今朝、硝子の器に水を満たした。
ふと、指を触れさせると、波紋が広がり、光を細かく砕いていく。
透明なはずの水が、揺れるたびに形を変え、きらきらと輝くのが面白い。
透明って、何だろう。
見えないのに、確かにそこにあるもの。
風も、水も、想いも、言葉にしなければ透明なままだけれど、ほんの少しでも形にすれば、こんなふうに光をまとって見えるのかもしれない。
言葉にならない感情も、きっと同じだ。
静かなままでは透明だけれど、誰かに触れた瞬間に揺らぎ、かたちを成し、いつか届くのかもしれない。
だから、今日も筆を執る。
透明なまま流れてしまわぬように、そっと言葉をすくい上げて。
──────題.透明──────
焚き火がぱちりと弾ける。
燃え尽きた薪が灰となり、ふわりと、さんらりと、
風に溶けていく。
終わったな、と思う。
燃えつくしてしまったものは、もう戻らない。
けれど、その熱は確かに残っている。
指先に、心に、静かに余韻を残して。
ふと、灰の中から小さな赤い光がのぞいた。
炎は消えたと思っていたのに、まだそこには、小さな命がくすぶっていた。
終わりは、本当に終わりなのだろうか?
まるで、花の蕾のようだと思った。
風に散り、土へ還った花々が、季節を巡り、
やがて新たな命を宿すように。芽吹くものがあるように。
燃え尽きたように見えても、まだどこかに新しい火種はあるのかもしれない。
ならば、もう一度。
静かに息を吹きかける。
終わりの先にある、また新しい初まりを迎えるために。
──────題. 終わり、また初まる、────
昔々、もっと昔、まだ夜空に星がなかったころのお話。
世界は昼と夜に分かれていたけれど、夜はただの真っ暗闇で、誰もが少し寂しい気持ちになる時間だった。そこで神様は考えた。
「夜を少しだけ明るくしよう。けれど、太陽ほどではなく、ほんのり優しい光にしよう」
神様は、世界中の人々の「大切なもの」を少しずつ集めて、夜空に浮かべることにした。
子どもが初めて描いた絵、恋人同士が交わした約束、大切な人のために流した涙——。
それらをひとつひとつ、そっと夜空に並べた。
すると、どうだろう。
漆黒の空に、ぽつぽつと小さな光が灯った。
それからというもの、夜空を見上げるたびに、人々は懐かしさや温かさを感じるようになった。
ある者は、「あの星には亡くなった祖父の笑顔が宿っている」と言い、またある者は、「あの星は昔、好きだった人との思い出だ」と語った。
夜空の星々は、ただ光っているのではない。
それぞれの想いを抱いて、遠い場所からそっと輝いているのだ。
だから今夜も、どこかで誰かが、静かに星を見上げる。
願いを込めて。あるいは、そっと思い出をなぞるように
──────題.星──────
私はすぐに答えた。
「この世界が、もっと美しくなりますように」
すると神様は言った。
「それならば、お前が消えればいい」
なるほど。
世界が醜いのは、私がいるからか。
ならば、願いを叶えよう。
私は屋上へ向かった。
が、途中で思い直した。
願いが叶う前に、もう少し酒を飲んでからでも遅くはあるまい。
誰もいないバーのカウンターで、私はゆっくりとグラスを傾ける。
静かな夜、外の風が心地よく背中を押してくる。
「ああ、世界が美しくなるというのは、案外面倒なことだな」と呟き、笑みを浮かべた。
だって、消えることができるなら、もう少し楽に美しい世界を作れるだろう。
だが、私にはその決断ができないらしい。
酒が少し回ったころ、神様がまた現れた。
「お前は決断したのか?」
私はグラスを空にし、ため息をついた。
「まだだな。だって、美しい世界って、どこか寂しさを感じるものじゃないか?」
神様はしばらく黙っていたが、やがてこう言った。
「お前が消えたところで、世界は美しくなるわけではない。それは、ただお前が美しさを求めていたからだ」
私はカウンターに肘をついて、笑った。
「結局、俺も世界の一部だ。美しさを求める限り、この手の酒場で酔いしれていることに変わりはない」
神様はしばらく考えてから、少し嬉しそうに言った。
「では、お前が求める美しさを、自分の中に見出すがいい」
それを聞いて、私はもう一度グラスを持ち上げた。
「まあ、そうだな。結局は、こうして酒を飲みながら、いろいろと悩むのが一番面白いということだ」
願いが叶うとは、結局こういうことなのだろう。
完璧という状態に叛骨している、この状況こそ、人っていうのは愛おしく思うもんなんだ。
───────題.願いがひとつ叶うならば─────
、と彼は言った。
それは諦めの声か、嘆きか、それとも感嘆か。
答えを求めるように、私はそっと彼の横顔を盗み見る。
「……なんでもない」
そう言って彼は微笑んだ。
けれど、その手のひらには、くしゃくしゃになったチケットの半券が握られていた。
それが映画のものか、遊園地のものか、あるいは旅の切符か——私にはわからなかった。
ただ、ひとつだけ確かだったのは。
彼の「嗚呼」には、たくさんの想いが詰まっているということ。
─────────題.嗚呼────────