腹有詩書氣自華

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3/26/2025, 11:47:54 AM

《七色》

 雨上がりの川面に、七つの色が揺れている。
 朱、橙、黄金、若草、群青、藍、そして菫。
 「綺麗だね」

 並んで立つ影のひとつが、ふと呟いた。

 「でも、虹はすぐに消えるよ」

 「……だから美しいのかもしれないね」

 水に映る光は儚く、触れれば滲み、やがて流れ去る。

 指先を絡めた手が、ほんのりと温かかった。

 この温もりも、七色のように――消えてしまうのだろうか。

(了)

3/25/2025, 10:22:00 AM

《記憶》

この隣にいる坊主が首を傾げりゃ、どんな國の城でも傾いちまうと言われていた。滴つた項があんまりにも妖艶で、内にあった微かな怯えっていうもんは何処ぞえと翔んでいったようだ。
その色男は此方をみて「いけずな....お人だ」とばかし言って、前のめりになりながらその愛おしい目を静かに閉じた。
刃が美しい首に入ったのは一瞬のことで。
見届けたら直ぐに自分の頭も転がって行った。

この俗世に悔いは無いですよ 死するは貴方の隣だから
この情人の最期の顔を1番近くで記憶に遺せるんだ
又 来世で逢いましょう
又 その項に口付けをさせてくれ

3/24/2025, 10:12:03 AM

───題.もう二度と

黄水仙、彼誰れに揺るる

月白の水面に、黄の花弁が落つる。
薄霧のたなびく暁闇、風はそよとも鳴らず。

男の袖に、沈香の香が淡く残る。黄の花は、別離の色。

「もう、戻らぬと?」

囁きに応えるものはなく、ただ水仙のみが揺蕩う。
指先を滑る冷えた茎、ほどける結び。

それはまるで、手放した縁のように。

 ――さらさらと、水音。

やがて波紋に沈み、黄水仙は消えた。

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黄色い水仙の花言葉 : 「もう1度愛してほしい」

3/23/2025, 10:53:18 AM

《曇り》

鉛を溶かしたような色が空を覆い、風は湿り気を孕む。
日は遠く、薄絹の向こうに滲むばかり。

男は、橋の上に立ち、手摺に片手を添え、もう一方の手には、古びた煙管を握っている。
火はない。吸うこともない。ただ、指で転がしているだけ。

 「降るかな」

 小さく呟く。

 「降らぬさ」

 隣で、女が笑った。

 黒髪を結い、紫陽花のような簪を挿している。
 裾の長い単衣に、朱の帯を緩く結んでいた。

 「降りそうな曇りは、そう易々とは雨にならぬものよ」

 男は煙管を回す。

 「……ならば、晴れるか?」

 「さてな。曇りは、曇りのままかもしれぬ」

 女が、橋の下を覗き込む。

 川面は濁り、流れは緩い。
 陽のない世界を映し、深く、冷たく澱んでいた。

 「なあ」

 男は、ふと問いかける。

 「人の心は、晴れることがあるのか」

 女は目を細め、ひとつ微笑んだ。

 「曇ったままの空を、誰が気にする?」

 「……?」

 「長く生きれば、曇りの日も慣れるものさ。晴れねばならぬ理由も、さほどなかろう?」

 男は煙管を止める。

 「……晴れずともよい、か」

 「そうとも。曇りは曇り。時折、薄日が差せば、それでよい」

 女が、橋の欄干に手をつく。

 爪先が、わずかに浮いた。

 男の指が、煙管を強く握る。

 「なあ」

 「なんだ?」

 「雲が晴れぬなら」

 「うん?」

 「雨も降らぬなら」

 女は振り返らなかった。

 「……いっそ、飛んでみようか」

 風が吹いた。

 空は曇りのまま。

 けれど、川面がかすかに揺れた。

(了)

3/21/2025, 12:50:23 PM

最終電車が来るまで、あと三分。
もう少しで、膝にいる袋の中のこの子たちともお別れだ。
俺たちは、無人駅のホームに並んで立っていた。

「……なぁ、水魚の交わりって言葉、国語の授業でやったじゃんさ。あれ、なんだっけ」

君が、何気ないふうを装いながら呟く。

「水と魚のように、親しく離れがたい間柄、な」

「よく覚えてるねぇ」

「テスト範囲って言われてたろ」

「……でももう、受ける必要ないから、いいじゃん? ……ね?」

君は笑う。

 ホームの白線ぎりぎりに立ち、夜の闇を見つめながら。

 袋の中で、金魚が尾を揺らした。

***

 最終電車の灯りが見えた。

 遠くで、ゆっくりと近づいてくる光。

 「結局、俺たちは魚だったのかな」

 「……どういう意味だよ」

 「金魚はさ、あんなに綺麗なのに、水の外に出れば生きていけない。俺たちも同じだったのかもなって」

 「……違う」

 俺は否定した。

 「俺たちは魚じゃない。水だよ」

 「水?」

 「水は、形がない。でも、魚がいなきゃ、その存在すら気づかれない。俺とお前はずっとそうだったろ? お前がいたから、俺は俺だったし、俺がいたから、お前はお前だった」

 君は、少しだけ驚いたような顔をして、ふっと微笑んだ。

 「じゃあ、水魚の交わりじゃなくて……水と水、か」

 「そういうこと」

 俺たちは、繋いだ手を強く握りしめた。

 ごおおおおおおおおおおん。

 電車が、ホームに滑り込んでくる。

 光が、俺たちを照らす。

 風が、夜を裂く。

 俺たちは、ただ一歩を踏み出すだけだった。

***

 翌朝、無人駅のホームには、破れたビニール袋がひとつ落ちていた。

 その傍らで、朱い金魚が尾を震わせ、微かに口を開いた。

 ――しかし、それもやがて静かに動かなくなった。

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