すべて物語のつもりです

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4/5/2024, 5:48:35 AM

 それでいい、それでよかったんだと、自分に言い聞かせる目の前の男はとても痛々しかった。
 助けてくれ、と言っている。歪んだ表情や裂けた肌、変な方向に曲がった指が、言っている。
「ねえ」
 わたしの声にぴくりと身体を揺らし、視線をこちらに向ける。笑おうとしているけれど、その表情は笑顔とは程遠く、引きつったような唇がまた痛々しい。
「帰ろうよ」
 カワイソウ、と男に対して思うくせに、わたしの声はあまりに淡々としていた。
「帰る?」
 どこに、と口の形だけが変わる。前歯が欠けていた。わからない、と声には出さなかった。
 見事な脱出劇だった。わたしは当事者なのに、その状況を俯瞰しているような気分だ。
 地獄からの、脱出。それを目的としてから、わたし達の距離は縮まったはずなのに、彼の熱が上がるほど、わたしは冷めていった。
 非現実的だと、決行の前夜にひとり笑ってしまった。けれど、脱出は現実となった。成功、といっていいのかはまだ分からないけれど。
「ねえ」
 なに、と動く。もう声を出す気力も残っていないようだった。
「こわいよ、あんた」
 そう言ってから、わたしは自分がとてつもなく酷い人間であることを自覚する。地獄で笑うあいつらよりも、遥かに。
 男の唇が、一の字に結ばれる。わたしをなにも言わずに見ている。片目が潰れているのに、息を呑んでしまうような鋭い視線。
「ねえ」
 唇は動かない。
「これからは、それぞれ自由に生きるって話だったけど」
 地獄からずっと逃げ出したいと願っていた。
 長年の望みにようやく手が届いたのに、まったく嬉しくない。むしろ、真っ黒な感情がわたしの心を蝕んでいく。
「一緒に死んでくれない?」
 地獄が爆発した。だれかの泣き声が頭の中でずっと反響している。
 自分が救われるために、知らない人の命を奪った。その事実を抱えながら、これから救われることができる気がしなかった。
「一緒にさ、別の地獄にいようよ」
 きっと、前のところよりは居心地いいはずだよ。
 そうは言えなかった。

4/1/2024, 1:43:46 PM

 エイプリルフールに吐いた嘘は、その一年間決して現実のものとならないらしい。
 そのことを知ったのは、去年の4月2日。SNSで「親が土下座して謝ってきた笑 もう乱暴しないって」と投稿した次の日のことだった。
 そういうのは単なる迷信で、おふざけの延長線上にあるものだと、自分に言い聞かせた。つまり、わたしは親の虐待が今年こそ無くなるとどうしても信じたかったのだ。物心つく前からずっと願っていた。死にきれない夜も、眩しさに吐き気がする朝も、ずっと望んでいたのだ。
 けれど、迷信は迷信でも、信じられているということは、多少の真実味を含んでいるからなのだ。
 お腹や二の腕、その他諸々のところについた傷。なぞる。ぞわりとする。名前も知らない男のがさついた手を思い出して、なにかが喉元までせり上がってくる。
 縋るような顔して「笑」と打ったあの日から、状況は悪化しているようにしか思えなかった。
 もう新しい年度に入ってしまった。ずっと、ずっと変わらない日々がまだ続いていくようにしか考えられなかった。
 「親の乱暴が止まらない」とでも言えば、明日あいつらの態度はコロリと変わるのだろうか。けれど、それは嘘ではない。ただの現実でしかないことを呟いて、なにか変わってくれるのではないかと今更望む気力もない。
 ああ、死にたい。
 乱暴に扉が開けられる音がする。
 ああ、死にたい。
 鼻息を荒くした男が、わたしの前に立ちはだかる。
 ああ、死にたい。
 男が拳を作って、それを振りかざす。
 ああ。
「生きたい。」

3/30/2024, 2:00:35 PM

 いつも、何気ないふりをしてくれてありがとう。
 いつも、さりげなくやさしくしてくれてありがとう。
 いつも、隣にいてくれてありがとう。
 いつも、迷惑かけてばかりでごめんなさい。
 いつも、いつも、ごめんなさい。
 約束、守れなくてごめんなさい。

 滲んだボールペンの文字をなぞる。
 彼女は、これを書いていたとき、泣いたのだろうか。
 泣くぐらいなら、あの、繊細な涙を流すくらいなら、踏みとどまってくれてもよかったんじゃないか。
 薄い便箋に雫が落ちて、彼女の丁寧な字が読めなくなる。
 わたしこそ、ごめんなさい。
 胸にたまりつづけるこの思いは、だれに伝えればいいのだろうか。

3/21/2024, 12:34:38 PM

「二人ぼっちって言葉、大嫌いなんだけど、分かる?だってさ、二人ってぼっちじゃないじゃん!?二人じゃん!?なのにさ、ぼっちとか言うのひどくない?本物のぼっちに対する冒涜じゃない?なんかさ、今日客にさ、『ぼくら、二人ぼっちでいようよ』とか自分達に酔ってる風の男と女がいて。結構でかめの声でそんなこと言ってたの。わたし、その時は怒り通り越して鼻で笑えたんだことさ、今は怒りが再燃してんの。だってさ、考えてみてよ。信じられなくない!?なんかさ、その男と女さ、悲劇の主人公ぶってそうな感じがまた気持ち悪くって。いや、知らないよ?あいつらがどんな生活してるとか、どんな人生歩んできたとか。そりゃ、悲劇の連続だったのかもしれないけど。まあ、そんなの興味ないし、どうでもよくて。とにかく、今現在、そういう気障なこと言える相手見つけれてるだけで、あいつらはぼっちじゃないわけ。あいつら、なの。あいつ、じゃない時点でもうぼっちじゃないのにさ!ほんと気色悪い。ほんと、わたしに対するとんでもない嫌味なのかと思ったよ、ほんと。あー、気持ち悪い、あー、ほんと。」
 なんて、一人観葉植物に語りかけているわたしが本物なのだ。

3/20/2024, 1:06:52 PM

 夢が醒める前に、この人生が終わればいい。
 いつも、目を開ける前にそんなことを祈っている。けれど、目をその後に開けている時点で、いや、そんなことを祈っている時点で、わたしは性懲りもなく生きているのだと知る。これも、いつの間にかいつものこととなっていた。
 夢はいつだって幸せなものだ。内容が幸せでなくとも、それは結局夢なのだから、気分は落ちてもダメージは少ない。
 現実はそうはいかない。
 だから、いつも願うのだ。

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