家の近所には昔、アーケード商店街があった。
わたしがうんと子供の頃は人が賑わっていたけれど、小学生にあがる頃に大型のデパートが近くに建って、それから人が減っていった。
わたし達家族もそのデパート出来てからはあまり商店街にはいかなくなり、いつも行っていた八百屋がしまってからは、パッタリ行かなくなっていた。
そんな商店街が、とうとう取り壊される事になった。
商店街にいかなくなってから、わくついてくぐっていたアーケードの入り口は学校に向かう途中通り過ぎるだけのものになっていた。
それでも、いや多分、だからこそどこか物悲しくて、なんの気なしにわたしは商店街に入っていった。
取り壊しが決まっているだけあって、お店はどこもやっていない。色褪せた閉店を知らせる紙が未だシャッターに貼り付けられ風に揺れていた。
昔は、ここは魔法の町だった。
両親に手を引かれ入り口の門をくぐれば八百屋に魚屋に肉屋に電気屋、古本屋におもちゃ屋服屋…なんでも揃っていた。
ここの惣菜屋さんで売っていた野菜コロッケとメンチカツはわたしの大好物で、そこが閉まると聞いたときはすごく悲しくなって閉まるまでの数日間毎日メンチカツを買って帰った。
お店が最後の日。お店のおばちゃんが「今までありがとうね」とオマケに沢山の野菜コロッケをつけてくれて、その時はもうわんわん泣いたっけ。
惣菜屋さんだった場所はもう、マスコットとお店の名前の書いてある錆びたシャッターが下りるばかりだった。
あの魚屋のサバが好きだった。果物屋さんが通りがかりにリンゴをくれたことがあったっけ。あぁあそこは確か文具屋で、匂い付きの消しゴムを買った。
とか…色々思い返しながら歩いていると、もう出口についてしまった。かつてはずっと歩いても辿り着けないとさえ、思っていたのに。
振り返って、商店街を見る。静まり返ったその場所は、あまりにも寂しすぎる。
踵を返し、入ってきた入り口に向かって歩く。
帰り道はただ寂しく虚しかった。
商店街を出て、後ろを振り返る。
あの魔法の町の入り口は、ただ寂しく口を開けているだけだ。
…魔法はもう、解けてしまったんだろう。
それでも、かつてこの商店街が煌びやかな場所だったことは消えない。
帰路へと足を向けたわたしは、もう振り返らなかった。
きょうのおだい『きらめき』
何気なく読んだSF小説がある。
気まぐれに足を向けた図書館で、適当に手に取った本。
その本のあらすじは、人の記憶を脳内に埋め込んだチップを媒介して売ったり買ったりできる世界で生きる、五人の主人公のオムニバス作品だ。
全部は読めていない。借りるつもりはなかったし、時間もなかった。その上随分分厚いのだ。
だから、物語がどう進んだかや主人公たちがどんな結末を迎えたかは知らない。
ただその小説の、人の記憶を売り買いできる、という設定だけが僕の頭に残っていた。
その日の夜はひたすらに寝付きが悪かった。
目を瞑ってもどうにも眠気が来ず、虫の声と扇風機の音を聞きながら布団の中でのたうち回っていた。
そうしていると、どうにも昔のことを思い出してしまう。そこで僕は考えた。
あの小説のように、僕の記憶も売ることができたら…?
