『落下』
カラスに見つかってしまった。
私はモンシロ蝶の幼虫ですけど、家庭菜園のキャベツをかじってましたら、その家のガキに捕まって風船にくくりつけられて大空に飛ばされました。
私の周りを飛ぶカラス。
ガキは、良かれと思ってやったらしいんです。芋虫ちゃんも空を飛びたいでしょ、って。そんなことしなきゃ、そのうち飛べたんだよ、蝶なんだから。
お願いします。見逃してください。こんなめにあった上に食べられてしまうなんて。不幸すぎる。
私は必死に頼んだ。
「お前じゃ無くて風船が欲しいんだよね。巣作りによさそう」
カラスはそう言って、風船を掴もうとする。私の事はどうでもいいらしい。
ふ、風船が割れる。割れた、落ちるうぅ。
落ちて行く。元々、幼虫のうちに死ぬ方が多い。成虫になるまで生き延びた時点で、子孫を残してよい子は優秀だ。私なんて、成虫になっても結婚など興味をもたず、飛び回っているだけだろう。
だって私は空を飛ぶのが夢なんだもの。恋愛も出産も興味ない。モンシロ蝶としての義務を果たさない私は成虫になる資格は無かった。
地面が私を引き付けている。土になってもよい。
生まれたからには、いろんな使命もあるもんだ。
『明日世界がなくなるとしたら、何を願おう』
「明日世界がなくなるんだよ!」と、壁越しに隣の人がはなしかけてきた。
それを聞いて私は小躍りした「ホントに!? やったぁ~! 長年願っていれば願いは叶うんだねえ。神様ありがとう!」
「ずっと願ってたの?」
「私が十歳くらいの時からだから、七十年かな」
「そっかぁ~。いつかは叶うもんだね」
「それで。どうやって世界がなくなるの?」
「太陽が落ちて来るんだよ」
「それはまた、派手な。太陽が? 地球が太陽に飲み込まれるとかじゃないの?」
「そうともいう。地球を主体に考えれば、太陽が地球の周りを回っているし、天動説も正しいから」
「そうなんだ~。じゃ、最後に何お願いする?」
「あなたが一人で死ぬんだよ。あなたを主体として考えれば、死んだら世界も終わるし、太陽も落ちて来るんだよ」
そうなんだ~。そういえば私、八十才だし。今日の夕日が落ちて、沈んだら、もう次の朝、日の出を見ることはないのかもしれない。
十歳くらいの時から、夜になって、寝てしまったら、すぐに次の日の朝が来てしまう。学校に行かなくてはならない。眠りたくなかった。
生きている時に、一度でも死を願わなかった人なんているのだろうか。人間が、もれなく叶う夢なのだから、いないのかもしれない。
『君と出逢ってから、私は…』
私の部屋はアパートの三階。夏になると1日に一人はお客が舞い込む。虫なんだけど。可愛いのもいる。てんとう虫とか、繊細な羽虫とか。でもゴキちゃんとかは、どうしても好きになれない。
蜘蛛が怖いという人は、よくいるみたいだけど、小さい奴なら平気だな。毎日見かける。もしかしてこの部屋に住んでる同居人なのかな。それとも種類は同じでも、違う蜘蛛なのかな。
顔があるわけじゃないので、見分けがつかない。虫メガネで蜘蛛を拡大して見てみた。そしたら、顔があった。蜘蛛の顔にあたる部分が、人間の顔している。人面蜘蛛だった。
「人間に擬態してみたの」と、蜘蛛は言った。
してみたのか、そうか。何のために?
「人間は、私達を見るなり殺そうとする人達がいるけど、人間の顔してたらうかつに殺せないはず。
生き物は常に生きるための戦略を考えているの。それでも、殺されることがあるの。なぜよ?」
でもねえ、虫さんて私が言うのも何なので、言わないけど、やっぱりキモいし怖いんだよね。だからじゃないですか?
「私は、可愛いわよ、あなたと違って」
可愛い顔してるんだけど、そういうことじゃないんだよな。でも、いっか。べつに。勝手にすれば?
君と出逢ってから、私は、蜘蛛もあんまり好きじゃないです。
『大地に寝転び雲が流れる…』
公園で寝転んで空を眺めていた。モコモコの綿のような雲。あれが水蒸気で霧なのだと知る前は、雲は布団の中に入ってるようなフカフカの綿のようなもので、その上を歩いたり出来ると思っていた。
どこもかしこもフワフワの木綿綿で、家も家具も、住人も、ぬいぐるみ のような人らで、転んでも殴り合っても枕投げくらいの打撃しかないので、ぬいぐる民達は楽しく平和に暮らしてましたとさ。
そんなある日の事、とある ぬいぐる民がいつものように寝転んで雲の端から地上を眺めていると、一人の人間と目が合いました。
…いや、合うわけ無い。遠すぎて顔なんて見えないはず。でも見える、向こうもびっくりしてるぞ。こっちに手を振っている。
ぬいぐる民は周りの綿から素早く糸を紡ぎだし、下界に向かって下ろし始めた。見られたからには生かして置けない。こっちに来て貰おう。こういう決まりなので悪く思わないで。
私達の事見える時点でもうこっちの住人なので文句あるまい。むしろ喜んでくれる。これが、芥川龍之介、『雲の糸』!って。人間よ、それ『蜘蛛の糸』だよ。少しは古典も読めよ。
『楽園』
いつの間にか、私は死んだみたいだった。ここは霊界らしい。私によく似た案内人が来て、小さな船に乗って、小さな島に連れられていく。
「霊界では、似た人同士で暮らす村や町がそこここにあり、その島もその一つで、私もそこの住人。同じ考え方するから意見の対立も起きず、平和に暮らせる、地味な楽園さ」と、言われた。
それは良かった。私はすっかり対人恐怖症になってるし。それでもたまには虚しくなったり不安になることもある。それが寂しいという感情なのかな。
「そんなときは、間接的に他の者と通信出来る装置があるよ」案内人は服のポケットからスマホみたいな物を取り出した。
「これは“スマホみたいなやつ”。よその村とも、前に生きてた世界とも通信出来ちゃう」
へえ、凄いね。生前の世界にまで。
「そうなの。だから、君がまだ生きてた2023年にも通信出来る、生前の君にも」と、案内人はスマホみたいなやつを弄りながら、
「一人で生きるのも死ぬのも不安で寂しいだろうし。だからって、直接的に話しかけるわけにはいかないんだよなあ」
じゃ、なんとなく示唆するのは?
「いいね、なんとなく示唆しよう。でもあの人鈍いから気が付かないかもね」
てことは、案内人も私も鈍いということである。死んでも治らないのかそこは。でも、自分と違う他者と比較することによって、初めて私は“鈍い”という事実が浮かび上がるのであり、比べる対象がなければ、そんなこと無いので、私が鈍いという事実は無くなるから、私はもう鈍くないのかもしれない。
「そんなことより、この件について文章書かせよう。言葉にして書き出せば、少しは頭の整理もつくだろ」
そうだね!そういえば生前、スマホでネットになんか駄文書き込んでたよ。匿名だからってよくやるよねえ。でも、お陰さまであの世は地味な楽園って知ってたみたい。少しは安心出来るじゃん。地味なところがいいと思う。私には相応ですよ。