郡司

Open App
3/5/2024, 4:05:04 AM

もふもふ。
ぽよぽよ。
ふかふか。
のほほん。

わが家にはたくさん、ぬいぐるみがある。ほとんど子どものものなんだが、圧倒的に猫型が多い。子どもが寝るときに使っている着ぐるみは招き猫だ。猫ねこ猫ねこ猫まみれ。下の子どもは猫が好きだ。

子どもが学校の行事に役割を得て、家でも練習したのだが、そのさい「練習相手」としてそのぬいぐるみ達を子どもが持ち出してきた。大勢の前で演説を打つから、ぬいぐるみ達をギャラリーに見立てるんだと。そして、練習に付き合え、と。

そうか、じゃあこの「ギャラリー達」を小学生ぽく振る舞わせればいいんだな、と、上の子どもと私はそのようにした………ら、練習が進まない。我ら「小学生」が演説者をあさってに、もきゃもきゃ遊んで、「先生に怒られるフラグ」を立てるからだ。もちろん、まじめなシミュレーションとして。

下の子どもは言った。「今の小学生はちゃんと静かに聞くんだよ。そんなふうじゃないよ」…えっ、そうなの? マジ? 演説者ガン見されるの? 目に見えない「何かの矢印」がたくさん静かに飛んでくるの? そうか、じゃあ静粛にガン見の圧を出そう。

練習は首尾良くできたようだ。大好きなぬいぐるみは、「変な迫力のある姉」と「ちょっとアレなドスがきくママ」が立ち上らせる「何かの矢印」の中でも、落ち着いた自己評価と素早い試行と改善出力をするためのバランサーになってくれたらしい。一度、自分自身で工夫した結果に会心の出来を経験できれば、それが自信の種のひとつになる。

翌日、学校から帰って来た子どもは、先生の指摘した箇所をクリアできたと、開口一番に教えてくれた。

3/3/2024, 1:13:39 PM

今日がひな祭りだということを忘れていた。お隣のおばあちゃんから「今日はひな祭りだから」と、お赤飯を頂くまで。まあっ、ありがとうございます、と受け取りながら頭の隅っこで財布の中と時間を勘案する。ヤバい、何も準備してない。私は日が暮れてから、慌てて買い物に走った。

ひな祭りはよく知られた節句だから(…だよね?)、明日子どもが学校から帰って来てからぶーたれられると困る。

お雛様に厄を祓ってもらい、人生の幸福を祈る。現代のひな祭りは、ふんわりとそんな感じか。伝統に則ってしっかりと「桃の節句」を行われるおうちもあろう。そういう場所には特有の清々しさがあるような気がする。そして、そのようなおうちの女性たちは、すごくしっかりしている印象がある。

今の時勢にひな祭りの意義はどうなんだ、という向きもあるかもしれないが、つまるところ、「どうか幸せであるように」というシンプルなねがいが核心だ。子ども時代の思い出にも何か良いものが残るかもしれないし、彩りのある記憶はほんの少しと言えど心の力になるかもしれない。

えっ、それでお前んちのひな祭りはどうしたんだと?
お隣のおばあちゃんから頂いたお赤飯、バラ刺身でちらし寿司、ホタルイカの酢味噌和え、はま吸い、苺…で何とかなった。最近のスーパーの工夫には頭が下がる。ちらし寿司用のカット刺身セットや、ボイル済みホタルイカ。いちばん手のかかる工程や下処理をかなり減らせる仕様で並べてくれているのだ。そのぶん値段が上がるのでいつもこのテが使えるわけじゃないが、ともあれ今日は助かった。感謝だ。

