「ね、本当に大丈夫?……ふぅん、じゃあブラックとチャイラテを1つずつ、…はい、お願いします」
少し前にある背の高い先生の背中。
親鳥を追いかける雛みたいね、なんて先生に笑われながらここまでたどり着いた。
先生が好きだって聞いたブラックコーヒー。
私には腐敗したような泥水、もしくは秋の水溜まり位にしか見えないが先生が好きだと宣うなら話は全くの別物。
好きな人が好きだと言うものはいくら嫌いだとしても避けられるはずもあるまい。
だからこうしてチャレンジしようと、そう思い立ったわけである。
「おまたせしました、お熱いのでお気をつけてお飲みください」
「ありがとうございます、」
先生の心地の良い低音が周囲の空気を優しく揺らす。
あ、あの店員さん絶対先生のこと格好良いって思った。
ちょっと顔が赤い。なにそれ許せない。
「……さぁ、どうぞ?熱いから冷まして飲むんだよ」
向かいの席へ腰を下ろした先生は優しくそう言って自分のカップに手をつけることなく私の様子を見守っている。
なんだかあんまり見られすぎると穴でも空いてしまいそう。
「……いただきます。…ぅ、にがっ!」
「…ぷっ、ふふ、あはは…貴方って本当に面白いね。ふふっ」
口に含んだ瞬間芳醇な香りも舌に残る心地のいい苦味も感じることなく傍にあったサービスの水をがぶ飲みだ。
不快な苦味が舌に残って何度水を飲んでも拭いきれない。
早速涙目になっていると先生がそんなことだろうと思ってた、とまた笑いながら続ける。
「…はい、俺まだ飲んでないから交換しよっか、」
「あ、で、でも!私もう飲んじゃいましたし…」
「いいよ、別に気にしないし。さ、早く飲んだ方がいいんじゃない?今にも泣いちゃいそうだしね」
ずずっと先生が私の目の前に差し出した可愛い色のチャイラテ。
見るからに甘そうできっと口の不快な苦味もあっという間に消してしまうことだろう。
本当にいいんですか?なんていう最終確認のため目線だけ先生に送ると、先生はブラックのカップをとって口を付けた。
カップを持ち上げる仕草は美しく洗礼されているように思う。
私が先生のことが大好きという贔屓目を除いても。
恐る恐る口をつけてこくん、と嚥下した。
「う、…おいしい、っ。」
「それはよかった。君には泥水にしか見えないかもだけどこっちも美味しいよ、」
「……先生格好良いですっ、」
「えぇ?格好良い要素あった?ふふ、まぁ貴方が嬉しそうだからなんでもいいけどさ」
きゅっと目を細めて笑う先生はこのチャイラテよりも甘い表情をしていただろう。
格好良い、なんて言ってしまった手前恥ずかしくて先生を直視出来なかったことはわたしだけの秘密である。
2024.3.25『好きじゃないのに』
今日も飽きずに準備室の前にいる。
だが、生憎先客がいたみたいで零れる声を聞いてドアを開けるのを躊躇した。
盗み聞きしてる訳じゃないけど声から察するに女性みたいに綺麗な音楽のあの人だ。
みんなは綺麗だっていうけど私は先生の近くにいるあの人がちょっと苦手だったり。
先生って性別関係なく綺麗な人好きそうだし、なんてぐるぐる考えてふたりのあの場所に突撃する勇気もなく今日は諦めよう、と引き返すことにした。
ふと見上げた空は灰色だった。
「…今日は、いけません、ごめんなさい、…と。」
下駄箱から靴を取り出すついでに先生にメールを送る。
気持ちが乱れたせいか文書がメンヘラぽくなってしまったのはご愛嬌だ。
いつもならすぐに返事がくるメールも返事どころか既読すらつかない。
モヤモヤにモヤモヤが募ってもう泣いてしまいたい気分だった。
「先生のばか……、」
ぐしゃっと嗚咽が出たのが最後、本当に泣いてしまいそうできゅっと口を結んだ。
こんなことで泣いちゃうとか本当に子供みたいで嫌だったから。
「……っ、いた!良かった。まだ帰ってなくて…」
突然後ろから聞きなれた先生の声が聞こえた。
びっくりしたのとくだらない想像で不安になった私はたぶんとんでもなく情けない顔をしていただろうに。
「…今日も来てくれるかと思って帰りでいいかなって思ってたんだけどね…、貴方朝傘もってなかったから…もう帰っちゃうならこれ使って、?」
そうあがる息もそのままに先生はそう言った。
私が来るの待っててくれたんだとかあの人はいいのとか、言いたいことも聞きたいことも色々あるけど……、
「…先生だいすきっ、」
「うぉっ、ちょ、…今はダメよ。帰っちゃうなんてもしかしてなにかあった?めずらしいね、」
抱きつきそうになった私を先生の腕がさとす。
むぅ、なんて声をあげて抵抗してみればダメだからとデコピンをくらった。ちょっぴりいたい。
おでこを抑えながら喋り出す。
「何も…ただ、自分の弱さ具合に辟易して……」
