あるところに、
デスという死神がいました。
デスの生業は、命の炎が消えかけた者の魂を刈り取ること、そして迷える魂をあの世へ送り届けること。
本日の任務は、犬(享年八歳)を
天の国へ導くことです。
早速現場へ向かうと、いました。
小道を俯きながら歩く少年と、彼の周りをぐるぐると回る黒い大きな半透明の犬。あの子です。犬は、少年の横をついて歩きながら、気づいてほしいと言わんばかりに、くぅんくぅんと鳴いています。
デスが咳払いすると、犬は首を傾げて、
デスの方へと近づいてきました。
デスの手に湿った鼻先を押し付け、クンクンと嗅ぎ、しっぽをぶんぶんと振る犬。
「お迎えにきたよ」
デスがそう言うと、犬はまた少年の周りを
うろちょろし始めました。
どうやら少年のそばを離れたくないようです。
「ほーら、わんちゃん、おやつだよ。
こっちへおいで」
骨やジャーキーを取りだしてみても、
犬は興味を示しません。
デスは困りました。
魂が長く現世を彷徨い続けると、いずれ地縛霊となり、最悪の場合、悪霊に変わってしまうのです。
ふと、デスはあることを思いつきます。
一軒の民家を訪れると、ソファに腰掛け、
新聞を広げる人間の姿がありました。
「とうとうお迎えが来たのかい」
新聞から顔を上げ、老眼鏡越しにデスを
見据える人間。この者は末期癌を患い、
余命幾ばくもありません。
そして、デスの姿がはっきり見えるようです。
「いや、今日は別件で......。実は──」
デスは、少年と会ってほしいと頼みました。
こうして、二人は顔を合わせることになりました。
人間は少年に優しく語りかけます。
「あなたのそばに犬がいるよ」
「あなたがずっと塞ぎ込んでいると、
その子は天国には行けなくなってしまう」
少年は目を見開き、ずっと沈んでいた
顔を上げました。
犬は、自分がいなくても、もうこの子は大丈夫だと
思ったのか、しっぽを振りながらデスの元へ
歩み寄ってきました。
それから、デスと犬は雲の上へ昇りました。
そこには大きな白い扉がそびえ立っています。
扉を開くと、目映い光がこぼれ、彼方まで広がる
美しい景色を共に見つめました。
「さあ、お行き」
犬はデスを見上げ、お礼を言うように
手をぺろぺろと舐めました。
一歩、二歩と進み──
デスの方を振り返ります。
その瞳には、穏やかな光が宿っていました。
そして、犬は光の向こうへと駆けていきました。
お題「君と見た景色」
あるところに夢子という娘がいました。
今日もまた、彼女は意地悪な継母に
虐められていました。
「まったく、お前はグズだねえ」
「ご、ごめんなさい」
継母に買い物を命じられた夢子は、
冷たい手を擦り合わせながら、
曇天の寒空を見上げます。
(ああ、こんな生活もういや。
誰か私をここからすくいだして――)
そんなことを考えていたとき、
ふいに誰かとぶつかってしまいました。
「大丈夫かい?」
差し出された手に、息をのむ夢子。
輝く金色の髪と澄んだ青の瞳。
その整った顔立ちは、まるで絵本の中の
王子様が飛び出してきたようです。
「あ、あの、はい...」
頬を赤く染めながら言葉を振り絞る夢子に、
金髪の王子はにっこりと微笑みかけました。
王子に導かれるまま、辿り着いた先は白亜の城。
扉を開けると美しい紳士たちがお出迎え。
「おかえりなさい、お姫様」
ドレスに着替え、贅沢な食事を囲み、
王子たちからは可愛いと褒めそやされ――
ずっと蔑まれ、冷たく扱われた夢子にとって、
まるで夢のような時間でした。
(こんな幸せが、私に許されるの?)
王子の手が、そっと彼女の手を包み込みます。
「ここで一緒に暮らそう。夢子」
ちょうどその時、十二時を告げる
鐘の音が響き渡りました。
「お別れの時間だね」
微かにため息をつく王子に、夢子は愕然とします。
「どういうこと?」
「ここへ来るためにはハートが必要なんだ」
「で、でも、私、持ち合わせがないの…」
「大丈夫。楽に集められる方法があるよ」
案内されたのは、お城の裏手に広がる洞窟。
入口から漏れる獣の臭いに、
思わず夢子は王子の腕に縋り付きます。
「君はとても可愛らしいから、
きっと彼らも気に入るはずさ」
耳元で甘く囁かれ、夢子は覚悟を決めます。
(たくさんハートを稼いで、王子さまと結婚するの!)