3/3/2024, 1:59:21 AM

「今は君に預けるしかない…」と、その者は言った。
「とも綱はおぬしがしっかり結んでおけ。そればかりは私ではどうにもならん」と、私は言った。

壊れ壊れて、また壊れるばかりだった少女を預かっている。どんなに壊れても、「死ねば楽になる」などという妄想も木っ端微塵になるところから、私のところに預けられた。

私はこの少女に「希望を持て」と言わない。
彼女が「消えたい。それか砂になりたい」と言ったときは、「消えることはできない。砂はただの擬態だ。何もなくならない」と言った。

私に彼女を預けた者は「進んでるのかな、進めるのかな」と、辛そうに俯いていた。私は「あの子がここに来たときと今の違いを見ろ。心配はわかるが、“つぎの段”の無い者は何処にも居らぬ。…今はおぬしの目前の段をゆけ」と言った。

彼女は自分の選択の数々を怒りで苛んでいた。
私は言った。「それらは全て、生きるための選択だ。ひたすらにただ、がんばったのさ。…がんばったろう?」と。彼女は数瞬、記憶を辿るように瞳をくるくるしてから言った。
「うん、がんばったよ。私がんばった」

最も重要な“希望のたね”のもとへ、彼女をたどり着かせることには成功した。今後はこれが彼女の“基準点”として活在する。まだまだ長丁場だが…

3/1/2024, 2:24:15 PM

欲望? 最初に断っておこう。文章長いぞ。自分の投稿の過去文を一部引っ張って来てる。欲望に関しては誤解が多い上に、欲望が「強い力」である割には、曖昧に扱われているからだ。まず「動機」と「欲望」は別物だが、ほぼ区別されないまま認識されていることが多いようでもある。動機と欲望が愛と思いやりの上に合致しているとき、人間は「生まれながらの凄さ」を発揮する。しかもそれは清しく温かく、力強い。欲望は大切な力のひとつだ。発揮する方向や使い方を間違えないように、注意深くいることは、きっと役に立つ。…まあ、関心も縁なんだけどね。
「幸せ」のお題のとき、欲について書いた。ここに持って来てみる。↓


人間にはいくつかの欲やねがいがあるという。諸説ある。
役に立ちたい、認められたい、愛したい、愛されたい、生きていたい。これは「肯定性」に関する心のねがいと言える。
眼耳鼻舌身で五根とかもある。解釈はいくつかあるようだが、心に関するものと身体に関するものとがある。肉体を持つ以上、当然のものとして食欲、睡眠欲。物理と精神の間にありそうな色欲と財欲と名誉欲。食欲と睡眠欲は生きものとして生存するためのものであり、なんなら色欲だって生きものが持ち合わせている必須性を含んでいる。財欲と名誉欲は両方とも、その底流に本当のねがいを隠している。

食べて美味しいのは幸せだが食べ過ぎれば苦しいし、質の良い眠りは元気になるけど眠り過ぎると疲れる。性の表現は心と意図の方向が違えば幸福から地獄まで顕す強力な諸刃の剣だ。財は生活の安心になるが財があり過ぎればイヤな経験をしやすいし、名誉は自己肯定を支えてくれるが名誉に囚われれば自由が遠ざかる。つまるところ、欲に執せず自分にちょうど良いバランス点に居ることが「この世にある幸せ」に触れるありようなのだろう。物理的身体を持つ人間であるうちは、欲がまったく無いという状態は、無力ですらある。受け取れないなら喜べない。望むものが無いなら前に進むこともできない。「欲を滅せば」悟りに至る? 何のために悟るのか?
釈迦牟尼は不幸なんかじゃなかったはずだ。


抜粋ここまで。↑

「欲望」という言葉にあまり良くないイメージを持つ人はたぶん少なくないのだろう。もしかして仏教で言う「煩悩」という言葉みたいに、なんだか違う「イメージ的なズレ」があるのかもしれない。「欲し望む」「煩い悩む」は、人間なら必ずというほど出会うものだし、それ自体が悪いなどということは絶対ない。

