キャンドルの火が消えた。
冬の夜。月灯りのない午前3時のことだった。
なかなか寝付くことができずに、ぼーっと天蓋越しの揺れるオレンジを見つめていた時、ふっと暗闇が訪れた。
普段なら使用人を呼んでキャンドルを変えるのだが、今日はなんだかそんな気分にもなれず、かと言って灯りのない部屋でぼーっとする気分でもなく、そっとベッドから身を起こした。
天蓋を開けて窓の方へと歩を進める。
当然、月なんて見当たる訳もなく、けれども漆黒の夜空には満天の星空が広がっていた。
それはまるで、星々が一つ一つ、空に吊り下げられた小さなキャンドルのようで、吸い込まれてしまいそうなほど綺麗な夜空だった。
「まぁ、こういう日も悪くないんじゃないかしら」
ぽつりとこぼした一言は拾われることなく溶けていく。
その言葉に肯定するかの如く、1番光り輝いていた星がきらりと瞬いた。
No.7【キャンドル】
最初は小さな小さな炎だった。
誰も気づかないほどひっそりと、自分ですらも気づけないほどの小さな想いが心に芽吹いた。
――あの人と喋ってみたい。
小さな好奇心に突き動かされて、気がつけば、私は先の見えない霧の中へと足を踏み入れていた。
彼の言動に心が揺さぶられて、一挙手一投足にまで意味を見出そうとしていて。
けれども彼は私のそんな想いに気づくはずがない。
彼は当たり前のように私の前を通り過ぎる。それがどれほど私の心を乱しているのかも知らないで。
「きっと可愛いと思うよ」
彼はそんな言葉も忘れているだろう。
私が長年連れ添ってきたロングヘアに別れを告げて、バッサリとショートカットにしてきた日。彼は驚きで目を丸めていた。
「その髪、どうしたの?」
とっても不思議そうに聞く彼の顔を見て、私は確信した。
あぁ、この想いは一方通行なんだと。
No.6【心の灯火】
「早苗、おはよう!」
「あ、おはよう凜々。今朝から元気だね」
「でしょ〜? 私元気が取り柄だから!」
にこにこと笑う凜々は太陽のような笑顔を振りまいて、私の席へと駆け寄ってくる。
真夏の朝はもうすでに空気を燃やし尽くしていて、エアコンの入っていない教室は、例えるならば地獄の暑さと言えるだろう。
「もうすぐ夏休みだよ……。でも休みに入っても1週間は課外あるから休みって感じしないな〜。早く遊びたい〜!」
だらだらと愚痴を言っているうちに、ピッと音が鳴った。エアコンがついたのだ。
「あぁー神ぃ! ほんとに最近暑くて暑くて、やんなっちゃう!」
「そうだね。やっぱり夏だからしょうがないよ」
あまり納得出来ていない顔をする凜々だが、あっと思い出したように机に手を置き、身を乗り出す。
「あ、そう、聞いて! 昨日の夜ご飯がアッツアツのうどんだったの! ありえなくない?! 真夏の蒸し暑い夜にあったかいきつねうどんとか!」
憤慨する凜々はよほど不満があるのか、私の机をバシバシと叩く。しかし、騒がしい朝の教室はそんな音すらも飲み込んだ。
「えー、私は夏に熱いもの食べるの好きだよ? うどんもラーメンも鍋も」
「うそー、早苗って変人だ〜。私絶対ムリだもん……」
「そうかな? 意外とアリだけど」
うげぇと引いた顔で見つめられると、本当に私がおかしいのか不安になってしまうから辞めて欲しい。
「まぁ、私の親も熱いものよく食べる変人だしなぁ」
「でしょ?」
私はエアコンの効き始めた教室で、お気に入りのステンレスの水筒を取り出した。
キュッと蓋を回すと、水筒から白い煙がたった。
「わ〜、すごい。どんだけ氷入れてんの?」
凜々は物珍しそうに水筒を覗き込む。
「いや、これ熱い緑茶」
「へっ?!」
とても大きな声だった。クラスメイトたちが思わずといったように振り向く。
「え……だから、熱い緑茶。夏に飲みたくならない?」
「アンタだけだよ!!」
どうやら、私はやはり変人らしい。
No.5【私だけ】
いつの事だったか、もう鮮明には思い出せないけれど、私は昔、神様の街に迷い込んだことがある。
