「ヘッ。くちだけだな」
ソファの背もたれへ、おもいっきし頭をしずめて、ツーツー電子音が鳴るだけの電話口へ笑う。
もー、しずかすぎる家になってしまった。
放置された靴下の接する壁へ、八つ連なった付箋。
もう九つにはならない。
冷蔵庫のタッパーは一向に減らなかったし、
これからは、増えもしないんだな。
どんだけおれが、家中散らかしても、叱ってくれるヤツ、それでもちゃんと片付けてくれるしっかりもの。
だけど、毎晩えほん読んでやらなきゃ、スネちゃうヤツは、もーいない。
「はー」
ためいきがでるのはしょーがない。
生きる気力もついにわかない。
『……生きてることがツライなら
いっそちいさく死ねばいい』
なんて歌詞を思い出したが、
つづく言葉はおぼえてなかった。
たしか、死ぬことを安易に推奨するような、歌じゃなかったとおもうけど。
もー座ってるのだってくるしく、ソファのこしかけに頭をずり落とした。
ボス、とかそんな音はせず、重苦しく、チャリ、と、小銭がこすれる音がなる。
……たしか、座る度にチャリチャリ音が鳴ったら、めちゃくちゃイカす、とかそんな理由だったはずだ。
実際は、ヘソクリにしかみえなくて、逆にビンボーくさくなったんだけど、言い出した本人が誇らしげだったから、気にならなかった。
「は〜」
つまんない家になったな。
つまんないのはおれか?
これからどうしよう、も、あのときこーしとけば、すら、おもわないんだから、そーだろうな。
足組んで、腕を枕にして、ソファのうえで寝っ転がって、いっつもこーしてたハズなのに、きょうは、いやこれからも?バカみたいにむなしい。
……テレビでもついてりゃ、まだマシかな。
頭からうで抜いて、天井みながら、テキトーに床をさぐるが、まー、床になんておちてるワケなく。
結局また、うでは枕に逆戻りだ。
ま、もーすこしたてば、床に物がころがるなんてあったりまえの家になるんだろーから、べつにイラつくことなく、なんなら、こんなキレイな家にひとりでいるのは貴重だなんだって、清々しくまであった。
家族がめの前で死んだって、てか、殺されたって?
おれは謝らない。
そんなことで謝ってたら、キリないからだ。
じゃ、あのしりあいは?
ともだちの母親のことは?おれはみんな助けられたハズだ。
ぜんぶ、おれのせいだってことはわかってる。
いじめる側だけじゃなく、見てるだけのやつも共犯だってよく言われるようにな。
だが、それでもおれのまぶたは睡魔に負けるし、
腹だって空くし、身勝手に、家を汚す。
「……生きてーることがツラ〜イなら、
いっそォちいさくゥ、しね〜ばいい」
イヤに頭から離れない。
それにトクベツな意味をみいだすなんて、
そんなバカなまねはしないが、我ながらオンチだな。
イミないから、なにしたっていい。
ぜんぶ、いまこんな、なんのイミもないこと考えたって、
家族が死んだ直後に、きょうの晩飯のこと考えたって、
おれはまだまだ死ななくったって、
勇気はないくせに、だれよりも長生きしたって、
べつにどーってことない。
みんな勝手に死んでく。
どーせいつかはみんなお陀仏だ。
クソダサいけど、死んでからのコトなんて考えたってイミないし、おれは好き勝手してたい。
だれにむかって言ってんだ。
ほんとクッソダサい。
「アンタはそう思うの?」
対面で、頭がちいさく頷く。
はなをならして笑うと、それがピクっとゆれる。
「あ、そう」
ニンゲンは顔をくもらせて、頭を地面へむけた。
近頃のコイツは、だいたいこうだ。
下向いてそっから、ハタ、ポロポロ……なんて、なみだを零してる。
地面より、空みたほうがいいと思うけど。
ニンゲンは、急にバッと顔面をあげて、こっちをみながら、ヒドイぐあいにふるえた口を開く。
