーペットで鮮明な色を失わないでいる花弁を踏みつけながら、目の先にあるゴミ箱へ歩いた。

6/25/2023, 2:33:58 AM

 一年後のわたしはいったい何をしているだろう。
 まばたきを繰り返しても変わらない景色が、うまく言葉にできないこの思いを増幅させる。
 はしゃぐ子どもの声。餌をばらまくおじさんに集る鳥たち。ふたり寄り添って一歩ずつ進む老夫婦の曲がった背中。炭酸を一気に流し込む二人組の男子高校生。
 もうわたしはそれほど純粋でもないし、だからといって悟りを開くことができたわけでもない。大人数のところに入り込む勇気はないし、だれかと二人で並ぶ余裕もない。けれど、一人はとても怖い。
 日が傾き始めた公園の中、彼らは光を放っている。
 そんな彼らの目に、わたしはどう映っているのだろう。ちゃんと光れているだろうか。
 一年前に買ってもらったリクルートスーツはとっくにくたびれた。今日も皺一つないスーツを着た人達に囲まれた。みんな、やっぱり輝いていた。
 一年後、わたしはどうなっているだろう。きっと、わたしが望む光を手に入れることはできていないと思う。
 だって、今のわたしは、一年前のわたしが望んだ姿をしていないから。

6/20/2023, 12:52:57 PM

「あなたがいたから、私は今生きてるの。あなたは私の希望で神様で命でもある。これからも頑張ってね。」
「ありがとうございます。」
 あまりにも重い言葉に、当たり前に笑顔で返す。
 すると、彼女はとても嬉しそうに笑って、手を振って去っていく。
 それに振り返すと、小さく悲鳴が上がった。
 ああ、馬鹿らしい。
 そんなことを思いながら、次にやってくる人に対応する。もちろん笑顔だ。研究しつくした、最高の笑顔。これでいろんな人を騙してきた。わたしの持つ武器だ。
「大好き、本当に。今日、始発の新幹線に乗ってきたの。本当に会いたくって。」
「ありがとうございます。」
 少し高く甘く、それでもくどくはない声。これも研究を重ねた結果生まれたものだ。
 目を合わせて相槌を打ちながら感謝の言葉を繰り返す。
 こんな機械的な仕事がしたくて、女優になったわけじゃないのに。握手会なんてアイドルみたいな馬鹿っぽいことを提案した社長の顔を黒く塗り潰す。そういえば、写真集の発売もあいつが言い出したことだった。
 ため息を吐きたくなったけれど、わたしは相変わらず笑顔を浮かべて馬鹿の一つ覚えのように「ありがとうございます」を繰り返している。
 ああ、本当に。
 大好きだとか使い古された言葉も、自分を人に支えさせるような言葉も、全部耳を通り抜けて、心を滑ってどこかへ落ちていく。
 もう疲れた。それでもわたしは笑顔で居続ける。
 今日はアイスクリームを一年ぶりに食べよう。
 そう決めて、それでも誰にも悟らせないように変わらぬ笑顔で知らない人の手を握る。
「ありがとうございます。」

6/19/2023, 1:25:16 PM

 相合傘をした日、彼の肩が濡れていた。わたしはちっとも濡れていなかった。
 なんてことない顔しながら、なんて優しいことをしてくれていたのだろう。
「ありがとう。」
 わたしの突然の言葉がなにに向けたものなのか分からなかったらしい彼が首を傾げる。
「風邪ひかないように気をつけて。」
「え、ああ、うん。君もね。」
 きっとわたしは風邪なんてひかないだろう。あなたがちゃんと守ってくれたから。
 そう言いたかったけれど、とても照れくさくて迷っているうちに、彼は駅の改札を通り抜けていく。そして、振り返ってわたしに手を振ってくれる。周りの目を気にしてか、胸の前で小さく。そんなところもとても好きだと思う。
 彼の背中に知らない背中や顔がたくさん重なっていく。しばらくすると、遠くから電車の発車メロディーが聞こえて、わたしは鞄の中を漁った。奥底から出てきたのは折り畳み傘。本当は持ってたんだよ。そう言うタイミングを逃してしまったけれど、言わなくてよかったと思う。
 彼の肩に触れるたび、胸が高鳴った。彼がさりげなく車道側を歩いてくれて、歩幅もわたしに合わせてくれた。そして気付かないうちに鋭い雨からわたしを守ってくれていた。
 なんて優しい人だろう。
 雨が降りしきる中、傘を開いた。一人で使う傘は広く余裕があるけれど、先程と比べると少し寂しい。
 早く帰ろうと思った。彼の温度が肩に、彼の優しさがくれた温もりが心に残っている間に。

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