小学生時代を、売ってみようかと思った。
僕はクラスに馴染めず、いじめこそされなかったが、友達もおらず、いつも一人で遊んでいた。
故に、楽しくもない学校生活の記憶を売っても、差し当たりないと思った。
…ちょっと考えて、売りたくないなと思った。
確かに僕には、友達はいなかった。クラスからも浮いていた。
だけど、運動会は…楽しかった。準備も含めて、本番も全力でやった。優勝できた時は、跳ね上がりたい気持ちだった。
図書室で読んだ好きな児童書があった。内容もタイトルも忘れてしまったけど、表紙の絵だけは朧気に覚えてる。
毎回図書室に行っては、その本の続きが借りられてないか見ていた。借りられてたら…別の本を読んだ。
放課後、そろそろ帰った方がいいと司書さんに言われるまで、のめり込んだものがそこにはあった。
…友達とまではいかなかったけど…少し話をする子がいた。
六年生の終わり。…つまり卒業を間近にしたころ、理由は忘れたが、なぜか話すようになった子がいた。
名前も顔も…うろ覚えだけど。確かに楽しいと思う時間があった。なんでもっと前に話さなかったんだろうと思ったほどだった。
思い返せば、売っていい思い出などなかった。
じゃあ中学生時代は、と考えた。
小学生時代以上の孤独。何気なくクラスメートから避けられているように感じたあの時間。
陰鬱な気持ちばかり蘇るあの時。売ってしまっても…いや、売るという形で捨ててしまいたい。
…ちょっと考えて、また売りたくないなと思った。
あくる日のテストで満点をとれたことがあり、寿司を食べに行った日があった。
あの時の親の喜びようといったら…ちょっと引くぐらいだった。
その日は、恥ずかしくも誇らしく…親孝行できたのかな思った。
修学旅行は楽しかった。班の人となぜだかめちゃくちゃよく話せて、全力で遊んだ。
遊びに来てんじゃないぞ!と担任の先生に怒鳴られたことさえ楽しい思い出にできるほどだった。
高校受験に受かった日。受験勉強に付き合ってくれていた先生が号泣したの思い出した。
受かりました!と報告したらタバッと涙を流して…。
もともと涙もろい先生ではあったけど、良かったなぁと泣きながら言ってくれた先生を見てあぁこの人に出会えて良かったと心の底から思えた。
思い返せば、売ってもいい記憶なんてなかった。
結局、僕は記憶を売れそうにない。
嫌なことばかりだからと考えていた記憶は、捨てるのだと思う程捨てたくないと思うような、忘れていた楽しかったことや、嬉しかったことを見せてきた。
今はどうか。
クラスからやっぱりほんのり浮く高校生活。
楽しいと思えるとこも…いや、あるもんだ。
駄目なことばかり目につくが。嫌なことばかり思い出すが。
それでも捨てるとなると捨てたくなくなる…そんな良い記憶ばかり蘇る。
寝返りを打つ。ほんのりと眠気が襲ってくる。明日が近づいてくる。
瞼が重くなって開かない。ってか開けたくない。
そんな風になって、気づけば寝てるんだろう。
自分はとことん出来損ないだ。…いつも、そう思っている。嫌な記憶達が、それを証明している。
でも、悪い所ばかりじゃない。良い所も、沢山あった。
少なくとも、捨てたくないと思う程…大切なものが。
…沢山の出来事が、僕自身を作るなら。
今の僕が出来損ないでも、仕方ないじゃないかとふと思った。
だってまだ…僕っていう人間は完成していないから。
嫌なことも、良いことも詰め合わせて、自分を作っている最中だから…。
眠気にあてられ、そんなことを考えていることに気恥ずかしさを覚える…本当に眠い…。
…何も考えられなくなって…。
気付いたら、朝日が差し込んでいた。
スズメだかなんだかの鳥も鳴いている。
今日も憂鬱な気分になるけれど。
少しだけ、いつもよりほんの少しだけ、頑張ってみようと思った。
きょうのおだい『不完全な僕』
ぼくの住む街には変わった人?が住んでいる。
ぼくはその人と話したことはない。母さんから話しかけちゃだめだとキツく言われているからだ。
その人?は、いつもいつも、分厚いコートを着て頭は黒い布…テレビドラマで見たドロボーがつけていた…たしか…目出し帽?を被っていて、顔にはいつも怖いお面を付けている。
お化けのお面だったり、能面(だったと思う)だったり、あるいはウサギやイヌとかの動物のお面だったり、ヒーロー仮面だったり…とにかく色んなお面を毎日付けている。