「イエス、ってこと?」
ジョーダンみたいなこと言いながらニンゲンは、
へったくそすぎて気味悪い笑顔を、うかべた。
「……ハッキリ言ってほしいな」
また顔をそむける。
木陰から、顔半分がはみでたから、その目がうるうるうるうる、いまにもまた、涙をこぼしそうなのがわかった。
「ノー」
言うと、ほとんどおなじくらいの背丈が、おもしろいくらい揺れて、ついにニンゲンは、後頭部しかみえないくらい顔面を背中へひっぱった。
肩がプルプルふるえていて、
笑いをこらえてるようにも見えたが、
落ちてるしずくがそれをしっかり否定する。
こういうとき、なんて言ったらいいんだろう。
今みたいな状況は、口下手をさらに加速させてよくない。
ようやく、話す言葉の目処がついて、
口を開こうと思ったのに、自分の口も、さっきのニンゲンのように、ふるえていて、
もちろんそれは、絶対、緊張にふるえているだけ、なんだけども。
とにかく、ふるえてるってだけで、
自分のバカみたいにちっこい勇気の消失を感じた。
ふたりして、だまりこんで、気まずいとかそういうのを通り越してる。
頭上を笑う鳥たちが飛んで、ふたりをその影で覆い尽くす木は、葉擦れのヤジをとばす。
今世紀一、ヒドイ告白だ。
なまぬるい風にあおられて、ため息をつく。
……さすがに、いまのは酷かったかな。
ニンゲンは、手を握りこんで、頭をふるわせたかと思えば、ゆっくりこっちへ顔をむけた。
ヒドイ顔。
なみだだらけ、顔面中どこも真っ赤。
必死に、なみだをこらえてるのか、目によったシワ。
「ごめん」
それだけいって、ニンゲンは木陰から逃げるように退散した。
つったって、走っていくうしろすがたを見てるだけ、それでもせわしなく、風は袖をゆらして、なまぬるい。
ぼくのこと嫌いだよね。
とか、そんなこと聞かれるのははじめてだ。
自分の顔に手をあててみたら、予想外にアツい。
……たぶん、太陽のせいだな。
土を蹴った。
となりをみると、弟の、少し濡れたズボンがあって、もうすこし見上げると、弟が傘の柄を握っているのが見える。
さらにめをあげると、パツパツ雨が傘をうつ音と、白い街灯の光が、おっこちてくる雨のシルエットと、弟のシルエットを淡く浮かび上がらせている。
よくみると、弟はこっちを見てた。
フシギそうに見てる、弟とバッチシめが合って、
なんでか、おれの口角がぐっと上がってくのを感じる。
また、気持ち悪いって言われる前に、めをもういちど、自分のみのたけにあうとこまで戻した。
雨に濡れた夜道が、街灯のしゃぼん玉みたいなあかりにメラメラ光って、街灯のならぶ反対側には、住宅街が並んでいる。
窓と、玄関、別の家の、窓と玄関にも、せいぞろいで明かりがともってて、窓に伝う結露までは見えなくても、幸せそうな家庭はのぞけた。
「兄ちゃん……ヒトの家をジロジロみるのはよしなよ、なんかわるいヤツみたいだぞ!」
雨の音にはぜんぜん負けない、弟の声はいつでも朗らかだ!
だが、おれは悪者扱いされてるらしい。
「ワルモノが割るものさがしってか……!?」
「わるモノじゃなくて、ボクが言いたかったのはドロボウ!こうすればおまえのサムイギャグは無効だ!まったくもう!」
傘をグラグラゆらしながら、アニメっぽく、しぐさでイライラを伝えてくる。
「ざんねんだったな、ものさがしってとこでもかかってるぜ」
あんま深く考えずに言ったが、弟は意外にも一拍、めをまるくして、そのまんま黙って、前をむいて、腕をくんで、考え込んだ。
おれは、あんま深く考えずに言ったもんだから、考え込んでる弟がおもしろくて、また口角があがった。
「……もうッ!!」
叫んだと思ったら、おれの頭に冷たいモノがどさどさきて「えっ」上をみあげるが、そこに弟の顔も傘も見当たらず、先をみたら、次の次の街灯の下に、走る弟の後ろ姿がみえた。
