腹有詩書氣自華

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最終電車が来るまで、あと三分。
もう少しで、膝にいる袋の中のこの子たちともお別れだ。
俺たちは、無人駅のホームに並んで立っていた。

「……なぁ、水魚の交わりって言葉、国語の授業でやったじゃんさ。あれ、なんだっけ」

君が、何気ないふうを装いながら呟く。

「水と魚のように、親しく離れがたい間柄、な」

「よく覚えてるねぇ」

「テスト範囲って言われてたろ」

「……でももう、受ける必要ないから、いいじゃん? ……ね?」

君は笑う。

 ホームの白線ぎりぎりに立ち、夜の闇を見つめながら。

 袋の中で、金魚が尾を揺らした。

***

 最終電車の灯りが見えた。

 遠くで、ゆっくりと近づいてくる光。

 「結局、俺たちは魚だったのかな」

 「……どういう意味だよ」

 「金魚はさ、あんなに綺麗なのに、水の外に出れば生きていけない。俺たちも同じだったのかもなって」

 「……違う」

 俺は否定した。

 「俺たちは魚じゃない。水だよ」

 「水?」

 「水は、形がない。でも、魚がいなきゃ、その存在すら気づかれない。俺とお前はずっとそうだったろ? お前がいたから、俺は俺だったし、俺がいたから、お前はお前だった」

 君は、少しだけ驚いたような顔をして、ふっと微笑んだ。

 「じゃあ、水魚の交わりじゃなくて……水と水、か」

 「そういうこと」

 俺たちは、繋いだ手を強く握りしめた。

 ごおおおおおおおおおおん。

 電車が、ホームに滑り込んでくる。

 光が、俺たちを照らす。

 風が、夜を裂く。

 俺たちは、ただ一歩を踏み出すだけだった。

***

 翌朝、無人駅のホームには、破れたビニール袋がひとつ落ちていた。

 その傍らで、朱い金魚が尾を震わせ、微かに口を開いた。

 ――しかし、それもやがて静かに動かなくなった。

3/21/2025, 12:50:23 PM