君の目を見つめると…虹彩色素は、白目や瞼に充血や腫れ、発赤はないか、瞳孔の中は濁りはないか、黒目の状態は、眼圧は、視神経の疲れはないか、肩凝りは大丈夫なのか…などという辺りがまず浮かんでくるのは私が介護者だからか、トシか? まあいい。
「人とおはなしするときは、相手の目を見てお話しなさい」と、みんな誰かに教わった…よね…?
ところが、「まっすぐ見られると怖い」と言われたことが何度かある。私は別に山羊の眼をしていないし、爬虫類の眼もしていない。複眼でもない。では「怖い」と言った人が皆、ある種の共通なメンタル傾向がある状態だったかと言うと、それぞれ違っていたと思う。
以前にもちょっと書いた記憶があるが、私とたまたま目が合った人々の多くはヤバいものと見合ったかのように慌てて目をそらし、あるいは回れ右してゆく。私は怪しげなサングラスとかかけてないし、顔に傷等があるのでもない。多くのタイミングと今で、大きなストレスハゲがあるわけでもない。顔の造りは普通のはず。…本当にわからないのだ。いったい、何故?
自分がどんな目をしているか、どう印象されているか、鏡を覗いてもわからない。見慣れた造形があるだけだ。相手の目をじっと見つめて、相手の目から微笑みと嬉しさが溢れたのを見たのは、子ども達の目しかない。あれは今でも鮮やかに思い出せる。
今という時代の星空は、新しさや優しさ、夢見るこころの友なのだな、と思う。
時代により、文化により、人々は星空にいろいろに反応してきた。日本で陰陽師が「公務員」だった頃、星空は「気運」や「事件」のマップのように見られていたらしい。その源流は中国だったろうか。メソポタミアでは暦のスケール、ギリシア神話には星座の由来がたくさん語られている。近世の産業革命前までの大航海時代には自分の船の居る地点を測るしるべだった…まあ、カティサークみたいに足の速い船だと、計測回数は少なかったかもだが。
しかしいつの時代にも、「星空オタク」とも言うべき人々は居た。それはメソポタミアだろうが江戸だろうが現代だろうが変わらない。観測を地道に続け、いろんな可能性を考えて、生涯にわたって情熱を注ぎ喜びにきらめく人々だ。星空に魅入られている。
星、宇宙、太陽系、地球、天文学、占星学、星空が手を引いてくれる世界観は多種多様だ。星空ばかり撮影している写真家もある。子どもの描く星空の絵もきらきらしい。古い時代の天球儀とか見ると不思議にわくわくする。
GPSが「現在地の座標値」をズバリで出すのは便利だけど、道具以上でも以下でもないものだ。星を測って安心したりあるいは青ざめたりしていたいろいろな時代、生活の中に不思議があって好奇心や探究心もにょきにょきと、生き生きとしていたのだろう…と、とりとめなく思う。
うちの子供らは、どうも完璧主義傾向のようだ。
私から見ても「あらすごい」と本気で思うようなものごとを顕すことが多いのだが、本人達は満足していないときが多い…。上の子など納得せず首を捻っていたりする。目標イメージの姿・かたち・結果に追いつこうとしているのは甚だ素晴らしいのだが、「自分的に今一歩」と感じるときに、「ダメだ」と結論するのはもったいない感じがする。
すぐには届かないから何度もやってみる。そうするうちに、1回のチャレンジだけじゃ知り得ないことや掴み得ないことを獲得してゆく。松尾芭蕉が応援する蛙も、何度もチャレンジしていたようだ。
半世紀生きるうちに実感したことは多くないのだが、確かだと思えるものは幾つかある。そのうちのひとつは「人生はコケて立ち上がってなんぼ」というやつだ。
「コケずに」エリート街道に入った人も一時の職場に居たのだが、精神的な柔軟性や強靱さといった面で、見ている周りが心配してしまうことが多かった。アクシデントやトラブル、思いがけない展開の無い人生は、たぶん無い。子どものうちに、若いうちに、適切にコケると、「立ち上がれる自分」に気づく。その一つひとつが全て、自分自身への信頼になるのだ。「やだなぁ」と逃げるのも状況によって「有り」だろう。何らかの流れで、自分のなかの「やればできる子」が目を覚ますなら、それは紛れもない「生きるちから」だ。
