これはまだ私が幼少の頃、祖父母の家に遊びに行ったときにあった出来事でございます。
祖父母の家は大きな河川のすぐそばに建っていて、その河川にはこれまた大きな広場がありました。
そこはとても広くよくご老人の方がゲートボールしていたり、小学生ほどの年齢の子が野球やサッカーなどの球技で遊んでいられるような場所でした。
小さなベンチが等間隔にぽつぽつとあるだけの、それこそ公園と呼べる場所でこそありませんでしたが、当時の私は走り回るのが大好きで、そんな私にとってはかっこうの遊び場でございました。ですから、祖父母の家に行く度に私は真っ直ぐ河川の土手を渡ってそこに行ったものです。
その広場なのですけれど、少し不思議なものがありました。
それは、大きな森のような場所。少し歩けば川に行き当たるような場所には不釣り合いに思うような、そんなところでございました。
川沿いに続くその森は木々がひしめき、そのうえ周囲を私の背よりも高いススキが覆っているものですから外から見ても森の中が薄暗く鬱蒼とした場所になっているのは想像できます。なにより、ススキの隙間から見える森の先の暗いこと。私はその広場の中でその森だけがどうも好きなれず、いえ、苦手でございました。
そんなある日の事。私はふっと思い立って森にそって歩いてみることにしました。
高い高いススキの横を歩き、時折横を見やってススキの隙間から森の中が見えないものかと思いましたが、厚いススキの壁はピッタリと間を閉じておりとても見えたものではありませんでした。
そんな森の終点に行き着いた時。森に、入り口があるのを発見いたしました。
木々の終わり、ススキの壁もなくなった頃古ぼけて読めたものではない看板と、素朴な木材で作られた木の道が森の中へと続いていました。
私は似たような木の道を学校で見たことがありまして、そこは小さな川の流れる自然豊かな場所でした。
そこがお気に入りの場所であった私は興味を惹かれその木の道の上にそっと足を置きました。木はきし、と軽い音を立て少し地面に沈み込みました。
あの薄気味の悪い森の中に入れるのだという高揚感と、森の中はどうなっているのだろうという好奇心が私の背中を押して、日は傾きかけていましたがこのまま先に進んでみようとさらに一歩を踏み出しました。
木の道は真っ直ぐ森の中には続いておらず少し曲がりくねり小さな小川を抜けてから森に入るようでした。
先ほどまで自分がいた場所とは一変したそこに、興奮とそれに並び立つくらいの恐怖を感じていた時です。
ガサ、と背後で音が鳴りました。
ガサ、ガサ、ガサ…音を立てているのはあの私よりずっと背の高いススキです。
最初は森の近くですし鳥か、あるいは猫かと思いました。しかし、妙なのです。
小さな動物が揺らしたにしては、音が大きいように感じました。もっと、大きな…何かがススキの中にいる。
ゾクリ、と背筋が凍りました。まだどこかで所詮動物だろう、気にせずに好奇を誘う森の中に進もうと考える私もおりましたが、どうにもその音が気になるのです。
音は変わらず続いています。ガサ、ガサとなるススキを私はジッと見つめてどこで、何が揺れているのか確かめようと思いましたがどうにもわかりません。
私の目に映るススキの壁は、依然として静かなままでどうにも動けずいた私の頭に最近読んだ怖い漫画が蘇ってきました。
日常に潜む怪異に魅入られたら最後、死ぬまで付きまとわれるというそれは私の心に恐怖を深く打ち込んでおり、もし目の前で起こっているこれがそうなのだとしたら、ススキの向こうの何かはあの『怪異』なのではないか。
そう思うと暗い森が私の恐怖心を一斉に煽りだし、心の中で森に入るなという警鐘がガンガンと鳴らされ出しました。もういてもたってもいられず、私は急いで森から抜け出し真っ直ぐ祖父母の家に帰りました。
以来私は、祖父母の家に行ってもあの広場に行くことを避けるようになりました。
というよりも、あの森に少しでも近づきたくなかったのです。
それは、大人になった今でもそうです。祖父母の家に頻繁に行くことはなくなりましたし、より近づかなくなった、ともいえます。
しかしたまにはと祖父母の家に顔を出しに行った際は、あの広場を見下ろせる土手を散歩する事が多く、自然とあの森が目に入ります。
そこは、昔と何も変わりません。未だススキの厚い壁が森の中を押し隠し続け、薄暗く鬱蒼とした森の神秘を守っています。
しかしあの森の、あのススキの中にいたのは怪異の類だったでしょうか。
あの森での話を一度母にしたことがありましたが、母はひどく顔をしかめ「中に入らなくて良かった」「夕方にあんな薄暗い場所に近づくな」と言いました。
今思えば、あれは怪異などという不確かなものではないでしょう。仮に動物にしたって危険ですし、本当にあのまま森に進まなくて良かったと思います。