こうして夢子は、洞窟に現れる
オークやゴブリン達との戦いに身を投じました。
集めたハートは全て、
お城へ通うために使い果たす日々。
そんな生活を続けていたせいか、
夢子の心身はゆっくりと壊れていきました。
ボロボロの体を引きずり、
なんとか城の前まで辿り着いた夢子。
(夢子、僕のプリンセス)
(結婚しよう。そして、ずっと一緒に――)
脳裏に浮かぶ王子の麗しい微笑み。
美しいドレスに身を包み、
華やかな舞踏会で踊る夢子の姿。
幸せな光景を思い描きながら、
夢子はそっと目を閉じました。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「うわ」
門の前に倒れた亡骸を見て
驚きの声を上げるボーイ。
「もうすぐ開店前だってのに。それ片付けとけよ」
苛立たしげに吐き捨てる赤髪の王子。
「どんなに美しい花でも、
いつかは枯れてしまうものさ」
一輪の花を手の中で弄びながら、
静かに微笑む金髪の王子。
彼は萎れた薔薇に口付けを落とすと、
夢子の亡骸の上へと放りました。
お題「叶わぬ夢」
「ねえ、やっぱり帰ろうよ」
「少しだけなら大丈夫だって」
震えるシークの手を、
ハイドがぐいっと引いた。
活発で明るいハイドと、
大人しく内気なシーク。
二人はきょうだいで、正反対の性格ながら
仲が良く、いつも一緒に遊んでいた。
ハイドには、前々から気になる場所があった。
森の奥にひっそりと佇む廃墟。
大人から「決して近づいてはならない」と
言われていたが、ハイドの好奇心は
抑えられなかった。
あの建物は一体いつからあそこにあるのだろう?
──そして、あの日が訪れた。
廃墟を訪れた二人。
建物から出る時に、
シークの姿が消えていたのだ。
大人たちは懸命に捜索しだが、どこにもいない。
ハイドは怖くなり、自分だけ帰ってきて
しまったことを言い出せなかった。
そして数日後──。
シークはひょっこりと帰ってきた。
両親は涙を流して喜んだ。
「どこにいたの?」と問い詰めると、森で迷い、
農家の納屋で過ごしていたとシークは答える。
誰もが胸を撫でおろした。
……ただ一人、ハイドを除いて。
──違う。これはシークじゃない。
濡羽色の髪も、菫色の瞳も、確かに
シークのものなのに、何かが違う。
ハイドは両親に訴えたが、
「どうかしている」と疑われる始末。
それから数年が経ち、シークはすっかり
元の生活に戻り、家族は何事もなかった
かのように暮らしていた。
しかし、ハイドの胸の中にはずっと
違和感がこびりついたままだった。
──だから今日、もう一度あの場所へ
向かうことにした。
◆
森の奥の廃墟。
久しぶりに訪れたそこは、
相変わらず静まり返っていた。
ひび割れた床からは雑草が生い茂り、
崩れかけた窓から柔らかな陽光が差し込む。
聞こえてくるのは、風が草木を揺らす音と、
遠くで鳴く鳥の声だけ。
ここにいる。
ハイドは確信していた。
ひんやりとした空気が辺りに漂い、
昼間なのにどこか薄気味悪かった。
ふいに──。
視界の端を、黒い影が横切る。
「シーク?」
ハイドは無意識に後を追った。
だが、影はすぐに消え、目の前には
行き止まりの壁があるだけだった。
──気のせいか?
ヒタ……ヒタ……。
何かの足音が近づいてくる。
ハイドの心臓が跳ね上がった。
とっさに近くのロッカーの中へ身を潜める。
(ポマード、ポマード、ポマード……!)