いつからよろしくないイメージが持たれたのかはわからないが、はたして「欲望」のしわざかどうか、ある意味で典型的な人間社会のものを眺めてみる。

軽薄な動機・低俗な手段・残酷な行為がセットになって、物理的あるいは立場的に「自分より強力じゃない」、つまり「こいつを虐めたって自分の脅威にはならない」などと品定めした相手を「侵害」する。はっきり言って“仕置きが必要”な愚行だ。

さて、このパターンは「欲望」なのだろうか?
むしろ、それを後押ししているのは、「自分は無価値」「自分は無力」といった「否定的自己認識」なのではなかろうか? 特に無力感は、抑圧そのものとして心に作用する。無力感にともなう感情は、「前向きな考えを見つけて行動選択に昇華」されないままだと、いつか「破裂」する。それは「侵害行為」というかたちを取ってしまうことも多いのじゃないか?

「欲し望む」と「煩い悩む」と「破れ裂ける」、どれも同じものなんかではない。

心が「破れ裂ける」ことの無いように、
「煩い悩む」ところから成長できるように、
自分の内へ本当の力を「欲し望む」ことで、
ねがいを叶える推進力に手を伸ばせる。
その果実はよきものだ、多分。

2/29/2024, 3:52:34 PM

もう30年ほど列車には乗ってない。その頃、地元のJRはまだディーゼル機関車で客車を引いていたが、自動車免許を取得以降、私の列車の記憶は更新されていない。到着を知らせるオルゴール曲は「鉄道唱歌」だったと思う。現在はどうなんだろう?

さて、私には列車に乗って移動するということが根付いてないので、「自分が乗る列車」よりも機関車の方がいろいろと記憶に色濃く残っている。

最も古い記憶は、私が1歳のときのもので、地元の機関区の機関庫の中だ。母方の祖父が機関区で仕事をしていた。夕方に両親に連れられて輪転機の奥の機関庫へ行くと、大きくもなく明るくもない裸電球がぽつぽつと灯っている中に、真っ黒い蒸気機関車がズラズラと並んでいて、なかには減圧のために勢いよく蒸気を吹き出している機関車もあり、1歳のチビだった私には、本当にこわい場所だった。暗いし、まっくろな機関車はものすごく迫力があったし、「ブシュー」という蒸気音もすごく驚かされた。こうしてくっきりと記憶に残るほど、「圧の高い」場所だったのだ。

こう書いているうちに、列車に乗ったなかで印象強いものを思い出した。修学旅行で北斗星に乗ったとき、一番上の場所を選んでしまって、夜通し眠れなかった。当時の寝台列車「北斗星」は、現在のようなコンパートメントではなく、中央に通路があって、その両側が寝台兼席だった。壁は無く、通路と寝台を区切るのはカーテンのみ。三段分割になっていて、下段が最も高さが確保されていた。中段は下段より高さが少なく、一番上に至っては人ひとりが横になるに足りる高さしかない。しかも車両の屋根外郭に沿って壁側(つまり窓の直上)は丸く詰まっている。まさに「隙間に潜り込んでなんとか眠る」仕様だ。この状態で眠れるなんて、はっきり言って「猛者」だと思う。

北斗星は上野駅0番ホームに入った。現在はもう使われていない。修学旅行だから学校のみんなと一緒に降り立ったが、私達はほぼ一様にテンションが下がって静かになってしまった。映画「火垂るの墓」に描かれたそのままの建物だったからだ。

上野駅0番線は、いちばん端の線路で、線路横の低い柵に沿って道があり、道の向こうはすぐ公園の森だった。戦後すぐの頃、0番線構内にも戦災孤児がたくさん、雨風をしのぐために入り込んでいた。実際の映像も目にしたことがある。

1946年に生まれた私の母は、東京で大学に通っていたのだが、母にとって上野0番線は「故郷へ続く線路」だったそうだ。“ここから列車に乗れば、家に帰れるんだ”という想いのする場所だと、「火垂るの墓」を観ながら言っていた。

Next