昔々、もっと昔、まだ夜空に星がなかったころのお話。
世界は昼と夜に分かれていたけれど、夜はただの真っ暗闇で、誰もが少し寂しい気持ちになる時間だった。そこで神様は考えた。
「夜を少しだけ明るくしよう。けれど、太陽ほどではなく、ほんのり優しい光にしよう」
神様は、世界中の人々の「大切なもの」を少しずつ集めて、夜空に浮かべることにした。
子どもが初めて描いた絵、恋人同士が交わした約束、大切な人のために流した涙——。
それらをひとつひとつ、そっと夜空に並べた。
すると、どうだろう。
漆黒の空に、ぽつぽつと小さな光が灯った。
それからというもの、夜空を見上げるたびに、人々は懐かしさや温かさを感じるようになった。
ある者は、「あの星には亡くなった祖父の笑顔が宿っている」と言い、またある者は、「あの星は昔、好きだった人との思い出だ」と語った。
夜空の星々は、ただ光っているのではない。
それぞれの想いを抱いて、遠い場所からそっと輝いているのだ。
だから今夜も、どこかで誰かが、静かに星を見上げる。
願いを込めて。あるいは、そっと思い出をなぞるように
──────題.星──────
私はすぐに答えた。
「この世界が、もっと美しくなりますように」
すると神様は言った。
「それならば、お前が消えればいい」
なるほど。
世界が醜いのは、私がいるからか。
ならば、願いを叶えよう。
私は屋上へ向かった。
が、途中で思い直した。
願いが叶う前に、もう少し酒を飲んでからでも遅くはあるまい。
誰もいないバーのカウンターで、私はゆっくりとグラスを傾ける。
静かな夜、外の風が心地よく背中を押してくる。
「ああ、世界が美しくなるというのは、案外面倒なことだな」と呟き、笑みを浮かべた。
だって、消えることができるなら、もう少し楽に美しい世界を作れるだろう。
だが、私にはその決断ができないらしい。
酒が少し回ったころ、神様がまた現れた。
「お前は決断したのか?」
私はグラスを空にし、ため息をついた。
「まだだな。だって、美しい世界って、どこか寂しさを感じるものじゃないか?」
神様はしばらく黙っていたが、やがてこう言った。
「お前が消えたところで、世界は美しくなるわけではない。それは、ただお前が美しさを求めていたからだ」
私はカウンターに肘をついて、笑った。
「結局、俺も世界の一部だ。美しさを求める限り、この手の酒場で酔いしれていることに変わりはない」
神様はしばらく考えてから、少し嬉しそうに言った。
「では、お前が求める美しさを、自分の中に見出すがいい」
それを聞いて、私はもう一度グラスを持ち上げた。
「まあ、そうだな。結局は、こうして酒を飲みながら、いろいろと悩むのが一番面白いということだ」
願いが叶うとは、結局こういうことなのだろう。
完璧という状態に叛骨している、この状況こそ、人っていうのは愛おしく思うもんなんだ。
───────題.願いがひとつ叶うならば─────
、と彼は言った。
それは諦めの声か、嘆きか、それとも感嘆か。
答えを求めるように、私はそっと彼の横顔を盗み見る。
「……なんでもない」
そう言って彼は微笑んだ。
けれど、その手のひらには、くしゃくしゃになったチケットの半券が握られていた。
それが映画のものか、遊園地のものか、あるいは旅の切符か——私にはわからなかった。
ただ、ひとつだけ確かだったのは。
彼の「嗚呼」には、たくさんの想いが詰まっているということ。
─────────題.嗚呼────────
小さい頃から、よく馬鹿にされた。
体が小さいせいだろうか。気弱なせいだろうか。すぐに笑われた。叩きのめされるのが嫌で、悔しさを飲み込みながら、いつも逃げ込む場所があった。
───町外れの喫茶店
昼間でも少しだけ薄暗くて、壁一面の本棚には古びた書物が並んでいた。客はまばらで、静かで、何より——ここでは、誰も僕を笑わなかった。
カウンターの奥で、店主が新聞をめくる音。時計の針がカチリ、カチリと進む音。低く流れるジャズの調べ。
ひとたび店の扉をくぐれば、外の世界はどこか遠くなる。
僕は奥の席でいつまでも本を読んでいた。難しい言葉も、意味のわからない数学書も、何でもいい。
ただ、強くなれる方法が知りたかった。
別の方法で_______________自分を見いだしたかった
ある日、店主がカップを置きながら言った。
「本が好きなのかい?」
「……知るのが好きなんです」
僕がそう言うと、店主は少し驚いた顔をして、それから小さく笑った。
以来、店に来るたびに、「こんなのはどうだ?」と一冊の本を差し出してくれるようになった。其れは哲学書や詩など、実生活には役に立つのか分からないものだらけ。
それでも、いつしか僕は、それを貪るように読んでいた。
——逃げ込んだはずの場所が、僕を強くしてくれた。
あれから何年経っただろう。
今、久しぶりにこの店の扉を押す。
変わらぬカランというベルの音。ふわりと広がる珈琲の香り。
「おや……見ない顔だね」
カウンターの向こう、店主はもういない。代わりに、どこか面影の似た青年が、僕をじっと見つめている。
「すみません、久しぶりに来たんです」
そう言いながら、僕は店の奥の席へ向かう。
昔と同じ場所に腰を下ろし、窓の外を見る。
あの頃の僕は、ここで未来を夢見ていた。
そして今、僕はこうしてここに戻ってきた。
……ならば、きっと。
この場所は、今でも僕の「秘密の場所」なのだろう。
──────題.秘密の場所──────
「ラララ」って、不思議な響き
何気なく口をついて出ることもあれば、胸の奥にしまった気持ちを紛らわせるように、そっとつぶやくこともある
夕暮れ時、公園のベンチに座っていると、小さな鼻歌が風に乗って届いた。振り向くと、一人の少女がブランコに揺られながら、小さく「ラララ」と歌っている。
歌詞はない。ただ、メロディーの隙間に、どこか寂しげな想いが滲んでいるようだった。
声をかけることはできなかった。けれど、その「ラララ」は、まるで誰かを呼ぶようで、あるいは、自分自身に言い聞かせるようで……そんな気がした。
「ラララ」は、ひとりぼっちの祈りなのかもしれない。
言葉にできない想いをそっと紡ぎ、誰かに届くことを願う。紡がれる音色で賑やかなアミューズメントパーク宛らの光景を映し出す。
あの少女の「ラララ」は、風に溶けて消えてしまったけれど、もしかしたら今も、どこかで響いているのかも
しれない。
少なくとも私の心には響いているよ
──────題.ラララ──────