「ジョーダンキツイぜ……」
おれのパーカーはあっというまにびしょぬれで、三段階くらい暗い色におちてる。
カゼひくまえに、弟の傘にありつくべく追いかけた。
珍しく、きょうは雨だってことで、スニーカーを履いてきたが、それが悪手だった。慣れてないからかバカみたいに走りにくい。
おまけに、背中にはぐちょぬれのフードがきもちわるくのしかかる……
「あ〜、うえ〜」
それでもなんとか、コンクリートの上をおれの影がカタツムリみたいにすべってく。
街灯の中にとびこんで、まだ走って、おれのうしろにまわった影が、おれへおいついて、おいぬく。
走るのがヘタだからか、どうしてもおれの上体は地面の方にかたむいて、前をむくにはわざわざ頭をおこさなきゃならない。
労力つかって、前むくと、弟があとふたつ街灯こしたとこに立って、おれを見てるのがわかった、すると、視界がニュっとのびて……そうのびた。
街灯のあかりが急に尾をひいて、住宅街がとつぜんおれの視界から消えてなくなって、つぎには立派な痛みが額と鼻と、とにかく顔面を襲った。
ガチョッて、ヒドイ音が鳴った気がする。
ずっころんだ。もう一生、スニーカーなんて履かない。
ずるずる重い服をひきずって、荒れて荒れて荒れまくった息と、うるさい雨の音のなかでとりあえずなんとか、起き上がって鼻を触って折れてないか確かめた。
マジで、おれがワルフザケすることはあっても、兄弟がこんなことするのはめずらしい。
くるしい息のなかで、おれはそれだけ考えるのがやっと。
痛みがマシになってきた頃、コンクリートに手をついて、ヒザにも力をいれて、たちあがろうとする。が、運動不足がたたって、コンクリートを四つん這いになって見つめたまま、立ち上がれない……
ぬれた靴、かろうじて上部はぬれていない靴がおれのめにはいってきたかと思うと、雨のうるさい音がマシになって、頭をうちつけて、靴下に水をためてくることもなくなった。
「……ドッキリだ!」
顔をあげると、どうしようもなく面白い、といいたげな赤い顔がみえた。
肩もぷるぷる震えている。
「ドッキリだから、謝んないぞ!」
おれの走って転んだ姿がよほど面白かったのか、めったにみない笑い顔を拝めた。
弟が手をさしだしてくれたから、おれはそれをつかんで、どうにか起き上がって……
弟の足にてのひらをぶつけ、自分もろとも弟をずっころばせる。
「うわっ!?」
「……ドッキリだ」
傘がちかくに転がって、ふたりでずぶぬれになりながらコンクリートにころがった。
弟は、プッと顔を赤くして、ぷるっぷる震えて、やがて爆発したみたいに笑いだす。
おれもそれにつられて、ふたりでお互いをゆらしながらめちゃくちゃに笑った。
「へへ、へへへ!おこるかと、おもったぜ……!」
「は、ハハ、ハハ……!おこってるよ……」
街灯と街灯の間だから、ちょっと暗いが、弟はぜんぜん幸せそうに笑ってる。
おれもたいがいだろう。
傘がなくなった空の上から、雨がもちろんふってきていて、雲の合間合間から、黄色い月がのぞいてて、だのに、雨はおれたちをうちつけて、おれはふう、とため息をついて、弟の腹からどけて、立ち上がる。
すると、弟も、まだ半笑いだが、傘をひろって立ち上がって、ふたりぐしょぬれだから、傘いらないよな、なんて思った。
弟もそう思ったのか、傘をたたんで、手に持つ。
「……ほんとに怒ってるからね!きょうのお風呂掃除は兄ちゃんの担当だッ!」
「おっけー」
びしょぬれの弟にむかって軽くいうと、弟はなにか思い出したらしく、急に焦ったみたいにしだして、フシギだな。雨に散々ぬれてるくせに、汗と雨はみわけがつく。
「やっぱオレさまがやるッ!