その格好で毎日、バスに乗ってどこかに行く。
毎日…雨の日も、風の日も…真夏だって、ずっと。
ぼくの学校でもその人は有名だ。
「サツジンキなんじゃないかって、お兄ちゃんの友達が言ってた!」
「実はユウレイなんだって!」
「こわいよね…いつも何してるのかな…?」
「呪われてるんだと思う!…なんにかは知らない!」
とかとかとか…。みんな、そんな風な噂をたてている。
その日は、予報ハズレの大雨が突然降った。
ゴウゴウと酷い風も吹いてる。帰ってる最中になんて、最低な天気。
何とか家の近くのバス停に飛び込むと、そこに例の人?がいた。
ぴちゃんぴちゃんと、分厚いコートの端から雨粒が落ちていて、頭までぐっしょりぬれている。その日はなんの生き物かもわからないお面を付けていたけど、それにも大きな雨粒が乗っていた。
まずいな、とぼくは思った。雨宿りしていたいけど、この人のとなりは少し怖い。
でも…チャンスだとも思った。この人がなんでこんな格好をしてるのか、聞けるのはきっと今しかない。
ぼくは意を決して、口を開いた。
「あの…こんにちは」
するとその人…は、くるりとこちらを見た。たくさんの目と目が合う。そのお面はよく見ると、蜘蛛だった。
「どうも…こんにちは」
その人は意外にも普通に返事を返してきた。声は何だか変だったけど。なんというか、テレビで見たモザイクをかけられた人の声みたいな感じ。
「あの、あなたはなんでそんな格好してるんですか?」
ぼくがそう聞くと、その人はぼくから目を離してぽつりとつぶやくように言った。
「やっぱり…気になるよね」
「うん…暑くないんですか?」
「暑いよ。でもね、理由があるの…怖がらせてごめんね」
暑いんだ…とぼくは以外に思った。毎日着てるから、暑くも寒くもないんだと思っていた。
「理由…って何?…そもそも…人間なの…?」
これを聞くのは勇気がいた…はずなんだけど、何故かその時は怖さなんて一欠もなくて、スルリと言葉が口に出ていた。
「…私、怖がりだから。色んなものを見聞きするたび、怖くなって…人をね、辞めればいいやって思ったの」
わかんないよね、とその人は言って首を振った。水が少し飛びちる。
でも本当に何をこの人が言っているかはわからなくて、ぼくはだまっていた。
「人じゃなくなれば…人と関わることをなくなるけど、傷つけられることも、減るから…」
それに、と言葉を切って
「こんなイカれた人と、関わりたいって思う人、まずいないから…」
「友達、いらないの?」
ぼくは驚いて聞いてしまった。毎日楽しく遊べる友達がいないのは、さみしくないんだろうか?
「いらない…かな。一人でも、なんとか生きてけてるし…人と話すのは、どうしても苦手で…疲れちゃうの」
ぼくはその言葉を聞いた時、とっても悲しく感じてしまった。どこか心の中がモヤッとした。
「ボクは、友達がたくさんいるのかな…?」
「いるよ!毎日遊んで、楽しいよ!」
「そっかぁ…いいね」
「ぼくが友達になってあげようか?」
「んん…ご遠慮させてもらうかな…今は…一人がいい」
「さみしく、ないの?」
ぼくの言葉にその人は、ピクリと反応した。いつの間にかうつむき気味だった顔を上げ、言った。
「少しは…でも、人に気を使うのも、少しでも近い仲になるのも…怖いし、疲れちゃうの。だから…一人でいい」
そんな…と思いながらぼくがうつむくと、上から優しい声がした。
「キミは…優しいいい子だ。だから、今いる友達や、いつかできる友達を…大事にしてあげて。…それと」
そう言われて顔を上げたぼくは、またたくさんの目と目があった。その人は、ジッとぼくを見ていた。
「私は…きっと、優しい方だったと思う。いいね、もし他にこんな格好した人がいたら…話しかけない方がいい」
「なんで?」
「…怖い人かも知れないでしょ。どうする?刃物とか持ってたら。君をさらおうとしたら。怖い人、知らない人に気軽に話しかけちゃだめだよ?先生や親御さんからも、言われてるでしょ?」
「…そうだけど」
「ね、だめ」
そう言ってその人はまだ大雨なのにバス停から出ていこうとした。ザーザーと降る雨がその人を濡らしていく。
「あっまだだめだよ!風邪ひいちゃうよ!」
ぼくがそう言って止めようとするとその人はぼくを見て
「大丈夫…あんま濡れないから…着込んでるし…ボクは、風邪引かないようにね」
とそう言って歩き出して行ってしまった。
