郡司

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重く澱む「観」が明るさを遮って存在を主張する只中をメインフィールドとする者モノと渡り合うのも丸3年を過ぎ、彼らの「観」が自分のフィールドへ侵蝕することと闘い続けるにも疲労感のある今日このごろ。

…というような感覚は、ある種の職業界隈(例えば精神科医やカウンセラー)の方々にはお馴染みかもしれない。ホントお疲れ様である。しかし上記の状態は私自身の現況でもある。私はメンタルヘルスのプロなんかではないし、そのような現場で働く気もない。「絶望なんてそのへんにいくらでも転がっているから」と、若いシンガーソングライターの女の子が言ってた記憶があるけど、その視点で「観れば」、確かにそのような風景もある。

平たく言って私はこの澱みの放つ響きを捨てたい。もしくは全く同調しない波長域に自分の認識焦点を在らしめたい。なんだか帰巣本能のはたらきがポンコツになってしまって困る犬みたいだ。「おうち」へ帰りたいよぅ。

道しるべを何か、と思い巡らすと、一つだけしか思い浮かばない。木だ。木、木……白樺、カラマツ、ミズナラ、クルミ、ネコヤナギ、エゾマツ、桜……うん、ひとつだけじゃなくなった。キイチゴ、オオバコ、ミヤマエンレイソウ、ヤマユリ、エゾエンゴサク、芝桜……どんどん出てくる、「ホームポジション」の者モノが。澄んだ水、午前の陽光、安心している自分。よし、帰って来た。ここからちゃんと、手ぶらでGOだ。

4/4/2024, 7:55:05 AM