あそこは、本当に暗い場所でした。時刻が夕暮れだったのを差し引いても暗すぎるほど。それに、その時刻になると人もほとんどいなくなります。実際、私はあの時一人で周囲に人の気配はありませんでした。
あの中で何があっても、私は誰にも助けてもらえなかったでしょう。
…それを、私以外の誰かが知り、誰かが森に入るのを待ち潜んでいたのなら…。
今も、あの森を見るとすぅっと血の気の引く気がいたします。
きょうのテーマ『ススキ』
「それじゃ、次はお盆に帰ってくるから」
じゃあね、と軽く手を振って兄は去っていく。
それこそ生まれた時からずっと一緒だった兄は、就職を機に家を出てもう一年以上過ぎた。兄のいない家にはすっかり慣れきったがそれでも寂しく思う。故に兄が帰る時はいつもこうやって駅まで見送るのだ。
兄が乗る電車が出るまで、待ってよう…そう考えながら駅のホームを見下ろす。
暗い街並みにぽっかり浮かぶように駅は煌々とした光を放っている。窓に張り付いたカメムシに少し目をとられながらぼぅっと外を眺める。
わたしは、夜の駅というものが好きだった。
暗闇の中光る線路。普段明るい時間にしかいかない場所の変わった一面。青白い蛍光灯の光に照らされた無機質な通路。それら全てがわたしの中の何かを刺激するようで、胸のざわつきと高揚感にどこか落ち着かなくなる。
ふっと、窓の外の線路の先に光が灯った。兄の乗る電車が来たのだ。電車の明かりはどんどん大きくなりそれが電車であることを主張する。
あぁ、兄が行ってしまう。
止めることは叶わないし、仮に止められても…と考えても寂しいものは寂しい。
じっと電車を眺める。いつも乗っているものと同じ車両。家族で出かけるときにいつも乗った電車。
プシュウという小気味良い音が聞こえ、電車は音を立てて走り出した。真っ暗闇を裂いた光も、次第に見えなくなっていく。
帰る前に駅をぐるりと見回す。なぜこうも物悲しく感じるのか考えたかった。
でも考えは直ぐにまとまってしまった。
単純な話、ここは普段の来ない非日常の塊だからなのと、どこかに遠出した際はこれくらいの時間に返ってくることが多くて、その時の見知った場所に帰ってきた安堵と、楽しい時間が終わってしまった楽しみが同居していた。
わかったら、わたしはさっさと駅を出た。
女一人で夜道を歩くのは危ないと親からも兄からも口酸っぱく言われていたのを思い出しながら駅を出て、しばらく歩いて振り返る。
田舎の方のわが町に似つかわしくない近未来的な姿。眩しく輝くその姿に目を細めながらわたしは前に向き直り家へと歩き続ける。
この夜の駅にもう一度くるのは、盆休みに帰ってきた兄が帰るときくらいなものだろう。
軽く後ろ髪をひかれるような思いを抱きながらわたしもあの電車と同じように暗くなり始めた町に消えていった。
きょうのおだい『夜景』
家を出て、自転車で約三十分。緩やかな下り坂を降りていったとこにある、小さな植物園。
幼い頃から私にとって、そこは大切な場所だった。
…とはいえ、なにか大それた事情とか、素晴らしい青春とかがあった訳じゃない。むしろ逆だ。ここでは大層なことはなにも起こらなかった。
でも、だからこそというべきか…ここは、どんなときに来ても変わらず私を出迎え、ただ黙ってそこにいてくれた。
入園無料。さっと見ただけでも人が一人二人いる程度。休日だと近所の家族連れで少し賑わうものの、やはりいつも人は少ない。一人静かに歩きたい私には、ぴったりだ。
古めかしい鉄製の大きな門は、塗られていた白い塗装も剥がれかけ、錆も目立つ。手で触れると塗装がぽろぽろと剥がれて、触れた手も白く汚れた。
門をくぐって、正面にあるのは円形に窪んだ広場と、中心に鎮座する花時計だ。低い位置にある花時計は、ここにいるとよく見える。
右手にはこれまた古ぼけた小さな小屋がきれいに並んでいる。右から土産屋、雑貨屋、軽食屋…この植物園の、唯一の店だ。
私は軽食屋に立ち寄りドリンクを買って、それを片手に歩き出した。
ドリンクに軽く口をつけながら、植物園をぶらりと見て回る。爽やかな緑の香り。すぅっと息を吸い込んで、吐き出す。胸につかえてたものが落ちたような爽快感。ここにくると、いつもどこか現実感が薄れて日常から抜け出したような気分になる。気持ちも新たに、私はビニールハウスに足を向けた。
そのビニールハウスの中は、薔薇で埋め尽くされている。
世界のバラ、と書かれた看板には品種がどうとか見頃がどうとか書かれている。…が、まともに読んだことはない。今日もさっと目を向けると直ぐに薔薇に目を移した。
青々した緑の中にある赤やピンクの薔薇の花は見る人の目をグッと引き付ける。立派な大輪の薔薇を眺めながら、ビニールハウス内をゆっくりと歩いていく。すべての花を見終わる頃には、ハウス内を一周出来るつくりだ。
