すべて物語のつもりです

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 エイプリルフールに吐いた嘘は、その一年間決して現実のものとならないらしい。
 そのことを知ったのは、去年の4月2日。SNSで「親が土下座して謝ってきた笑 もう乱暴しないって」と投稿した次の日のことだった。
 そういうのは単なる迷信で、おふざけの延長線上にあるものだと、自分に言い聞かせた。つまり、わたしは親の虐待が今年こそ無くなるとどうしても信じたかったのだ。物心つく前からずっと願っていた。死にきれない夜も、眩しさに吐き気がする朝も、ずっと望んでいたのだ。
 けれど、迷信は迷信でも、信じられているということは、多少の真実味を含んでいるからなのだ。
 お腹や二の腕、その他諸々のところについた傷。なぞる。ぞわりとする。名前も知らない男のがさついた手を思い出して、なにかが喉元までせり上がってくる。
 縋るような顔して「笑」と打ったあの日から、状況は悪化しているようにしか思えなかった。
 もう新しい年度に入ってしまった。ずっと、ずっと変わらない日々がまだ続いていくようにしか考えられなかった。
 「親の乱暴が止まらない」とでも言えば、明日あいつらの態度はコロリと変わるのだろうか。けれど、それは嘘ではない。ただの現実でしかないことを呟いて、なにか変わってくれるのではないかと今更望む気力もない。
 ああ、死にたい。
 乱暴に扉が開けられる音がする。
 ああ、死にたい。
 鼻息を荒くした男が、わたしの前に立ちはだかる。
 ああ、死にたい。
 男が拳を作って、それを振りかざす。
 ああ。
「生きたい。」

4/1/2024, 1:43:46 PM