まだ雨は降り続けている。ザーザーという音が酷さを増してきた頃、慌てた様子の母さんが来た。
母さんは雨宿りしていたぼくを見つけると少し驚いてから、安心した顔で笑った。
「あーらら、びっしょんこじゃないの。運が悪かったわねぇ」
「うん…」
「どしたの?元気ないじゃない。ま、家帰りましょ!ほら傘!」
母さんは手に持っていたぼくの傘をぐっと差し出した。
傘を開いて、母さんと隣を歩く。ぼくはずっと、あの人のことが気になっていた。
「ね、母さん、あのさ、お面の人が…」
「ん…?あぁ、あの人ね。話しかけちゃだめよ」
「…なんで?」
「いつも言ってるでしょ、危ない人かもしれないって」
その答えに、ぼくはあの人が言っていた言葉を思い出した。
それから、数年が経った。僕は中学生になり、部活道を謳歌している。
その日はあの時みたいな、予報ハズレの大雨が降った。部活のない帰り道、鞄を傘にしながら走る。
あの例のバス停を通りかかった時、またあの人はいた。
静かに俯いて、ジッと雨が上がるのを待っている。
少しあの時が掠めたが、今度は話しかけずに走っていった。
きょうのおだい『雨に佇む』
盆暮れの時期。可愛がってくれていた叔父がなくなった。
じわじわと蝉のなく休日。クーラーの効いた部屋でダラダラと過ごしていた時、親から急な連絡があり訃報を知らされた。
ただ、どうしても実感は湧かなかった。
悲しくて否定したいとか、そういうわけじゃない。
ただ、まだ60の半ばであり、半年前の正月の日に出会ったときはそんな素振りもないものだから、まさかそんなわけ、と思った。
祖父や祖母の時は86に95と、齢を重ねていたから、悲しくともどこか「あぁとうとうか」という実感があったが。
正月ぶりの実家。両親に出迎えられ中に入った。
食卓を囲った大広間。そこには叔父が眠っていた。
にっかりと笑った遺影は、見覚えがある。叔父が旅行にいったときに見せてもらった写真だと、何故かすぐにわかった。
父が固く拳を握りながら「あのバカ弟…」と小さく呟いたのを聞いたとき、あぁ本当に叔父は死んでしまったのだと理解した。
葬儀もあらかた終わり、少し自由になった俺は両親に勧められ、少し町を歩いてみることにした。
行く宛もないただの散歩道。ただ少し違うのは叔父を思い返していること。
そうしてみると、何も変わっていないと思っていた町が大きく変化していることに気付いた。
幼い頃、叔父に手を引かれ行った駄菓子屋は、もうなかった。
何気なく歩いた畦道は、田んぼごとなくなって、真新しい綺麗な家が立ち並んでいた。
通っていた学校は、建て替えられたか塗り替えられたか、黄ばんだ壁は真新しい白色に変えられていた。
叔父と過ごした町は、明らかに変わっていた。
…どうしてもっと、話さなかったのだろうか。
そんな風な感情が突然ドッと湧いてきた。葬儀ときには流れなかった涙が、吹き出してきた。
でももう、どれだけ後悔しても遅いのだ。叔父はいない。思い返せる場所も、もうない。
もう大人だというのに。俺は駄菓子屋のあった綺麗な交差点でボタボタと泣いていた。
きょうのおだい『やるせない気持ち』
今日も神社にある桜の大樹は美しく咲き誇っている。
自分にとってこの桜はとても思い入れのあるもので、自分の一生の一部といっても過言ではない。
小、中学校とこの桜を見やりながら登校し、高校の時も何かあるに付けてはこの桜の元に行っていた。
この桜の下にいると不思議と気分が落ち着いて、どれだけ悲しんでいようが怒っていようが、この桜に見られていると考えると気恥ずかしく感じるのだ。
そして今頃の時期、桜の花が散りだすこの時が、この桜の一番好きな季節だった。
絶えず薄桃色の花びらが視界を覆い、足元を染めあげる。その幻想的な景色が、忙しなくも平凡な日常を非現実的な世界へと変えてくれる。
そして今も桜の根本に腰を下ろし、この手記を書き記しているが、絶えず落ちる桜の花びらが度々ページに落ちてきて、さも栞であるかのようにどこか誇らしげに挟まっていく。
取り払ってしまったほうがいいのだろうが、いつかこのページをまた開いたときに桜の花が溢れるのを考えれば、このままにしておきたいと思うのだ。
桜を見上げる。
もう若芽が目立つようになり、緑の葉がその多くを占めている。
僅かに残った花さえも、花びらとして解けて落ちていくのだ。
また今年も、桜が散っていく。
きょうのおだい『桜散る』