「へきえき…?うんざりするとかそういう?」
「ん、……そうです、」
「そっか、なるほどね。…でも貴方の心配しているようなことは俺たち何も無いよ。あの人確かに綺麗だけどクソ坊ちゃんだしね?」
くふふ、と笑った先生は重ねてだから、帰らないよね?ってわんこみたいな顔で私にそう言った。
いつの間にか土砂降りだった雨は止んでいる。
空も私と同じように機嫌直したんだね、なんて考えながら先生と2人で準備室へと向かった。
「ねぇ〜その子俺にも会わせてよ、音楽取ってくれてないから会えないし俺が教室行ったら不審者じゃん?」
「絶対イヤ、ってかいつまでいるのよ貴方……」
2024.3.24『ところにより雨』
恋って聞こえはいいけれど実際は苦しい。
もっと楽しくて、綺麗で、清純なものだと思っていた。
夢を見すぎだという意見も分からなくは無いけれど。
私の恋は綺麗とは言えそうにもない。
醜い嫉妬も汚いモヤモヤした感情も私の夢見ていた恋とは程遠い。
先生が可愛い女の子と楽しそうに話しているだけで、話の内容関係なくずるいと思ってしまうし、私は放課後はなせるもんね!なんて子供じみたマウントを心の中でこっそりとったり。
そんな私の態度に目ざとく気づく先生は決まって本を貸してくれる。
先生の私物を借りれる優越感でいっぱいの私はすぐ機嫌をなおしちゃうんだけど。
ちょうど今、ごめんねと少しの甘い言葉をくれた先生は三島由紀夫の愛の渇きという本を貸してくれた。
「三島由紀夫がね、嫉妬こそ生きる力だ、っていってたの。嫉妬こそ生きるエネルギーになるって、……でも、貴方がこの本の悦子のようになってしまうのは嫌だからね。俺は貴方だけをみているよ、だからそんな顔しないで、」
先生の言葉は時々難しい。
でも、先生がすっごく恥ずかしいことを言ってのけたってことはわかる。
嬉しいのに、こんなの誰にも言えない、どこにだってかけやしない。
この本を読んだら先生の言葉の意味がわかるのかな。
三島由紀夫の『愛の渇き』『盗賊』ぜひ読んで欲しいです
2024.1.7『どこにも書けないこと』
気温の上がり下がりが厳しくて体調を崩した。
毎日の日課だった先生との朝の登校も今日はお預け。
今日はおやすみしますね、なんて事務的な文面になってしまって関係のない絵文字を3つほどつけた。
直ぐに既読がついた安堵したからか酷く頭がぼーっとするようになった。
先生が寒い中待っている状況は防げそうだと。
そのまま返信もせずに寝てしまったのが悪かったのか。
目が覚めてスマホをみると信じられないほどの追いLINE。
途中で会話が止まって先生は心配してくれたみたい。
先生がこの数時間私事で頭を悩ませてくれたのだという事実が嬉しくて熱が上がりそうだ。
LINE…よりも電話のほうがいいかな。
「……もしもし、せんせ?」
「ぁ、え……た、体調大丈夫?倒れたりしてない?貴方、急にLINE来なくなるから、心配したじゃないの、!」
「先生の既読に安心しちゃって寝ちゃって…心配してくれたんですか?」
「当たり前じゃないの。家まで行こうか悩んだぐらいには貴方のこと心配してたのよ」
こんなこと言ったらきっと不謹慎だ。
先生にそう思って貰えるなら熱を出すのも悪くないかってちょっと、いやかなり思ってしまった。
「明日はこれそう?無理はダメだよ」
「……先生に早く会いたいです、」
「…俺も、早く貴方に会いたいよ。だから早く治して」
終わり際にそんなこと言うなんて狡い。
毎日先生への思いが募って苦しい。
私が先生のことを考えるように、先生も私のことを沢山考えてくれたらなぁ、と願った22時32分。
2024.1.5『溢れる気持ち』
キス、…接吻というと菊池寛を思い出してしまう俺はやはり文学少年すぎるのだろうか。
高校時代いくら教室の隅で勉強ばかりして本を読んでいたとしてもこの歳になって思い出す女性が一人もいないのは如何なものか。
「……キス、してくれないんですか?」
こんな状況になっても文豪に思いを馳せてしまうのだから俺はとうとうダメなのかもしれない。
身長差で必然的に上目遣いになる彼女の瞳がゆらゆらと不安定に揺らぐ。
頬に触れた指先からじんわりと熱が伝わる。
心臓がうるさいぐらいに音を立てて、たかがキスぐらいで……でも、俺にとってはされどキスなのだ。
「、……」
目をつぶったまま、そっと唇に触れた。
ただ肉をぶつけるだけの行為のはずなのにひどく胸が苦しい。
触れ合った唇からお互いの熱を慈しむように分け合う。
生徒も教師も関係ない恋人としての接吻。
この接吻が何かの誤りでなければいい。
俺は漠然と誰かに従うのも自由に生きられないのも嫌だ
勘違いされるのもするのも臆病な俺には向いていないから
2024.1.4『Kiss』