……兄ちゃんに任せたら、風呂に苔がはえる!」
「なんだ?いいのか?ラッキーだな」
おおかた、おれが風呂掃除をサボったのに気づかず、ヌメヌメの浴槽につかったときのことでも、おもいだしたんだろう。
もういっかい空を見上げたら、月はもう雲に隠れてなかったが、街灯の白いあかりのおかげで、キラキラうかぶ雨粒が、まあなんか、星みたいだったし、雨の日の夜空も、いいな、なんて思う。
「なあ兄ちゃん!」
みあげると、弟がニコニコ笑ってこっちをみてる。
「こんど、星みれるといいね!」
おれの手をつかみながら言って、つかんだと思ったら、それをブンブンふりだした。
やっぱり怒ってなんかいないだろうな。むしろたのしそうだし。
「きょうだって、月ならみえるよ」
ガグガグ、ゆらされるまんまに体もゆらしながら、言ったら、弟はそこで立ち止まって、大きく見上げる。
おれがつついて……いつのまにか、月のほうを指さすと、弟はすなおに見上げて感嘆した。
「なんか、いつもより綺麗だねっ!」
「だな。卵みたいだ」
「あしたもみられるといいねえ!」
弟は、なにか、胸のわくわくがおさまらなくなったのか、雨のなか、ぐるぐる走り出して、おれはゆっくり歩いて、追うことにする。
カゼひくっていったけど、たぶん大丈夫だな。こういうとき自分の体を自慢したくなる。
おれは、雲にかくれそうな月をひとめみあげて、ちょっと笑った。
ほら、おれの弟がいってるんだから、あしたもときどきは顔みせてくれよ
雨はすきだ。
コンクリートがめらめら光る瞬間と、なにげなく生えた草や茎すべての、世界の色彩がひとつ沈むのがすきだ。
家と家の間に存在する、ちいさな隙間のなかが、美しく暗くなり、置かれた赤い自転車が映える、何気ない景色が雨によって彩られるのがすきだ。
いちどは、傘をささずに外へ出て、
「インクレディブル・ハルク」みたいに、ドラマチックに雨へぬれたい。
裸足で外を歩いて、ぬれたコンクリートを足の裏でかんじ、もうただでさえぬれぞうきんのようになったシャツとズボン。今さら汚れたって気にしない、そんなふうにコンクリートへ寝転んで、ゴロゴロ転げ回りたい。
ビニールハウスの天井を、すべるだろうな、アスレチックみたいにのぼって、登りきったらきっと、くにゃっと、意外とあっけなく、自分の足はビニールハウスの天井をしずませるんだろう。
それでもひるまず、全身を投げ出すと、さらにぐにゃっとしずんで、あげく破れる。
体を空中に投げ出されて、クルッと一回転などして、背中を地面へ打ち付けるが、その土は畑をするためにひどく柔らかく、しかし臭いのだ。
雨に濡れながら、ビニールハウスとビニールハウスの間を、サンダルで走り(サンダルはきっとぬれているので、走る度足の裏とサンダルとがこすれ、キュッキュッと鳴るはずだ)、たびたびは苔に滑って転び、どしゃぐちゃにしたシャツの重みをひっぱりながら子供みたいにはしゃいで走るのだ。
突拍子もない願望で、なにかどこか、プライドの高さと意識の高さを感じる。好きな子をいじめてしまう子供のような、天邪鬼さを感じるが、しかし、雨がもたらす景色がすきだ。
すべて叶う願望だ。
しかしめんどうなので、叶えはしない。
処理のことは、やってから考える、という子供であれば、自分はもう少したのしめたかもしれない、と、ちいさく落胆するが、車窓から眺める雨の風景にもまんぞくげな、やはり子供っぽい自分もいる。
傘をうつ雨はもうずっと止まらないし、これから先もとまらなければどうなるのか、想像できなくもなかったが、処理の方法を考えてもどうしようもないことが世の中にはあって、諦めて、やめて、ただ現状を受け入れる生き方をするしかなくなる瞬間がある
むかしのほうがよかった、と思ってしまう僕だ。
それでも、むかしの僕にもダメなところはあるんだろう。掘り出せないだけで、たくさんあるに違いない。
強いて言うなら、体調管理はしっかりしろ、だろうか。
息を吸うだけで吐き気がしてくるもんで、ごはんは毎食、アリ一匹がもてる量しか食べなかった。
ふしぎにも、それで腹がへることはめったになく、わりにあわず、トイレには毎日走っていて、もう、自分でも骨の浮いた体をみたくなく、風呂へ入る時、鏡を見ないように、必死だった。
そんな生活してるうちに、ただでさえ昔から弱かった腹をこじらせたのか、なんなのか、ひどい病気になった。
完治はしない類の病気だ。
だから「体調管理はしっかりしろ」だ。
しかし、ごはんがのどをとおらなかったのは、しょうがないんじゃないか。
自分でどうにかできる範囲だったか?
なんども病院へ行ったが、治らなかったし、そうならあと頼れるのは精神病院か?
なら「あの予約をキャンセルするな、するなら別の病院へいけ」
先の長い予約だったが、あと三ヶ月で受診できる、というとき、とうとう頭も参ったか、その精神病院をキャンセルしたことがある。
もし、病院で正しい治療ができていれば、なにか変わったと思う。
自分にあった環境と、病院があれば、なにか変わった。
もっと正確にしよう「自分を変えてくれる場所を探せ」
ひどかったからだ。今もそれは変わらず、むしろ悪化の一途をたどっているからだ。
しかし、こんな他人事でいいのか。
過去の自分になにか言うより先に、行動しなきゃいけないんじゃないか。
未来の自分から「はやく行動しろ」と背中を叩かれても仕方がない