ズラリと鳥居が並んだその先に、手の行き届いた綺麗な社とか、人から忘れ去られてしまったようなボロボロの社とか、小さな社に大きな社……とにかく沢山の建物が建っていた。
幼い頃はそんな不思議な話を両親にしては、2人から「ありえない」と一蹴されたものだ。それからいくらか時間が経って、私もそんな事が絵空事だと認識できるようになった。
けれども、幼い頃の奇妙な思い込みは、私の頭に根強く残っていた。
「絶対に迎えに行くね」
そう言われた気がする。いや、夢のことだから実際には言われてないのだけれども。誰かが私にそう言ったのだ。
学校からの帰り道、私は今日もとある神社の前を通る。去年運良く徒歩30分圏内の志望校に受かって、小学校から今の今まで、約10年間も通ってきた道。
「迎えに来たよ」
耳を掠めた声に私は振り向いた。
今、分かった。あれは夢では無かったらしい。
No.4【遠い日の記憶】
――あと3分で世界が滅ぶ。
そう言われたならば、私はどうするべきなのだろうか。
私には、殺したいくらいに憎い人がいる。
でも、その人はもう時期死ぬ――地球もろとも、永遠に。
「隕石が刻刻と迫ってきます! 残り3分で、地球が崩壊しますっ!」
テレビから聞こえた、ニュースキャスターの迫真に満ちた声色。遠くから聞こえる、絶望の叫びと泣き声。パチパチパチと、炎が何かを燃やす音。
どうやら、この地球という星は、もうすぐ滅んでしまうらしい。
よくもこんな時まで律儀に仕事をこなすキャスターに、ある種の日本人らしさを感じてしまう。しかし、特殊なのはキャスター側だけなようで、周囲は騒然としてテレビのそこかしこで人間の醜さをこれでもかと映し出してした。
阿鼻叫喚という言葉は、きっとこの瞬間を表すために出来た言葉なのだろうなと、どうでもいいことが頭を過ぎる。
私はテレビを付けっぱなしにしたまま、ゴロリとベッドに倒れ込む。あつい布団が私を包んだ。
最期くらい、人生を振り返って反省でもしてみようか。
思い返せば、私はとてもくだらない人生を歩んでいたものだ。
母親は私が産まれるときに亡くなり、父親は私が6歳の時に信号無視をして轢かれそうになった私を庇い植物状態。叔母さんの家に預けられたあとは、迷惑をかけっぱなしにはいられないと高卒で就職。もちろん、まともな職には付けなかったが、しばらくの間はそれなりに充実していたはずだった。
私の身の回りに変化か起きたのは、叔母さん達が火事で亡くなってからだ。私がガスの元栓を閉め忘れて仕事へ行ったから、火事が起きた。
「家屋が燃え上がっています!」
ニュースキャスターの声が頭を反芻する。
叔母さん達はきっと熱かっただろうな。熱いなか消化までの何時間もを、ずっと焼かれ続けて、きっと苦しかっただろうな。
今なら叔母さん達の気持ちが分かる。
きちんと、調べて学んだから。
火事が起きたら、まず一酸化炭素中毒になるんだ。手足が痺れて、次第に動かなくなって、立つことすらままならなくなる。苦しいのに、身体を思うように動かせなくて、何もできずに横たわるだけ。
次に熱くなる空気が喉を焼くのだ。肌もピリピリと熱に焼かれて、乾燥していく。
次第に火が自身に迫ってきて、遂に身体へと到達する。
――私は私が世界で1番憎い。殺してしまいたいほどに。
私は燃え上がるベッドの上で、朦朧とした意識のなか、何度も謝った。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
許されなくていいから、許さなくていいから、私をこの世界から連れ出して。
人殺しと罵られる日々は、私の周囲には不幸が降りかかると言われる日々は、どうしようもなく辛かった。
腹がたった。言われるがままの自身に。大切な人を不幸に陥れた己に。
だから、コレはせめてもの償い。
きっと人殺しの私には、火事のなかで焼かれる最期がちょうど良い。
もう、終わりにしよう。
あつい、あつい、あつい――さむいよ。
パチパチパチと燃える音を聞きながら、身を凍えさせた私は、静かに、ぴったりと瞼を閉じた。
No.3【終わりにしよう】