年取ってから「コケる」のは、けっこうキツい。若い頃よりも、複雑化してくる状況がどうしても多いから、立ち上がるために必要な馬力はデカい。まあ、私も経験している。はっはっは…
でも、それでも、それでいいのだ。
どんな「コケっぷり」をしても、出来事の中に自分の資質を開くための縁を信じて、立ち上がるために淡々と、まっすぐ見据える。次のステップは手の届くところにちゃんとある。
重く澱む「観」が明るさを遮って存在を主張する只中をメインフィールドとする者モノと渡り合うのも丸3年を過ぎ、彼らの「観」が自分のフィールドへ侵蝕することと闘い続けるにも疲労感のある今日このごろ。
…というような感覚は、ある種の職業界隈(例えば精神科医やカウンセラー)の方々にはお馴染みかもしれない。ホントお疲れ様である。しかし上記の状態は私自身の現況でもある。私はメンタルヘルスのプロなんかではないし、そのような現場で働く気もない。「絶望なんてそのへんにいくらでも転がっているから」と、若いシンガーソングライターの女の子が言ってた記憶があるけど、その視点で「観れば」、確かにそのような風景もある。
平たく言って私はこの澱みの放つ響きを捨てたい。もしくは全く同調しない波長域に自分の認識焦点を在らしめたい。なんだか帰巣本能のはたらきがポンコツになってしまって困る犬みたいだ。「おうち」へ帰りたいよぅ。
道しるべを何か、と思い巡らすと、一つだけしか思い浮かばない。木だ。木、木……白樺、カラマツ、ミズナラ、クルミ、ネコヤナギ、エゾマツ、桜……うん、ひとつだけじゃなくなった。キイチゴ、オオバコ、ミヤマエンレイソウ、ヤマユリ、エゾエンゴサク、芝桜……どんどん出てくる、「ホームポジション」の者モノが。澄んだ水、午前の陽光、安心している自分。よし、帰って来た。ここからちゃんと、手ぶらでGOだ。
はた、と立ち止まるペンギンが、たまにいる。南極にも居るようだし、動物園のお散歩でも、たまにいる。歩いているさなかに立ち止まって、しばし。
動物園のペンギン担当が、立ち止まるペンギンのことをミニコラムに書いていたところによると、まるで「歩いている自分に突然に気づいたように立ち止まる」そうだ。さあ行くよ、と促しても、おいでおいでと呼んでも、後ろから押してみても、頑として動かない。他のペンギン達はどんどん進んでゆく。最終的には、ペンギン担当が抱えて走るしか無い時も少なくないらしい。
昔まだ上の子が小さかった頃に、私もはた、と立ち止まった。そしてそのとき就いていた仕事を辞めた。子どもに不自由させないために仕事をしていたはずなのに、いつの間にか仕事のために暮らしがすり減ってゆき、子どもと手を繋いでいるけど子どもがどんな表情をしているか振り返って見る気持ちのゆとりも失せていることに、突然気づいたからだ。
子どもと仕事、天秤にのせるまでもなく、私にとって大切なものは子どもの心だ。はっきり言って、会社は私や私の子どものことなんか顧みない。業務をこなし会社利益を掻き集めるコマのひとつ以上でも以下でもなく、代わりはいくらでも居る。
私は「スーツを捨てた」。
幼児を抱っこしていてどんどんと迫り来る「社会生活の要求(つまり金がないと暮らせないという脅迫観念)」を必死で各個撃破していたのをやめて、幼児を自分の背にくくりつけて「野に出る」方向に転換したのだ。
迫り来る「社会要求」をクリアする、という方向性では、私も子どもも「無情で無責任な得体の知れないご都合主義」に閉じ込められてしまう。このままでは窒息してしまうのは必定だ。私は「生きものとしてつつがなく暮らすために、社会システムの幾つかを使う」ことにした。状況の被害者でいることをやめた。茂る木の葉一枚にすら「生きるスペース」はある。なら私にそれが無いわけがない…
一足飛びにすべてが変わったわけではない。一歩ずつ、ひとつずつ、変わるべくして変わった。窒息しそうだと感じることはなくなった。きっかけになった「大切なもの」は子どもの存在だったが、それからの流れはあらゆるレベルにわたっている。
ペンギンが「立ち止まる」のも、ペンギンなりの必要があるのだろう。ちなみに、コウテイペンギンだ。