古い魔除けのまじないを心の中で
何度も唱えるハイド。
足音はロッカーの前で止まった。
そして──ゆっくりと
ロッカーの扉が開かれる。
◆
「ハイド、起きて」
誰かがハイドの肩を揺さぶる。
──まばたきをした。
視界がぼやける中、
見覚えのある顔が目に映る。
「……シーク?」
「やっぱりここにいた。母さんも父さんも
心配してるよ」
ハイドは、いつの間にか
気を失っていたらしい。
気づけば、一日が経過していた。
シークはハイドの手を引き、立たせる。
二人は視線を交えた。
「本当に……シーク?」
「何言ってるの? 変なハイド」
昔と変わらぬ、穏やかな菫色の瞳。
けれど、その手は氷のように冷たかった。
◆
二人は、廃墟を後にして、
近くに停めていた車へ乗り込んだ。
助手席に座るハイドの横で、
シークがふとこんな事を口にした。
「ねえ、お祈りって意味ないんだってさ」
「は?」
シークがハイドの耳元に唇を寄せる。
「ポマード、ポマード、ポマードってね」
お題「君を探して」
とある広間にて。
白い清潔なクロスが敷かれた食卓に
色とりどりの料理が並ぶ。
「こんなもの、もううんざりよ」
「だめです。女王様はたくさんの子を産むために、
ローヤルゼリーを召し上がらねばなりません」
「生まれてからずっと、こればかり食べてきたわ」
顔をそむけるクイーンに
困り果てたナイトは提案する。
「では、これを食べ終えたら、おやつに
野ばらの蜜をご用意いたしましょう」
その言葉に目を輝かせるクイーン。
野ばらの蜜と花粉は彼女の大好物。
何より、ナイトから口移しで与えられるのが
好きだった。
突然、働きバチの一匹が慌ただしく
駆け込んできた。
「侵入者です!」
ナイトが巣の入り口へ向かうと、
そこには二回りも大きなスズメバチが。
足元には、胴を噛みちぎられた仲間の亡骸。
ブンブンと羽音を響かせ、顎をカチカチと
鳴らすスズメバチに、若いミツバチたちは
ぷるぷると震えている。
そのとき——。
《わたくしの愛しい子どもたち、聞こえますか》
女王のフェロモンがコロニー全体に満ちた。
《美しき戦士たちよ、恐れることはありません。
我らの城を守りなさい!》
その声に鼓舞された兵たちは、
一斉に音を立て飛び立つ。
ナイトがスズメバチにしがみつき、
次々と仲間たちが続いた。団子のように取り囲み、
熱を発して敵の動きを完封。
やがて、スズメバチは絶命した。
勇敢なるミツバチたちは称えられ、先陣を切った
ナイトは女王のもとへ呼ばれた。
「あなたの功績をたたえて、
褒美を授けましょう。何がほしい?」
ナイトは一瞬ためらったあと、
長らく秘めていた想いを口にした。
「あなたです」
「わたくし?」
頷くナイト。
「あなたは皆のお母様であり、女王です。でも……
本当は、私だけを見てほしかった」
目を潤ませるナイトにつられて、
クイーンの頬も薔薇のように染まる。
二人の間に重い沈黙が流れた。
暫くして、クイーンがおもむろに答えた。
「役目を終えたとき、そのときは——」
芽吹きの春が過ぎ、
初夏の香りが立ちのぼる頃。
ナイトの体は衰えていた。あの日の戦いで、
力を使い果たしたのだろう。
飛ぶ速度も落ち、体力も続かない。
クイーンもまた、産卵数が減り、
食も細くなっていた。
働きバチたちはその事を察して王台を築いた。
新たな女王を育てるために。
戴冠式を終えて荷物を整えたクイーンは、
巣の入口に立っていたナイトの手を取る。
「行きましょうか」
「ええ」
長い間、暗い巣の中にいたクイーンは陽の光に
目を細めながら二匹は飛び立った。
それから彼女たちは色んな場所を旅した。
黄色い絨毯を敷き詰めた様な菜の花畑、
神社の手水舎で水分補給、
そしてお気に入りの庭へ。
そこにはローズマリー、セージなど
色とりどりのハーブや花が咲き乱れ、
りんごの花と野ばらの甘い香りが漂ってきた。
生け垣に咲く野ばらの薄桃色の花弁の上に
身を預け、大きく羽を伸ばす。
新鮮な風が頬を撫で、二匹は青空を見上げた。
「気持ちいいですね」
「そうね」
柔らかな陽射しと心地よい風に包まれ、
まどろむクイーン。
「わたくし、なんだか疲れたわ。
少しだけ眠るから……ずっと傍にいてね」