好きな品種の薔薇は時期外れで咲いてはいなかったのが少しだけ残念だったが、まぁそれでも薔薇の美しさに変わりはない。かの花が出す華やかな香りに胸をいっぱいにしながら、ゆっくりゆっくりと歩いていった。
ビニールハウスの外に出ると、涼しやな風がひゅうと吹いた。花に夢中になりいつもつい忘れてしまうのだが、ビニールハウスの温度は外より高い。いつの間にか火照っていた頰を風が優しく撫で、心地よい充実感に満たされる。
さて、と私は次に向かう場所を見やる。ここからでも見えるのは、一面に咲くコスモス畑だ。
実を言うと、この植物園に向かうのはあれが大半の理由だ。四季折々、違う姿を見せる花畑だが私はその中でもコスモスの咲くこの時期が一番好きだった。
小さい頃は身の丈以上あったコスモス畑も、今や見下ろせる。それこそ昔はこの花畑の中には妖精の暮らす町があるのだと誰に教えられるわけでもなく信じていたのを思い出し、懐かしさに笑みが浮かんだ。
コスモスは、好きだ。特に小学生の頃教科書に載っていた話にコスモスがでてきて以来、より好きなった。
その姿は可愛らしいだけでなく、私の過去を優しく掘り起こして撫でてくれるのだ。
ピンク、紫、赤…様々な色のコスモスに目をやりながらのんびり歩いて…とうとう、花畑の終わりにたどり着いてしまった。この瞬間は、いつもどうしようなく寂しくなる。
花畑を名残惜しく思いながら、背を向けて出口へと歩き出す。
またね、というように風が背中を押した。
きょうのおだい 『花畑』
その日はとても静かで、月明かりさえなかった。
夜更けの街は家々の明かりさえも少なく、それこそ何も遮るものはなかった。
そんな夜に、わたしは星空を眺めている。
なにか、故があった訳ではない。ただ、ふと見上げた星があまりにも綺麗だったものだから、部屋の明かりを消しベランダに立っていた。
普段は、気付かないものだけれど。星を眺めていると、その一つ一つが瞬きを繰り返している。
それこそが星の煌めきという言葉が生まれた理由なのかもしれないと、わたしはぼんやり考えた。
これが、もし、星の声なら。
彼らは何を、誰に、伝えようとしているのだろう。
何億年前の声は、伝えたい相手を失っていることにさえ気付くことはできないのだろう。
されど星は、死んでもその光を、余波を遺していく。
そうまでしてまで、一体、何を求めているのだろう。
その光さえ消えた時、わたしは何を思えばいいのか。
一筋に流れ星が、わたしの目に飛び込んだ。
きょうのおだい『声が枯れるまで』
家の近所には昔、アーケード商店街があった。
わたしがうんと子供の頃は人が賑わっていたけれど、小学生にあがる頃に大型のデパートが近くに建って、それから人が減っていった。
わたし達家族もそのデパート出来てからはあまり商店街にはいかなくなり、いつも行っていた八百屋がしまってからは、パッタリ行かなくなっていた。
そんな商店街が、とうとう取り壊される事になった。
商店街にいかなくなってから、わくついてくぐっていたアーケードの入り口は学校に向かう途中通り過ぎるだけのものになっていた。
それでも、いや多分、だからこそどこか物悲しくて、なんの気なしにわたしは商店街に入っていった。
取り壊しが決まっているだけあって、お店はどこもやっていない。色褪せた閉店を知らせる紙が未だシャッターに貼り付けられ風に揺れていた。
昔は、ここは魔法の町だった。
両親に手を引かれ入り口の門をくぐれば八百屋に魚屋に肉屋に電気屋、古本屋におもちゃ屋服屋…なんでも揃っていた。
ここの惣菜屋さんで売っていた野菜コロッケとメンチカツはわたしの大好物で、そこが閉まると聞いたときはすごく悲しくなって閉まるまでの数日間毎日メンチカツを買って帰った。
お店が最後の日。お店のおばちゃんが「今までありがとうね」とオマケに沢山の野菜コロッケをつけてくれて、その時はもうわんわん泣いたっけ。
惣菜屋さんだった場所はもう、マスコットとお店の名前の書いてある錆びたシャッターが下りるばかりだった。
あの魚屋のサバが好きだった。果物屋さんが通りがかりにリンゴをくれたことがあったっけ。あぁあそこは確か文具屋で、匂い付きの消しゴムを買った。
とか…色々思い返しながら歩いていると、もう出口についてしまった。かつてはずっと歩いても辿り着けないとさえ、思っていたのに。
振り返って、商店街を見る。静まり返ったその場所は、あまりにも寂しすぎる。
踵を返し、入ってきた入り口に向かって歩く。
帰り道はただ寂しく虚しかった。
商店街を出て、後ろを振り返る。
あの魔法の町の入り口は、ただ寂しく口を開けているだけだ。
…魔法はもう、解けてしまったんだろう。
それでも、かつてこの商店街が煌びやかな場所だったことは消えない。
帰路へと足を向けたわたしは、もう振り返らなかった。
きょうのおだい『きらめき』