「かしこまりました。……おやすみなさい」
クイーンが深い眠りにつくのを見届けると、
ナイトもまた、ゆっくり瞼を閉じた。
こうして約束を果たした二匹は、花の香りに包まれ
ながら、静かに蜂生に幕を下ろしたのであった。
お題「約束」
2024年
「お願いします。助けてください」
頬が痩せこけ、目の下に黒い影を落とした男が
弱々しい声で言った。
目の前に座る僧侶は、男の顔をじっと
見つめた後、彼の背後に視線を移す。
そこには長い髪で顔を隠した女が、男の肩に
しがみつきながら、ボソボソと何か呟いている。
彼女から発せられる負のオーラが、
部屋全体をまるで黒い霧のように覆い尽くしていた。
「……」
僧侶は静かに首を横に振る。
それは諦めろと告げているかのようだった。
――
2023年
深夜
ベッドに横たわっていた男は、
胸の上に重い圧迫感を覚え、目を覚ました。
長い黒髪が顔の上に垂れ下がり、髪の隙間から
のぞくのは、ひどく歪んだ女の形相。
『どうして…どうして…』
耳元で繰り返される言葉とともに、冷たく細い指が
首に絡みつき、ぎりぎりと締め上げる。
「やめろ…やめてくれ…!」
男は苦しさに額から脂汗を浮かべ、
必死にもがく。
毎晩続くこの悪夢のような出来事。
翌朝、鏡を覗き込むと、首元にはっきりと
赤黒い指の跡が残されていた。
――
2022年
「彼女、まだ見つからないのか?」
会社の飲み会の席で、
ビールジョッキを手にした同僚が言った。
「…ああ。まあ、正直ほっとしてるけどな」
そう零しながら、乾いた笑みを浮かべる男。
ピコン
突然スマホが通知音を鳴らした。
(あれ?通知は切ってたはずだが…)
スマホの画面を開くと、
一件のメッセージが届いていた。
『どうして』
(は?…誰だ?)
胸に嫌な冷たさが広がる。
そのメッセージは、失踪したはずの彼女の
アカウントから送られてきていた。
(…ありえない。死んだはずだ…)
男は慌てて彼女のアカウントをブロックし、
削除した。
――
2021年
「ねえ、どうして?」
スマホを握りしめた彼女が、
震える声で男を問い詰める。
画面には、男が他の女と親しげに交わす
LINEのやりとりが映し出されていた。
それだけではない。
男が女とホテルに入る決定的な写真もあった。
「…おい、勝手にスマホ見るなよ」
「だって…」
彼女は涙をこらえながら必死に訴えた。
「どうして?好きって言ったじゃん…。
心から愛してるって…ねえ、どうして?」
ぽた…ぽた…
涙がポタリと落ちて、服に染みを作る。
「…はあ、うぜぇんだよ。毎回被害者ヅラすんな!」
縋り付いてくる腕を振り払うと、その反動で彼女は
体勢を崩し、家具の角に頭を強く打ちつけた。
ゴッ…
「……キヨ?」
返事はない。
震える手で彼女の後頭部を触ると、
ぬるりとした感触がした。
指先に付着した赤い血が、
じわりと手の平に広がっていく。
「……まずい」
男の頭の中で、何かが冷静に動き出した。
(どうする…?見つかるのはまずい…)
(いや、待て。祖父母が残した家にある
古い農具小屋…あそこなら…)
男はすぐに実行に移した。
彼女の体をスーツケースに押し込み、
車で農具小屋まで運び、
小屋の奥のドラム缶の中に彼女を隠した。
――
2020年
「でさ、彼女が超メンヘラでさ~」
会社の飲み会で、男は後輩の女に愚痴を語っていた。
「えー、先輩かわいそうw」
「だろ?ああいうのめんどくさくて」
アルコールが回り、いい気分になった男は、
後輩の肩にふざけて頭を乗せる。
「ちょっと、やめてくださいよ~」
後輩もまんざらでもなさそうだ。
男は調子に乗り、そのまま二人で二次会を
抜け出してホテルへ向かった。
――
2019年
クリスマスの夜
公園の広場にはイルミネーションが輝き、
カップルたちが笑い合いながら歩いている。
その中に、一組の男女が
大きなクリスマスツリーの前に立っていた。
「俺、お前のこと本気で好きかも」
男が彼女の頬に手を添え、
そっと長い黒髪を耳にかける。
「本当…?」
「本当だよ。絶対お前を幸せにする」
彼女の目元の雫がイルミネーションの光に
反射して煌めいた。
「心から愛してるよ。キヨ」
「……私も、心から大好きだよ。シン」
お題「心と心」